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ネシウス伯爵の陰謀
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リディオは逃げるように屋敷を出て行った。
ため息をつきながら彼を見送るトリスタンに、わたしは気後れしつつ尋ねた。
「……よかったの? リディオを野放しにして。いっそ貴族として活動できなくすれば、次の被害者になる令嬢たちもいなくなると思うのだけど」
「ああいう輩は追い込むと何をしでかすかわからない。完全に潰すよりも利用した方が、国全体のためにもなるだろう」
トリスタンの言も一理ある。
仮に爵位や継承権を剥奪すれば、リディオがどういう復讐に走るかわかったものではない。
それに平民に落としても、被害者が貴族から平民の女性になるだけだ。
「いちばん不憫なのはアレッシア嬢ね……あのリディオの婚約者だなんて」
「アレッシア嬢もアレッシア嬢で男遊びが激しいらしいがね。お似合いの婚約者だろう」
「あ、そうなの……」
同情して損した気分。
もうローティス家回りには関わらないようにしておこう。
トリスタンはせっせと大量の書類をまとめている。
無数のリディオの弱み……どうやって集めたのだろうか。
「よくそんなに証拠を集められたわね」
「過去に戻って以来、一年間にわたって集めていたからな。リディオに騙された令嬢が数多くいるぶん、被害の証拠は集めやすかった。彼の父君であるローティス伯は火消しに勤しんでいたようだが、騒ぎを起こしすぎて鎮火しきれなかったみたいだ」
わたしがもう少し社交界に詳しければ……と後悔する。
人の多い場所はあまり得意ではなくて、婚約破棄されるまでは夜会に出る機会はあまりなかったから。
「ところでリディオをどう利用するつもりなの?」
「喫緊の課題はネシウス伯爵に納得してもらうことだ。君が実家に当面帰らず、両親から厳しく言われないための策を施したい。いや、むしろネシウス伯爵の陰謀を暴いてやっても構わん。そこでリディオを利用しようと思うのだが……まずは君の気持ちを聞かなければな」
わたしの気持ち……?
そう言うと、トリスタンは立ち上がってまっすぐにわたしの目を見つめた。
「――君はどうしたい?」
漠然とした問いだった。
できるだけ返答の範囲を広げられるように、あえて抽象的な問いをしてくれたのだろう。
わたしの実家にまつわる事情、婚約の事情……諸々の課題をどうしたいか。
いまだに決めかねている。
けれど、もしもトリスタンが全面的に協力してくれるのなら……。
「……両親への恐怖、あるいは気後れ。それは婚約破棄された日から始まったものではないの」
「そうだったな。君は常々、ご両親と過ごしづらそうにしていた。婚約者として過ごしていた時代も薄々感じ取っていたよ」
「そうよね。お父様に叱られた日には、よく貴方がお屋敷に避難させてくれて……今の状況は昔を思い出させるわ。道具のように扱われて、いつも冷ややかな視線が向けられていることはわかっていた。大人に近づくにつれて、自分が婚約の道具でしかないと理解していったの」
「…………」
話しているだけでも惨めになってくる。
トリスタンは一瞬、わたしの方へ手を伸ばしかけたが……彼の手は引いてしまった。
きっと抱きしめようとしてくれたのだろう。
でも、今のわたしたちは婚約者ではないから触れられない。
「さっきトリスタンは『わたしにどうしたいか』と聞いてくれたわ。けれど、わたしは本音を吐くわけにはいかない」
「……いや、いい。今の言葉で君の心はわかった。これは私の独断であり、独り言なのだが……私はネシウス伯爵家とマリーズを切り離そうと思う」
「……!」
咄嗟に顔を上げた。
そう……きっとわたしは救いとして、実家からの逃避を望んでいる。
けれど逃げた先には何がある?
逃げ場がないから今まで躊躇していたのに。
「でも実家を失ったら……わたしはもう、どうしたらいいか……」
「言ったはずだ、君を幸せにすると。私の言葉に偽りはない。どうか私を信じ、委ねてほしい。一度失った信頼を取り戻すことの難しさはよくわかっている。それでも私はこの魂に誓って君を守ると……そう決めたんだ。実家と縁を切った後はここで暮らしてもらって構わない。他にしたいことがあるのなら、私が全面的に支援しよう」
熱のこもった言葉。
正直、今はもうトリスタンに対する疑いはない。
何度も未来の出来事が書かれた手記を読ませてもらい、内容に不審な点がないことも確認した。
それに、ここまでの彼の態度を見ていれば信じられる。
「……わかったわ。わたしにも貴方がどうするつもりなのか教えてくれる? 貴方はどうやってわたしと実家を切り離すつもりなの?」
「そうだな……君がネシウス伯爵家と決別する以上、これは話しておくべきか。本来は私だけで解決するべき問題だったのだが。マリーズ、君はネシウス伯爵家がどうして経済難に陥っているのか知っているか?」
「え……不作が続いたり、権力闘争で負けてお爺様の代から役職に就けなかったりと……色々な事情があるみたいだけど」
だから両親も婚約を急いでいるのだ。
婚約相手の実家からの資金援助、権力などを目当てにして。
「表向きはそうなっているな。しかしアイニコルグ家は、長きにわたってネシウス伯爵家に経済支援を行っていた。だが経済難が改善される様子はなく……ますます困窮していった」
トリスタンの言うとおり。
その結果、領地の治安は悪化して民への締め付けも厳しくなり……わたしはやるせなさを感じていた。
お父様に相談して領地経営を手伝おうともしたけれど、完全に拒否されていたのだ。
「では、どうして? どうしてわたしの家は困窮しているの?」
「それは――ネシウス伯爵家は、隣国に金を横流ししているからだ」
「――」
……思わず耳を疑った。
それは立派な反逆行為ではないか?
今まで両親からそんな話を聞いたことは一度もなかった……。
「驚いただろう。ネシウス伯爵家の陰謀が露呈したのは、今から三年後のことだからな。しかし未来から来た私は知っている。何代にもわたり、ネシウス伯爵家が帝国に金を横流しし、折を見て祖国を裏切ろうとしていることを。未来への投資……と形容するのは遠慮したいところだな」
たしかにネシウス伯爵領は帝国に接している。
わたしたちが住まう公国にとって最大の脅威。
そんな脅威に加担しているとなれば……露呈すれば確実に処断されるだろう。
「トリスタンは……わたしの実家を潰すつもり?」
「……そうだ。君のご両親と付き合いもあるぶん、いささか心苦しいが。国の腫瘍は取り除かねばならない。もちろんマリーズがやめてほしいのなら、別の手段を考える」
わたしの胸中に迷いはなかった。
血のつながり……それだけ。
それだけしか、わたしと両親の間に通ったものはない。
愛も情も、わたしに注がれることはなかったから。
「ううん、それが国の未来のためになるのなら。でも、わたしの屋敷にいる使用人や、領地にいる民は救ってほしい……そう思うわ」
「無論、そのつもりだ。ありがとう……マリーズ。やはり君は聡明で、誰かの幸福を願える人物なのだな。君の慈悲に感謝するよ」
「慈悲だなんて。わたしはただ逃げたいだけ。そんな立派なものではないわ」
「ふっ……そうか。ならば君の逃げた先に温かな未来が待っているよう、私も力を尽くそう
ため息をつきながら彼を見送るトリスタンに、わたしは気後れしつつ尋ねた。
「……よかったの? リディオを野放しにして。いっそ貴族として活動できなくすれば、次の被害者になる令嬢たちもいなくなると思うのだけど」
「ああいう輩は追い込むと何をしでかすかわからない。完全に潰すよりも利用した方が、国全体のためにもなるだろう」
トリスタンの言も一理ある。
仮に爵位や継承権を剥奪すれば、リディオがどういう復讐に走るかわかったものではない。
それに平民に落としても、被害者が貴族から平民の女性になるだけだ。
「いちばん不憫なのはアレッシア嬢ね……あのリディオの婚約者だなんて」
「アレッシア嬢もアレッシア嬢で男遊びが激しいらしいがね。お似合いの婚約者だろう」
「あ、そうなの……」
同情して損した気分。
もうローティス家回りには関わらないようにしておこう。
トリスタンはせっせと大量の書類をまとめている。
無数のリディオの弱み……どうやって集めたのだろうか。
「よくそんなに証拠を集められたわね」
「過去に戻って以来、一年間にわたって集めていたからな。リディオに騙された令嬢が数多くいるぶん、被害の証拠は集めやすかった。彼の父君であるローティス伯は火消しに勤しんでいたようだが、騒ぎを起こしすぎて鎮火しきれなかったみたいだ」
わたしがもう少し社交界に詳しければ……と後悔する。
人の多い場所はあまり得意ではなくて、婚約破棄されるまでは夜会に出る機会はあまりなかったから。
「ところでリディオをどう利用するつもりなの?」
「喫緊の課題はネシウス伯爵に納得してもらうことだ。君が実家に当面帰らず、両親から厳しく言われないための策を施したい。いや、むしろネシウス伯爵の陰謀を暴いてやっても構わん。そこでリディオを利用しようと思うのだが……まずは君の気持ちを聞かなければな」
わたしの気持ち……?
そう言うと、トリスタンは立ち上がってまっすぐにわたしの目を見つめた。
「――君はどうしたい?」
漠然とした問いだった。
できるだけ返答の範囲を広げられるように、あえて抽象的な問いをしてくれたのだろう。
わたしの実家にまつわる事情、婚約の事情……諸々の課題をどうしたいか。
いまだに決めかねている。
けれど、もしもトリスタンが全面的に協力してくれるのなら……。
「……両親への恐怖、あるいは気後れ。それは婚約破棄された日から始まったものではないの」
「そうだったな。君は常々、ご両親と過ごしづらそうにしていた。婚約者として過ごしていた時代も薄々感じ取っていたよ」
「そうよね。お父様に叱られた日には、よく貴方がお屋敷に避難させてくれて……今の状況は昔を思い出させるわ。道具のように扱われて、いつも冷ややかな視線が向けられていることはわかっていた。大人に近づくにつれて、自分が婚約の道具でしかないと理解していったの」
「…………」
話しているだけでも惨めになってくる。
トリスタンは一瞬、わたしの方へ手を伸ばしかけたが……彼の手は引いてしまった。
きっと抱きしめようとしてくれたのだろう。
でも、今のわたしたちは婚約者ではないから触れられない。
「さっきトリスタンは『わたしにどうしたいか』と聞いてくれたわ。けれど、わたしは本音を吐くわけにはいかない」
「……いや、いい。今の言葉で君の心はわかった。これは私の独断であり、独り言なのだが……私はネシウス伯爵家とマリーズを切り離そうと思う」
「……!」
咄嗟に顔を上げた。
そう……きっとわたしは救いとして、実家からの逃避を望んでいる。
けれど逃げた先には何がある?
逃げ場がないから今まで躊躇していたのに。
「でも実家を失ったら……わたしはもう、どうしたらいいか……」
「言ったはずだ、君を幸せにすると。私の言葉に偽りはない。どうか私を信じ、委ねてほしい。一度失った信頼を取り戻すことの難しさはよくわかっている。それでも私はこの魂に誓って君を守ると……そう決めたんだ。実家と縁を切った後はここで暮らしてもらって構わない。他にしたいことがあるのなら、私が全面的に支援しよう」
熱のこもった言葉。
正直、今はもうトリスタンに対する疑いはない。
何度も未来の出来事が書かれた手記を読ませてもらい、内容に不審な点がないことも確認した。
それに、ここまでの彼の態度を見ていれば信じられる。
「……わかったわ。わたしにも貴方がどうするつもりなのか教えてくれる? 貴方はどうやってわたしと実家を切り離すつもりなの?」
「そうだな……君がネシウス伯爵家と決別する以上、これは話しておくべきか。本来は私だけで解決するべき問題だったのだが。マリーズ、君はネシウス伯爵家がどうして経済難に陥っているのか知っているか?」
「え……不作が続いたり、権力闘争で負けてお爺様の代から役職に就けなかったりと……色々な事情があるみたいだけど」
だから両親も婚約を急いでいるのだ。
婚約相手の実家からの資金援助、権力などを目当てにして。
「表向きはそうなっているな。しかしアイニコルグ家は、長きにわたってネシウス伯爵家に経済支援を行っていた。だが経済難が改善される様子はなく……ますます困窮していった」
トリスタンの言うとおり。
その結果、領地の治安は悪化して民への締め付けも厳しくなり……わたしはやるせなさを感じていた。
お父様に相談して領地経営を手伝おうともしたけれど、完全に拒否されていたのだ。
「では、どうして? どうしてわたしの家は困窮しているの?」
「それは――ネシウス伯爵家は、隣国に金を横流ししているからだ」
「――」
……思わず耳を疑った。
それは立派な反逆行為ではないか?
今まで両親からそんな話を聞いたことは一度もなかった……。
「驚いただろう。ネシウス伯爵家の陰謀が露呈したのは、今から三年後のことだからな。しかし未来から来た私は知っている。何代にもわたり、ネシウス伯爵家が帝国に金を横流しし、折を見て祖国を裏切ろうとしていることを。未来への投資……と形容するのは遠慮したいところだな」
たしかにネシウス伯爵領は帝国に接している。
わたしたちが住まう公国にとって最大の脅威。
そんな脅威に加担しているとなれば……露呈すれば確実に処断されるだろう。
「トリスタンは……わたしの実家を潰すつもり?」
「……そうだ。君のご両親と付き合いもあるぶん、いささか心苦しいが。国の腫瘍は取り除かねばならない。もちろんマリーズがやめてほしいのなら、別の手段を考える」
わたしの胸中に迷いはなかった。
血のつながり……それだけ。
それだけしか、わたしと両親の間に通ったものはない。
愛も情も、わたしに注がれることはなかったから。
「ううん、それが国の未来のためになるのなら。でも、わたしの屋敷にいる使用人や、領地にいる民は救ってほしい……そう思うわ」
「無論、そのつもりだ。ありがとう……マリーズ。やはり君は聡明で、誰かの幸福を願える人物なのだな。君の慈悲に感謝するよ」
「慈悲だなんて。わたしはただ逃げたいだけ。そんな立派なものではないわ」
「ふっ……そうか。ならば君の逃げた先に温かな未来が待っているよう、私も力を尽くそう
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