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第一章 孤児院時代

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「……おつかいは、ちゃんとやっているの?」

 窺うように問いかけた僕の質問に、マルクはパチパチと目を瞬かせてから笑い、眉尻を下げ肩を竦めた。

「アンリには敵わないな。……まぁ、毎回先生達に怒られてるよ」

 マルクのおつかいは建前上のもので、実際は有力商家や貴族の家に出入りさせることでマルクの顔見せをしているのだ。マルクの瞳の青さ、その整った顔立ちと聡明な振る舞い、孤児院暮らしだというのに健やかに育った体躯を見れば、このまま孤児院に置いておくのは勿体ないと思う家が養子縁組を申し込んでくるかもしれないと孤児院は期待しているのだ。縁組が決まった時に支払われる礼金が孤児院の大きな収入源でもあるので、孤児院側としてはマルクのような良物件をみすみす逃したくないのだろう。

 けれどマルクの反応を見るに、どうやらマルクはまた敢えて嫌われるような振る舞いをしているようで、顔見せの成果は芳しくないようだ。

「僕はマルクの夢を応援したいけど……僕達孤児がここを出て一人で生きていくのはとても大変なことだってマルクも分かってるのに、どうしてそこまで……」
「俺の夢は人生全てを賭けてもいいくらいのものなんだ。こればかりはアンリが何と言っても曲げられない」

 濃い青の瞳が力強く見つめてくる。僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。

「それに、俺が何の勝算もなく無謀な夢を追いかけると思うか?」
 
 口の端をにっと持ち上げて、マルクが悪戯っぽく笑った。
 確かに、マルクは夢想家ではない。むしろ現実主義者だ。そのマルクが社会的安定が約束されている貴族との縁組を蹴ってまで選んだ道ならば、何か考えがあってのことなのだろう。
 僕は、微苦笑するにとどめて「そうだね」と小さく頷いた。
 別にマルクの縁組を諦めた訳ではない。マルクを今この場で説き伏せることを諦めただけだ。マルクのことは信じているし、その実力も知っている。それでも孤児院を出る前にどこかの養子に入った方がいいのではと思ってしまう理由があるのだ。
 それは、最近マルクの髪色が明るくなってきていることと、肩の辺りに見える靄だ。今もじっと目を凝らすと細かな光が集まっているように見える。まるで砂粒がキラキラと陽光に反射しているみたいだ。
 その正体を確かめようと目を眇めていると、靄の奥からマルクの水の精霊が現れた。水瓶を抱えたまま、見つめている僕に向かって可愛らしいウィンクをして手を振ってくれる。

 忌人の僕は人間からはことごとく疎まれているけれど、なぜか精霊からは気に入られることが多かった。
 マルクの水の精霊はふわりと浮いて、僕の周りを楽しそうに回っている。マルクは特に気にならないのか、相変わらず太陽を見つめて、暑いなぁと呟いていた。一方僕の周りは精霊のおかげか少しひんやりとした気がする。美しい水の精霊に感謝の気持ちで微笑めば、投げキスを返してくれた。この精霊が人と同じ大きさだったらさぞ妖艶に映っただろうが、なにせ手の平サイズだから仕草の全てが可愛く見える。僕はふっと笑いを零した。
 すると、先程まで細かな光の粒だった靄の塊が明滅しながらその形を変え始める。息を呑んで見つめていると、輝く光が流れるように集まって、燃え盛る太陽のような像になった。それを中心にさらに光がぼんやりと広がっていき、見る間に四本足の生き物の姿を作る。あ、と思った時にはライオンの姿になっていた。金色に輝くたてがみを持った獅子の顔はいかにも百獣の王といった風格があった。しかし大きさは実際の子猫くらいで、太い手足の丸みもまるでぬいぐるみのような愛らしさだ。
 獅子は軽やかに跳躍すると僕の眼前に浮かび、撫でろと言わんばかりに喉を伸ばした。そっと指先で顎の下をくすぐると、嬉しそうに目を細めた。まるでゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえそうだ。
 しかしその直後に、光り輝く獅子はぱっと霧散してしまった。光の粒となって広がった後、靄の塊に戻ってまたマルクの肩の辺りに留まっている。

 精霊の幻想的な美しさに心奪われて呆然としていたが、はっと我に返る。
 先程の獅子の精霊は眩く輝く金色のたてがみを持っていた。そして最近急に明るくなって金色に近づいてきたマルクの髪色。
 間違いない。マルクは土の精霊の加護も持っていたのだ。

 危惧していたことが現実になってしまった。
 マルクは水の精霊の加護と、土の精霊の加護の複数加護持ちだったのだ。
 しかも、土の精霊はまだ姿をうまく保てないようだったが細部まではっきりと像を結んでいた。きっと水の精霊と同等程度の力の強さだ。
 こんなに強い精霊の加護を複数持っているだなんて、そんな人見たことがない。話にだってほとんど聞かない。
 これが知られたら大変だ。孤児院はマルクを手放さなくなるだろう。十五歳になったらそのまま精霊教会の神父にさせられて、広告塔として使われてしまう。
 精霊教会はモディア王家や有力貴族と繋がりが深く、権力も大きい。逃げ出すことなどできないだろう。マルクは神父として一生を過ごすことになり、厳しい戒律の中で夢を追いかけることもできなくなる。

「さっきからどうした? アンリ」

 心配そうに眉を寄せ、マルクが僕の顔色を覗いてきた。僕が相当強張った顔をしていたのだろう。しかしマルクのいつもと変わらぬ反応を見るに、どうやらマルクは先程の土の精霊を見ていないらしい。
 よかった。
 僕は安堵の溜息を吐いた。土の精霊の力を自覚していないのであれば、はっきりと加護が身に付くまでにもう少し時間がかかるだろう。
 誰の目にも二つ目の加護が明らかになる前に、マルクは教会が安易に手出しできないような貴族や有力商家の養子となるべきだ。マルクの叶えたい夢からは一度離れてしまうかもしれないけれど、養子になってからでも夢は追えるはずだ。少なくとも、教会の神父にさせられるよりはずっといい。

 僕は決意を固めた。
 
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