上 下
954 / 1,121

終幕の足音 2

しおりを挟む
 西北西の、ジェンティローニとの国境沿いにあるホライエン家だった。
 スヴェトランとは繋がっていないのだけど、立地としては然程遠くない。感覚的には、シエルストレームスと接したヴァイデンフェラーと近いだろう。

「火急の要件……内容は?」
「陛下にしかお告げできぬ事だとおっしゃいまして……その上でかなりご立腹の様子で……」

 現在騎士長ジークが対応しているが、埒が開かない状況だという。
 うーん……男爵家如きが陛下への謁見を阻むとは不敬も甚だしい! といった所だろうか……。

「その上でその……レイシール様ではなく、陛下に判断を仰ぎたいので、直接お伺いさせてもらうか、もしくは近衛の長を呼べとのことなのです……」

 俺の立場を完全に無視したいらしい。
 けれど、伯爵家から立てられた使者ということではなく、伯爵様ご本人がお越しという部分が、些か引っ掛かった。
 領地を空けてまで駆けつけていらっしゃる……それは確かに、火急の要件である可能性が高いかもしれない。
 何より現在スヴェトランの情報収集を進めている最中だ。その関係とも考えられる。

「……分かった。ディート殿へ繋ぐ」

 きっと領地の位置環境的にもディート殿の判断を仰ぐのが良いだろう。
 というわけで、状況をお伝えした。ディート殿は快く引き受けてくださり、自ら外門へと足を運んでくださったのだけど……。
 なんともいえない渋面で戻ってきた。

「陛下にお伺いを立ててくる」

 迎えた俺にそれだけ言い、そのまま三階へと足を進めたディート殿。こちらへの説明が何も無かったため、余程重要な案件なのかなと考えていた。
 そして、もう暫くした後……ディート殿はまたもや外門へと向かい、伯爵様とその従者、武官と共に、もう二人の人物を伴ってきた……。

「……大司教様?」

 数年ぶりにお顔を合わせたけれど、見間違いようがない……。
 一瞬戸惑ったが、即座に敬意を払うため、頭を下げた。

「お久しぶりでございます」
「おぉ……レイシール殿とは貴殿のことでありましたか」

 あちらも俺の顔だけは覚えていたよう。そしてちらりと垣間見せたのは、やはりあの視線……。
 ゾクリと背筋が泡立ったけれど、敢えて無視した。
 それよりも、その大司教様に従った女性……侍祭が、アレクセイ殿の伴って来られたあの侍祭殿だったことが気になっていた。
 敢えて俺から視線を逸らし、まるで面識がないみたいな素振りをしたことも。
 神殿との関わりを極力作りたくないこの時期に、接点を持つことを、陛下が選んだことも……。

 なんだろう……。アレクも来ているのか?

 なんとか聞き出せないかな……。
 そう思ったものの、不機嫌そうな声が差し込まれ、俺たちの会話はそこで阻まれた。

「大司教様」
「おぉ、すみません。では失礼……」
「は。お引き止めして申し訳ございませんでした」

 ホライエン伯爵様に促され、大司教殿は俺に断りの文句を述べるにとどめ、先に足を向ける。
 探れないか……と、残念に思ったものの、次の瞬間それどころではなくなった。
 ホライエン伯爵様が俺をギラリとした瞳で睨め付けてきた、その視線の激しさゆえに。

 久しぶりの……と、表現して良いものか……。
 かつては日常ごとだった視線だ。
 蔑みと嫌悪。そして苛立ちと怒り……。異母様や兄上に虐げられていた頃、当時の使用人らはよく、こんな視線で俺を見ていた……。
 笑顔の仮面の下に、いつもあったもの。俺を毎日、いついかなる時も縫いとめてきた、呪いの糸……。
 俺はそれを、身動きが取れないほどに、纏わり付かせて生活していた。
 一挙手一投足を見られ、ほんの小さな失敗すらあげつらわれて、その報告が異母様へ渡った。そして次に来るのは躾の時間……。
 望んではいけないことを、また教え込まれる時間が来る。

 その時の糸を、首に絡められたような気がした。

 面識は無いはずだ……。会合等で顔を合わせるくらいは、あったかもしれないが……。

 そう考えつつも、かつての記憶が呼び起こされ、条件反射で身を竦めてしまったのだけど……。

「ホライエン伯爵様。我が主が何か?」

 クロードが即座に俺の前へと身を滑り込ませた。
 俺に対する侮辱と取り、牽制に入ってくれたのだ。
 敵意を隠しもしないその視線を身体で阻んでくれたおかげで、引き摺り出されていた過去の恐怖をギリギリで抑え込むことができ、醜態は晒さずに済んだものの、今度はホライエン伯爵様とクロードが睨み合う事態となる。
 とはいえ、公爵二家の血を引くクロードだ。本来ならば、敵など無いに等しい。と、いうのに……。

「クロード殿か……なんともおいたわしいこと」

 ホライエン伯爵殿は、退かなかった。

 ピクリと反応したクロードの肩。その背中をぼんやり眺めながら、無意識に言葉の意味を考えていた。
 お労しい……何に対しての言葉だ?
 男爵家領主に、公爵家の方が仕えているということを揶揄しているのか?
 クロードが俺に仕えることとなった理由を、殆どの人は知らない。
 王位継承の絡むあの顛末は無かったことになっているから、王宮勤めを辞してまでクロードが俺の元に来た意味は、ヴァーリン公爵様とそのご兄弟くらいしか知らないことだ。
 だから、お労しいという言葉は適切に選ばれている……はずだ。
 それがクロードの意思であったと知らないなら、そう思うのは当然のことだろう……。

「如何様に思っていただいても結構ですが、レイシール様に仕えることを願い、求めたのは私自身ですよ。
 血の地位が正当に扱われないことを嘆いていらっしゃるならば、レイシール様ではなく、私に苦言を呈するべきですね」

 男爵家に公爵家の者が仕えるなんて状況は、その血の地位ゆえに、当人か家の長が望まなければ起こり得ないのだけど……。クロードは、ホライエン伯爵様の言葉を、俺を非難しての言葉だと受け取ったよう。

「私が望み、ヴァーリン公爵家の長が了承したのです。レイシール様は私の決意を受け取ってくださったにすぎません。
 この意味をホライエン伯爵様には、ご理解頂けていないのでしょうか?」

 クロードにしては珍しく攻撃的な返答。それにまた驚いてしまった。
 己の血の地位を理解しているクロードは、ただ自分が立っているだけで、周りにそれなりの影響を与えてしまうことを、理解している。
 だからセイバーンにいる間、俺の前でこんな風に言葉までを利用し、あからさまに血の地位を持ち出すことなどしなかった……。

「ご納得いただけないならば、我が兄ヴァーリン公爵に掛け合っていただいても構いませんが?」

 なのに、ヴァーリンの名を出してまでホライエン伯爵様を牽制する。
 ヴァーリンを敵に回すんだなと、釘を刺す。そこまでしたのにホライエン伯爵様は……。

「そうさせていただこう」

 引かなかった……⁉︎

 クロードの肩がまた、ひくりと動いた。
 血の地位を利用してまで相手が引き下がらないなんてこと、彼も想定していなかったのだろう。
 言葉が途切れた隙をついてホライエン伯爵様は一礼し、大司教様共々上階へ足を向けた。
 一方的に話を打ち切り立ち去る後ろ姿が見えなくなるまで待ってから、やっとクロードも警戒を解き、俺へと向き直る。

「出過ぎた真似を致しましたのに、あまりお役には立てなかったようです。
 ……申し訳ございません」

 何を言うんだ⁉︎

「そんなわけないだろう! 有り難かったよ……。
 それより、あれくらいのことに動揺してしまって申し訳ない……。
 ホライエン伯爵様、足止めされたことをお怒りだったのだろうか……? 後で今一度、謝罪した方が良いかな」

 正直それ以外、あの方があそこまでお怒りだった理由が思いつかない……。

 それとも、ヴァーリンと何か因縁でもあったのか……。

 ホライエン伯爵家って、どこの派閥だったかな? と、頭を悩ませていたのだが。
 一瞬キョトンとしたクロードは、フッと表情を緩めた。

「お忘れですか? 先程のホライエン伯爵様は、いつぞや手押し式汲み上げ機をたかりにきた者のお身内です」

 汲み上げ機をたかり…………あぁ、いたなそんなのが!

 クロードが配下になった初日のゴタゴタだ。
 それでクロードは、頭っから飛ばし気味だったんだな!
 俺もマルに確認したのに、すっかり忘れ去っていた。

「おおかた、あちらの家では貴方のことが好き勝手に言われているのでしょう……。
 あの男の要求してきたことを、ホライエン伯爵様はご存知ない場合もございますし……一度確認を入れた方が良さそうです」
「いやいや、そこまでしなくていいよ! もう、数年も前のことなんだし……」
「ですがホライエン伯爵様のあの態度は……」
「良いんだよ。あれくらいのこと……。今回はちょっと意表をつかれて動揺してしまっただけだから」

 面識ないと思ってた相手に、急にあんな風に蔑まれたから驚いてしまったのだ。
 次はもっと心を強く持つ。それで対処できること……。

「だから、気にしなくて良い」
「…………左様でございますか」
「うん。でもありがとう……気に掛けてくれて」

 そう言うと、クロードは相好を崩したものの、瞳には少し複雑な感情を見せた。

 俺が取り乱しかけたこと、気付いているんだろう。だからこそ割って入ってくれたのだろうけれど……その理由までは知らないだろうから、気にしてるんだな。

 俺の過去……知っている人間は、もう限られる。
 特に、幼かった頃のことを知る人はほぼ居ない……。オブシズも実際には関わっていないし、ギルやハインだって、学舎に入ってからの俺しか知らない。
 父上ももう……来世へと旅立たれた……。

 そうか……あれを知っているのはもう……俺と異母様くらいのものなのだな。

「とりあえず書類仕事に戻るか。陛下の方は時間を有するだろうし」

 気分の良い話じゃないし、もう過去のことだ。
 蒸し返すこともないだろうと、この話を切り上げた。
 それがどのような結果を招くかをこの時の俺は、知る由もなかったのだ……。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子
恋愛
絶世の美貌を謳われた王妃レイアの記憶に残っているのは、愛しい王の最期の声だけ。 凄惨な過去の衝撃から、ほとんどの記憶を失ったまま、レイアは魔界の城に囚われている。 人界を滅ぼした魔王ディオン。 逃亡を試みたレイアの前で、ディオンは共にあった侍女のノルンをためらいもなく切り捨てる。 「――おまえが、私を恐れるのか? ルシア」 恐れるレイアを、魔王はなぜかルシアと呼んだ。 彼と共に過ごすうちに、彼女はわからなくなる。 自分はルシアなのか。一体誰を愛し夢を語っていたのか。 失われ、蝕まれていく想い。 やがてルシアは、魔王ディオンの真実に辿り着く。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...