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124・1億5000万€の兄弟

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 スペインの白い雄、ロイヤル・マドリー。
 下部組織に何人かアジア人が在籍したことはあるが、そのトップチームにアジア人が定着したことはない。
 100年以上の歴史を持ち、UEFAチャンピオンズリーグ優勝回数は歴代最多。
 エル・ブランコ、日本では野球チームに例えられて『白い巨人』とも訳されるそのホワイトカラーは対戦するものすべてを畏怖させ、恐慌状態に陥らせるとまで言われる。

 そこに飛び込んだのが、真吾と大吾の向島兄弟だった。

『ブラジル人を獲った方が効率が良いだろう? なぜアジア人を今?』

 そういう外野の声も聴こえてくる。
 真吾と大吾で1億5000万ユーロ。
 ちょっとばかり値が高すぎやしないかとの不評の声だ。

 けれども、わかる人にはわかっている。
 日本のワールドカップベスト8、そして直前のチャンピオンズリーグ。
 まさに昨季は、この日本人兄弟のためにおあつらえ向きのようなシーズン。

『日本人が活躍するのはもはやフロックではない』

 その筆頭が、この兄弟だった。



※※※※※



 大吾は躍動する。
 一方で、ユース上がりのラウール・サリーナスは、そのボールタッチは冴えない。

――あのラファエウの息子なのだから、遠慮をしているのかな

 そう大吾は思った。
 自分も、真吾も、リバウジーニョ・ジュニオールも。
 二世選手は、漏れなくその幼少期からサッカーボールと戯れることを覚える。
 内心嫌がっていても、親がやっている競技からは逃れられないものだ。

『サッカーが好きだから、サッカーをやっている』

 そう思うのは自然なことだ。



「俺はサッカーが下手です」

 あるとき、ラウールがそう大吾に告げてきた。

「親が世界一になった選手だから、俺も期待されてきました。だけど、その期待に応えられる技量が俺にはない。『あれでラファエウ・サリーナスの息子かよ』。そう言われてきました。親を越えた大吾。あなたが羨ましい」

 ラファエウの妻は、スーパーモデルだったと記憶している。
 そして自分と同じく、妻の方が背が高い。

 ラウールは短躯に痩躯。
 父の背格好が遺伝したのであろう。皮肉にも大吾とそれはそう変わらない。
 身長は他の競技と比べて重要視されないはずだ。しかし、大吾と背丈が変わらない選手が技術が劣っているのであれば、サッカーという競技はやりにくいだろう。

「よりにもよって、あのラファエウ・サリーナスの息子が、『ボールの声』が聴こえない。笑っちゃいますよね?」

 けれども、大吾が見るところ、ラウールにはラファエウとは別の才能がある。
 すなわち、スタミナとボール奪取の能力。それは大吾がコンプリート・フットボーラーになるためにはどうしても必要なものだった。

 大吾はこう答えた。

「おまえにはおまえのサッカーのやり方がある。おまえはサッカーをしたいんじゃなくて、父親を模倣したかっただけなのか?」
 と。

 少なくとも、それ以来ラウールの小言は減った。
 内心どう思っているかは別にせよ。
 ラファエウはスラム出身とは思えないほどの美丈夫。そして奥さんがモデルとなれば、ラウール自身もベッカムと並ぶほどのイケメンだ。
 彼はそのプレースタイルと顔面偏差値の高さで、父親とは違った意味でスーパースターになれる存在かもしれない。



「さて、次の対戦相手だが……」

 ミーティングでロイヤル・マドリーの監督、フランチェスコリが言う。
 画面に映っているのは、ルカ・ボバンとリバウジーニョ・ガウショの超絶コンビ。

『そこを通すか』と感嘆してしまいそうなパス交換。
『なぜ抜ける』と驚愕しそうなドリブル突破。
『普通そこから撃つ?』と唸ってしまいそうなミドルシュート。

『ボールの声』をフルに聴こえるものが能力を120%発揮すれば、こういう超人的なプレーが出来るのであろう。

「なんてことはない。いつものマドリーを見せてやれ!」

『いつものマドリー』
 それは、個人能力に任せた技量と技量の重ね合いである。
 細かな戦術は決まっているが、大筋は選手のスキルに任せる。
 だから、ロイヤル・マドリーに所属する選手は、圧倒的な個人スキルを持っていないと駄目なのだ。

 だが、今回はバルセロナの方に、超人的な能力を持った選手が偏っている。
 バルセロナは1973年にヨハン・クライフが移籍して以来、チーム戦術を武器にして来たチームだ。
 その戦術に当てはまらない選手は、よほどのビッグネームであっても弾かれ、移籍することを余儀なくされる。

『チーム以上の存在はいない』

 バルセロナのスローガンだ。
 だが、その中にルカやジュニオールも含まれるのであろうか?


 ある意味、大吾を獲得しようと試みるチームは、根本的な戦術が無いチームが多い。
 大吾を獲得して、彼を戦術の基本に据えようとするチームが多数なのだ。
 そういうチームは得てして中小クラブに多いのだが、このロイヤル・マドリーという超ビッグクラブも、大吾と死なばもろともという綱渡りをしようとしているのやもしれない。
 三国志演義ではないが、向島の実兄弟とリュカ・バランは、『ボールの声』が聴こえるというだけで、桃園の誓いをここマドリードで強制されている可能性すらある。



 バロンドールの受賞候補30名が発表された。
 チャンピオンズリーグのファイナリスト、向島真吾・大吾兄弟がその中にノミネートされる。
 今まで日本人でノミネートされたものは中田英寿、稲本潤一、中村俊輔。
 これまでノミネートされたものが稼いだポイント数は総計でもゼロ。
 しかし、今回初めて日本人にポイントが加算される。

 だが、ふたりに投票されたポイントは、日本人記者が入れたもの以外はなかった。
 日本以外の国の記者が、この兄弟に投票することはなかったのだ。



※※※※※



『さすがに、アジア人差別が過ぎる』

 そういう声が挙がってきている。

『グラン・トリノは優勝チームの権限を剥奪されたとはいえ、選手にまでそのツケが回るのか?』
『だったら向島大吾はともかく、向島真吾はトップ3に入っているべきではないのか?』

 バロンドールはチームのロビー活動・政治力で手に入れるもの、という噂もある。
 その中では、ロイヤル・マドリーが一番力を入れている、とも。
 
 だったら、なぜこの結果が起きたのであろう?

――チャンピオンズリーグで優勝しても、日本人にはバロンドールは遠いのか……

 失意の中、大吾は日本に帰国する。
 フランス五輪予選を戦うために、勇也を伴って。

 日本にはまた、自分たちとは違った怪物が育っていたのだった。
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