異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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後日談

恋 2

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 本来は、主の許した上位の者同士しかつがいを得られないのが群れの獣人で、それを当然として生きてきましたから、私も今までこのような感情を抱くことはなかった。
 人の世で生きる、群れに属さない獣人はともかく、主がいると自覚している私がこのような感情を抱くことが許されたのは、レイシール様が獣人でも婚姻を結ぶことを推奨しているからで、貴女が私の命を繋ぎ止めてくれたからです。
 けれど、そんな獣人事情など、この方は当然知らぬことでしょうし、言っても仕方のないことと、そう思っていたのですが……。

「おかしいに決まってるだろ……。
 お前はもう、ボクのことなんて忘れてたってのに」

 また怒りを刺激されました。

 勝手に私の気持ちを無いものにされるのは心外でした。私の行動の何が、貴女をその結論に導いたと言うのです? そんな不誠実に行動したつもりはありません。
 そもそも、約束ひとつなく王都へと帰還されたのは貴女の方だ。私の気持ちを知っておいて、何も与えてはくれなかった……。
 けれど、所詮片恋でしかない私には、それをなじる権利すらないのです。だから……。

「忘れてなどおりませんよ。
 ただ私は、私の一方的な感情をあなたに押し付ける気は無かったというだけで……」
「はっ、言い訳なんていらないさ。
 お前とは別に、何か約束をしたわけでもなかったんだから……。
 それに……どう言ったところで今更だろ」

 そんな風に吐き捨ててから、ロレン様はふぅ……と、深く息を吐きました。

「……今更……か。
 そうだな、ほんと……。
 あー……ボクは帰ることにする」

 ……は?

「あんな風に相談しちゃって申し訳なかったな。
 あの人レイシールはお人好しだから、ボクをなんとかしてくれる気でいるみたいだけど……。
 元々そんなことお願いする義理もないんだから、帰ることにする」
「ちょっと待ってください⁉︎ なんでまた話が飛ぶんです?」
「飛んでない。今日まで考えてたことだ……。
 それで今、決心したってだけの話だ」

 なんで私と話してその決心を固めるのです⁉︎
 それほどまで私が嫌だと⁉︎

「戻ってどうするのです、近衛を辞すのですか⁉︎」
「どうにもならなきゃそうなるけど、まぁ自分でやれることはやる……。
 ていうか、どうだろうとお前には関係ないだろ」

 関係ない……と。
 決定事項としてそう言い捨てられたことが、私の我慢の限界でした。
 全身の毛が逆立つような怒りの激流。普段ならそれに身を任せはしないのに、この時は制御しようという意識すら働かず、無意識のうちに身体は動いておりました。
 杖を手放した左手を、ロレン様に伸ばし、右肩口を掴み、そのまま全身で離れの壁に押さえ付けますと、意表を突かれたロレン様は、背中と後頭部を壁にぶつけ、小さく「いづっ⁉︎」と、呻きます。
 その隙に、上腕のみの右腕を彼女の首へ。喉元を腕先で押さえつけると、気道を圧迫されたロレン様がむせて、いくつか空咳を零しました。
 体格で負けて吊し上げられないのが非常に残念です。

「ゲホッ……っ、なにす……っ⁉︎」

 そのまま、怒りに任せて食ってかかろうとしたロレン様でしたが。
 私の顔を見て、身を固めました。
 おおかた、私を本気で怒らせる言葉を吐いた自覚が無かったのでしょう。
 それほどまでに私は意識されていない。

「貴女にとって私は、それほど価値の無い存在なのか……」

 怒りに声が震えていました。
 涙を溢すほどに嫌な相手に娶られることを、拒否する手段としてすら、利用しようと思わないほどに。
 それは私が獣人だからですか? このように不自由な身体だからですか? 貴女を守る手段を、私は持たないと……役立たずだということですか。
 そう問いたかったけれど、何故かそれらは言葉にすることができず、喉の奥に引っかかって出てきません。
 その代わりに、どういうわけが口から滑り出たのは……。

「貴女の望みが全て叶う手段を、私は持っているのに」

 そう言うと、ロレン様は、ギクリと身を強張らせたのです……。
 その表情がまた、私の感情を逆撫でしました。
 この方もそれを承知している。自覚すらしていた。なのに、それを選ぶつもりは無かった!
 じゃあなんでこんなところまで来た、なんのために俺の前にまた、現れたんだ!

「その気もないのに……っ、なんでまた俺の前に立った。
 こんな田舎くんだりまで来る必要もなかったろ。簡単に退けられた……。
 たった一回、適当な相手を選んで女になってりゃ良かっただろ‼︎」

 言った直後に最悪の気分になりました。

 それはこの人が、自分の魂を売るに等しいこと。今までの人生全てを否定する行為であると、私は知っていましたから。

 口づけの経験など無く、女性扱いされることにも全く慣れていなかった。
 男のように振る舞い、一人で生きていく決心を固めていた。
 そんな方に私は、なんという侮辱を叩きつけたのでしょう。
 意に沿わぬ結婚を退けるために、誰かと身を重ねろなどと……!

 レイシール様だって、当然その手段があることは理解されていたでしょう。
 けれど微塵もそれを、匂わせなかった。選択肢に含ませなかった。
 なのに私は…………。

「…………撤回します。
 それは貴女を救う手段ではありませんね……殺す方法でした。
 忘れていただけますか。
 どうか、忘れてください。
 本心からの言葉ではないんです。こんなこと、本当は言うつもりではなかった……」

 言ってしまった後では、そんな言葉、当然信用などされないでしょうけれど。

「言いたかったことはこれじゃない。
 ただ私は……貴女の視界の中に自分がいないことが、腹立たしかったのです……」

 貴女がここに来た理由を求めた。私に会いに来たのだと、そう思いたかっただけです。

 ロレン様から手を離し、杖がなければ一歩すら踏み出せない己の身体を離れの壁に預けました。
 これでは役立たずと思われても仕方がありませんでしたね。実際私は、転がした杖ひとつ自分で拾うのに難儀する身です。

「どうぞ先に戻ってください……。私は少し頭を冷やしていくので、お気になさらず」

 最悪の言葉で侮辱したのですから、貴方に気遣ってもらう資格などない。
 けれど、故郷に帰ると言ったあの言葉だけは撤回させなくては。レイシール様なら、きっとこの方を守る良い方法を探してくださるはず。
 この方が自分を殺さず、希望を捨てない未来を、見つけてくださるはず。
 そんな風に考えていましたら、胸ぐらを掴まれました。
 勿論、ロレン様にです。

「…………っ」

 何かを押し殺した表情で、ロレン様は私を睨み付けておりました。
 薄く化粧っ気のない唇を戦慄かせ、襟元を握る手も、少し震えているようでした。
 暫く、そのまま私を睨みつけておりましたが……。

「そんなの、当たり前だろ……」

 絞り出されたその言葉に、心臓を貫かれた心地でした。
 やはり私という存在は、この方の中でちりも同然なのだと……。
 しかし。

「ボクはあんたに何を言う権利も無い。分かってるさ!
 なんの約束もしてなかった。手紙ひとつしたためなかった。
 一年近く、ほったらかしてたんだから、あんたが既にボクを見限って次を選んでたって、文句なんか言えるわけがない!」

 …………?
 選ぶとは……。
 これは、家を買っていたことに腹を立てられているのでしょうか? いやまさかそんなはずもありませんよね……。

「こんなとこまで来た自分が馬鹿だったってだけの話だ。
 あんたの言葉に縋った自分がほんと、馬鹿みたいだよ……。
 だけどボクにだって、矜持はある。あんたの気持ちが残っていようがいまいが……奥さん悲しませるようなこと、させられるはずないだろうが馬鹿野郎‼︎」

 ……ちょっと待ちましょう。

「奥さんって誰です」
「はぁ⁉︎」
「待ってください、本当に。全く身に覚えがありません。誰をそう思ってらっしゃるんです?」

 呆然と思うままを聞き返しましたら、ロレン様もぽかんと口を開いて暫く固まっておられました。
 しかし、また沸々と怒りが湧いてきたようで……。

「旦那様って呼ばれててしらばっくれるとか、お前っ、人として最低だぞ⁉︎」
「コレットですか⁉︎ いえ。それは雇用契約上の呼ばれ方でしかありません」
「フザケンナっ、本気で殴るぞこの野郎!」
「確かにあの方は人妻ですが、私の妻ではありません」
「んな言い訳いらないんだよ!」
「誤解です。本当に……コレットは家の掃除に雇いました。確かに彼女は私を旦那様と呼んでいましたが……それは使用人の立場であったからです。
 コレットの夫は私ではありません。彼女との契約は先ほど終わりましたし、全て誤解です」
「……でも彼女は……お内儀って言った時……」
「お内儀には違いありませんよ、私の妻ではないというだけで……」

 混乱の渦中で翻弄されているような、疑問符だらけの表情で私を見るロレン様……。
 襟元を握る手に、己の左手を添えて、私はもう一度、誤解ですと続けました。

「レイシール様に誓って、嘘は申しておりません。そもそも私は獣人で、そうそう誰かに懸想などしないのです」

 貴女が特別なのだと、何度も伝えたはずです……。

 そう言いながら、彼女の言葉がぐるぐると頭の中を引っ掻き回しておりました。
 何か、凄いことを言われた気がします。
 いや、誤解かもしれませんし、今一度確認すべきでしょうか。

「ではあの……それでは、私を求めてくださったのだと、そう受け取って良いのですか。
 そのために、この地へいらっしゃったと?」
「…………」
「答えてください。誤解ならば誤解だと言っていただけませんと、私は自分に都合良く解釈しますよ」

 そう言いつつ身を乗り出して、返答の前にロレン様の唇を塞いでしまったのは、堪えられなかったのと、否定の言葉を聞きたくなかったからです。

 胸ぐらを掴んでいたロレン様の手が私を離す前に、左腕を彼女の首に絡め、逃れられないよう強引に引き寄せました。
 一年ぶりの、彼女の味。
 けれど忘れようもなかったもの。
 あれは、今までの私の人生でたった一度きり、自ら求めた行為でした。

 唇をみ、舌を絡め、何度も擦り合わせて歯列や上顎をなぞると、苦しそうな小さな声が溢れます。
 性急すぎたかと思い身を離そうとすると、追いかけてきた舌が更に絡み付いてきましたから、もう肯定だと受け取ることにしました。
 逃げないならばと、左手を離し、手探りで離れの扉の取っ手を探し、開き、唇を触れ合わせたまま……。

「中に入りましょう」

 せっかくの決意を無碍にする気はありませんでしたし、寒空の下でやることでもありませんでしたから……。
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