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十二、はーちゃんの恋

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いつの間にか少し眠っていた。十一時ごろに目が覚める。今日はもう何もかも面倒だったけれど、明日も大学がある。そしてハ行トリオと一緒の授業だ。風呂には入っておかねばならない。終業前の銭湯に駆け込み、手早く身体を洗った。下宿に帰って、もう寝ようかと思った頃、スマホにラインの着信がある。
『論理、起きてるか?』
遥からだ。
『ああ。起きてた。どうしたはーちゃん?』
『なんかよぉ…。落ち込んじまって』
『落ち込んだ?どうして?』
『さっきさぁ、ひーちゃんを景気づけてやろうってラインしたら、却って責められちまって』
ああ、はーちゃんも同じこと言われたんだな。
『実は俺も同じだ。ひーちゃんに『なんで何も言ってくれなかったの』って言われた』
『そんなこと言われたってさぁ…』
困惑を物語るかのように、遥はしばし沈黙する。
『相手は、秀馬さんだもん。あたし何も言えねぇよ』
『なんだ、坂口先輩が相手だと、友だちのひーちゃんのことでさえ、何も言えなくなるのか』
『ああ、言えねぇ』
先輩の前ではいつも、顔を真っ赤にしてうつむいている遥の姿が思い起こされた。
『はーちゃん、俺たちの前じゃ、言葉使いもそんな感じで、ずけずけ言ってくるのに、先輩にはそうなんだな』
『『ハルマゲドン』にも書いただろ。あたしゃ根は繊細なんだ』
『繊細、ねぇ…』
画面をタップしながら、俺は思わず苦笑いした。遥に「繊細」なんて言葉は、どう考えても似合わない。あ、でも待てよ…。
『するとはーちゃんは、先輩の前に出ると、繊細なものが一層繊細になるわけか』
『ああ…、まあ、そうだ』
『それってさ、つまりはーちゃん、先輩のことが好きってことじゃないのか』
そう問いかけられてから、遥がリプを返すまで、一分は十分かかったと思う。
『…そうだ』
『そうか、やっぱりか』
『おかしいかよ論理、あたしが秀馬さん好きになっちゃ』
『いやおかしくはない。ただ、まだ知り合ってから日も浅いから、ずいぶん早いなとは思った』
またリプまで間があく。その間が、遥の気持ちを雄弁に物語るように感じられた。
『一目惚れ、だったんだ』
『一目惚れ?』
『論理と二人で、初めて文芸部室に入った瞬間から、好きだった』
あのときの遥、顔を耳まで真っ赤にしていたっけ。坂口先輩のこと、もう好きだったんだな。あまり萌えを感じないはーちゃんだけど、これはこれでかわいいと思う。
『そんなに好きなのか』
『ああ。頭ん中、秀馬さんのことだけだ。気がつくと秀馬さんのことしか考えてねぇ。そんな自分が気持ちいい』
そうか。遥もう坂口先輩に夢中だな。それじゃあ今日の部室で、先輩に何も言えなくてもしかたあるまい。
『ならはーちゃん、先輩に告るか』
『なあ論理、たとえば論理が秀馬さんの立場だったら、告られてどう思う?知り合ってまだ一ヶ月にもならねぇくれぇの女に告られて、キモくねぇか』
さあどう答えたものか。少し考えて、俺は指を画面に走らせる。
『キモいとは思わないけれど、ちょっと驚くかもしれない。そんな短期間で、自分のどこを好きになったのかって感じる』
『そっかぁ…』
また遥の吹き出しが止まった。そしてしばらく経って、こんな文字が現れる。
『まあいい、こらえきれなくなったら、思い切って告るよ。応援してほしい。論理にもふーちゃんにもひーちゃんにも。…ひーちゃんはあたしのこと、冷たく見てるかもしんねぇけど』
『俺たちも、ひーちゃん、傷つけたよなぁ』
『だけど…、秀馬さんだもん…、あたしどうしようもなかった』
『なあはーちゃん、先輩、超イケメンだけど、口かなり悪いぞ。そんな先輩なのに、いいのか』
小さな吹き出しが、すぐ返ってくる。
『いい』
『髪切りたての子を笑うような人だぞ』
『あたしがひーちゃんの立場だったら、傷つくだろうけど、秀馬さんがあたしを見てくれるんだから、それでも嬉しいってなる』
たとえ傷つけられても嬉しいのか。遥ももう相当だな。遥、いつ告るんだろう。あまり興味はないけれど、うまくいくといいな。アイドル風味の遥だから、イケメンの先輩にも似合うだろう。
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