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137・アジアカップ 3 ラウンド4 vsオーストラリア 魂のスライディング
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日本は準決勝へとその足を進めた。
相手はオーストラリア。
174cmながら非常に強力なヘディングを持つ、フォワード、フランク・マッカーシー。
195cmのフィジカルなディフェンダー、ティム・スコール。
2mを越すゴールキーパー、ステファノ・ヨビッチ。
三人ともイングランド・プレミアリーグで鎬を削る、アジアを代表する選手が揃う。
なぜ、オーストラリアがアジアなのか?
もともと2006年まではオーストラリアはオセアニア地域に属していた。
しかし、オセアニアは世界で一番と言って良いほどサッカーのレベルが低い。なので、オセアニアで1位になっても、ワールドカップ出場権を与えられることは当時なかった。
オセアニアで勝ち抜いて、初めてそこで他の地域とのプレーオフに回ることができる。
その際に、オセアニアとプレーオフの相手の実力差が激しすぎ、オーストラリアは予選敗退することが多かったのだ。
『では、それなりにレベルの高い、アジアに入れてもらえば良いではないか!』
オーストラリアはそう決心し、2006年以降はアジアとして戦うことになった。
日本に恩恵もあった。
2006年のワールドカップで、アジア勢は予選リーグに於いて全滅した。
ただ、オセアニアから出ていたオーストラリアだけがベスト16、決勝トーナメントに進出したのだ。
オーストラリアは、次からはアジアとして出場する。それはアジアの手柄として認められた。
2010年からはワールドカップのアジア枠が減るところを、オーストラリアが転籍することによって実質それを未然に防いだことになる。
ドリブル・キング。向島大吾はここでも躍動した。
もはやアジアの枠組みでは捉えられないそれ。人種が違うだろうと称えられるそれ。
それだけではない。彼はパス・マイスターと言っても過言ではない周りを使う力にも優れている。
トランジションが行われると、中盤の後方から、鍵井が大吾の守備に注文を付けて来る。
――またか
お小言にうんざりしたかのように、大吾はダッシュで守備に戻った。
90分間、オフェンスにもディフェンスにも参加して、切れないスタミナを身に付けた。
――だが、大輔さんはもうちょっと俺に対する要求を優しくしてもいいんじゃないだろうか。
そんな大吾の思惑を、監督である山口荒生はわかっている。
(ターゲットにされたな)
鍵井大輔は、向島大吾を標的にしている。
いい意味で、だ。
4大会を主将として過ごしたそのすべてを大吾にぶつけて、後を継がせようとしている。
(鍵井が選んだのは、向島真吾でもない。瀬棚勇也でもない。大吾、おまえなんだ!)
『チームのために個人を犠牲にできる選手です』
前回のワールドカップが終わった直後の会見で鍵井が言い放った言葉。
それは、大吾だろうと山口は思っていた。
日本代表の、キャプテンを任せられる存在。それが向島大吾。
弟の下に就くことを向島真吾は拒否するかもしれない。自分が次の主将だと思っている瀬棚勇也が聴いたら怒るかもしれない。大吾自身も、そのメンタルの虚弱さから、その責任から逃れようとするかもしれない。
「だけど、あいつには何か期待しちまうんだ」
鍵井大輔は、このアジアカップの舞台で大吾を日本代表の主将として調教しようとしている。
それが周りから見ていると、手に取るようにわかる。
それがわかっていないのは、大吾だけかもしれない。
鍵井は背中で見せるタイプの主将だ。あまりそのキャプテンシーに口数は付け加えられない。
その大吾に対する注文の多さからして、意図は誰から見ても明白だ。
大吾は左サイドから、その鷹の目を使って全体を把握する。
自分で仕掛けるだけではない。そのポジショニングによってもオーストラリアに混乱をもたらすのだ。
向島大吾。
それがアジアでは、どれほど大きな存在になっているかはわかっている。
なぜなら、自分が3mその位置を変えるだけで、相手の4人もの数がそのポジショニングを変更しているのだ。
大吾が「ボールをくれ」と左手を上げて駆け出したとき、オーストラリア・ディフェンスはどうしてもそっちを意識せざるを得ない。
その分、中央の真吾がドフリーになる。
器楽堂ロドリゴが芝の上を滑らすロングスルーパスを出したとき、真吾にはティム・スコールひとりしかマークが付いていなかった。
スコールはイングランド・プレミアリーグの肉弾戦でも負けた数が少ない、パワー型のディフェンダー。
それが真吾によって抑え込まれ、左足を一閃する。
コンクリートにもめり込みそうなそのシュートは、オーストラリアのゴールネットを文字通り突き破りそうになった。
ゴールパフォーマンスを開始する真吾。
それを大吾は腰に手を当てて眺めている。
「もっと全身で喜べ、大吾!」
鍵井がそう注文を付けて来る。
大袈裟なゴールの喜びようで、チーム全体どころかスタジアム中の士気をあげる。
そういうやり方があることを、鍵井は大吾に教えているのだ。
鍵井大輔は、この大会を死所と見定めている。
ワールドカップが終って、山口荒生に「これからどうする?」とその進退を確認された。
「もうひとつだけ、やり残したことがあります」
そう答えて、日本代表に残留することを新監督に宣言した。
それは、
(大吾を中心とした日本代表を作ること)
次の大会で大吾は25歳。
ディエゴ・マラドーナも、ジネディーヌ・ジダンも、およそそのくらいの年齢でワールドカップを掲げた。
それが駄目でも、その次でもまだ29歳。
さらにその次でも33歳。
(あと3大会は大吾は狙える)
自分が培ってきたものを、すべて大吾に受け取らせる。
大吾はこの歳でもう弟子を取ったらしい。
自分も名言こそしないが、大吾を弟子のように育てるつもりだ。
オーストラリアのコーナーキックから、フランク・マッカーシーがヘディングを決めた。
199cmの勇也がいないところを狙ってあげられたそのセンタリング。
だけれども、向島博の血を引いた兄弟は取り返そうと試みる。
『ロイヤル・マドリー仕込み』のコンビネーションで、オーストラリアを崩していく。
瀬棚勇也と、葛城哲人を加えて、それは『スペイン仕込み』と主語を大きくした。
華麗なティキ・タカは、次々とオーストラリアの陣地を侵食していく。
オーストラリアは、守備を固めざるを得ない。
ゴールに背を向けて、大吾がボールをトラップした。
そして、中央に向けて、絶好のバックパスを送る。
鍵井大輔のミドルシュート。
横っ飛びしたステファノ・ヨビッチの手のさらに左を通り抜けて、それはゴールネットを浮き上がらせた。
喜びを爆発させる、鍵井大輔。
それに駆け寄る大吾。
「言いたいことは、山々あるんですが……」
そう大吾が告げる。
「俺たちはプロフェショナル・フットボーラーですから!」
(そうだ、それでいい)
鍵井は思った。
(他人に教えを乞うだけではなく、自分で考えろ。そしてそれを周囲にも教えるんだ。それが一本の線で繋がったとき……)
鍵井は真っすぐ大吾を見た。
自分のポジションに戻ろうとする彼は、壊れてしまうかのように小さい。
その責任は、その短躯で受け止められるだろうか。
(おまえはメンタルをも含めた、パーフェクト・フットボーラーになる)
大吾のドリブルを誰もが止められない。
タックルを出した先は、もう残像しか残されていないかのようだった。
一方で、ファウルもまたできない。
向島大吾という存在は、まずは『フリーキック・スペシャリスト』としてその名を馳せた。
彼に、日本に対してゴール前でフリーキックを与えるということは、自殺行為に等しい。
真吾と大吾だけで、オーストラリアは5人のマークを使っていた。
残りの4人で他をカバーし、あと1名でカウンターに賭ける。
そうそう上手く行くはずもない。
「舐めやがって……」
ボールを保持しながら、葛城哲人が憤慨する。
彼は日本代表の10番だ。それなりの意地もあるし、矜持もある。
彼がドリブルを開始したとき、相手はディレイしてきて、向島兄弟へのパスを第一に警戒する。
葛城が左足をスイングする。
大幅に枠を外れたかに思えたそのシュートにはスライスがかかっていて、2mのステファノ・ヨビッチが差し出した右手の横を通り抜けていた。
(これだ!)
鍵井はそう思った。
向島兄弟を中心として、日本代表は急速にそのレベルを上げている。
真吾・大吾に負けたくないという強い思いが、代表どころか日本サッカーそのものを巻き込んでいるのだ。
そして、それに憧れた子供たちがまたサッカーを始めるであろう。
素晴らしい循環が、今日本を包み込んでいる。
それは、自分の世代では起こせなかった軌跡でもある。
刺激を受けた若者が、ピッチを躍動している。
瀬棚勇也。
もうひとりのキャプテン候補。
彼はその巨体をゴム鞠のように使い、平均身長では6cmも違うオーストラリアを圧倒している。
(俺らの時代は終わったんだな……)
そう、鍵井は思った。
2006年から18年間、代表に身を捧げてきた。
向島博が再起不能になるのを間近で見たこともある。
その息子と、今共闘している。感慨深いものが無いとは言えない。
「あとは任せたぞ」
そう言って、鍵井はスライディング・タックルを繰り出した。
相手はオーストラリア。
174cmながら非常に強力なヘディングを持つ、フォワード、フランク・マッカーシー。
195cmのフィジカルなディフェンダー、ティム・スコール。
2mを越すゴールキーパー、ステファノ・ヨビッチ。
三人ともイングランド・プレミアリーグで鎬を削る、アジアを代表する選手が揃う。
なぜ、オーストラリアがアジアなのか?
もともと2006年まではオーストラリアはオセアニア地域に属していた。
しかし、オセアニアは世界で一番と言って良いほどサッカーのレベルが低い。なので、オセアニアで1位になっても、ワールドカップ出場権を与えられることは当時なかった。
オセアニアで勝ち抜いて、初めてそこで他の地域とのプレーオフに回ることができる。
その際に、オセアニアとプレーオフの相手の実力差が激しすぎ、オーストラリアは予選敗退することが多かったのだ。
『では、それなりにレベルの高い、アジアに入れてもらえば良いではないか!』
オーストラリアはそう決心し、2006年以降はアジアとして戦うことになった。
日本に恩恵もあった。
2006年のワールドカップで、アジア勢は予選リーグに於いて全滅した。
ただ、オセアニアから出ていたオーストラリアだけがベスト16、決勝トーナメントに進出したのだ。
オーストラリアは、次からはアジアとして出場する。それはアジアの手柄として認められた。
2010年からはワールドカップのアジア枠が減るところを、オーストラリアが転籍することによって実質それを未然に防いだことになる。
ドリブル・キング。向島大吾はここでも躍動した。
もはやアジアの枠組みでは捉えられないそれ。人種が違うだろうと称えられるそれ。
それだけではない。彼はパス・マイスターと言っても過言ではない周りを使う力にも優れている。
トランジションが行われると、中盤の後方から、鍵井が大吾の守備に注文を付けて来る。
――またか
お小言にうんざりしたかのように、大吾はダッシュで守備に戻った。
90分間、オフェンスにもディフェンスにも参加して、切れないスタミナを身に付けた。
――だが、大輔さんはもうちょっと俺に対する要求を優しくしてもいいんじゃないだろうか。
そんな大吾の思惑を、監督である山口荒生はわかっている。
(ターゲットにされたな)
鍵井大輔は、向島大吾を標的にしている。
いい意味で、だ。
4大会を主将として過ごしたそのすべてを大吾にぶつけて、後を継がせようとしている。
(鍵井が選んだのは、向島真吾でもない。瀬棚勇也でもない。大吾、おまえなんだ!)
『チームのために個人を犠牲にできる選手です』
前回のワールドカップが終わった直後の会見で鍵井が言い放った言葉。
それは、大吾だろうと山口は思っていた。
日本代表の、キャプテンを任せられる存在。それが向島大吾。
弟の下に就くことを向島真吾は拒否するかもしれない。自分が次の主将だと思っている瀬棚勇也が聴いたら怒るかもしれない。大吾自身も、そのメンタルの虚弱さから、その責任から逃れようとするかもしれない。
「だけど、あいつには何か期待しちまうんだ」
鍵井大輔は、このアジアカップの舞台で大吾を日本代表の主将として調教しようとしている。
それが周りから見ていると、手に取るようにわかる。
それがわかっていないのは、大吾だけかもしれない。
鍵井は背中で見せるタイプの主将だ。あまりそのキャプテンシーに口数は付け加えられない。
その大吾に対する注文の多さからして、意図は誰から見ても明白だ。
大吾は左サイドから、その鷹の目を使って全体を把握する。
自分で仕掛けるだけではない。そのポジショニングによってもオーストラリアに混乱をもたらすのだ。
向島大吾。
それがアジアでは、どれほど大きな存在になっているかはわかっている。
なぜなら、自分が3mその位置を変えるだけで、相手の4人もの数がそのポジショニングを変更しているのだ。
大吾が「ボールをくれ」と左手を上げて駆け出したとき、オーストラリア・ディフェンスはどうしてもそっちを意識せざるを得ない。
その分、中央の真吾がドフリーになる。
器楽堂ロドリゴが芝の上を滑らすロングスルーパスを出したとき、真吾にはティム・スコールひとりしかマークが付いていなかった。
スコールはイングランド・プレミアリーグの肉弾戦でも負けた数が少ない、パワー型のディフェンダー。
それが真吾によって抑え込まれ、左足を一閃する。
コンクリートにもめり込みそうなそのシュートは、オーストラリアのゴールネットを文字通り突き破りそうになった。
ゴールパフォーマンスを開始する真吾。
それを大吾は腰に手を当てて眺めている。
「もっと全身で喜べ、大吾!」
鍵井がそう注文を付けて来る。
大袈裟なゴールの喜びようで、チーム全体どころかスタジアム中の士気をあげる。
そういうやり方があることを、鍵井は大吾に教えているのだ。
鍵井大輔は、この大会を死所と見定めている。
ワールドカップが終って、山口荒生に「これからどうする?」とその進退を確認された。
「もうひとつだけ、やり残したことがあります」
そう答えて、日本代表に残留することを新監督に宣言した。
それは、
(大吾を中心とした日本代表を作ること)
次の大会で大吾は25歳。
ディエゴ・マラドーナも、ジネディーヌ・ジダンも、およそそのくらいの年齢でワールドカップを掲げた。
それが駄目でも、その次でもまだ29歳。
さらにその次でも33歳。
(あと3大会は大吾は狙える)
自分が培ってきたものを、すべて大吾に受け取らせる。
大吾はこの歳でもう弟子を取ったらしい。
自分も名言こそしないが、大吾を弟子のように育てるつもりだ。
オーストラリアのコーナーキックから、フランク・マッカーシーがヘディングを決めた。
199cmの勇也がいないところを狙ってあげられたそのセンタリング。
だけれども、向島博の血を引いた兄弟は取り返そうと試みる。
『ロイヤル・マドリー仕込み』のコンビネーションで、オーストラリアを崩していく。
瀬棚勇也と、葛城哲人を加えて、それは『スペイン仕込み』と主語を大きくした。
華麗なティキ・タカは、次々とオーストラリアの陣地を侵食していく。
オーストラリアは、守備を固めざるを得ない。
ゴールに背を向けて、大吾がボールをトラップした。
そして、中央に向けて、絶好のバックパスを送る。
鍵井大輔のミドルシュート。
横っ飛びしたステファノ・ヨビッチの手のさらに左を通り抜けて、それはゴールネットを浮き上がらせた。
喜びを爆発させる、鍵井大輔。
それに駆け寄る大吾。
「言いたいことは、山々あるんですが……」
そう大吾が告げる。
「俺たちはプロフェショナル・フットボーラーですから!」
(そうだ、それでいい)
鍵井は思った。
(他人に教えを乞うだけではなく、自分で考えろ。そしてそれを周囲にも教えるんだ。それが一本の線で繋がったとき……)
鍵井は真っすぐ大吾を見た。
自分のポジションに戻ろうとする彼は、壊れてしまうかのように小さい。
その責任は、その短躯で受け止められるだろうか。
(おまえはメンタルをも含めた、パーフェクト・フットボーラーになる)
大吾のドリブルを誰もが止められない。
タックルを出した先は、もう残像しか残されていないかのようだった。
一方で、ファウルもまたできない。
向島大吾という存在は、まずは『フリーキック・スペシャリスト』としてその名を馳せた。
彼に、日本に対してゴール前でフリーキックを与えるということは、自殺行為に等しい。
真吾と大吾だけで、オーストラリアは5人のマークを使っていた。
残りの4人で他をカバーし、あと1名でカウンターに賭ける。
そうそう上手く行くはずもない。
「舐めやがって……」
ボールを保持しながら、葛城哲人が憤慨する。
彼は日本代表の10番だ。それなりの意地もあるし、矜持もある。
彼がドリブルを開始したとき、相手はディレイしてきて、向島兄弟へのパスを第一に警戒する。
葛城が左足をスイングする。
大幅に枠を外れたかに思えたそのシュートにはスライスがかかっていて、2mのステファノ・ヨビッチが差し出した右手の横を通り抜けていた。
(これだ!)
鍵井はそう思った。
向島兄弟を中心として、日本代表は急速にそのレベルを上げている。
真吾・大吾に負けたくないという強い思いが、代表どころか日本サッカーそのものを巻き込んでいるのだ。
そして、それに憧れた子供たちがまたサッカーを始めるであろう。
素晴らしい循環が、今日本を包み込んでいる。
それは、自分の世代では起こせなかった軌跡でもある。
刺激を受けた若者が、ピッチを躍動している。
瀬棚勇也。
もうひとりのキャプテン候補。
彼はその巨体をゴム鞠のように使い、平均身長では6cmも違うオーストラリアを圧倒している。
(俺らの時代は終わったんだな……)
そう、鍵井は思った。
2006年から18年間、代表に身を捧げてきた。
向島博が再起不能になるのを間近で見たこともある。
その息子と、今共闘している。感慨深いものが無いとは言えない。
「あとは任せたぞ」
そう言って、鍵井はスライディング・タックルを繰り出した。
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