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五十六、博美、ぶざま

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部員全員の原稿が出揃ったので、機関誌局で編集会議が開かれた。それに備えて、俺は原稿全部を読み込んでおく。力作が揃っていたけれど、部長の小説と坂口の詩と、博美の小説は精読する気にならず、斜め読みした。逆に、ふーちゃんの「卵に寄せて」という詩と、遥の「ははそは」という小説が目を引いた。読まれるの恥ずかしいと言っていたふーちゃんの詩は、その言葉とは裏腹に、並んだ卵を見つめる作者の深い心情がよく表れている秀作だった。まろまろと身を沈めた卵と、ふーちゃん自身がクロスオーバーしているように見える。一方、遥の小説は不倫がテーマだった。会社の既婚者の上司に惹かれ、人目を忍んで交際するが捨てられるヒロインが描かれている。捨てられたくないと懸命になるヒロインが、坂口に必死についていく遥と重なって見えた。この二作品も含め、全作品を自分の考えた順番で並べ、編集案として会議で語るのだ。
その日の小会議室。三年生の川本先輩、二年生の広沢先輩(腰まである焦茶のスーパーロングが印象的な、眼鏡の女性だ)、そして一年生の俺と博美の四人が集まる。
「えーと、じゃあ『業火』編集会議始めます」
川本先輩がまず口を開く。
「それでは、各自の編集案を発表するわよ。まずは私からかな」
川本先輩がそう言って編集案を読み上げる。巻頭詩は尾島先輩の「Long Winter」、巻末は部長の「道連れの詩」という小説だ。尾島先輩の詩はどこかポピュラーソングっぽくて好きだけど、部長の小説は好きになれない。でも広沢先輩の案でも、部長が巻末だった。面白くないな。だけど部長という立場上、トリを飾るとしたらそうなるのか。
「太田くんはどう?」
「はい」
川本先輩に問われて、俺は口を大きく開き、息を「はああああっ」と吸い込んだ。俺の目立つブレス音、自分でも萌えている。わりと気に入っているボーダー柄のTシャツの肩が上がる。襟足のカットラインも俺の呼吸に合わせて動くんだろうな。
「俺は、巻頭にはふーちゃんの『卵に寄せて』がいいと思います。視点が独特で、読者の目を惹きやすいのではないでしょうか。まずこの作品を読ませて、読者を『業火』の世界に引き入れるのがいいと思います」
「なるほど。その後は?」
川本先輩に聞かれるまま、俺は自分の編集案を発表した。巻末は遥の「ははそは」だ。俺がそう言うと、広沢先輩が首を傾げ、眼鏡を直しながらこう言う。
「うーん、『ははそは』ねえ…。確かにドラマチックなストーリーよね。でも、こう言っちゃ悪いけど、月並み小説の域を超えないと思う」
「月並みでしょうか。母子関係と不倫関係とがうまいバランスで両立して描かれていると思いますが」
ひょっとしたら、遥が生まれて初めてラストまで書き終えた小説かもしれない。少しでも日の目の当たる場所に出してやりたかった。でも川本先輩も広沢先輩も「ははそは」ラスト案には同意せず、残念ながらこれはお流れになる。だけどその一方、「卵に寄せて」の巻頭は採用してもらえた。ふーちゃん、やったね!
「古本さん、なんか無口だけど、編集案はどうなってるかしら」
川本先輩が博美に向き直る。その博美、今日もぼうっとした表情で、口角に力がない。耳たぶおかっぱは今日はまあまあ整っているけれど、カットラインはギザついている。もう伸びきって、耳たぶは隠れていた。
「すみません」
謝りながら、頭も下げない博美。
「すみません?どういうこと?」
「編集案、考えてきてません。申し訳ありません」
「え?考えてきてない?」
川本先輩の瞳がギラリと光る。目を細める先輩。
「どうなってるの古本さん。あなた機関誌局員でしょう?役割は果たしてもらわないとすごく困るんだけど」
「申し訳ありません。考えている時間がありませんでした」
抑揚を失った声でそこまで言って、博美は初めてかすかに頭を下げた。博美、部長のことで頭がいっぱいで、編集案どころじゃなかったんだな。でも川本先輩の言う通りだ。プライベートなことよりも、部の役割を優先することなんて当然中の当然じゃないか。
「時間がない?あのねえ、私たちはみんな多忙なの。ない時間をくくり出して部活に当ててるの。あなただけが時間がないなんてことはないの。わかる?」
「……………」
先輩に責められても、博美は相変わらず口角を緩めたままぼうっとしている。そして何も答えようとしない。そんな博美を川本先輩も広沢先輩も厳しく睨みつけるけれど、やがて川本先輩が「ふぅ」とため息をついて博美から目を離す。
「まあいいわ。それじゃあ表紙の装丁についての議題に移ります」
呆然とする博美を置いて、編集会議は進む。博美、恵美ちゃんには八つ当たりして、部活の仕事もさぼってか。十五日から壊れているな。それも何も、部長なんかに恋したからだ。ぶざまだな。
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