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後日談
獣の鎖 9
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私は自由というものを、知りませんでした。
いえ、自由ではあったのです。けれどそれは、私が得たものではなく、結果的に有るものでした。
だから咄嗟に分からなかったのです。
存在の価値が無いせいで、有った自由。それをまた得ることの意味が。
黙ってしまった私の耳に、隣からの深い溜息。見ると先程の男が、そんなことだろうと思ったよ……と、諦め混じりに、首を掻いていました。
私の視線に気付いたのか、男は困ったように眉を寄せながらもーー。
「だから、お前はお咎め無し……ってことだよ。
お前を役人に突き出すこともしないし、手や腹のことも罪に問わない。好きなところに行って良いってことだ。
けどレイ……自由っつってもな、こいつ孤児なんだから……このままじゃ浮浪児に戻るだけだぜ」
「あ、そっか」
その指摘に、ようやっと気付いたという顔になった天使は、どうしようかなと首を傾げました。
「浮浪児に戻すのは……また、ひどい目に遭うかもしれないし……」
「だろ? だからまぁ……当面、うちで使って、何かしら身に付けさせてから、自立させるってことで手討ちだな……」
もうすぐ夏の長期休暇だし、丁度良いだろ。と、男は言いました。
二人の話すことの意味がよく分からず、黙っているしかない私は、二人を見比べることしかできません。
男の言葉に天使は、痛みなど忘れてしまったかのような、極上の微笑を浮かべてみせ。
「本当⁉︎ ギル、良いの?」
「良いも何もねぇよ、それ以外の選択肢ねぇじゃん……ったく、兄貴説得すんのもどうせ俺なんだよなぁ」
嫌そうな素振りを見せつつも、頬を赤らめて、満更でもないという風に、ぶちぶちと言い訳みたいな文句を並べます。
内心は……きっと私を快く思っていないでしょうに……傷のことで神を恨むほどに心を乱していたのに、それを天使には見せませんでした。
「僕も一緒にお願いするから」
「あったりまえだろ、お前がこいつ拾って来たんだぞ。
そんで、どうする? こいつ小せぇし……年もお前と同じくらいだろ。となるとまだ、体力的にもあんま使えねぇだろうし……当然読み書き出来ねぇよなぁ」
「おそうじ……とかは?」
「そういう雑事じゃなくてだな……仕事を教えてやらねぇと。誰でもできるようなことじゃ、食いっぱぐれるだろ」
そんな風に話が進む中も私は、まだ言われた言葉が理解できておりませんでした。
私は天使を補おうと思ったのです。この方を死なせないために、私が、手の代わりになろうと。
けれどそれは許されず、自由にせよと言われました。それはまた捨てられたということなのか……けれどこの二人は、私の使い道についての話をしています。
戸惑っていたところ「失礼致します」と、別の声が話を遮りました。
ずっと部屋の隅にいた、天使を抱え上げて運んだ大人の男でした。
「ギル様、当人を交えずその話を進めるのは、些か本末転倒かと……」
静かな口調でそう言い、凪いだ瞳で私を見ます。
「事情が分からず、混乱の末にレイシール様を害したことを考えますと、この者は自らのことを勝手に他に左右されることが、不安に繋がるのではございませんか?」
指摘に二人の視線が、私の方に向きました。
その視線はどう見ても、私に対する警戒心が無さすぎるもので……。
「あぁ……、んー……。
えっとなハイン……今話してんのは、お前がこの先、ちゃんと金稼いで食っていけるようにするってやつなんだけど」
更に意味が分かりませんでした。
そう呼んで良いとは言ったものの、当たり前のように名を名として呼ばれたことにも、心臓が跳ねました。
なにより、金を稼ぐ、食っていく? 私は孤児だというのに、何を言っているのかと。
「嘘。意味分かんねぇ?
えっとなぁ……だから、お前をもう孤児に戻したくねぇんだって。
だからお前に覚えさせる仕事は何が良いかって話をだな……。
あー……お前、何か得意なことってある? もしくはやりたいことでも良い。
とりあえずはなんでも良いから、言ってみろよ」
得意は分かりませんでした。獣人であるため人より有利であることは多々ございましたが、それとて獣人の中では秀でているとはいえず、得意というものではなかったのです。
ですが、やりたいことはございました。
「手の代わりをさせてくれ」
「は?」
聞き返されたことで、それは望んではいけないことなのかと怯えました。
けれど、この男はなんでも良いと……言えと言ったのです。
もう一度、床に頭を打ち付け、身を伏せました。私が信用ならないのかもしれないと、そう思いましたから。
「手の代わりをしたい。もう、傷付けないと誓う。命を救われたのだから、命で返す」
あのまま路地に転がっていれば、私は遠からず死んでいたでしょう。
この方を刺した時も、殺されて当然だった。
二つも命を救われているのです。なのに私は、この方の命を脅かした。
命で償わなければ、償えないことです。命三つ分を私は、この方に与えられている。
何より離れ難かった。彼は私が人生で初めて触れた、慈しみという、愛でした。
しかし我が主と定めた人は、それを頑なに拒みます。
「そんなことはしなくても良いんだよ。僕は別にーー」
やはり私はもう、お傍には……。
沈みかけた気持ちに、また先程の大人が手を差し伸べてくださいました。
「レイシール様、こうされては如何でしょうか。
彼は、長期休暇の間、貴方様の身の回りを世話するよう、私が仕込みます。その間に、今後の身の振り方を考えさせましょう。
レイシール様におかれましても、傷が癒えるまでは色々と不自由でしょうから、補佐は必要かと。
今まで通り、店の者に任せても良いのですが、店の者には店の仕事もありますので、彼がやってくれるならば、こちらも助かります」
男の言葉に、天使は少し考える素振りを見せましたが、長期休暇の間ならばと思ったのか「はい」と、答えました。
その返事を受けて男はもう一度、私に向き直りーー。
「ではハイン。
レイシール様は、あなたに自由にせよと申しました。
これは、あなたがあなたの気持ちを優先しても良いという意味なのは、理解してますね?
そしてあなたは、レイシール様の手を補いたいと申しました。
それが、あなたの得たい自由であることに、間違いはございませんね?」
噛んで含めるように、言葉が紡がれました。
そうして頷いた私の手を、大きな手が包み込みます。
「では、あなたがあなたの望む者になれるよう、私があなたを指導致します、私の名はワドル。本日よりよろしくお願いいたします。
ですが、無理だと思ったならば、お言いなさい。いつでも辞めて結構です。
何せあなたは自由なのです。やりたいことを学べば良い身ですから」
念押しされ、表情が強張るのを見咎められたのでしょう。少し打ち合わせをしますと、一度部屋を連れ出されました。
そして廊下の隅で、私に告げられたことは。
「あのような言い方をして、申し訳なかったですね。
けれど、レイシール様のお心のご負担を減らすために、あれは必要なことだったのです」
もう一度、私の手を取りワドルは、凪いでいるけれど、優しい瞳で私を見ました。
「これからあなたがお仕えするレイシール様は、何かを得るということをなさらない方です。
ですから、あなたをご自分から傍に置くとは、絶対に仰らないでしょう。
でもそれは……あなたが大切だからです。
あなたを奪われ、壊されることのないよう、彼の方はあなたを遠去ける。
あの方は、今まで、何もかもを奪われ、壊され、それに心を痛めてきた方なのです」
傷ましそうに、眉を寄せて。
まだ子供で、なにより彼の方を一度傷つけた私に対し、彼は丁寧に、話してくださいました。
「だからあなたは、彼の方の言葉の表面ではなく、心を見つめられるようにならなければなりません。
彼の方の言葉のままを、その通りにこなすのは、あなたも彼の方も、傷付け孤独にすることですから。
難しいことだと思います……。でもどうか、彼の方の心を、掬えるようになってください」
いえ、自由ではあったのです。けれどそれは、私が得たものではなく、結果的に有るものでした。
だから咄嗟に分からなかったのです。
存在の価値が無いせいで、有った自由。それをまた得ることの意味が。
黙ってしまった私の耳に、隣からの深い溜息。見ると先程の男が、そんなことだろうと思ったよ……と、諦め混じりに、首を掻いていました。
私の視線に気付いたのか、男は困ったように眉を寄せながらもーー。
「だから、お前はお咎め無し……ってことだよ。
お前を役人に突き出すこともしないし、手や腹のことも罪に問わない。好きなところに行って良いってことだ。
けどレイ……自由っつってもな、こいつ孤児なんだから……このままじゃ浮浪児に戻るだけだぜ」
「あ、そっか」
その指摘に、ようやっと気付いたという顔になった天使は、どうしようかなと首を傾げました。
「浮浪児に戻すのは……また、ひどい目に遭うかもしれないし……」
「だろ? だからまぁ……当面、うちで使って、何かしら身に付けさせてから、自立させるってことで手討ちだな……」
もうすぐ夏の長期休暇だし、丁度良いだろ。と、男は言いました。
二人の話すことの意味がよく分からず、黙っているしかない私は、二人を見比べることしかできません。
男の言葉に天使は、痛みなど忘れてしまったかのような、極上の微笑を浮かべてみせ。
「本当⁉︎ ギル、良いの?」
「良いも何もねぇよ、それ以外の選択肢ねぇじゃん……ったく、兄貴説得すんのもどうせ俺なんだよなぁ」
嫌そうな素振りを見せつつも、頬を赤らめて、満更でもないという風に、ぶちぶちと言い訳みたいな文句を並べます。
内心は……きっと私を快く思っていないでしょうに……傷のことで神を恨むほどに心を乱していたのに、それを天使には見せませんでした。
「僕も一緒にお願いするから」
「あったりまえだろ、お前がこいつ拾って来たんだぞ。
そんで、どうする? こいつ小せぇし……年もお前と同じくらいだろ。となるとまだ、体力的にもあんま使えねぇだろうし……当然読み書き出来ねぇよなぁ」
「おそうじ……とかは?」
「そういう雑事じゃなくてだな……仕事を教えてやらねぇと。誰でもできるようなことじゃ、食いっぱぐれるだろ」
そんな風に話が進む中も私は、まだ言われた言葉が理解できておりませんでした。
私は天使を補おうと思ったのです。この方を死なせないために、私が、手の代わりになろうと。
けれどそれは許されず、自由にせよと言われました。それはまた捨てられたということなのか……けれどこの二人は、私の使い道についての話をしています。
戸惑っていたところ「失礼致します」と、別の声が話を遮りました。
ずっと部屋の隅にいた、天使を抱え上げて運んだ大人の男でした。
「ギル様、当人を交えずその話を進めるのは、些か本末転倒かと……」
静かな口調でそう言い、凪いだ瞳で私を見ます。
「事情が分からず、混乱の末にレイシール様を害したことを考えますと、この者は自らのことを勝手に他に左右されることが、不安に繋がるのではございませんか?」
指摘に二人の視線が、私の方に向きました。
その視線はどう見ても、私に対する警戒心が無さすぎるもので……。
「あぁ……、んー……。
えっとなハイン……今話してんのは、お前がこの先、ちゃんと金稼いで食っていけるようにするってやつなんだけど」
更に意味が分かりませんでした。
そう呼んで良いとは言ったものの、当たり前のように名を名として呼ばれたことにも、心臓が跳ねました。
なにより、金を稼ぐ、食っていく? 私は孤児だというのに、何を言っているのかと。
「嘘。意味分かんねぇ?
えっとなぁ……だから、お前をもう孤児に戻したくねぇんだって。
だからお前に覚えさせる仕事は何が良いかって話をだな……。
あー……お前、何か得意なことってある? もしくはやりたいことでも良い。
とりあえずはなんでも良いから、言ってみろよ」
得意は分かりませんでした。獣人であるため人より有利であることは多々ございましたが、それとて獣人の中では秀でているとはいえず、得意というものではなかったのです。
ですが、やりたいことはございました。
「手の代わりをさせてくれ」
「は?」
聞き返されたことで、それは望んではいけないことなのかと怯えました。
けれど、この男はなんでも良いと……言えと言ったのです。
もう一度、床に頭を打ち付け、身を伏せました。私が信用ならないのかもしれないと、そう思いましたから。
「手の代わりをしたい。もう、傷付けないと誓う。命を救われたのだから、命で返す」
あのまま路地に転がっていれば、私は遠からず死んでいたでしょう。
この方を刺した時も、殺されて当然だった。
二つも命を救われているのです。なのに私は、この方の命を脅かした。
命で償わなければ、償えないことです。命三つ分を私は、この方に与えられている。
何より離れ難かった。彼は私が人生で初めて触れた、慈しみという、愛でした。
しかし我が主と定めた人は、それを頑なに拒みます。
「そんなことはしなくても良いんだよ。僕は別にーー」
やはり私はもう、お傍には……。
沈みかけた気持ちに、また先程の大人が手を差し伸べてくださいました。
「レイシール様、こうされては如何でしょうか。
彼は、長期休暇の間、貴方様の身の回りを世話するよう、私が仕込みます。その間に、今後の身の振り方を考えさせましょう。
レイシール様におかれましても、傷が癒えるまでは色々と不自由でしょうから、補佐は必要かと。
今まで通り、店の者に任せても良いのですが、店の者には店の仕事もありますので、彼がやってくれるならば、こちらも助かります」
男の言葉に、天使は少し考える素振りを見せましたが、長期休暇の間ならばと思ったのか「はい」と、答えました。
その返事を受けて男はもう一度、私に向き直りーー。
「ではハイン。
レイシール様は、あなたに自由にせよと申しました。
これは、あなたがあなたの気持ちを優先しても良いという意味なのは、理解してますね?
そしてあなたは、レイシール様の手を補いたいと申しました。
それが、あなたの得たい自由であることに、間違いはございませんね?」
噛んで含めるように、言葉が紡がれました。
そうして頷いた私の手を、大きな手が包み込みます。
「では、あなたがあなたの望む者になれるよう、私があなたを指導致します、私の名はワドル。本日よりよろしくお願いいたします。
ですが、無理だと思ったならば、お言いなさい。いつでも辞めて結構です。
何せあなたは自由なのです。やりたいことを学べば良い身ですから」
念押しされ、表情が強張るのを見咎められたのでしょう。少し打ち合わせをしますと、一度部屋を連れ出されました。
そして廊下の隅で、私に告げられたことは。
「あのような言い方をして、申し訳なかったですね。
けれど、レイシール様のお心のご負担を減らすために、あれは必要なことだったのです」
もう一度、私の手を取りワドルは、凪いでいるけれど、優しい瞳で私を見ました。
「これからあなたがお仕えするレイシール様は、何かを得るということをなさらない方です。
ですから、あなたをご自分から傍に置くとは、絶対に仰らないでしょう。
でもそれは……あなたが大切だからです。
あなたを奪われ、壊されることのないよう、彼の方はあなたを遠去ける。
あの方は、今まで、何もかもを奪われ、壊され、それに心を痛めてきた方なのです」
傷ましそうに、眉を寄せて。
まだ子供で、なにより彼の方を一度傷つけた私に対し、彼は丁寧に、話してくださいました。
「だからあなたは、彼の方の言葉の表面ではなく、心を見つめられるようにならなければなりません。
彼の方の言葉のままを、その通りにこなすのは、あなたも彼の方も、傷付け孤独にすることですから。
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