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五十二、論理くん、私と一緒に思いきり歌う

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翌日二十四日。クリスマスイブ。終業式が終わったあと、音楽祭本番が始まった。トップバッターは合唱部の模範演奏。
「みんな!がんばろうね!」
舞台の袖で出番を待っているとき、私は、一年生や二年生に声がけをした。みんなは気合が入っていて、見せてやるぞ!と、やる気満々な様子だった。
「もうすっかり部長さんだね」
古本先輩が私に声をかけてくれる。
「あ、先輩。いえ、私なんてまだまだ古本先輩の足元にも及びませんよ」
「いやあ、なんか噂に聞いたけど、あなた嫉妬されて殴られたみたいじゃん。体張ってまで部長続ける池田さんも大したもんだよ。私には真似できないね」
先輩は、なにやら話している佐伯さんたちを、チラッと横目で見ながらそう言ってくれた。
「い、いや…それほどでも…」
「そんなにまでして部長を続けられているのは、やっぱり愛の力かな?」
先輩はそう言って笑った。もう、先輩ったら…。
「あはは、でもね、人間って恋をすると強くなれるんだよ。あ、でも池田さんは、恋してるんじゃなくて、愛してるのかな?」
「先輩~茶化さないでくださいよぉ…」
「茶化してなんかないよ。さーて、今日も聞けるかな?あの、『ブラボー』」
先輩がそう言ったとき、西山先生の号令がかかった。私は、困惑しながらも、嬉しさに満ちた表情を先輩に向けた。そして、私たちは歌う順番に並び、出番を待つ。古本先輩があんなことを言うもんだから、密かに『ブラボー』を期待してしまっている自分がいた。そして、司会のアナウンスが流れ、私たちはステージに立った。そして、西山先生が、全校生徒に向かってお辞儀をし、私たちは、西山先生の指揮で歌い出した。
「なにもかもーわからなくてー」
いつも練習しているときよりも少し張り切って、コンクールで歌ったときよりも少しリラックスして、私は歌った。論理は、見ていてくれているかな。聞いていてくれているかな。私は、口を大きく開いて、思いきり息を吸う。
「すはあああっ」と私独特の目立つブレス音。私はまるで歌声の塊を論理に投げかけるように歌った。切ったばかりのおかっぱが、私の口の動きに合わせて、少しずつ揺れる。冷たい空気に触れている剃りたてのうなじが、私の歌声に温められて熱くなる。やがて演奏は、静まり返った体育館に吸い込まれるように終わっていった。一瞬の静寂。そして──。
「ブラボーーー‼︎」
論理の声だ!でも今度は、それだけじゃなかった。
「ブラボー!」
「ブラボーー‼︎」
あちこちから声が聞こえる。見ると沢田くんが、指笛をピューっと鳴らしている。喜びの声と拍手に満たされて、私たちの演奏は終わった。論理は、私の期待を裏切らない。口元から論理への熱情が溢れた。

それが終わったあと、すぐにくじで一番を引いた二年一組の演奏に入った。模範演奏の緊張を持続しつつ、私は一組の隊列に入る。と、そのとき、剃ったばかりのうなじを、論理がすーっと触った。
「がんばろうな、文香のうなじ!」
「うん!一緒にがんばろうね!」
私は論理に背を向けたまま、切りたてのうなじでそう応えた。論理、私のカットライン、ほんのちょっとのギザつきもないよね。やがて、アナウンスが流れ、私たちはステージに上がる。沢田くんが前に出てきて、全校生徒に向かってお辞儀をし、私たちの方を向いた。「よし、行くぞ」というように、沢田くんはにこやかにうなずき、タクトを振り上げた。私たちは肩幅に足を開き、歌う体勢をとる。そして、沢田くんは伴奏の滝沢くんに合図を送り、前奏が流れ出す。さあ、二年一組の本気を見せてやるぞ!沢田くんが、大きくタクトを振るう。
「なつのくーさーはーらにー」
前奏に続いて、私たちは大きく息を吸って歌い出した。腹式呼吸の私のお腹が、ぐうっとふくらむ。秀馬くんの声も聞こえてくる。なんとかついてきてくれてる。論理の声も、澄みきってるよ。
「きみのぬーくーもーりはー」
ここからパートが別れてハモってくる。沢田くんが、男子に向けて腕をぐいぐいと振るってみせる。ここは、低い音が全体を支えなくちゃいけない。でも、みんなうまく歌えてるしハモってる。
「ひゃくおーくねんのれきーしーがー」
サビに向けて勢いをつける所。沢田くんは、少し前かがみになって、抑えたところから上がってくるぞ、という指示を出す。
「なーがーれてるー」
ここはもう、みんなで力強く歌う。そして、サビだ。沢田くんのタクトが、大きく動く。私は、肺がはち切れるくらいに「すはああああっ‼︎」と息を吸う。
「ひーかりのこーえがそらーたーかーくきこーえるー」
サビ。ここは、高音がよく出るので歌っていて気持ちがいい。鳥肌が立った。うん、うまくハモっててきれい!問題の「る」。沢田くんは、大きく、「うん、うん」とうなずきながらタクトを進めた。みんな、がんばってるんだね。
「みんなーみーんなー」
間奏。ここは滝沢くんの出番。私は背筋を伸ばし、顎を引いた。熱くなった私のうなじが、ピンと引き締まる。
「ときのなーがーれーにーうまれたーものーならーひとりのこーらーずしあわせになれーるはずー」
『時の流れに生まれたものならひとり残らず幸せになれるはず』。私は、この詩が大好きだ。私も、この詩通りだと思う。いや、そう思いたい。
「みんなーいのちをもやーすんだー」
クライマックス前のこの部分。力を溜めていく。でも命を燃やすのだから、静かすぎてはいけない。微妙なバランスのいるところだった。
「ひーかりのこーえがそらーたーかーくきこーえるー」
沢田くんのタクトが一層振れる。ここもみんなでよく声を出せた。ここまで完璧だと思う。そして、最後の「る」を聞いて、沢田くんは一瞬右手で「オーケー」を作ってみせる。
「ひーかりのこーえがそらーたーかーくきこーえるー」
リフレイン。よし、ここもいい感じだ。あとは最後のリフレインだけ!
「ひーかりのこーえがそらーたーかーくきこーえるー」
転調して、最後のリフレインを歌う。私たちの声が、体育館の天井を突き破るかというくらいに轟き渡る。私は、本当に体全体で息を吸い込んで、プロのソプラノ歌手になった気持ちで歌った。
「みんなーみーんなー」
演奏が終わった。終わった。あんなにたくさん練習してきたのに、歌った時間は僅か四分あまり。その四分に、全てを込めた。沢田くんが、やり切ったぞ!という表情を浮かべ、全校生徒に礼をする。拍手と指笛が、私たち二年一組を包んだ。それに両手を広げて応える沢田くん。沢田くん、華やかな面があるからこういうところは映えるなあ。そして、私たちはステージを降りた。

それから、他の学年他のクラスの発表があった。佐伯さんのクラスの発表では、佐伯さんの、甘く強く響くベビーソプラノがかなり聞こえてきた。目立ち過ぎてハーモニーにとけこんでないな。でも佐伯さん、秀馬くんに聞いてもらいたくて必死に歌ってるのかな。ピアノの中小路さんの演奏も素晴らしくて、最優秀伴奏者賞はこの人なんじゃないかと思った。三年生の発表は、やっぱり最上級学年だけあってすごく上手だった。やっぱり最優秀賞は、三年生から出るんだろうな。そうこうしつつ、すべての発表が終わる。審査員の先生たちが、別室に引き上げる。結果発表は、三十分後とのことだった。この間、生徒たちは自由行動なので、私たち五人は沢田くんの席に集まって、この音楽祭を振り返った。
「どうだ、沢田、出来栄えは」
「そうだな論理。まずは、坂口がよくがんばってくれたと思う。派手に音も外さず、よくついてきてくれたよ。さんきゅ、坂口」
「いや、みんなの足を引っ張らずにいられてなによりだ。沢田の指揮も良かったぞ」
「そりゃあ、義久は名指揮者だもん!最優秀指揮者賞、もらえるかもよ!」
優衣が、自分のことのように嬉しそうだ。
「まあ、賞までは望んでねえが、みんな俺のタクトに本当によくついてきてくれた。嬉しかったぜ」
沢田くんは、顔を崩して笑った。充実した表情をしている。
「沢田くん、指揮をしてて、私たちの歌はどうだったかな」
私は、沢田くんに一番聞きたかったことを聞いた。
「そりゃあな、歌姫池田文香を中心に、実によくまとまっていた。出せる力は出し切ったと思うぜ」
「歌姫だなんて…でも、そっかあ、私も、歌ってて鳥肌が立ちっぱなしだったもん。みんな、すごくがんばってたよね!」
これは本当にうまくいったな。結果に悔いはないと思う。
「俺が音を外さずに歌えたのも、文香のおかげだ。文香の歌声を頼りにして、なんとか歌い抜くことができた。文香がこの音を出したら、俺はこの音を出せばいい、と思ったら、無事に声が出せた。ありがとう、文香」
秀馬くんは、私に手を振ってお礼を言ってくれた。そうだったんだ…秀馬くんの役に立てて嬉しい。
「いやいや、秀馬くんがうまく歌えたみたいでなによりだよ」
「実は俺もそうなんだ」
論理がおもむろに口を開く。
「いつもは、愛していたから聞こえてきた文香の声だったが、今日は助けられた。サビの部分の、音程の幅の大きいところとか、文香の声についていくことで正確に歌えたと思う。俺からもありがとう、文香」
論理はそう言ってくれて、私の肩をポン、と叩いた。論理の役にも立てたんだ…文香、感激!
「論理まで…そんな、私はただ歌ってただけ。でも、二人の役に立てたなら光栄なことだよ」
そうやって話しているうちに、三十分が過ぎた。審査員の先生たちが戻ってくる。体育館は、再び緊張に包まれた。審査委員長の西山先生がマイクを取り、舞台中央へ立つ。
「それでは、今回の音楽祭の審査を発表します。全体的には、非常に優れたクラスと、今ひとつなクラスの差がくっきり別れた形になりました。また、優れたクラスといっても、たった一音の発声によって、優劣が別れることがありました。歌唱、指揮、伴奏、の三点において、ほぼ完璧に近い演奏を見せたところが受賞に選出をされています。それでは、各賞を発表します」
いよいよ発表だ。ドキドキ。ここでドラムロールでも鳴ったら最高だなあ。
「最優秀賞は……」
私は思わず手を握る。みんながんばったからここで最優秀賞、欲しいなあ。
「二年一組‼︎」
「きゃーーーっ‼︎」
みんなの歓声。沢田くんのガッツポーズ。抱き合う優衣と私。背中を叩き合う論理と秀馬くん。やった‼︎本当に最優秀賞が取れた!最優秀賞なんて信じられない!私たちの興奮は、しばらく続いた。
「あー、静かにするように。それでは、次、最優秀指揮者賞……」
ここで沢田くんが取れたらいいなあ。でも、最優秀賞もらっちゃったからないかな。
「二年一組、沢田義久‼︎」
「おーーーっ‼︎」
また歓声。周囲の男子から手荒い祝福を受ける沢田くん。その笑顔は輝いていてすごく嬉しそうだった。あれだけの指揮を見せたのだから、最優秀指揮者賞も当然かもしれない。またしばらく興奮が続いた。
「あー、静かに。それでは、最優秀伴奏者賞……」
これで滝沢くんが取れば完全優勝だ。ここまできたんだから、滝沢くんに取ってほしい。
「二年一組、滝沢真斗(まさと)‼︎」
「やったーーーっ‼︎」
周囲が、「えーーー」と盛り下がる中、一人熱狂する二年一組。とうとう結果は、二年一組が、最優秀賞・最優秀指揮者賞・最優秀伴奏賞の三冠をさらって完全優勝だった。

二十四日のお昼、私たち五人は、優衣の家「マルシェ」の喫茶部で打ち上げをした。みんなでケーキを食べながら語り合う。
「いやあ、まさかまさか完全優勝だとはな!」
沢田くんはさっきからこれしか言わない。よっぽど嬉しかったんだね。
「ほんと嬉しいよね!義久の指揮、かっこよかったしすごく正確だったもん」
優衣も、本当に嬉しそうだ。
「俺も必死だったけど、みんなもよくついてきてくれた。そして最高の結果が出たよ」
「ほんと、最高の結果だったよね」
と、私。その隣で、論理がコーヒーカップを高く掲げた。
「二年一組の歌姫、池田文香に乾杯!」
すると、みんなコーヒーカップを手に取ってくれる。
「かんぱーい‼︎」
みんなのコーヒーカップが触れ合った。
「もう、歌姫だなんて恥ずかしいよぉ。みんなだってよくがんばったじゃん」
「ぶんちゃん、ほんとにありがとう!みんな、ぶんちゃんの歌に引っ張ってもらったよ。最優秀歌唱賞っていうのがあったら、間違いなくぶんちゃんだね!…でも、私も歌姫だと思うんだけどなー?」
優衣がちょっと拗ねた真似をする。沢田くんが温かく微笑んだ。
「俺だけの歌姫、優衣に乾杯!」
優衣は、はにかんだ笑顔を見せる。二人とも熱いなあ。
「それにしても、練習中は本当にみんなに迷惑をかけてすまなかった。でも、なんとか本番で上手く歌えることができてよかった。合唱の楽しさが初めてわかったような気がする」
そう言う秀馬くんの背中を、沢田くんが、温かく叩いた。
「二年一組で一番がんばったやつは坂口だ。こう言ったら悪いが、俺は最後まで坂口の音痴はどうにもならないと思っていた。それが本番では見事なものだったぜ。よくやってくれた、ありがとう」
「歌うことが苦手な人は、合唱の楽しさなんてわからないよね。でも、合唱は本当に楽しいんだよ。みんなで声と心を合わせて歌うのは気持ちがいい。私、できたら一生合唱を続けたいな」
私はそう言って、ケーキを一口口に入れた。
「一年の春にこのクラスに入って、俺はずっと嫌われ者だった。それが文香と出会って、お前たちと出会って、そしてクラスのみんなとも仲良くなれて、その結果としてのこの音楽祭だったと思う。みんなと心を一つにできるということが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった」
論理も感慨深げだった。
「そうだな。一年の音楽祭のときは、俺もここまでがんばってはいなかったし、合唱の楽しさもわからなかった。それが、今年はこうだ。俺の音痴はなかなかしぶといが、これからもがんばろうと思う。来年の音楽祭も三冠狙おうぜ!」
そう言って秀馬くんは、拳を前に突き出した。その拳に、四人の拳が重なる。この音楽祭で、より一層、クラスみんなの絆が、そして私たち五人の絆が深まったと思う。
「それからみんな、大晦日の話なんだが、よかったらみんなで俺の家で過ごさないか?俺の家、大晦日は両親も妹も銀水のばあちゃん家に行くからいないんだ」
秀馬くんが、突然そんなことを言い出した。私は、その話に嬉々として飛びつく。
「わあ!いいね!大晦日をみんなで過ごせるなんて楽しそう!」
それに、論理とも一緒に過ごせるなんて嬉しいよぉ。
「俺もいいなと思うが、坂口はばあちゃん家行かなくていいのか?」
沢田くんがそう聞く。
「ああ、俺は、友だちと過ごしたいって言ったら快くオーケーしてくれた」
「じゃあ、俺も参加したい。よろしく頼む」
論理が手を振った。
「いいわね!大晦日この五人で楽しくやりましょ!あとさ、冬休みみんなでカラオケに行かない?二十七日とか空いてる?」
優衣がそんな提案をする。カラオケ!これもまた楽しそう!
「おお、やろうやろう」
論理がすごく楽しそうに声を上げた。
「いいよ!」
「俺もいいぜ」
私や沢田くんもあとに続いて声を上げる。しかし、坂口くんは顔を曇らせた。
「カラオケ?俺はやめておく」
「坂口、お前、音楽祭で立派に歌えたじゃねえか。だから大丈夫だぞ」
「いや、音楽祭は音楽祭だ。練習もしたし。カラオケでいきなり歌うのとはわけが違う」
「じゃあ秀馬くんは歌わなくていいよ。みんなの歌を聞いてるだけでも楽しいから、一緒に行こうよ」
「まあ、文香がそう言うのなら…一緒に行くか」
こうして、二十七日のカラオケも大晦日も、五人一緒に過ごすことになった。
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