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2章 氷王青葉杯

10. 資格なきもの通らざる

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 「いやあ、すみませんね。急にお誘いして」

 寮を出て、飲食店が軒を連ねる通りへ向かったレヴリッツとダルベルト。
 二人はコーヒーの香りがする道を歩き、赤レンガの屋根を持つカフェへ入った。

 彼らは向かい合う形で座り、適当に飲み物を注文する。曰く、リオートと同じチームに所属しているという少年。ダルベルトはレヴリッツを眺め、首を傾げた。

 「はて。その珍妙な服装……どこの出の御仁で?」

 「んー……まあ僕のことはいいじゃないですか。ダルベルトさんが来たのは、リオートを連れ戻すためでしょう?」

 「ええ、そうですとも。俺は若の従者として、どうしても若を連れて帰らにゃならねえ」

 「それはダルベルトさんの意思ですか? それともリオートの父上……ええと、ラザ国王陛下のご意向ですか?」

 カフェまで歩く中で、レヴリッツはリオートが許可なく国外へ出たことを聞かされた。
 たしかに王族という身分上、リオートの無断出国は許されたものではない。

 「両方ですよ。陛下はお怒りだし、俺としても軟派な職業で若が遊ぶのは耐えられねえ」

 「うーん……? バトルパフォーマーが軟派な職業?
 あたおかな人は多いですけどねー」

 二人の認識には乖離があった。
 バトルパフォーマーという職業は、国によって認知度が大きく異なる。諸先進国ではバトルパフォーマーは広く浸透しており、トッププレイヤーは憧れの対象になっている。

 しかし、リオートの祖国ラザはそうではない。
 戦いを神聖視する傾向が強く、かつ文化が閉鎖的な島国のラザ。この国ではバトルパフォーマンスなど、戦いを愚弄する陳腐な職業としての認識が強い。
 その認識は悪いことではない。自国の武の文化に誇りを持っているということなのだから。だからこそ、レヴリッツとしても複雑な心境であった。

 「戦闘をパフォーマンスにする……こんなの、うちの国じゃ考えられねえ。まともに戦えない、自信のない連中の寄せ集め……ってのが俺たちの認識ですよ。まあ、バトルパフォーマーの方に面と向かって言うセリフじゃねえな。すみません」

 「なるほど……じゃあ、僕と試合ってみますか?」

 レヴリッツの誘いに、ダルベルトは面食らう。
 まさかカフェで戦闘を申し込まれるとは。

 ラザの王族は武を重んじる。王族の従者であるダルベルトも腕には自信があり、戦いは好きなのだが……

 「まさかここで? それは無茶じゃねえですか?」

 「ご心配なく。そこに浮かんでる空間拡張衛星に触れると……このようにバトルフィールドへ移動できます」

 空間拡張衛星がポータルを開き、歪みが生じる。
 ここバトルターミナルでは、カフェの中にさえバトルフィールドを生成する衛星が置かれているのだ。

 見た事もない光景に、ダルベルトは腰を抜かす。
 ラザとは違い、ここリンヴァルス国の魔導科学は大したものだ。

 「ほう……こりゃすげえ。なんでカフェに機械があるんですかい。
 じゃあ、この先でレヴリッツ殿と俺が勝負するんですね?」

 「そういうことです。言っておきますが、バトルパフォーマーは強いですよ?」

 「まあまあ……そりゃ戦ってみればわかることでさあ。じゃあ行きましょうか」

 この時、ダルベルトはレヴリッツの言葉をまともに聞いていなかった。
 所詮は戦いを軽んじる者だと、子供の遊びだと……そう思っていたのだ。

 しかし、



 「よし、僕の勝ち!」

 負けた。
 圧倒的な隔たりが両者の間には存在したのだ。レヴリッツは闘いの最中でも、常に余裕をアピールしつつ、かつダルベルトのスタイルを崩さないように配慮していた。
 対してダルベルトはレヴリッツの動きに翻弄され、為すすべなく倒れることとなった。

 「ね? バトルをパフォーマンスするってことは、それだけ相手の動きにも気を配らないといけないんです。むしろ相当な実力がなければ、バトルパフォーマーなんてやってられませんよ」

 「う、ううむ……たしかに。レヴリッツ殿の実力は認めます。バトルパフォーマーを軟派な職業と言ったことも謝罪すべきですな。しかし、若が貴方ほど強いかと言われると……」

 彼の目的は、あくまでリオートを連れ戻すこと。
 たとえバトルパフォーマーに対する認識が改められたとしても、何も変わらない。ダルベルトを除いたラザ国民は、未だにバトルパフォーマンスへの認識はよくないものだ。
 リオートに対する悪評は覆らない。

 「まあ、僕が最強なのは大前提、周知の事実ですけど。リオートだって負けてはいない。えっと、ダルベルトさんはリオートが小さい頃から従者を務めてるんですよね?」

 「ええ。若が丸っこい時期から、俺は従者を任されてます。剣術、魔術、算術。ありとあらゆる知識を教えて……そして時には、俺も若から色々なことを教えてもらった。
 だからこそ、わからねえんですよ。あの若が国を飛び出した理由が。若はいつも真面目で、ひたむきに努力する人間で、陛下の許しなく国を飛び出すようなお方じゃなかった。王族としての自負もあるはずです」

 ダルベルトはリオートの人物像をつぶさに語る。
 彼の話に現れるリオートは、まさしく立派な王子様といったところ。無愛想だが、決して愚かな振る舞いはしないし、父親の国王と喧嘩することもなかったという。

 「ふーん……なんかダルベルトさんの語るリオートって、つまらない人間ですね」

 「なっ!? 若がつまらない人間ですと!? そりゃ貴方、不敬ってもんですよ」

 「違う、そうじゃない。『ダルベルトさんの語るリオート』はつまらない。でも、『僕の見ているリオート』は面白い人間です。
 彼はね、大した才能もないし、お利口な奴でもないし、不器用な男です。見た目がカッコいいだけの男。あと声もいい。だけど、彼は"上"を目指している。才能の逆風に抗いながら、頂点を取ろうと周囲に喧嘩を売っている。それが僕にとっては面白いのです」

 率直に言えば、ダルベルトはレヴリッツの言葉が解せなかった。
 自分が見ていた「若」と、レヴリッツの見ている「リオート」の差異。

 立場を考えれば、今のリオートの振る舞いは許されたものではないのかもしれない。しかし、あらゆる視線と批判を払いのけて進もうというリオートの意志は、レヴリッツがどうしても手に入れられないものでもあった。

 「俺にはわかりませんよ。若は俺の息子じゃねえがね、まるで息子が不良に落ちていくみたいな気分です。若の兄上や姉上はもっとご立派なのに……」

 ──ああ、それか。
 レヴリッツは気がついた。リオートが逃げ出した理由に。

 優秀な兄や姉の存在は成長を促すが、時に成長の阻害にもなり得る。
 レヴリッツは祖国にいた際、有能な兄弟姉妹を殺すようにと……実の血縁者から依頼を受けたことが何度もある。
 嫉妬──それは避けようがない人間の罪過。

 彼は人間の悪意を思い出しながら、ダルベルトに尋ねた。

 「よろしければ、リオートのこと……もっと教えてくれませんか?」

 ー----

 ケビン・ジェードはバトルターミナルを闊歩する。
 彼が歩みを進める度、周囲のパフォーマーが恐れて道を開けていくのがわかった。
 自分はアマチュアパフォーマーにとって、恐怖の対象に他ならない。それはケビン自身も理解している。

 「……チッ」

 二日酔いで頭が痛む。
 本当なら自宅で休んでいたいところだが、とある人物に呼び出されていた。

 六年間にわたり生活してきたバトルターミナル。もはや実家のように地図は頭の中に入っている。
 入り組んだターミナルを迷うことなく進み、彼が目指すのは外れの廃墟街。かつてはプロ級パフォーマーの住宅地として使われていたが、プロ用の地区が新たに設けられ、無用となった住宅街だ。
 取り壊される計画が立てられているものの、数年間動きがない。

 廃墟街を待ち合わせの場に指定したのは、他ならぬケビンだ。
 誰にも聞かれるべきではない会話だと判断した故に。

 廃墟街に入り、指定した座標へ。
 薄暗がりの中に一人の少年が佇んでいた。

 「よお」

 声をかけると、少年がゆっくりと振り向く。
 黄土色の瞳がケビンを射抜いた。少年……リオートの瞳を見たケビンは悟る。

 ──諦観。
 リオートの瞳には諦めの色が宿っていた。

 「呼びつけて悪いな。話したいことがあった」

 「構やしねえよ。で、手前の用件を聞かせろ。手短にな」

 「手短に。俺はバトルパフォーマーを辞める」

 デビューからわずか一ヶ月での決断。
 見切りをつけるのが早いと言うべきか、精神が脆いと言うべきか。どちらにせよ、リオートの決意はケビンにとって喜ばしいものだった。

 どうせリオートは大成しない。
 それがケビンの結論だったから。

 「──へえ。今すぐにか?」

 「いや、次の青葉杯には出る。じゃないと他のメンバーに迷惑がかかるからな。それが俺の最後のパフォーマンスだ。
 ……まあ、碌な結果は出せないだろうが」

 「賢明な判断だ。手前、王子様なんだろ? 早めに国へ帰って家族や国民を安心させてやりな。俺も手前について配信で取り扱うのは止めるからよ」

 リオートは自嘲ぎみに頷いた。
 正の決意から、負の決意へ。人の意志とは容易く変わるものだ。

 ケビンはリオートの姿を見て、昔の自分を思い出す。
 非才に打ちひしがれた過去を。

 「……俺もな、昔はバトルパフォーマンスの頂点を目指していた。けどプロに上がってわかったんだよ。
 ──こんな才能の化物どもに、敵うワケがないってな。手前は見たことないだろうが、プロ級以上のパフォーマーは化物揃いだ。努力でどうにかなるもんじゃねえ」

 「そう……だな。俺もつい最近わかったよ。単純な武の才能と、努力できる才能と、人に好かれる才能。全てを持ち合わせていないと、この界隈じゃ呼吸すら許されない。
 俺だってそれなりに腕に自信があったが……今まで俺が浸っていた環境は、あまりに澄んだ水だった。バトルターミナルここは濁りすぎている。綺麗な王子様が生きていける環境じゃなかったんだ」

 先日の練習試合で、リオートの誇りは粉砕された。
 ペリシュッシュも、ヨミも、そしてレヴリッツも。何かしらの才能を持っている。レヴリッツは適正が自分よりも低いが、数値として顕れない努力できる才能を持っていた。

 「──俺に剣を握る資格はない」

 その言葉を吐き捨てた時、リオートの全身が軽くなった。
 背負っていた重圧を全て投げ捨てたのだ。もう上を見なくてもいい。

 ケビンは立ち尽くす彼の様子を見て、慰めるように告げた。

 「まあ、手前も俺よりはマシさ。帰る場所があって、こんな場所でゴシップなんてしなくても生きていける。俺は才能のない初心者を潰しながら、同業者の不幸を売りさばいて生計を立ててる。手前も俺みたいな人間にはなるなよ」

 「…………」

 用件は済んだ。
 『初心者狩り』は終わった。ケビンがリオートに関わる意味はもうない。

 リオートの肩に手を置いて、去っていく。
 再び迷惑行為をバトルターミナルで為すために。

 「……ああ、そうだ」

 ふと思い出したかのように、ケビンは立ち止まる。

 「俺も次の青葉杯には出るんだ。
 まあ、当たることはねえと思うが……もし当たったら、最後にはなむけを送ってやるよ。じゃあな」
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