異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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後日談

獣の鎖 14

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「そんなこったろうと思ってたよ……」

 入っていたものをぶちまけながら、床に転がる食器の音。
 盆をおさえるのではなく払い落としたロレン様は、小刀を掴んだ私の左手を、それよりも素早く掴み、敷布に押さえつけて、皮肉げに口角を持ち上げ笑いました。

 私はというと、小刀を掠め盗っていたことをとっくに気付かれていたことと、女性の腕力にすら抗えないほどに衰えてしまっていた、己の非力さに愕然とし……。
 誰一人として道連れにできない、無能な身に絶望しておりました。
 本当に私はもう、彼の方のために何もできないのだと、そう、現実を突きつけられて……。

 こんな役立たず、居なくて良いのだ。

 だのに。
 予想外も甚だしいことに、何故かそのまま抱きすくめられてしまったのです。
 おかげで状況の理解が頭を上滑りし、どうすれば良いのかが分からず硬直するしかありませんでした。
 戦いにおいて、相手の意表を突くのは当然の戦法で、私はそれを常套手段としてきたわけですが、される側になることはあまり無く、その効果は確かにあるのだと実感しました。
 そんなことを漠然と思考していた私の耳に、ロレン様の声がーー。

「自暴自棄になっちゃ駄目だ……せっかく助かった命だろ!」

 その声が、思いの外重く、震えていました。
 押し付けられた胸元からも、ささやかな柔らかさと、それを掻き消すほどに速い鼓動が響いています。
 私を簡単に取り押さえておいて、何をそんなに、動揺しているというのでしょう?
 呆然とそのように考えておりました私に、ロレン様は更なる言葉を重ねました。

「今は何をするのも苦しいんだろうって、分かってるけど……。
 とりあえず、考えたって仕方ないことには目を瞑ってしまえ。今はとにかく、体力を取り戻すことだけ考えろ。
 春が来たってな……旅に耐えられる身体を作らなきゃ、貴方はずっと寝台の上なんだぞ」
「…………旅?」

 何故旅……?
 疑問をそのまま音にした私に、ロレン様は力強い声で言ったのです。

「春になったら、レイシール様を探しに行こう。そのために貴方は、少しでも動けるようになるべきだ」

 その言葉で、彼女の挙動が怪しかったのは、未だレイシール様が消息不明であるからだと、理解しました。
 それはつまり、神殿にはまだ捉えられていないということ。でも……生死も、定かではないということです。
 けれどそれが重要なのではなく…………旅? 行こう? は?
 私は餌として、ここに捕らえられているのでしょう?

「死なせないから。貴方もあの人も、サヤさんも」

 言い聞かせるようにそう言い、更に腕に、力を込めるロレン様……。

「だから、ヤケを起こすな。
 耐えろ。貴方の主は、ちゃんと貴方が生きてること、喜んでくれる人だよ。
 ボクは見てきた。あの人が残した遺書を……。貴方のことが書いてあったんだ。大切なんだって、記してあった。
 あの人は、裏切らない。貴方たち獣人のために、誓約まで捧げた人だ。
 貴方がどんなになってたって絶対……生きていたことを、喜んでくれる」

 そう、言われ……。

「違います。
 そんなことは分かっています」

 分かっているからこそ私は、あの方の役に立つ存在でありたかった。彼の方の優しさに甘えたくなかった。
 私は自分が彼の方にとって、手の不自由を補って余りあるくらい、価値のある存在でありたかったのです。
 獣人という身で、彼の方を害した身で、それでも彼の方のお傍に在るために身につけたもの。その全てを失ってしまった。
 あれは人ではない私が、あの方のお傍にいるために、必死で手に入れた理由でしたのに。

「真面目だなぁ。そんなの、あの人は気にしてないよ。
 生きてるだけで、充分だろ。
 また会える。触れられる。語り合える……それがどれだけ救いか、貴方は知るべきだよ」

 洗うことができないベトつく髪を、ロレン様の手がき、私の額に唇がつきそうな距離で囁く言葉。
 それがレイシール様に頂いた言葉と同じくらい、身に染みてきてしまい、戸惑いがより強まりました。
 どう否定しようと、この方はもう、私の心に巣食っている……。それはどうやら覆せないことのよう。
 しかし、つい先程小刀を突き立てようとした相手を、こうも簡単に胸に抱くなど……。

 ……この方は、私に命を狙われた自覚があるのでしょうか?

 こんなに無防備に私に触れて……。色々なことを失念しているとしか思えない。

「……私は獣人ですよ」

 まずそれを忘れています。
 そう思ったから指摘したのですが。

「……あのさぁ、貴方の主は、獣人も人だってことを世に訴えるために戦ってんのに……貴方がそれをそうやって卑下してちゃ、立つせなくない?」

 呆れ声でそう言われ、またもや返す言葉がありませんでした……。

「あとさ、貴方は相手を吟味するのにいちいち刺しにかかるの、やめな。
 前例があって、小刀が紛失して、自暴自棄……まるで昔をなぞらえるみたいで、わざと察してもらおうとしてるのかと思った」

 そう言われ、驚きに身が固まりました。
 まるで自覚しておりませんでしたし、ロレン様が私のあの話をきちんと覚えていたことに動揺したのです。
 何故ならあの時の私は……私はこの方を、女性として意識していた。

 彼女に抱いていた感情を思い出してしまいました。
 途端に今の状況がいけないことをも理解しました。触れすぎです!
 身をもぎ離そうとしたのですが、今の私には、彼女に抗う筋力すら足りません。

 私の抵抗などものともせず、ロレン様は嫌がらせかというほど強く、私を抱きしめています。
 逃れようと躍起になる私を逃さぬまま、彼女は更に言葉を連ねました。

「それに……心配しなくてもボクは……別に貴方の主になろうなんて思ってないし、貴方に命令したいとも思ってない。
 貴方を助けたのはボクじゃなくて、医師の先生だし、恩も何も、ボクに感じる必要なんて無い……」

 その言葉に反発を覚えてしまったのは、何故なのでしょう……。
 その声がどこか、寂しげに聞こえてしまったのも……。

「まぁ強いて言うなら、レイシール様を誤解して酷く接していた分の謝罪だと思ってくれたらいいさ」

 良い気分じゃなかったろ……。と、ロレン様はおっしゃいました。
 ……いえ、良い気分ではございませんでしたが……そうなる理由も分かっておりましたし……。

 彼の方がいちいち女性の反感を買うのは今更のことで、それが世の男性にあるまじき彼の方の価値観と行動が招くことだと理解しておりましたから、仕方がないことと思っておりました。
 胡散臭く見えるのですよね……。
 同じことをしていても、ギルは堂々としているのですが、レイシール様はどこか自信なさげで、卑屈さが滲み出ていると申しましょうか……。
 私どもには、それが彼の方の、自分を徹底的に下に見る性質が招く態度であると理解できているのですが、世間一般からすれば、彼の方は恵まれている部類の人として扱われます。
 そんな方が、まるで伺うように下手したてに出てくるのは、何を企んでいるのだろう……と、疑いたくなるものに見えるのでしょう。

 そう告げると、ロレン様は吹き出しました。
 ひきつけを起こしているのではというほどに笑って笑って、涙すら滲ませるのです。

「おまっ、それ、命賭けるほど傾倒けいとうした主に言うこと? 辛辣すぎじゃん?」
「客観的な意見だと思うのですが……」
「客観的って! あの人庇って然るべき立場だろ⁉︎」

 ひーひーと、息を詰まらせ笑い、震えている彼女。
 油断するのも大概にした方が良いのでは? ふとそう思いました。
 そんなに無防備では、私のような格下の存在にだって足元を掬われますよ。
 さっきまでは随分と凛々しかったのですが……これではただの小娘です。隙だらけだ。と、そう思いましたら、つい……身体が動いていました。
 私よりずっと幼い……四つも年下の女性ですが、笑い転げていると、それより更に幼く感じます。
 そのような相手に手玉に取られてしまいましたし……きっと私は、やられっぱなしであることが癪に触ったのでしょう。

「ひひ……ふぁっ⁉︎」
「……」

 体格でも負けておりますし、少々では競り勝てません。なので思い切り体重を掛けて寝台に組み敷き、右肩と左腕を使って身体を押さえ込みました。
 開いていた唇に、私を容易に侵入させた彼女は、瞳を目一杯に見開き、自身に降りかかっていることが理解できないというように私を見ていますから、私も瞳を逸らしませんでした。
 左手の指を、彼女の右手の指に絡めて握り、抵抗が無いのでとりあえず、思う存分舌を這わせ、絡めて愛でると、次第に手が震え出します。
 やはり、こういったことにも慣れてらっしゃらない……無論、私もなのですが、成る程。
 上顎の裏を舌で撫でると、くぐもった声。掠れたそれが、とても嗜虐心をくすぐりました。
 男性とかわらぬほどに恵まれた体躯をしておられますが、指は意外と細く、手も男ほど、筋張ってはいないのですね。
 握る手の感触を確認するため指をさするように動かすと、また上擦った声が溢れます。
 そのような反応が私を揺さぶると、理解していないのでしょうか。

 私も学舎でレイシール様の補佐をしておりました都合上、この手の講義も耳にしておりますので、知識だけは得ております。なので、彼女が今どんな感覚に溺れているかは、分かっていました。
 次第に潤み、蕩けてしまった表情を晒し、必死に現実を理解しようと頭を悩ませながらも空回り、翻弄されているそのさまは実に実物みものです。

 こうしてみると、案外可愛らしいものなのだな。
 やはり男とは思えそうもない。

 名残惜しかったのですが、あまりにやりすぎるのもと思い唇を離しますと、上気して朱に染まったかんばせが、脱力したまま私を見上げていました。
 唾液に濡れた唇の端から、溢れたものが伝っており、もう一度顔を近付けて舐め取りましたが、彼女は無防備なままです。

「隙を見せるのが悪いですよ」

 だから私などに、つけいられる。

「………………?」
「まだお分かりになってない? 貴女があまりに隙だらけですから、そこを突かれたのだと言っています。
 これからも、機会があれば私はそうしてしまいそうなので、その気が無いならお気をつけください」

 気付けば動いておりますし、食らいつけば離れ難いので、私では抵抗できない可能性が高いです。

 そう言うと、更にロレン様は困惑した表情に。
 どうやらまだ伝わってらっしゃらない……。

「私は貴女に懸想していると言っているのですが。
 ……いつまでもそうしていると、また襲いますよ」

 すると慌てて跳ね起きたロレン様。
 真っ赤な顔のまま、自分の口を右手で覆いました。
 それでもまだ、逃げずにいるものですから……。

「もう一度したいですか?」

 そう問うと、飛び上がって寝台から転がり落ち、小屋を駆け出していってしまいました。
 あとに残されたのは、私と……。

 ……小刀、回収しないで良かったのでしょうか。
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