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縁談
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「……これでよし、と」
クラーラ・リナルディは仕事を終えて一息ついた。
伯爵家の庭の隅に淡い光が灯る。
魔物を退ける結界を張るのが彼女の日課だった。
社交界ではあまり目立たぬ茶髪をなびかせ、菫色の瞳で入念に結界を確認する。
これに綻びがあっては領民に被害が出てしまう。
自分には人の命を守っているという自負があった。
クラーラが結界を補強するのは『黒魔術』と呼ばれる魔術。
リナルディ伯爵家は代々『白魔術』の名家として知られており、クラーラの肩身は狭い。
残念なことに彼女には白魔術の適正がなかったのだ。
なまじ姉が貴重な白魔術の使い手なだけに、なおさら。
家庭内に彼女の居場所はなかった。
父はまともに口をきいてくれない。
口を開いたかと思えば、
『お前のような不出来な娘は生むんじゃなかった』
『姉を見習って少しは立派に働け』
『早く家から出て行ってくれないか』
……などなど、それはもう悲惨な言葉を浴びせられる。
白魔術の適正がなかったのだから仕方ない。
クラーラは割り切って両親の言葉は耳に入れていなかった。
「……あら、また土いじり?」
噂をすれば、白魔術に優れた姉がやってきた。
名をイザベラ・リナルディ。
煌びやかなブロンドの髪に碧色の瞳。
まさに理想の令嬢といった容姿をしている。
おそらくイザベラはクラーラを馬鹿にするために来たのだろう。
自分は姉のストレスのはけ口になっている。
「お姉様、これは土いじりではありません。魔物から命を守るための結界です。博識なお姉様ならわかると思いますが」
「ふーん……黒魔術なんて使い手はいくらでもいるのにね。雇うお金がもったいないからクラーラに結界を張ってもらってるけど、あなたがやる必要もないわ」
イザベラの言うとおりだ。
白魔術はきわめて使い手が少ないのに対し、黒魔術は人口が多い。
しかし、クラーラは魔術師の家系に生まれたということもあり、黒魔術師の中でも実力がずば抜けている自負はあった。
もっとも姉にそれを言ったところで何も聞き入れてもらえないのだが。
イザベラは話の腰を折ってネックレスを見せつけた。
「これ見てちょうだい? 懇意にしている殿方からもらったの! 大勢の方から好意を寄せられて困ってしまうわ!」
「あら、すばらしい。とてもよくお似合いで」
これ見よがしに服をひけらかすイザベラ。
自分の魔術師用のコートと比較すると、なんとも悲しくなるものだ……とクラーラは自嘲した。
両親が自分に金を注いでくれないのだから仕方ない。
ほとんど社交界にも出たことがないし、貴族らしい生活を送っていないのがクラーラだ。
こんな伯爵令嬢は異質だろう。
「それで……何のご用でしょうか?」
「はあ、本当につまんない奴ね。せっかく私がいい報せを持ってきてあげたのに」
いい報せ。
本当にそうだろうか?
生まれてこの方、いい思いをした経験なんてないが。
イザベラはクラーラの結界を踏みつけながら言った。
「クラーラ、嫁ぎなさい。あなたに相応しい婚約相手よ。お父様が呼んでいるわ。それじゃ、よろしくね」
そう言い捨ててイザベラは去って行く。
質問をする暇もなかった。
とにもかくにも、クラーラは困惑した心持で屋敷に向かった。
◇◇◇◇
「遅い! 人の時間をなんだと思っている!」
「……申し訳ございません」
扉を開いて早々に罵倒だ。
父……リナルディ伯爵ウンベルトの怒りには慣れている。
クラーラは当然のように罵声を受け入れ頭を下げた。
父は露骨に舌打ちをして机を叩く。
「チッ……まあいい、座れ」
「失礼いたします」
ウンベルトの向かいソファに座ったクラーラ。
居間への滞在を許されることすらほとんどないので、少し新鮮だ。
「イザベラから話は聞いているな。お前に婚約相手を用意した」
「……いったいどちら様ですか?」
「――ハルトリー辺境伯レナート様だ」
ハルトリー辺境伯。
その名を頭の中で反芻し、クラーラは首を傾げる。
たしか魔術の名門で、国からも重用されている家系だ。
ハルトリー辺境伯は若くして家を継いだ秀才で、国王陛下からの信頼も厚い。
領地での仕事が忙しく、辺境伯ということもあってか滅多に夜会には顔を出さないので、どういう人相なのかはわからないが……
「どうして私に婚約を……? ハルトリー伯と面識はありませんが」
「陛下はハルトリー辺境伯に、魔力の多い婚約者を探しているそうだ。ハルトリー家は魔術の名門で、子孫の魔力を多くするために魔術師の家系で構成されている。そこで白羽の矢が立ったのが、わがリナルディ家だ」
要するに王命での結婚ということか。
魔力の多い血筋を残すためには仕方ないと言える。
「陛下は仰せになった。リナルディ家の娘を婚約者にしてはどうか、と。わが家の娘といえば、もちろんイザベラのことを指しているのだろうが……あの子を評判の悪いハルトリー辺境伯なんぞにやるなんてとんでもない! 家格の高い令息たちからも愛されているのだからな。クラーラ、お前は黒魔術などという下らない玩具を使ってはいるが、リナルディの血筋だ。魔力量だけは無駄に多いだろう。イザベラの代わりにお前が嫁ぎなさい」
一方的に決められた婚約。
まともな交際もなしに取り付けられてしまった。
とはいえ、クラーラが異見したところで聞き入れられはしない。
しかし、これはチャンスなのでは?
何ひとつ令嬢らしい待遇を受けられぬリナルディ家よりも、嫁ぎ先のハルトリー家の方がマシな環境ではないだろうか。
これ以上、生活の質が悪くなるビジョンが見えなかった。
「……なるほど、厄介払いというわけですか。ついでにリナルディ家にもお金が入るなら、喜ばしい限りでございますね。ええ、本当によかった。準備を整えます」
「やれやれ。これで黒魔術師などという恥さらしが消えてくれるな。結界を張る者は新たに雇えばいい。ハルトリー家とお前が婚約を結べば、支援金が入ってくるからな」
「それでは、ごきげんよう。お父様」
やはり金目当てのようだ。
地位と金を目的として利用され、婚約を結ぶことは想定していた。
だからさほどショックもない。
とにかく、早くこの家を出て行きたかった。
クラーラ・リナルディは仕事を終えて一息ついた。
伯爵家の庭の隅に淡い光が灯る。
魔物を退ける結界を張るのが彼女の日課だった。
社交界ではあまり目立たぬ茶髪をなびかせ、菫色の瞳で入念に結界を確認する。
これに綻びがあっては領民に被害が出てしまう。
自分には人の命を守っているという自負があった。
クラーラが結界を補強するのは『黒魔術』と呼ばれる魔術。
リナルディ伯爵家は代々『白魔術』の名家として知られており、クラーラの肩身は狭い。
残念なことに彼女には白魔術の適正がなかったのだ。
なまじ姉が貴重な白魔術の使い手なだけに、なおさら。
家庭内に彼女の居場所はなかった。
父はまともに口をきいてくれない。
口を開いたかと思えば、
『お前のような不出来な娘は生むんじゃなかった』
『姉を見習って少しは立派に働け』
『早く家から出て行ってくれないか』
……などなど、それはもう悲惨な言葉を浴びせられる。
白魔術の適正がなかったのだから仕方ない。
クラーラは割り切って両親の言葉は耳に入れていなかった。
「……あら、また土いじり?」
噂をすれば、白魔術に優れた姉がやってきた。
名をイザベラ・リナルディ。
煌びやかなブロンドの髪に碧色の瞳。
まさに理想の令嬢といった容姿をしている。
おそらくイザベラはクラーラを馬鹿にするために来たのだろう。
自分は姉のストレスのはけ口になっている。
「お姉様、これは土いじりではありません。魔物から命を守るための結界です。博識なお姉様ならわかると思いますが」
「ふーん……黒魔術なんて使い手はいくらでもいるのにね。雇うお金がもったいないからクラーラに結界を張ってもらってるけど、あなたがやる必要もないわ」
イザベラの言うとおりだ。
白魔術はきわめて使い手が少ないのに対し、黒魔術は人口が多い。
しかし、クラーラは魔術師の家系に生まれたということもあり、黒魔術師の中でも実力がずば抜けている自負はあった。
もっとも姉にそれを言ったところで何も聞き入れてもらえないのだが。
イザベラは話の腰を折ってネックレスを見せつけた。
「これ見てちょうだい? 懇意にしている殿方からもらったの! 大勢の方から好意を寄せられて困ってしまうわ!」
「あら、すばらしい。とてもよくお似合いで」
これ見よがしに服をひけらかすイザベラ。
自分の魔術師用のコートと比較すると、なんとも悲しくなるものだ……とクラーラは自嘲した。
両親が自分に金を注いでくれないのだから仕方ない。
ほとんど社交界にも出たことがないし、貴族らしい生活を送っていないのがクラーラだ。
こんな伯爵令嬢は異質だろう。
「それで……何のご用でしょうか?」
「はあ、本当につまんない奴ね。せっかく私がいい報せを持ってきてあげたのに」
いい報せ。
本当にそうだろうか?
生まれてこの方、いい思いをした経験なんてないが。
イザベラはクラーラの結界を踏みつけながら言った。
「クラーラ、嫁ぎなさい。あなたに相応しい婚約相手よ。お父様が呼んでいるわ。それじゃ、よろしくね」
そう言い捨ててイザベラは去って行く。
質問をする暇もなかった。
とにもかくにも、クラーラは困惑した心持で屋敷に向かった。
◇◇◇◇
「遅い! 人の時間をなんだと思っている!」
「……申し訳ございません」
扉を開いて早々に罵倒だ。
父……リナルディ伯爵ウンベルトの怒りには慣れている。
クラーラは当然のように罵声を受け入れ頭を下げた。
父は露骨に舌打ちをして机を叩く。
「チッ……まあいい、座れ」
「失礼いたします」
ウンベルトの向かいソファに座ったクラーラ。
居間への滞在を許されることすらほとんどないので、少し新鮮だ。
「イザベラから話は聞いているな。お前に婚約相手を用意した」
「……いったいどちら様ですか?」
「――ハルトリー辺境伯レナート様だ」
ハルトリー辺境伯。
その名を頭の中で反芻し、クラーラは首を傾げる。
たしか魔術の名門で、国からも重用されている家系だ。
ハルトリー辺境伯は若くして家を継いだ秀才で、国王陛下からの信頼も厚い。
領地での仕事が忙しく、辺境伯ということもあってか滅多に夜会には顔を出さないので、どういう人相なのかはわからないが……
「どうして私に婚約を……? ハルトリー伯と面識はありませんが」
「陛下はハルトリー辺境伯に、魔力の多い婚約者を探しているそうだ。ハルトリー家は魔術の名門で、子孫の魔力を多くするために魔術師の家系で構成されている。そこで白羽の矢が立ったのが、わがリナルディ家だ」
要するに王命での結婚ということか。
魔力の多い血筋を残すためには仕方ないと言える。
「陛下は仰せになった。リナルディ家の娘を婚約者にしてはどうか、と。わが家の娘といえば、もちろんイザベラのことを指しているのだろうが……あの子を評判の悪いハルトリー辺境伯なんぞにやるなんてとんでもない! 家格の高い令息たちからも愛されているのだからな。クラーラ、お前は黒魔術などという下らない玩具を使ってはいるが、リナルディの血筋だ。魔力量だけは無駄に多いだろう。イザベラの代わりにお前が嫁ぎなさい」
一方的に決められた婚約。
まともな交際もなしに取り付けられてしまった。
とはいえ、クラーラが異見したところで聞き入れられはしない。
しかし、これはチャンスなのでは?
何ひとつ令嬢らしい待遇を受けられぬリナルディ家よりも、嫁ぎ先のハルトリー家の方がマシな環境ではないだろうか。
これ以上、生活の質が悪くなるビジョンが見えなかった。
「……なるほど、厄介払いというわけですか。ついでにリナルディ家にもお金が入るなら、喜ばしい限りでございますね。ええ、本当によかった。準備を整えます」
「やれやれ。これで黒魔術師などという恥さらしが消えてくれるな。結界を張る者は新たに雇えばいい。ハルトリー家とお前が婚約を結べば、支援金が入ってくるからな」
「それでは、ごきげんよう。お父様」
やはり金目当てのようだ。
地位と金を目的として利用され、婚約を結ぶことは想定していた。
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とにかく、早くこの家を出て行きたかった。
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