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蜜月 1

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「大丈夫だった?」
「大丈夫です」

 ナジェスタの手により、両耳に穴を穿ったサヤは、痛くないはずはないのだけど、結構普通そうな顔をしている……。

「……本当に大丈夫? 痛いだろう?」
「はい。でも、痛いのは耳だけですし」

 婚姻の証明として両耳に穴を開けた。
 後日傷が塞がってから、誂えた耳飾りを身に付けてもらうことになる。
 結局サヤとは致していないままなので、証明の本来の意味としては間違っているのだけど……これがあればもう、サヤを誰かに奪われるのではという不安に苛まれる必要は無い。

「荊縛の時に比べたら全然です」
「あれと比べられちゃねー」

 笑うナジェスタ。助手の二人もくすくすと笑っているが、俺的には笑い事じゃないんだよ……。

「もうあれには罹患しないで、お願いだから……」
「しないで済むならしたくないですけど」

 こればっかりはお約束できません。と、苦笑。
 いや、そこは気合いで回避していただきたい!

「まっ。罹患しにくいよう、薬湯を処方するから、二人とも、時期が来たら毎日飲んでね」
「…………あの味がまた今年も到来するのか……」
「どっちがマシかっていったら、あれ飲む方がマシでしょ?」
「はい。全然、比べるまでもなく、マシです」

 キッパリと言い切ったサヤ。
 実際罹患し、重篤化しかけた経験を持つ彼女には迷う余地が無い。
 喉を保護する、養生という変わった名をした薬湯。
 罹患する前なら苦い、渋い、不味いで済むが、罹患した後はその程度じゃ済まないということを、身をもって体験している……。
 俺も当然、それは理解しているのだが……。

「だけどどうしてもあの味には慣れないいいぃぃ……」

 渋い、苦い、不味い、では済まないと思うのだ。エグいも加えて。青臭いも加えて是非に。

「まだふた月くらい先だから、覚悟固めといてねー」

 死刑宣告を聞きながら、医務室を後にした。
 渡された化膿止めの塗り薬は懐の隠しにしまい、さて、これで心置きなく逢瀬を楽しめるのだが……。

「とはいっても……外出は控えてくださいって言われてしまいましたから、どうしましょう?」

 こてんと首を傾げるサヤの髪が、さらりと流れて揺れ、あぁ、短い髪も良いなと改めて噛み締めつつ、うーんと唸る……。

 初夜の翌日だ……。
 本来はサヤの身体を労り、休ませなければならないのだけど、まぁ致してないからね……そこはほら、うん。
 で、ハインの思いつきによる部屋の模様替えが急に差し込まれ、現在進められており、俺たちはその一通りが終わるまで、部屋に帰れない……。
 手伝いは却下されてしまったので、ついでにと耳に穴を開けに行ったのだけど、これはものの半時間ほどで終わってしまった。
 そして耳に傷を付けたことで、本日一日は、あまり運動しないよう、外出も控えるようにと言われてしまったのだ。
 そう、つまり鍛錬もできない。

「更にやれることが限定されてしまったな……」
「お仕事もしちゃ駄目ですもんね……」

 うーんと、二人で悩む……。
 そう、仕事も禁止されてる。三日間は蜜月ですと、問答無用で。
 まぁ部屋に篭っておくのは流石に俺の忍耐が耐えきれなかったろうから、模様替え自体に文句は無いのだけど……。

 ……ナジェスタ、初夜の後だというのに、サヤの体調には微塵も触れなかったな……。

 いや、もうどうせみんな分かってんだろうなって思ってたけど……思ってたけど……。

「レイ?」
「いや……何も思い浮かばなくてさ……」

 笑って、どことなく気まずい気分を誤魔化す。
 立会人がいようがいまいがおんなじかよ……と、思ってしまったのだ。

 貴族の場合、婚姻には家々の契約云々が関わるため、ちゃんとその契約が成立したかどうかを見定める立会人が付くことが多い。
 まぁつまり、初夜の一部始終を見張られているわけだ……。
 寝台に覆いが取り付けられていたのも、その辺りが絡む習慣のようなもので、古くは、挿入しているその部分を目視で確認されていたらしい。
 が、流石に今は、そこまでではない……。
 正直夫側だって、そんな状況見られたくないわけで……段々とその習慣は廃れてきており、王家等のやんごとない血筋であるならばともかく、セイバーンのような、しがない田舎の男爵家等では、重要視されなくなった。
 特に婚姻の儀を行った後ならば、意味はほぼ無くなっているため、事後に破瓜の確認を医師が行うだけでも、正式な証明として認められる。

 だがそれだって……サヤにとってはとんでもないことだろう。ちゃんと致したかどうかを、検査されるだなんて……。
 で、まぁ。
 ナジェスタはそれに一切触れなかった。俺たちが致していないのを分かっていたと、そういうことだ。

 …………ま。致してたらこんな風に出歩いたりできないと考えたかな……。

 三日部屋に籠る習慣も、その辺りが絡んでのこと。
 女性の身体には負担となる行為だ。特に貴族のご令嬢方にとってはそうなのだと思う。
 彼女らのする日常の運動なんて、せいぜい乗馬や舞踊等の習いごとくらいで、肉体労働とは縁のない生活を送っているのだから。

 その点、サヤは毎日良く働いているし、武術だってするし、契って翌日動けなくなるなんて事は、なさそうな気がする。
 貴族のご令嬢方がそうなるのは、運動に慣れていない身で、無理な体制を長時間強いられるからだろうし。
 とはいえ、実際どうなるかなんて、やってみないと分からない……。サヤがどうかを知るのはまだ先になるだろう。
 一足飛びに駆け抜けず、ゆっくりと関係を進めようと伝えたし。
 って言っても……じゃあ次は何に着手すりゃいいんだって話なんだけど……っ。

 いかん!

 昨日のサヤの夜着姿が脳裏を掠め、慌てて振り払おうとしたものの……がっつりしっかり思い描いてしまった。
 あああぁぁぁ、バカ、俺の馬鹿! 折角頭から追い出してたのにっ!
 思い出せ、ナジェスタがサヤの耳に針を突き刺すあの瞬間を! そっちに記憶をすり替えろ!

 サヤの耳の裏に、太い針が突き抜けてくるあの瞬間を想像し直し、なんとか精神の安定を図った。
 正直恐ろしい光景だった……。二度目は、サヤの肩もびくりと跳ねたのだ。
 一つずつでも耐え難い痛みだろうに、それを今回は二回……両耳に穿った……。

 うーん……と、思案に暮れるサヤを見下ろす。
 髪の隙間から見える耳は、明らかに色付いている……。
 そうしたら今度は、サヤの耳が気になって仕方なくなった。

「…………赤くなってるけど、本当に痛くないの?」

 そう聞くとサヤは、ちょっと困ったような、くすぐったいような苦笑を浮かべ……。

「大丈夫って、言ったでしょう?」

 今、彼女の耳には、穴の部分に金属の環が通されて、穴が塞がらないように処置されている。
 これはこのまま、季節が巡るくらいまで外してはならないと、事前説明の時に言われた。

「分かってると思うけど、これは人体を貫通した怪我と一緒です。
 そんなに簡単に、塞がるわけがないの。
 だから、飾りを付けるのは最低三ヶ月は先。場合によっては一年以上先になります。
 万が一違和感があったら、早めに来てね。膿んだりすると余計長引くから」

 そうしておいてから、俺を部屋の隅に呼んだナジェスタ。
 サヤには伏せる何かを、俺に伝えたい様子……。
 サヤは耳が良いから、これくらいの距離は聞こえちゃうと思うんだけど……と、思いつつも一応従ったのは、耳飾りを早く付けろと、俺が催促しかねないと考え、念押しされるのかなと思ったからで……。

「傷口なんだから分かってるわよね?」

 至極、真剣な声音で言ったナジェスタ。

「当面、舐めたり噛んだりしちゃ駄目っ」

 っ⁉︎ 

「何を想定してるんだよ⁉︎」
「え……? だって跡が付いてるの、たまに見か……むがっ」
「口に出さないっ」

 …………っ、また要らないことを思い出した……。

 さっきのやりとりを思い出してしまい、勝手に顔が熱くなる。
 目敏いっ。医師侮り難しっ。
 滅多にしないし強くだってしてないのに、あれっぽっちで分かってしまうってどういうことだ⁉︎
 咄嗟に口を塞いだけれど間に合わず……おかげでサヤにも睨まれた……。そんなことしてたんですかって涙目で。
 いや、サヤ本人が気付かない程度のものだぞ⁉︎
 たまにちょっと、あまりに反応が可愛いからつい……つい、やり過ぎてしまった時に、ほんのりだけで……っ。

「そうだ!」

 急な声にビクリと肩が跳ねてしまったのは、やましいことを考えてしまっていたからだ。
 そうだ、衣服で隠れてしまう場所ならば良いのでは?……と。

「ハインさんの調理場を少し、お借りしませんか」

 それに気付いていなかった様子のサヤが、何かを思いついたらしく、ウキウキと満面の笑顔でそう言う。
 ハイン専用の調理場……? 確かに、部屋の模様替えに専念している今なら、空いているだろうけど……。

「試してみたいことがあったの、思い出しました。
 丁度良いので、実験してみましょう」
「実験?」

 調理場で?

「はいっ。その前に、ユミルさんに材料を分けてもらいましょうか」

 調理場で、実験……材料も調理場から確保……と、いうことは……。

 新しい料理!

 最近、新しい料理はご無沙汰だった。
 本来のサヤの国の料理は、この国にある調味料では再現できないものが多く、それ以外のものはあらかた出尽くしたとサヤが言っていたのだ。
 サヤの国で主力となっている、豆を加工した調味料。
 これは特殊な材料と環境が必要で、簡単には再現できないものであるらしい。
 だから、もう……新しい料理は無いのだろうと、思っていたのに……!
 その提案は、俺にとっても魅力的な話だった。

「久しぶりだな……うん、それをしよう!」

 今日の逢瀬は料理実験だ!
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