上 下
84 / 93
第二章 失って得たもの

2-60 クリストフ視点4

しおりを挟む
 豪奢な馬車に揺られながら、私は己の短慮を早々に後悔していた。
 私にはカサール家などに赴いている時間はない。一刻一秒でも惜しい。今すぐにアンリの行方を探すべきなのだ。アンリが店を出て行ってまだ数日だ。足跡を辿るには早ければ早いほど良い。
 けれど自ら乗り込んだ馬車を今更止めさせる訳にもいかず、金糸の刺繍が一面に施された天井を見上げて私は溜息を吐いた。結局まんまと挑発に乗り、マルクの術中に嵌ったという訳だ。これが、伯父すら一目置く切れ者の手腕なのだろう。
 このような愚かしさではアンリを守るなど夢のまた夢だ。せめて敵にこれ以上見くびられることのないよう、シュヴァリエ家の代表としての務めを完璧に果たすのみだと気を引き締めた。

   カサール家の屋敷の中は馬車に負けず劣らずどこも煌びやかだったが、その中でも一際目立つ扉の前に案内された。ドアには色とりどりの宝石がばら撒いたように埋め込まれている。部屋の中へ向かって、執事だろう初老の男が声を掛けた。返事があり、重々しく執事がドアを開けたが、眼前に広がる光景に私はぎょっとした。
 そこには先客がいたのだ。ソファに足を組みゆったりと腰掛けるマルクの前で、床に額をこすりつけて跪いている男がいる。

「どうかマルク様! お願いいたします! このような過ちはもう二度とないようにいたしますので……!」

 今にもマルクの靴に口付けでもしそうな勢いの男に、マルクは冷笑を浮かべた。

「一度でもあってはならないことだろ」
「しかし、家督の取り潰しとはあまりにも……!」
「あんたの不始末のせいでカサール家まで泥を被る訳にはいかない。あんたとはここまでだ。十分美味い汁を吸わせてやったんだ、資産は有り余ってるだろ。田舎の土地でも買って畑を耕してろ」

 私は部屋を間違えたのかと後ろを振り向いたが、執事はドアの脇に控えて感情のない目で成り行きを見守っている。
 意気込みを出鼻で挫かれて呆気に取られている私に、マルクが顔を向けた。

「いい加減しつこいぞ。ほら、そこにちょうど近衛騎士がいる。いっそ騎士団に引き渡してやろうか。そうすりゃお家断絶の前にあんたの首が飛ぶけだけだけどな」

 床に伏していた男は初めて私の存在に気付いたようで、勢いよく振り返ると驚きに目を丸くした。しかしすぐに眦を吊り上げ、恨みがましく私を睨みつけながらながらゆっくりと部屋を出て行った。
 静かに部屋のドアが閉められる。
 マルクは小さく溜息を吐いた後に、何事もなかったように

「掛けてくれ」

 と言った。初対面にもかかわらず、厄介払いの道具として利用されたことに少なからずの不快感を感じたが、元より私はマルクに対して良い印象を持っていない。
 マルクの向かいに用意された椅子に腰掛けながら、じっとその相貌を見つめる。
 マルクに粉をかけられて靡かない女性はいないとまで言われる整った顔立ちは、近くで見ると随分疲れているようにも見えた。目の下にはくっきりと隈が浮かび、私よりいくつか年少のはずだが若々しさを全く感じられない。確か最近父親であるスタニスラス・ド・カサールが病床に臥せりがちだと聞くから、公務を一手に引き受け忙しいのかもしれない。
 だが、釣り目がちの見事な青の瞳には全く隙がない。こちらを威圧してくる青色は、攻撃的で酷く冷徹だ。先程の客人への対応を見ても、この男は良心や温情といったおよそ人間らしい感情は持ち合わせていないのだろう。だから、あの純粋で健気なアンリを裏切るような真似ができたのだ。アンリは孤児院で想いを交わしたこの男が、いつか迎えに来てくれるものとずっと信じて待っていた。既にマルクのアンリへの愛は消え、裏切られたのだと分かっても、恨み言一つ零さなかった。そしてそれからも随分と長い間、この男を想い続けていたのを知っている。
 私は膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめた。ふつふつと湧き上がる苛立ちを抑え込み、冷静を努める。私はシュヴァリエ家の総代として来ている。感情的になっては、シュヴァリエを出し抜く隙を窺っている相手の思う壺だ。

「早速だが、魔物襲撃事件の詳細を聞きたい。トロフォティグルはどのような攻撃を仕掛けてきた? 敵に特に有効な加護の力はあったか」

 私はあの日のことを問われるままに答えたが、必要以上のことは語らなかった。しかし口下手な私とは違い、相手は交渉事の手練れだ。真意を見咎めるように時折眇められる怜悧な視線に注意を向けつつ、慎重に言葉を選んだ。

「なるほどな。戦闘の様子は大体分かったが、一つ腑に落ちない点がある。なぜ調理場付近が壊滅的な被害を受けたのか。お前が戦っていたのは客席なんだろう?」

 テーブルに広げた宿屋の図面を示しながら、鋭く冷たい視線がこちらを見据える。私は緊張に心臓がどきりと脈打つのを感じた。
 調理場にいたアンリが魔物に狙われたことは、決して悟られてはいけない。ましてやアンリが他者の加護の力を増幅したなど、伯父にも話していないことだ。アンリと知己のこの男に知られては、アンリを探し出した後にどう利用されるか分からない。

「四体目のトロフォティグルは凄まじい速さで駆け込んで来た為、勢いのまま調理場に激突したものと思われます。私は三体目のトロフォティグルと戦闘中でしたので、詳しくは見ておりませんが」

 慎重を期すあまり、少し声が掠れてしまった。
 マルクの眉が跳ね上がる。

「それはおかしな話だ。報告によれば調理場は下に抉れたような破壊跡だった。激突してできるものではない。実際は、そこにいた誰かを飛びかかって襲った。そうだろう?」

 マルクの問いに、私は僅かに首を傾げるのみに留めた。さも曖昧な記憶を手繰り寄せるような態度を示したつもりだったが、マルクは私の白々しい仕草にうっそりと笑みを浮かべた。下から睨め付けるように私を見上げ、低く言う。

「……クリストフ。お前、何かを隠しているな?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

日本で死んだ無自覚美少年が異世界に転生してまったり?生きる話

りお
BL
自分が平凡だと思ってる海野 咲(うみの   さき)は16歳に交通事故で死んだ………… と思ったら転生?!チート付きだし!しかも転生先は森からスタート?! これからどうなるの?! と思ったら拾われました サフィリス・ミリナスとして生きることになったけど、やっぱり異世界といったら魔法使いながらまったりすることでしょ! ※これは無自覚美少年が周りの人達に愛されつつまったり?するはなしです

不良高校に転校したら溺愛されて思ってたのと違う

らる
BL
幸せな家庭ですくすくと育ち普通の高校に通い楽しく毎日を過ごしている七瀬透。 唯一普通じゃない所は人たらしなふわふわ天然男子である。 そんな透は本で見た不良に憧れ、勢いで日本一と言われる不良学園に転校。 いったいどうなる!? [強くて怖い生徒会長]×[天然ふわふわボーイ]固定です。 ※更新頻度遅め。一日一話を目標にしてます。 ※誤字脱字は見つけ次第時間のある時修正します。それまではご了承ください。

王道学園なのに、王道じゃない!!

主食は、blです。
BL
今作品の主人公、レイは6歳の時に自身の前世が、陰キャの腐男子だったことを思い出す。 レイは、自身のいる世界が前世、ハマりにハマっていた『転校生は愛され優等生.ᐟ‪‪.ᐟ』の世界だと気付き、腐男子として、美形×転校生のBのLを見て楽しもうと思っていたが…

「陛下を誑かしたのはこの身体か!」って言われてエッチなポーズを沢山とらされました。もうお婿にいけないから責任を取って下さい!

うずみどり
BL
突発的に異世界転移をした男子高校生がバスローブ姿で縛られて近衛隊長にあちこち弄られていいようにされちゃう話です。 ほぼ全編エロで言葉責め。 無理矢理だけど痛くはないです。

【完結】ハードな甘とろ調教でイチャラブ洗脳されたいから悪役貴族にはなりたくないが勇者と戦おうと思う

R-13
BL
甘S令息×流され貴族が織りなす 結構ハードなラブコメディ&痛快逆転劇 2度目の人生、異世界転生。 そこは生前自分が読んでいた物語の世界。 しかし自分の配役は悪役令息で? それでもめげずに真面目に生きて35歳。 せっかく民に慕われる立派な伯爵になったのに。 気付けば自分が侯爵家三男を監禁して洗脳していると思われかねない状況に! このままじゃ物語通りになってしまう! 早くこいつを家に帰さないと! しかし彼は帰るどころか屋敷に居着いてしまって。 「シャルル様は僕に虐められることだけ考えてたら良いんだよ?」 帰るどころか毎晩毎晩誘惑してくる三男。 エロ耐性が無さ過ぎて断るどころかどハマりする伯爵。 逆に毎日甘々に調教されてどんどん大好き洗脳されていく。 このままじゃ真面目に生きているのに、悪役貴族として討伐される運命が待っているが、大好きな三男は渡せないから仕方なく勇者と戦おうと思う。 これはそんな流され系主人公が運命と戦う物語。 「アルフィ、ずっとここに居てくれ」 「うん!そんなこと言ってくれると凄く嬉しいけど、出来たら2人きりで言って欲しかったし酒の勢いで言われるのも癪だしそもそも急だし昨日までと言ってること真逆だしそもそもなんでちょっと泣きそうなのかわかんないし手握ってなくても逃げないしてかもう泣いてるし怖いんだけど大丈夫?」 媚薬、緊縛、露出、催眠、時間停止などなど。 徐々に怪しげな薬や、秘密な魔道具、エロいことに特化した魔法なども出てきます。基本的に激しく痛みを伴うプレイはなく、快楽系の甘やかし調教や、羞恥系のプレイがメインです。 全8章128話、11月27日に完結します。 なおエロ描写がある話には♡を付けています。 ※ややハードな内容のプレイもございます。誤って見てしまった方は、すぐに1〜2杯の牛乳または水、あるいは生卵を飲んで、かかりつけ医にご相談する前に落ち着いて下さい。 感想やご指摘、叱咤激励、有給休暇等貰えると嬉しいです!ノシ

奴隷商人は紛れ込んだ皇太子に溺愛される。

拍羅
BL
転生したら奴隷商人?!いや、いやそんなことしたらダメでしょ 親の跡を継いで奴隷商人にはなったけど、両親のような残虐な行いはしません!俺は皆んなが行きたい家族の元へと送り出します。 え、新しく来た彼が全く理想の家族像を教えてくれないんだけど…。ちょっと、待ってその貴族の格好した人たち誰でしょうか ※独自の世界線

俺にはラブラブな超絶イケメンのスパダリ彼氏がいるので、王道学園とやらに無理やり巻き込まないでくださいっ!!

しおりんごん
BL
俺の名前は 笹島 小太郎 高校2年生のちょっと激しめの甘党 顔は可もなく不可もなく、、、と思いたい 身長は170、、、行ってる、、、し ウルセェ!本人が言ってるんだからほんとなんだよ! そんな比較的どこにでもいそうな人柄の俺だが少し周りと違うことがあって、、、 それは、、、 俺には超絶ラブラブなイケメン彼氏がいるのだ!!! 容姿端麗、文武両道 金髪碧眼(ロシアの血が多く入ってるかららしい) 一つ下の学年で、通ってる高校は違うけど、一週間に一度は放課後デートを欠かさないそんなスパダリ完璧彼氏! 名前を堂坂レオンくん! 俺はレオンが大好きだし、レオンも俺が大好きで (自己肯定感が高すぎるって? 実は付き合いたての時に、なんで俺なんか、、、って1人で考えて喧嘩して 結局レオンからわからせという名のおしお、(re 、、、ま、まぁレオンからわかりやすすぎる愛情を一思いに受けてたらそりゃ自身も出るわなっていうこと!) ちょうどこの春レオンが高校に上がって、それでも変わりないラブラブな生活を送っていたんだけど なんとある日空から人が降って来て! ※ファンタジーでもなんでもなく、物理的に降って来たんだ 信じられるか?いや、信じろ 腐ってる姉さんたちが言うには、そいつはみんな大好き王道転校生! 、、、ってなんだ? 兎にも角にも、そいつが現れてから俺の高校がおかしくなってる? いやなんだよ平凡巻き込まれ役って! あーもう!そんな睨むな!牽制するな! 俺には超絶ラブラブな彼氏がいるからそっちのいざこざに巻き込まないでくださいっ!!! ※主人公は固定カプ、、、というか、初っ端から2人でイチャイチャしてるし、ずっと変わりません ※同姓同士の婚姻が認められている世界線での話です ※王道学園とはなんぞや?という人のために一応説明を載せていますが、私には文才が圧倒的に足りないのでわからないままでしたら、他の方の作品を参照していただきたいです🙇‍♀️ ※シリアスは皆無です 終始ドタバタイチャイチャラブコメディでおとどけします

転生悪役令息、雌落ちエンドを回避したら溺愛された?!~執着系義兄は特に重症です~悪役令息脱出奮闘記

めがねあざらし
BL
BLゲーム『ノエル』。 美麗なスチルと演技力抜群な声優陣で人気のゲームである。 そしてなんの因果かそんなゲームの中に悪役令息リアムとして転生してしまった、主人公の『俺』。 右を向いても左を向いても行き着く先は雌落ちエンド。 果たしてこの絶望的なエンドフラグを回避できるのか──……?! ※タイトル変更(2024/11/15)

処理中です...