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第二章 失って得たもの
2-59 クリストフ視点3
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俯き黙り込んだ私に、やっと伯父は満足そうに頷いて颯爽と馬に跨った。馬上から見下ろし、ついでとばかりに口を開く。
「お前は些か清白が過ぎるな。気に病む必要はない、あの忌人は金を見るなり身を引いた。まんまと大金をせしめて今頃ほくそ笑んでいることだろう。忌人とは害虫のようにしぶとく卑しい生き物だ」
伯父はいつになく気安い様子で、苦笑混じりに言った。私を忌人に騙されたことにも気付いていない愚かで哀れな男と定め、慰めているつもりなのだろう。
「盲信というべきはお前の方だ。若さ故に視野が狭くなることは往々にしてあるものだが、次期シュヴァリエ家当主としていつまでもそれでは困る。次はないぞ」
アンリの清廉さを知ろうともせず侮蔑的に言い放った伯父に、私は目の前が赤くなったが、握った拳に爪を食い込ませ、歯を食いしばって耐えた。今は耐えるしかない。
怒りに震える私を置いて、伯父の馬は蹄を響かせ歩き始めた。私は馬の影をただじっと見つめていた。感じたことのない激しい怒りと、無力な己への悔しさが胸中から溢れ出しそうだった。確かに私は視野が狭かった。自分一人の力でアンリを守れるものと思い上がっていた。己の未熟さに気付かなかったばかりにアンリは――。
ぎり、とまた奥歯を噛んだ時、少し離れた所で伯父の馬が止まった。溜息とも舌打ちともつかない息を吐いて、伯父が言う。
「……随分と用意がいいことだ。クリストフ、お前に用があるそうだ」
視線を上げると、シュヴァリエ家の門の外に馬車が停まった所だった。装飾華美な豪勢なその馬車には、下品なほどの大きさでカサール家の紋章が描かれている。
伯父は馬の鼻を私に向け、声を落として言う。
「魔物襲撃の詳細を直接尋ねたいからと、クリストフを宰相家へ遣わせるよう打診されていた。怪我を理由に先延ばしにしていたのだが、これならば怪我にも障らぬだろうと最上級の馬車で出迎えに来るとはな。この手回しの良さ、恐らくスタニスラスではなく息子の方の差金だろう」
宰相カサール家の息子とは、すなわちマルク・ド・カサールのことだ。アンリと浅からぬ縁があった男。アンリを失い、己の浅はかさに打ちのめされている今、最も顔を合わせたくない人物と言えた。
伯父は更に声を潜める。
「くれぐれも余計な事は話すな。マルクは父親と違い切れ者だ。カサール家に我々の情報を嗅ぎ取られることのないように」
王家に仕えるシュヴァリエ家は、宰相カサール家と帝国建国以来折り合いが悪い。忠臣を自負するシュヴァリエ家としては臣下の分を超えて権力を振りかざすカサール家を疎んじているし、カサール家の方も傀儡の王家以外の命には一切従わず武力を占有するシュヴァリエ家を疎んじている。
とは言え、貴族としての力の差は歴然だ。些細な隙でも見つかれば、カサール家の権力によってシュヴァリエ家など簡単に取り潰す事ができる。しかしそれを数百年防いでいるのは、シュヴァリエ家が保有する武力であり、その情報だ。
騎士団の有しているアルバレスの反徒についての情報も、カサール家へは最低限しか渡していない。こうした駆け引きによって、両家の危うい均衡を保ってきたのだ。
馬車の後ろについていたカサール家の遣いが、伯父と私に気付いて大きな声で挨拶を述べた。
遣いの男は伯父の言った通りの来訪の理由を告げて、急かすように私を馬車へと促す。先触れもなく突然来られても予定があると伯父が断ったものの、相手は引き下がらない。恐らく、これまで散々先延ばしにされてきた事への鬱憤もあるのだろう。慇懃無礼な態度で門前に居座ろうとする遣いに、とうとう伯父が折れた。
溜息と共に馬から下りようとした伯父に、しかしその男は首を振った。
「今回はクリストフ様への聴取ですので、サミュエル様にお越し頂く必要はございません。御予定がおありとのこと。どうぞお出掛け下さい」
隙のない笑顔でそう言った男に、私は思わず片頬を吊り上げ苦笑を零した。カサール家の連中は、伯父さえいなければ私一人などどうとでも御せると考えているのだろう。随分と侮られたものだ。
今まさに悔いていた己の未熟さを他人からも指摘されたようで、しかもそれを目論んだのがあのマルク・ド・カサールなのだと思うと、半ば自暴自棄な激情に支配された。心配そうにこちらを見遣る伯父の視線にも苛立って、私は伯父の返事を待たず了承したのだった。
「お前は些か清白が過ぎるな。気に病む必要はない、あの忌人は金を見るなり身を引いた。まんまと大金をせしめて今頃ほくそ笑んでいることだろう。忌人とは害虫のようにしぶとく卑しい生き物だ」
伯父はいつになく気安い様子で、苦笑混じりに言った。私を忌人に騙されたことにも気付いていない愚かで哀れな男と定め、慰めているつもりなのだろう。
「盲信というべきはお前の方だ。若さ故に視野が狭くなることは往々にしてあるものだが、次期シュヴァリエ家当主としていつまでもそれでは困る。次はないぞ」
アンリの清廉さを知ろうともせず侮蔑的に言い放った伯父に、私は目の前が赤くなったが、握った拳に爪を食い込ませ、歯を食いしばって耐えた。今は耐えるしかない。
怒りに震える私を置いて、伯父の馬は蹄を響かせ歩き始めた。私は馬の影をただじっと見つめていた。感じたことのない激しい怒りと、無力な己への悔しさが胸中から溢れ出しそうだった。確かに私は視野が狭かった。自分一人の力でアンリを守れるものと思い上がっていた。己の未熟さに気付かなかったばかりにアンリは――。
ぎり、とまた奥歯を噛んだ時、少し離れた所で伯父の馬が止まった。溜息とも舌打ちともつかない息を吐いて、伯父が言う。
「……随分と用意がいいことだ。クリストフ、お前に用があるそうだ」
視線を上げると、シュヴァリエ家の門の外に馬車が停まった所だった。装飾華美な豪勢なその馬車には、下品なほどの大きさでカサール家の紋章が描かれている。
伯父は馬の鼻を私に向け、声を落として言う。
「魔物襲撃の詳細を直接尋ねたいからと、クリストフを宰相家へ遣わせるよう打診されていた。怪我を理由に先延ばしにしていたのだが、これならば怪我にも障らぬだろうと最上級の馬車で出迎えに来るとはな。この手回しの良さ、恐らくスタニスラスではなく息子の方の差金だろう」
宰相カサール家の息子とは、すなわちマルク・ド・カサールのことだ。アンリと浅からぬ縁があった男。アンリを失い、己の浅はかさに打ちのめされている今、最も顔を合わせたくない人物と言えた。
伯父は更に声を潜める。
「くれぐれも余計な事は話すな。マルクは父親と違い切れ者だ。カサール家に我々の情報を嗅ぎ取られることのないように」
王家に仕えるシュヴァリエ家は、宰相カサール家と帝国建国以来折り合いが悪い。忠臣を自負するシュヴァリエ家としては臣下の分を超えて権力を振りかざすカサール家を疎んじているし、カサール家の方も傀儡の王家以外の命には一切従わず武力を占有するシュヴァリエ家を疎んじている。
とは言え、貴族としての力の差は歴然だ。些細な隙でも見つかれば、カサール家の権力によってシュヴァリエ家など簡単に取り潰す事ができる。しかしそれを数百年防いでいるのは、シュヴァリエ家が保有する武力であり、その情報だ。
騎士団の有しているアルバレスの反徒についての情報も、カサール家へは最低限しか渡していない。こうした駆け引きによって、両家の危うい均衡を保ってきたのだ。
馬車の後ろについていたカサール家の遣いが、伯父と私に気付いて大きな声で挨拶を述べた。
遣いの男は伯父の言った通りの来訪の理由を告げて、急かすように私を馬車へと促す。先触れもなく突然来られても予定があると伯父が断ったものの、相手は引き下がらない。恐らく、これまで散々先延ばしにされてきた事への鬱憤もあるのだろう。慇懃無礼な態度で門前に居座ろうとする遣いに、とうとう伯父が折れた。
溜息と共に馬から下りようとした伯父に、しかしその男は首を振った。
「今回はクリストフ様への聴取ですので、サミュエル様にお越し頂く必要はございません。御予定がおありとのこと。どうぞお出掛け下さい」
隙のない笑顔でそう言った男に、私は思わず片頬を吊り上げ苦笑を零した。カサール家の連中は、伯父さえいなければ私一人などどうとでも御せると考えているのだろう。随分と侮られたものだ。
今まさに悔いていた己の未熟さを他人からも指摘されたようで、しかもそれを目論んだのがあのマルク・ド・カサールなのだと思うと、半ば自暴自棄な激情に支配された。心配そうにこちらを見遣る伯父の視線にも苛立って、私は伯父の返事を待たず了承したのだった。
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