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七、うざってぇな

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国文学概論が終わると、時刻は午後四時を過ぎた。今日の授業はもうない。ハ行トリオと俺は、四人で文芸部室に向かった。相変わらず飾り気のない扉を開ける。するとその向こうは、何人もの部員で賑わっていた。坂口先輩が振り向いて、にこやかに声をかけてくる。相変わらずため息が出るくらい顔貌が整いきった人だ。
「おお、ハ行トリオに論理か。よく来たな」
「あ…秀馬、さん…」
遥がぽーっと赤い顔を見せてつぶやく。なんだはーちゃん、この前も今も先輩の前でそんな顔して。ひょっとして先輩に一目惚れした?
「今日はお前たちの後に続いて、また一人新入部員が来たぞ」
先輩は立ち上がって、長椅子に座っている一人の男子学生のもとに来た。
「おい村上(むらかみ)。こっちは同じ新入生だ。自己紹介しな」
そう言われた、村上というであろう男子学生は、少し硬い表情で俺たちを見る。そしてこう言った。
「村上秀哉(ひでや)。経営学部の新入生だ。都大西(みやこおおにし)高校出の一浪。よろしく」
無愛想な口調な上、視線がヘンに鋭い。あまり印象はよくなかった。
「俺、国文学科の太田論理。よろしく」
「佐伯遥。あたしも国文学科だよ」
「私は古本博美。やっぱ国分学科」
「私はねぇ、国文学科の池田文香だもん。村上くん?よろしくねー」
「そう次々と名乗られても覚えきれんな」
俺たちの自己紹介に、村上はぶっきら棒にそう応えた。
「まあいい。お前たちは現役か?」
なんかこいつ偉そうだな。
「俺は…現役だ」と、俺。
「あたしは一浪だよ」と、遥。
「私も一浪」と、博美。
「私、現役」と、文香。このとき初めて文香が現役なのを知った。
「ちなみに俺も現役だ」
坂口先輩が声を出す。
「ということは、俺と同い年の新入生が何人かいるな」
少し得意げな先輩の言葉。それに村上は、ちょっとうざったげに言う。
「まあ現役だからどう、一浪だからどうということもなかろうが」
「……………」
先輩が少し鼻白んだ表情で黙る。
「はいはい、そこそこ。一浪だの現役だの、細かい話をしてないの」
部室の隅にいた、小太りな感じの人が突然声をかけてくる。
「聞いて驚くんじゃないよ、僕なんか──」
「知ってるよ本島(もとしま)」
坂口先輩が鬱陶しげに手を振りながら、その人の言葉を遮る。
「メンヘラなんだよな。何度も聞いた。お前のメンヘラ自慢」
「というわけで」
と、坂口先輩に遮られたことも気にかけない様子で、本島先輩というのだろうか、その人が俺たちに向き直る。色白で顔立ちもふっくらしているけれど、目鼻立ちはかなり整っていて、この人も坂口先輩に劣らないイケメンに見えた。
「メンヘラの二年生、本島徳郎(とくろう)です。精神障害者手帳二級の哲学科です。よろしく」
「うっせえな…」
坂口先輩が苦々しく顔を背ける。本島先輩のことが嫌いなんだろうか。
「さてメンヘラ自慢は置いといて」
坂口先輩が俺たちに視線を戻す。
「部長の紹介がまだだったな。ここにいるのが、文芸部長の東尾博紀(ひがしおひろのり)さん。中国文学科の三年生だ」
先輩はそう言って、部室の中央に座っている男の人を指した。痩せて、眼鏡をかけている。この人も色が白い。小さくて、つぶれ気味の目をした人だ。
「よろしく。まあぼちぼちやるといい」
東尾部長は、眼鏡の奥から俺たちを眺め回すと、ぼそりとそう言った。その様子が、どことなく平野教授に似ていた。この人もあまり感じがよくない。でも一応部長さんだ。俺たちは一人ずつ名前を名乗って頭を下げる。でも東尾さんは「うん」とか「ああ」と答えるきりだった。
「それで、今日は何か部活動はあるんですか」
誰にともなしにそう尋ねる俺に、坂口先輩が答える。
「特にないが、連絡しておきたいことが一つある」
「何ですか?」
俺に聞かれた先輩が、またにこやかな顔をしてこう言った。
「『ハルマゲドン』の制作をする。自己紹介・他己紹介文集だ。自己紹介はもちろん必須、他己紹介は誰のを書いても自由。書かなくてもいい。原稿は今週中に頼む」
単なる紹介文集に「ハルマゲドン」だなんてすごい名前付けるな。でもその得体の知れなさが、いかにも文芸部という気がする。
「えへへ、ひーちゃん、はーちゃん、他己紹介だってぇ」
ふーちゃんがいたずらっぽく笑いながら言う。ちらりと俺のほうを見たような気がした。
「私、はーちゃんとひーちゃんの他己紹介書こっかなー。ねえ、書いていいでしょぉ?」
「お。書いてくれるのか。ありがてぇな」
「ありがとふーちゃん、楽しみだよ」
ふーちゃん、俺のは書いてくれるのかな…。そう思っていると、文香がさっと俺に振り向く。
「論理くん、今『俺の書いてほしい』って思ったでしょぉ」
「え…、い、いや、別に…」
「うふふ」
文香がニンマリと笑う。
「気が向いたら、論理くんのも書いてあげるもん」
「あ、ああ…」
なんだ、気が向いたら、か…。少し、というより、かなりがっかりする。
「なあなあ、そんならあたしも他己紹介書くぜ」
「私も書くよ。楽しいの書きたいよねー」
「うんうん、そうしよ。『ハルマゲドン』、私たちの記事でいっぱいにしちゃおー」
部室はハ行トリオのかまびすしい声に満ちた。すっかり仲良くなった三人。微笑ましい光景だ。だがそのとき、ガタンと椅子を蹴って村上が立ち上がる。ポケットから煙草とライターを取り出し、苛立たしげに扉に向かった。そして、俺たち四人とすれ違いざまに、こう吐き捨てる。
「うざってぇな」
なんだと?俺は部室から出ていく村上の背中を睨んだ。初対面早々、態度が面白くない。ハ行トリオ+俺の四人だけならよかったのに、邪魔なやつが入り込んできたものだ。
「なんだあいつ」
坂口先輩も腹立たしげだ。
「なんか私たち、村上くんに気に入られてないみたいです」
心配そうな顔をする文香に、坂口先輩が温かい声をかける。
「まあ文芸部なんて場所は、アクの強いやつが集まる場所だ。ここにいる先輩方だって、一癖も二癖もある。誰とも仲良くしようとは思わないで、気の合ったやつどうしで楽しくやるといい」
先輩の言葉を受けて、俺たち四人は顔を見合わせる。そしてうなずきあった。確かに、そうかもしれない。部活にしても何にしても、人の集まりなんだから、そりの合わないやつがいてもおかしくはない。ひーちゃんやふーちゃん、はーちゃんと仲良くできればそれでいいだろう。
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