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六十六、論理くん、優衣と勝負する

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私は、穏やかに春休みを過ごしていた。春休み中も、毎日のように論理と会って、愛を育んでいた。そんな、桜も咲き始めて、すっかり春めいてきた三月末の夜、自分の部屋でうとうとしていた私は、いきなりスマホからの「ライン!」という着信音にハッとなる。ライン?誰からだろう。論理かな?スマホを取り上げて画面を見る。するとそこには秀馬くんの名前があった。
「秀馬くん!」
え?秀馬くんからライン?嫌だよドキドキするじゃん。指先を震わせて、私は通知をタップする。
『文香、どうしてる?論理とは幸せにやってるか』
あ、えっと…。秀馬くん急にどうしたんだろう。何て返せばいいかな。ちょっと考えて、私は指を動かす。
『うん、うまくやってるよ。毎日のように会ってる』
『そうか。お前たちのことだから、熱い愛を営んでいるんだろうな』
電子文字は無機質だけれど、そんな文字を通して、秀馬くんの寂しげな顔が浮かんでくるような気がした。
『まあまあ、だよ。それより、』
秀馬くんの前で、あまり惚気るのもどうかと思った。
『秀馬くんと遥は、どうなの?バレンタインもらってたし、秀馬くんもホワイトデーあげてたじゃん』
驚くべきことに秀馬くんは、チョコをもらった子一人ひとりにキャンディを手作りして、ホワイトデーに贈っていた。こういうところも秀馬くん、カンペキなんだよな…。いずれにしても秀馬くんの手作りキャンディをもらった遥、大きな瞳に涙をいっぱいためて喜んでたっけ。
『俺と遥とか。別にどうってことない。元カノと元カレという間柄というだけだ』
『ねえ秀馬くん、』
私は、スマホを打つ指に少し力をこめた。
『遥、一生懸命だよ。私、遥と仲良くなってよくお話しするようになって一層感じるんだけど、遥にとって秀馬くんは、今までもこれからも、なくてはならない人なんだよ』
私がそう書くと、しばらく画面の動きが止まる。考え込んでいる秀馬くんの姿がうかがえた。
『あいつ…、進学先も花宮にするらしい』
花宮高校は、秀馬くんの志望校だ。県下一の超難関校。偏差値は七十二ある。
『遥、高校も大学も勤務先も、ずっと秀馬くんと一緒がいいんだよ。今の成績なら遥、花宮も余裕じゃない?』
遥の三学期の通知表は、秀馬くんと並んでオール五だった。
『花宮に行ったら、遥とはきっぱり縁を切って、人間関係を一からやり直したい俺もいる。かと思えば、あの遥を放っておいていいのかと思う俺もいる。今だに、ふと気づくと、あのおちょんぼ髪と、大ぶりで派手な目鼻立ちと、いつまでも幼稚園児みたいな声を思い浮かべている。俺の好きな人は文香だというのに。いい加減にしないとな』
俺の好きな人は文香って…。秀馬くんまたそんなことを言う。さっきからドキドキが止まらない。嫌だよ私には論理なのに。
『秀馬くんの中にも、遥がまだはっきり生きているんだと思う。秀馬くんにとっての遥って、そんな簡単に捨て去れるような存在じゃないんだよ。もう一度遥を受け止めてあげようよ』
また画面の動きがしばらく止まる。でもやがて、秀馬くんの白い大きな吹き出しが現れた。
『あいつの頭の中には、俺と性的に交わることしか入っていない。それは文香にもわかるだろ。あいつは義父に性を壊されたんだ。中一のバスケ部で俺がケガをしたときも、文香は俺に寄り添って『大丈夫』と言ってくれたが、あいつは『そんなことよりもセックスして』としか言わなかった。だから俺は遥がいやになって、文香に惹かれていった』
そんなことより、って遥ちょっとひどいな。あのときの秀馬くん、大会に出られなくなる不安で潰されそうだったのに。でも…。お父さんに性的感覚を狂わされて、遥もそうなっちゃったんだ。そう思うと、遥を責められない。
『秀馬くん…。だけど秀馬くん、遥を命がけでお父さんのもとから救い出すくらい、遥のことが大切なんでしょう?』
『大切というより、放っておけない。あんな危なっかしいやつはいない。あいつにあれこれ言い寄られるのは本当に鬱陶しいが、そう思いつつ、あいつを見つめていたりする』
秀馬くんの心の中の遥の灯は、まだ消えていない。いや、消えていないどころか、今でもちゃんと燃えている。
『秀馬くん。秀馬くんの好きな人って、私じゃないよ。遥だよ。今こうして言葉を交わしてても、それがはっきりとわかる』
画面が三たび、止まった。かなり長い間があく。
『文香は…そう思うのか?』
『うん』
『俺も、まだまだだな。自分の好きな人すら、よくわからなくなるとは』
秀馬くんのため息が聞こえてくるようだった。私はスマホに向かって軽く身を乗り出す。
『秀馬くん、遥のこと、受け入れてあげて。確かに遥って、かなり問題のある子だけど、だからこそそんな遥を支えられるのは秀馬くんしかいないと思う』
『そうか…。今になって遥とよりを戻すのにも抵抗があるにはあるが…。文香にそう言われてはな。わかった。考えてみる』
秀馬くん、遥…。一度は固く結ばれたんでしょう?どうかその絆が、再びよみがえりますように。手を繋いで微笑みあう二人を想像した。やっぱり、秀馬くんには遥、遥には秀馬くんだよ。お互い求めあって欲しい。今までそうだったように。うん、きっとできるよね。

秀馬くんとそんな話をしてから数日後、私たちはいつもの六人でボーリングをしに行くことになった。私が十二時四十五分に待ち合わせのボーリング場に行くと、論理と優衣と沢田くんがいた。
「おっ!来た来た!ぶんちゃ~ん!」
優衣が、手を振って私を出迎えてくれる。私も手を振り返し、三人のもとへ走った。
「優衣はいつも元気そうでなによりだよ」
「優衣は元気しか取り柄がないからな」
そんなことを言う沢田くんの首には、クリスマスに優衣がプレゼントしたというマフラーが巻かれている。春にマフラーか。クスリと笑う私。お正月のときもしてたし、よっぽど嬉しかったんだろうな。
「義久ったら!なによその言い方!そうやって私を馬鹿にするのやめてほしいわ!」
「馬鹿になんかしてないぞ。ちょっとした冗談だ」
優衣と沢田くんはいつも通り仲が良い。私は、論理と目を合わせた。
「二人を見てると微笑ましくなっちゃうね」
「ああ。仲良きことは美しきかな」
「あはは、まさにそれだね」
論理と笑いあう。論理のかわいい刈り上げ、けっこう伸びたな。またジャーッとやってくれないかな。今度も私、見に行くぞ。さてそうしているうちに、遠くから秀馬くんと遥が歩いてくるのが見えた。それを見た優衣は、突如として顔を歪める。
「あのさあ、なんかいつのまにかあの女が私たちのグループに入ってるけど、なんで?私、あの女嫌いなんだけど」
「俺も佐伯は好きじゃねえけど…まあ、いいんじゃないか?」
沢田くんが優衣を宥めるけれど、優衣は憮然としている。優衣が遥と仲良くできる日はくるのかな…。そんな中、遥が、私に駆け寄ってきて抱きついた。
「文香!今日もかわいいな!いつも思うんだけど、文香っておしゃれだよな!」
「わわっ!あ、ありがとう、遥。でも遥もかわいい服着てるじゃん」
今日の遥は、春らしい明るい黄色の、小花柄ワンピ姿だった。顔も声もかわいい遥には、こういう女の子らしい格好が似合う。
「ありがと。なあ、今度一緒に洋服買いに行かねぇか?あたし、栄穂にかわいいお洋服屋さんがあるの知ってんだ!」
「うん、いいよ、行こう!」
遥と私が盛り上がってる中、ふと優衣を見ると、獲物を横取りされたライオンのような目を遥に向けていた。
「ちょっと。あんたさ、最近ぶんちゃんとやけに親しいし、私たちのグループにも、いけしゃあしゃあとい続けてるけど、調子のってんじゃないわよ。ぶんちゃんは私と論理のもので、あんたなんかのものじゃないんだからね!」
優衣の言葉に、遥は優衣を一睨みしたけれど、すぐもとの表情に戻った。
「文香はあたしを友だちと言ってくれるんだ。だからあたしだって文香と友だちさ。お前はどうなんだ」
「はあ?なにが?」
「……お前は、あたしと友だちになってくれるか?」
遥が気恥ずかしそうにそう言う。遥…優衣に向かってそんなことを言うなんて。遥も成長したんだね。でも優衣は、そんな遥の成長を一刀両断した。
「え⁉︎なんで私があんたなんかと友だちにならなきゃいけないわけ⁉︎気持ち悪っ!お断りよ!お・こ・と・わ・り‼︎」
あー、こうなったら、遥も黙ってはいない。
「そうかよ…てめぇに友だちになろうなんて言ったあたしが馬鹿だった…思い切って言ったのに…恥かかせやがって……、くそ向坂‼︎一発殴らせろ‼︎」
ベビーボイスが金切り声になって響いた。遥が優衣に飛びかかろうとするのを、私と秀馬くんで止める。はあ…排他的関係は深いね…。

それから私たちはボーリング場に入り、お金を払って、靴を履き変えると、ボーリングのボールを選んで自分たちのレーンへと向かった。場内は、ボーリングのピンが倒れる音や、ボールが転がる音、遊んでいる人たちの騒めきで盛り上がっている。こんな風になってるんだ…。私はボーリングをするのが初めてだったので、すごくワクワクした。
「ねえ論理、私、ボーリングって初めてやるんだけど、論理はやったことある?」
「いや、俺も初めてだ。だいたい、あんな重いボールを投げて、あれほど遠くのピンを倒せるって言うのが信じられない」
確かに、論理は運動全般がダメだし、ボーリングも苦手そう。
「私も初めてだわ。だから腕がなるってもんね!」
優衣は、力瘤を作ってみせた。
「俺は一回だけやったことがあるな。初めてだったけど結構スコアいったぜ」
「沢田くん運動神経良いから、上手そうだよね」
私は、早くボーリングを始めたくてうずうずしながら、上の電光掲示板に名前が出てくるのを待った。
「俺と遥は何回か来てる。スコアが百六十いけばすごいもんだ」
秀馬くんは、ボールをタオルで拭きながらそう言う。秀馬くんも遥もボーリング上手そうだなあ。
「秀馬はボーリング得意ですごいんだよ!毎回ストライク出しまくりでさ!かっこいいんだよ…」
遥がそう言って秀馬くんにとろけた表情を見せる。
「やめろ。そんなに大したことはない」
秀馬くんは少し照れた顔をしながら、遥の肩をさっと撫でた。「きゃん!」と叫んで遥が首をすくめる。そんな遥を見る秀馬くんの目が、いつもより優しい。秀馬くん、「考えてみる」って言ってくれてたよね。
「お、ようやく名前が表示されたぞ。あ、俺からか」
論理がそう言ったので、電光掲示板を見ると、名前が表示されていて、もうゲームが始められるようになっていた。順番は、論理、私、優衣、沢田くん、遥、秀馬くん、の順だ。
「二ゲームできるから、一ゲーム目は肩慣らしのようにやればいい。さ、論理行ってこい」
「よし」
秀馬くんの声で、論理は立ち上がって自分のボールを取った。
「論理!ふぁいと~!」
私の応援で、みんな盛り上がる。論理は、おぼつかない足取りでレーンの前に立つと、フォームを取る。なんだか、そのフォームがちょっとおかしかったけれど、初めてだからしかたないよね。そして、ボールを投げた──。
「あっ」
私の口から小さな吐息が漏れる。論理の投げたボールは、レーンの途中で、ボン!と跳ねながら、ひょろろろろと力なく右に行ってしまい、ガーターに落ちてしまった。続く二投目も、やっぱり前に転がらず、右のガーターに吸い込まれてしまう。
「難しいもんだな」
戻ってきた論理は、少しガッカリした表情。
「まあまあ!初めてなんだし、これくらいでしょ。さ、次私ね!」
私は、立ち上がってボールを持った。
「ねえ、秀馬くん、コツとかある?強く投げた方がいいのかな?」
「ああ、レーンに向かって助走するときは、必ず右足から踏み出して、四歩目でボールを投げるんだ。こんな感じでな」
そう言って、秀馬くんはフォームを取ってみせた。わあ、様になってる。
「あとは、ボールを投げるんじゃなくて、転がすイメージでやってみろ」
「なるほど。転がすんだね。ありがとう!やってみる!」
「秀馬…それ、俺がやる前に教えてくれよ…」
論理はぎこちない笑みを秀馬くんに見せた。
「すまない。まあ、次からがんばってみろ」
私は、レーンの前に立った。まずは助走。さっき、秀馬くんがやってたみたいに、四歩で…一、二、三…四!転がす!といっても、なんだかうまく助走がつけられなかった私。そして、転がしたボールも、思い切りガーター。
「あはは…難しいね…」
「最初のうちはな。慣れてくればガーターも少なくなってくるさ。文香、どんまい!」
遥がそう言ってくれるけれど、自信ないなあ。
「次は私ね!」
優衣は、張り切った様子でレーンの前に向かった。
「優衣、がんばれ!肩に力入れすぎんなよ」
沢田くんがエールを送る。優衣は、おぼつかない足取りで助走し、ボールを投げた。ボールは、ゆっくりとではあったものの、まっすぐ前に転がっていった。初めての割にはやるじゃん優衣。そしてそのまま、ボールはピンの真ん中へ当たると、十本全部倒してしまった。
「きゃーっ!ストライクだよ⁉︎すごいじゃない私!」
優衣は飛び跳ねて、私たちとハイタッチをする。みんな盛り上がった。
「すごいじゃん優衣!最初からストライクなんて!本当に初めてなの?」
私は、感心して優衣に聞いた。
「ふふふ、もちろん初めてよ。んー、やっぱり天性の才能があるのかな?」
優衣は得意げだった。
「優衣すげえよ!よし!俺も優衣に負けねえようにいっちょやってやろうじゃねえか!」
沢田くんはそう言って、ボールを取り、投げに向かう。バックスイングも高々として美しいフォームだ。そしてボールは、若干変化すらして一番前のピンに当たる。でも惜しくも、左奥のピンが一本だけ残ってしまった。
「ちぇっ!これ、難しいんだよな」
そう言いつつ、沢田くんは、二投目のボールを取る。狙いを定めて、集中し、ボールを勢いよく投げた。ボールは、一直線にピンに向かい、見事これを倒す。スペアだ。
「しゃあっ!」
沢田くんがガッツポーズをして、みんなとハイタッチ。
「義久かっこいい~!ひゅ~!」
優衣が嬉しそうだ。そして次は、遥の番。
「遥!がんばって!」
私の声援に右手を軽く挙げて応えた遥は、一投目のボールを持ってレーンに向かった。そして、バックスイングも美しく、勢いよく投げる。ボールは、きれいな円弧を描いて変化し、右側の一番前と二番目の間に当たった。その瞬間、スパーン!という音を立てて、ピンは全部倒れていた。すごいじゃん遥!
「ふん、ビッチにしては…」
「優衣、そんなこと言わないの。遥すごーい!変化球なんてプロみたい!」
「いや、そう大したことねぇよ」
帰ってきた遥と、私はハイタッチを交わす。そしてみんなとも次々と交わした。でも優衣は、手を出さなかった。ふう…この二人は…。
「遥、俺が気づかないうちに随分上手くなったな」
秀馬くんにそう褒められて、遥は顔を輝かせた。それは、お年玉をもらった子どものようだった。そして、いつもながら甘くて高いソプラノを一層甘えた調子にする。
「だって…秀馬がボーリング好きだって言ってたから、あたしも秀馬のレベルに追いつきたくて、一生懸命一人で練習したんだよ」
「そうか。じゃあ、遥に負けないように、俺も本気を出すか」
秀馬くんはそう言って、ボールを手に取り、ピンに向かった。そして、さっき秀馬くん自身が教えてくれた通りの模範的なフォームでステップを取り、鮮やかにボールを投げる。一直線に進んだボールは、気持ちの良い音とともに、勢いよく十本全部のピンを倒した。
「きゃーっ!秀馬かっこいいー!」
遥の歓声。確かにかっこよくて少し見惚れてしまった。戻ってきた秀馬くんが、得意満面に全員とハイタッチを交わす。こうして、一フレーム目が終わった。そのあとも、大体似たような展開で、トップ争いが秀馬くんと遥。次が沢田くん。私も少しコツをつかんできて、ガーターは少なくなっていき、四位争いが、私と優衣。論理は残念なことに、投げ方をつかめないようで、スコアが二桁いくかどうかというところだった。
「論理、大丈夫…?」
見ていられなくなってそう聞くと、論理は、苦笑いをする。
「ああ。俺にはちょっと向いてないのかもな」
結局この一ゲーム目は、二ピン差という僅差で、秀馬くんが逃げ切り、次いで遥、沢田くん、四位には私が入った。五位に、優衣。そこから差があって、六位に論理という順になった。二ゲーム目を始めようとしたとき、優衣が、なにやら企んだ表情で言い出した。
「ねえねえ、ただ単にゲームしてるだけじゃ物足りないからさ、何か、賭けない?」
「賭け?何を?」
沢田くんに聞かれて、優衣は、足を軽くふみ鳴らした。
「お金と言いたいところだけど、そんなことやったら捕まっちゃうから、こうしない?みんなのボーリングシューズ代を、このゲームで最下位になった人が払うの」
優衣はそう言って、論理の方をチラリと見た。その顔には、してやったりという表情が浮かんでいる。
「優衣、酷いよ。それだと論理確定じゃん」
「いやいやぶんちゃん、そんなことはないよ。論理だって貸しシューズ代が賭かってれば、本気出して何か起こすかもしれない。ねえ論理!」
論理は、優衣の見え見えの悪巧みの前に、言葉もなくうつむいている。
「てめぇ最低だな。さすが、性格の悪さが滲み出てる」
「うるせえ、てめぇに言われたくねえよ!」
遥と優衣は睨み合った。
「ということだが論理、いいのか?」
「大丈夫だ沢田、負ければ負けたときだ。六人分の貸しシューズ代だから、千八百円だろ。それくらいの持ち合わせはある」
なんだか論理がかわいそうだけど、いいのかな…。まあ、万が一ってこともあるし、大丈夫かな。こうして、二ゲーム目が始まった。投げる順番は一ゲーム目と同じなので、最初は論理からになる。ピンに向かって立ち、ステップを踏んでいくのはいいけれど、どうしても、横からボールを投げてしまう。何度やってもこの癖が抜けない。ボールは、ガーターに一直線だ。このパターンが、四フレーム目まで続き、当然ここまでのスコアは〇。誰の目にも、論理の最下位は明らかだった。続く私は、前のゲームにも増して、ボールの投げ方を覚えてきて、スペアやストライクなども増えてきた。四フレーム目を終えて、最低でも四十六ピンというところに付けている。優衣は、一ゲーム目の最初はストライクを出してみんなを驚かせたけれど、それからなかなかスコアが伸びず一つのフレームで十本全部を倒せないときが続いている。四フレーム目までで、二十三ピンに止まっていた。沢田くんは、前のゲームに続いて好調で、ストライクやスペアを続けていた。四フレームで最低でも六十七ピンを確保している。遥と秀馬くんは、四フレーム目までパーフェクトで、お互い一歩も譲らない。五フレームにいこうとしたとき、論理が、吐息交じりに言った。
「すまん、コーヒー買ってきていいか」
「あ、それじゃあ私も」
論理と私は立ち上がって、自動販売機に向かって歩いた。
「論理…ちょっと苦しいね。論理が負けたら、私半分出すよ」
「そんな必要はないよ。俺が負けたんだから、俺が出す」
論理は少し怒った様子だった。
「それにしても、前に、転がらんなあ…」
自動販売機にお金を入れながら、論理は言った。
「どうしても論理は横からボールを投げる癖があるよ。それを直してみたらいいんじゃない?」
「そうだな。頭ではわかってるんだけどな。なかなか体が動かなくて…」
論理、落ち込んでる。私は、そんな論理をなんとかしてあげたかった。
「論理、ちょっと、耳貸して」
「ん?あ、ああ」
私は、論理の耳元に口を付け、すはああああっと息を思い切り吸った。
「論理ーっ!ふぁいとーっ!」
私は、力の限り小声でそう叫んだ。論理は少し驚いた顔を見せたけれど、やがて、顔を綻ばせ、私の手を握った。
「ありがとう文香。そうだな、まだ前半が終わったばかりだから、なんとかなるかもしれんな」
「その気持ち忘れないようにね!ガンバ!」
私たちは、温かい缶コーヒーとお茶を持ちながら、みんなのもとへ向かった。さあ、後半戦。論理が、再びボールを手に取る。そのとき、優衣が背後から、余裕を滲ませた調子で論理に声をかけた。
「論理さぁ、ボール投げてるじゃん。転がせばいいの、転がせば!わかったぁ?」
論理は、優衣の方を振り向いて、かなり長いこと優衣を見つめていたけれど、やがて、胸元にボールを構え、ステップを踏んでいく。一投目。論理は、ついにボールを転がした。ボールは、ガーターに落ちない。まっすぐ進んでいく。ただ、方向が少し左に傾いていて、ピンは、左奥の三本が倒れただけだった。続いて二投目。やはり論理はボールを転がすことに成功した。でも少し、今度は右にずれた。ピンは、右奥の四本が倒れる。論理のスコアボードに、このゲームで初めて数字が書き込まれた。
「やったじゃん論理!得点入ったよ!ちゃんと転がせてるし、この調子だよ!」
私は論理とハイタッチした。
「うん、ありがとう」
そして、私の番だ。一投目で四本、二投目で四本が倒れた。続く優衣は、一投目で二本、二投目でも二本。沢田くんと遥と秀馬くんは、それぞれスコアを伸ばしていく。六フレーム目、論理は、なんと一投目で八本のピンを倒した。惜しくもスペアにはならなかったけれど、みんなは喜びに舞い上がった。
「いいぞ論理、その調子だ。あとはまっすぐ投げられるように、あの矢印、スパットと言うんだが、それに向けて投げるといい」
秀馬くんのアドバイスにうなずいた論理は、続く七フレーム目でも、一投目八本、二投目一本で、七フレーム目まで二十五ピンだった。今のところ五位の優衣は、四十三ピン。差は十八ピンある。前に転がすことを覚えた論理だけれど、立ち上がりが少し遅かったかもしれない。八フレーム目。論理の手元がやや狂って、倒れたピンは、左奥の一つだけだった。
「ふっふっふ、決まったね」
優衣が、腕組みをしてほくそ笑む。そんな優衣を背にして、論理が二投目に向かう。フォームは決して悪くはない。一歩、二歩、三歩、四歩、助走をつけて、ボールをレーンの上に置くようにして転がす。ボールはついに、まっすぐ前に向かっていった。そして、残りの九ピン全部が倒れた。
「きゃーっ!論理ー!やった!スペアだよ!」
生まれて初めて十ピン全部を倒した論理に、私は抱きついて喜んだ。
「ありがとう。ちょっとつかんできた気がする」
一方の優衣は、さっきまでの余裕の笑みが顔から消えていた。
「ううう…ま、まだ勝負はわからないわよね」
目の前で論理のスペアを見せられたからか、優衣の一投目はガーターに落ちてしまった。二投目はなんとか持ち直して、それでも三ピンだった。九フレーム目。論理は、一投目で八ピン、二投目は惜しくもミスだった。ここまでで五十一ピン。優衣は、固さが目立ってきて、一投目またガーター、二投目は四ピン。一ピン論理に逆転された。
「優衣、やばいんじゃないか?」
「うるさい義久!勝負は最後までわからないわ!」
最後の十フレーム目。論理は、一投目で四本倒した。
「ミスれ!ミスれ!」
そうやってマイナスの声援を送る優衣の声には、余裕がない。
「優衣うるさい!論理!落ち着いてね!その調子だよ!」
「太田がんばれー!最低女に負けんなー!」
私の声に続いて、遥も論理に声援を送ってくれる。論理は、軽く手を挙げて声援に応えると、二投目に向かった。心なしか、ボールが論理の手にしっかり吸い付いているように見える。ステップとともに、論理はボールを投げた。一時期と比べて、信じられないほどボールがまっすぐ前に転がっていく。そして、切り裂くような音と共に、残りの六ピン全部が倒れた。
「やったー!」
「よっしゃあ!」
私は、遥と手を繋いで小躍りして喜ぶ。でも論理は、気を緩めない。三投目をしっかり手に握りしめて、レーンに向かっていく。きれいなフォームになった。ステップも軽やかに、ボールを投げた。そしてボールは、論理の今日一日のうちで一番良いコースに飛んで、一瞬で十ピン全部が倒れる。論理のストライクは見事だった。
「よっしゃああっ‼︎決まったぜ‼︎」
論理の明るい声がボーリング場に響いた。これで、論理の最終成績は、七十一ピン。この時点で、優衣とは二十一ピン差だ。
「論理ー!やったあ!すごい!すごいよストライクなんて!きゃーっ!」
私は論理に駆け寄って、ハイタッチした。
「太田!決めるときは決めるじゃねえか!見直したぜ!」
遥も駆け寄ってきてハイタッチ。三人で手を繋いで、飛び跳ねながら論理のストライクを喜んだ。
「論理、進歩したじゃないか。初めの頃と比べてフォームが俄然良くなってるぞ。俺も嬉しい」
秀馬くんもそう言って喜んでくれた。
「ありがとう。五フレーム目で向坂さんに『転がすんだよ』と言われて、そこからなんか目覚めた」
「敵に塩を送るとは、なんて間抜けなやつ!まあ十フレーム目も見ていてやろう」
遥は優衣を見やった。
「こ、こんなことになるとは…!」
悔しがる優衣を、沢田くんがそっと支える。
「優衣、勝負はまだ終わってない。まだ逆転できるチャンスはあるからがんばれ」
「うう…ありがと…」
次の私の投球は、一投目が一ピン、二投目が七ピンで、合計が百七ピンだった。遥たちが上位三位を独占しているので、自動的に私は四位になる。初めてにしてはできた方でよかった。さて、いよいよ優衣の番だ。
「こうなったらストライク続けて出しちゃうわよ!」
優衣はそう言ってボールを手に取った。覚悟を決めたのか、八フレームや九フレームのときのような固さはない。ボールを胸の位置で構え、深呼吸をすると、ステップに入っていく。少し弱々しいフォームだけれど、ボールは前に転がっていった。真ん前のピンにボールは当たり、そのまま将棋倒しのようにピンは十本倒れた。
「すごい…優衣が本気を出してきた…」
私は少し驚いた。これはひょっとしたら、再逆転もあり得るかもしれない。論理、こんなにがんばったのに…。優衣は、背筋を伸ばして、二投目のボールを取る。四歩ステップを踏み、ゆっくりとボールを転がす。ボールはやはりまっすぐ進んで、緩やかに十本のピンをなぎ倒した。おー!と、みんなの歓声。
「信じられん…向坂がダブルかよ」
遥が心底驚いた表情を見せた。
「面白くなってきたな」
秀馬くんが感心した声を出す。
「よーし!優衣!あと二ピンだ!二ピン倒せば逆転だぞ!お得意のガーターを出すなよ!」
沢田くんが、立ち上がって熱い声援を送る。その一瞬、優衣の表情が固くなった。私は、論理を見つめた。論理は、表情こそ静かだったけれど、膝の上で握りしめた拳が微かに震えている。私は、その拳の上にそっと手を添えた。
「大丈夫だよ。論理のがんばりは、きっと神様に届くよ」
「そうだといいが…あと一ピン差ではな…」
すべてが終わった論理には、戦況を見つめることしかできない。優衣が、そんな論理に向かって高らかな声で言う。
「論理!見てなさいよ!」
優衣は、ボールの穴に指をしっかりと差し込んで、胸の前に構えた。深い深呼吸のあと、少し遅いステップでレーンに向かい、ボールを投げる。そして──!

私たちは、ボーリング場から出て、入り口のところで集まって話をしていた。暖かい春風が、頬に当たる。それはとても心地よかった。花壇に植えられた菜の花が、そんな春風に吹かれて黄色い花を揺らしている。きっと、同じように心地よく感じているに違いない。
「まったく、お小遣いの残り使い果たしちゃったじゃない!」
優衣はさっきからプンプンしている。
「最下位がシューズ代払おうって言い出したのはてめぇだろ。でも、自分から言い出して自分が払うことになるなんてな!間抜け!」
遥の言う通り、結局ゲームは、優衣が負けた。最後の最後で優衣はガーターを出してしまったのだ。
「うるせえな!あーもー!イライラする!絶対論理が負けるって思ったのに!」
優衣、世の中そんなに甘くないよ…。
「まあまあ、またみんなでボーリングしようよ。今度は優衣が勝つかもしれないよ」
私は、優衣の肩に手を当ててそう言った。
「それにしても楽しかったな。ボーリングも何回かやってきたが、やっぱりみんなとやると楽しい」
秀馬くんは、そう言って微笑む。
「ほんと、楽しかったぜ。…なあ、俺たちってさ、最高の友だちだと思うんだ。俺、みんなといるとすげー楽しいんだよ。いつまでも、大人になってからも、ずっと友だちでいたいって思うなあ」
沢田くんのその言葉に、私も、みんなもうなずく。その通りだと思った。このみんなといるとすごく楽しい。この関係がずっと、ずーっと続きますように。
「そうね。私もこのみんなといると楽しいし、素の自分でいられる気がするわ。一人余計なやつがいるけど」
「あたしのことかよ⁉︎」
「てめぇ以外に誰がいんだよボケ」
また、優衣と遥は睨み合った。でも、その表情には、柔らかいものがある。いつかこの二人、それぞれの良さを見つけて仲良くなってくれればいいな。そんな中、論理が口を開き、「はああああっ」と肩を上げて息を吸い込む。相変わらずの深い呼吸感を持った胸式呼吸。
「俺は、四月に文香と席が隣どうしになってから、文香と仲良くなって、付き合うことになって、沢田や向坂さんと仲良くなって、秀馬とは、最初は仲が悪かったけど、そのうち仲良くなって、佐伯とも知り合って、…俺の世界が変わった。俺は、一年の頃は嫌われ者だったから、ずっと一人だった。でも、今は違う。友だちと呼べる人ができたし、友だちがいることの大切さもわかった。俺、みんなと友だちになれてよかった。みんな、俺と友だちになってくれて、ありがとう」
論理は、目元に微笑を浮かべた。それは、母親が自分の子を初めて抱きかかえたときのように柔和だった。論理…。論理も随分と四月の頃から変わったと思う。あれからもうすぐ一年か。長かったような、短かったような。でも、密度の濃い一年だったよね。
「そんなかしこまるなよ!俺だって、論理と友だちになれてよかったと思ってるぜ!」
沢田くんが、論理の肩を叩く。
「まあ、最初は論理のこと嫌ってたけど、友だちになって論理の知らなかった面が見れたかな。もちろん良い意味でね!」
優衣は、少し照れ臭げに言う。
「あたしも、太田と同じ。友だちの大切さが最近わかった。文香のおかげだな。秀馬だけじゃなくて、友だちって大切なんだなって思えた。かと言って秀馬のことは諦めないけどねっ!」
いつもながらのかわいいアニメ声で遥はそう言うと、秀馬くんの腕にくっついた。唇の隅にかすかな苦笑いを浮かべつつ、それを受け止める秀馬くん。この二人の仲がもとに戻りますように。
「論理、これからもよろしくな。みんなも。三年生になっても仲良くしようぜ」
「おう!」
「うん!」
「もちろん!」
秀馬くんの言葉に、みんなそれぞれ応える。友だちって、いいね。私は、心の底からそう思った。そして友だちも大事だけれど、私は、それより大事な恋人の方を見る。論理は、楽しそうに笑っていた。この笑顔を、ずっと守っていきたい。
「あ、そうだ。ねえねえみんな、写真撮らない?」
私は、ふと思いついて、鞄からスマホを取り出した。
「いいわね!でも、誰か撮ってくれる人が…、あ!」
優衣が突然指差した方を見ると、偶然なのかなんなのか、そこには倉橋先生が一人で歩いていた。
「なんだお前たち…みんなで集まって。ボーリングか?ちゃらちゃら遊んでないで勉強しなさい勉強」
気怠げにそう言う先生。そんな先生に、優衣が私のスマホを渡した。
「せんせー!小言はいいですから、これで私たちを撮ってくれませんか?記念撮影したいもんで」
「……まあいいが」
先生は、渋々スマホを構える。私たちは、サッと並んでポーズをとった。隣には論理。どちらからともなく、私たちは手を繋いだ。
「いくぞー、はい、ポーズ」
私たち、三年生になっても、高校生になっても、大人になっても、ずっと友だちでいようね。
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