異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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蜜月 2

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 俺も手伝わせてもらえる? と、聞いたら、サヤは喜んで受け入れてくれた。
 一応、ハインに了解を取りに向かい、ちゃんとハイン用の試食を残すことで合意を取り付け、いざ、調理場へ。
 サヤは自前の前掛けを持って来たが、俺はハインのカマーエプロンを借りた。

「材料は、卵、砂糖、小麦粉、山羊乳、そして炭酸水です」
「これだけ?」

 そう言うと、サヤはにっこりと笑った。

「はい。ホットケーキは、材料も少なくて簡単にできるおやつなんです」

 簡単にできるのに……今までやってなかったんだ?
 不思議に思って首を傾げると、うーんと少し、困ったように眉を寄せて……。

「簡単ではあるんですけど……本来はベーキングパウダーや重曹が必要なんです。
 でも、こちらではそのどちらもまだ見つけてませんから……。
 麵麭の酵母でも良いのですけど、それだとなんとなく、麵麭と変わらない気がして……」
「その、べーきんぐぱうだーとじゅうそうは、どういったものなの?」
「生地をふっくらとさせる粉なんです。
 それを今回、この炭酸水で代用できないかと思いまして」

 拠点村が都市として承認され、更に離宮が建つと決まったたことで、色々な分野で出店が増えてきていて、今までよりも格段にものが入手しやすくなった。
 炭酸水もそのひとつ。
 メバックで買い付けるか、行商を待って買っていたのだけど、そうそう頻繁には使わないから、少量では買いにくかった品なのだよな。
 サヤは果汁の炭酸割りが好きだけど、この国の人は舌が痺れると、好まない人も多いから……。それが街の中で簡単に入手できるようになった。

「炭酸を使って作れるとは聞いていたのですけど……やってみたことは無くて……。
 だからなんとなく、後回しにしてたというか」

 そう言いつつサヤは、調理台に大きめの油紙を敷き、かなり目の細かいふるいを置き、そこに小麦粉を入れた。
 そうして篩を叩いて粉を落とす……?

「何をしてるんだ?」
「こうする方が、ホットケーキがふんわりするんです。ふくらし粉が無いので、少しでもふんわりにできることは、やっておきたくて」
「ふーん……?」

 よく分からないけれど、必要な行程であるらしい。
 篩の粉がある程度落ち、塊も潰して落としてから、サヤは何故か……それをもう一度篩に戻した。

「もう一回やるの?」
「はい。ホットケーキはふっくらが命ですから。
 念のため三回やります」

 ふっくらに相当なこだわりがあるらしい……。

 途中から交代し、俺も篩を叩いた。
 そうすると、なんだか小麦粉がサラサラと軽い感じになって驚く。違いなんて出ないと思ったのだけど……見比べてみれば歴然の差だ。

 次に、深い器に山羊乳と卵、砂糖を投入し、混ぜた。
 砂糖が溶け、卵がきちんと混ざるまで掻き混ぜてから、更に炭酸水を入れる。

「これくらい……でしょうか? とりあえずこれで試しましょう。
 ここからは急ぎます。あっ、平鍋を温めてきますから、これをさっくり混ぜ合わせておいてもらえますか?」
「さっくり?」
「ちょっと粉っぽいくらいで大丈夫。
 ヘラで切るみたいに混ぜます」

 そう言い木ベラを渡され、油紙の上の粉を全部投入!
 切るみたいに……と、念じながらそうしていると、かまどに火を入れたサヤが戻って来て、俺の手元を覗き込む。

「あ、上手。そんな感じです」
「そう?」

 視線をやったら丁度そこで、耳に髪を掛ける仕草……っ。
 環に貫かれた傷口は気になるものの、跳ねた毛先が顎に掛かる姿がなんかこう……っ。

 むくむくと膨れ上がってくる煩悩を押し殺しつつ、もうそれくらいで良いですと言うサヤに、器を渡した。
 ちょっと不意打ち食らった……。なんか妙にそそられて……いかん、頭を冷やせ、俺。

「これで準備はお終い。後は焼くだけなので、机で待っててください。すぐにお持ちしますから」
「いや……焼くだけなら、見学したいな」
「そうですか? では……」

 乳酪バターを平鍋に少量落とし、それを手早く布で広げたサヤは、鍋を掴み、何故か濡れた台拭きに置いた。

 ジュッという音……。

「え、なん……?」

 直ぐに鍋を取り上げ、かまどに戻したかと思うと、掬った生地を少し高い位置から落とす。
 丸く広がっていく生地……。そこに直ぐ、蓋が置かれた。

「こうすると、綺麗な焼き色が付くんですよ」

 どうやら俺の疑問を拾ってくれたらしい。

「えっと……三分くらいやろか……」

 これは独り言かな。
 鍋の中は見えないのに、フンフンと何か、鼻歌を歌い始めた……。

 差し込む陽の光に照らされて、平鍋を覗き込むサヤの背中……。
 そこはかとなく漂う、甘い香り……。
 拍子を取り、小さく揺れる髪の先端から、細い首がするりと現れた。
 尻尾の髪型をしなくなってからは、あまり晒されなくなっていた首は陽に焼けておらず、真珠のようにきめ細やかで白い……。

 そんな何気ない様子のひとつひとつが愛おしい光景で、暫く魅入っていたのだけど……そのままサヤの中で三分が数えられたのだろう。
 パカっと蓋が外され、水蒸気と甘い香りが立ち上った。

「よしっ」

 弾んだ声音……。
 思うように膨らんだのか、振り返って「良い塩梅です」と、眩しい笑顔。
 たったそれだけのことなのに…………っ。
 …………いかんなこれは。昨日、我慢したから余計にキてる気がする…….。

 いや、煩悩は捨てろ、頑張れ俺。せっかくサヤと逢瀬の時間なのに、これを無駄にするとは何事か。

 心よ凪げの呪文を頭の中で延々唱えつつ、なんとか平常心を保つ努力を続けた。
 この程度のことでグラついてどうする。こんなことは、日常当たり前に起こるんだぞ。
 夫婦になったのだし、今までよりサヤと二人の時間は増えることになるというのに、こんな些細なことでこうもグラついてたらやってられない。

 そう……増える。
 ハインの行っている模様替えは、サヤの寝台や執務机等を、俺の部屋に移す作業なのだ。
 サヤの生活が、俺の生活と合わさり、交わるようになる。

 今日からサヤが隣で眠るのかと思うと正直……かなりの危険を感じているのだけど、サヤと同室で眠ること自体は初めてではない。
 今までにだって何度もあったことだ。
 そう、今更だ。夜着姿だって幾度となく見てるし、全然見慣れてる。

 大丈夫。昨日みたいな、あんな下着みたいな夜着でなければ、全然……っ!

 そう考えた途端、また脳裏に閃く艶姿っ!
 っぁぁぁぁあああっ、俺は本っ当に、馬鹿か!

「ちょっ……と、不浄場に行ってくる……」

 我慢の限界を感じ、平常心を装って部屋を出た。

 あぁくそっ、だから思い出すなって言ってるのにっ!
 さっさと忘れろっ、あれは、事故だっ! 誰かの策略だ!
 サヤが選んで着たわけじゃない。断じて無い。
 あれを着なきゃ駄目だと思い込んで着たんだ。そういうものだと、信じて……。
 だから忘れなきゃ……サヤだって忘れてほしいはずだ。

「そう、分かってるのに……」

 あまりに鮮明に甦る。
 細かい傷の走る肌は、酒も入って体温を上げたせいか、傷をほんのり桃色に染めていた……深い切れ込みから見えた腰と、脚の付け根の曲線……。下穿きの紐まで鮮明に。
 潤んだ瞳で身を乗り出してきたサヤの唇が、小さく戦慄くところ……俺の唇に喰らい付く瞬間の、伏せられた視線や、たわわな膨らみが、腕に押し付けられる感触まで。
 あの時よく俺、我慢できたな……ほんと奇跡だなと、我ながら思う。

 今なら絶っ対無理。
 くそっ、何かこう、気を紛らわすものって無かったか……っ。

 最悪不浄場で……とは思ったものの、日中からそれはちょっとどうなの……っていうか、なけなしの矜持がそれだけはと拒んでいる。
 背に腹を変えられる状況じゃないけれど…………それはほんと、極力最後の手段にしておきたい。だから……。

「おや」

 チクリ。
 刺さったのが分かるくらいのトゲを含んだ音が、背後からした。
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