上 下
914 / 1,121

最後の夏 2

しおりを挟む
「うん。熱は引いたから大丈夫」
「そうですか! ようございました」
「何日かは様子見で安静を言い渡されているけど、また近く、顔を見せると言っていたよ。
 物語の読み聞かせ、続きを子らが待っているんだって?」

 そう問うと、こくりと頷く。

「もう少しだけ待っててくれと、子らに伝えてもらえる?」
「勿論ですわ。それと……子らが庭の作物を届けたいと……アルドナン様に食べてほしいと申しておりました。
 早く元気になってほしいと……」
「父に伝えておこう。きっとその言葉だけで、元気をもらえる」

 作物はユミルがテイクに託してくれと伝えて、席を立った。
 食事は状況を見ての判断になるが、ナジェスタに任せておくしかない状態だ。

 そのまま見送られて外へと向かった。
 父上の容態……熱は下がったのだが、食事はあまり、喉を通らないという話だったから、子らが作ってくれた作物だと言えば、少しは食べる意欲が湧くかもしれない……。
 だんだんと食は細ってきている……。熱が出ることも増えてきたように思う。
 婚姻の儀に出席するため、無理はしないと約束してくださっているけれど、それだって場合によっては、見送らなければと考えるほど、近頃の父上は目に見えて衰えてきた。

 伝言も頼まれたことだし……後で、父上の所にも寄ってみよう。

 とりあえず職務を終わらせることに集中。
 色々予定が立て込んでいるから、少しの時間でも確保が難しいのが現状だった。

 本当、マルがいてくれたらと、思うけれど……。

 それ以上に、無事かが心配だった。
 こちらから連絡を取りつける手段は無く、あちらからの報告を待つことしかできない。
 吠狼の精鋭は大半が出払っており、マルが神殿を探ることに、どれだけ注意を払い、神経をすり減らしているかも伺えるし……負担になることはできなかった。
 それに、王家から下見のために官らが派遣され、出入りするようになってきたから、吠狼の大半をここから離している状況は、逆に良かったとも言える。
 王家も俺が、まさか小さな村民に匹敵するほどの集団を影として持っているなど、知らないのだ。

 村の巡回を済ませてから、一旦自室に戻った。雨で濡れた衣服を改めるためだ。
 行動を共にしていたハインとシザーにも着替えてくるようにと指示。
 手伝いについてきたサヤに、小声で話を振った。マルが不在だから、この話ができるのはサヤとだけになる。

「……陛下のお見えはいつ頃だろうな……」
「多分、雨季明けではないでしょうか。お腹が目立ち出すのはその頃からです」

 サヤによると、赤子が育ち、腹部の張りが目立ち出すのは五ヶ月を過ぎた辺りからだという。
 確かカーリンがそれくらいの時も、彼女が身篭っていることに気付いたのはギルただ一人だけだった。
 成る程、あれくらいまでは傍目には妊娠と伺えないのだなと納得。

「あまり長く王都を空けておくのも不審に思われるでしょうし……ギリギリまであちらで粘るのではないでしょうか。
 陛下の悪阻はそれほど酷くないご様子でしたし、衣服である程度誤魔化して、なんとか七ヶ月程までなら……。
 計算上は、越冬直前にご出産となるはずですが……セイバーンでと考えていらっしゃる可能性も高いですよね……」
「ご出産が前後する可能性も……?」
「当然ございます。前はともかく、後になると……セイバーンでの越冬となる場合も……。
 お生まれになったばかりのお子を抱いて、馬車で移動するのは、お身体への負担も大きいでしょうし……」
「もう実質ここで出産、越冬と考えた方が良さそうだな」

 正直……難しい問題だった。

「狼の警護は控えるべきだろうな……」
「子供たちは、がっかりするかもしれませんね……」

 村の警護を担当する七人の獣人らは、半数がここを離れ、マルと共に行動している。
 ウォルテールを筆頭とする、経験の少ない若い狼ら三人は残されているのだが、王家の影がいる状況で、彼らをアヴァロンに近付けるべきではないだろう。
 とりあえず今はセイバーン村周辺に退避させているのだが……越冬はまだ半年先とはいえ、頭を悩ませることが目白押しだ。

 それまでにマルたちが戻る保証も無い……。
 陛下の身の安全を考えれば、王家の影を受け入れるほかないのだけど……ハインは当然俺と共にいるし、メイフェイアやアイルもここに残るだろう。
 特徴は薄い彼らだけど、万が一を考えれば、やはり心配だった……。

 獣人らのこと……。勿論いつかは、言わなければならない。
 けれど、こんな形でというのは当然想定していない。
 まだ全ての布石を打ち終えていない状況で、更にマルがいない。不安は募るばかりだ……。
 でも、それを俺が態度に出すわけにもいかない。
 俺が不安そうにしていれば、それは皆に……ひいてはアヴァロン全体に波及してしまう……。

「……今は、陛下が無事お子をご出産できるよう、最善を尽くすしかないよな。
 ここでのご出産の可能性があるなら、ユストとナジェスタには事情を伝えておく方が良いか……」
「そうですね。雨季が明けてからくらいで考えておきませんと」

 不安そうにそう言い、俺の脱いだ衣服を畳むサヤ。
 一人で腹に収めておくことができず、ついサヤに言ってしまったから、彼女にまで俺の不安が移ってしまったよう。
 これはいけないと思ったから、わざと不意打ちでサヤを抱き寄せた。

「あっ、せっかく畳んだのに……」
「それは後。それよりも……。
 陛下のご来訪も大切だけど、俺たちの婚姻の儀もあるの、忘れないでよ?」

 耳元に唇を寄せてそう囁くと、サヤはふるりと身を震わせる。
 赤味を増す可愛い耳と首筋……。

「あと二ヶ月……早く見たいな、サヤの花嫁姿……」
「耳元っ、あかんっ」
「どの口がそんなことを言うのかな?」

 ふにと、唇を親指で押すと、柔らかい唇に引いてあった紅が、俺の指にも付いた。
 そのままふにふにと遊んでいると、抗議しようと無理やりこちらに顔を向けてくる。
 それを待っていた俺は……。

「っ⁉︎」

 少し開いたサヤの唇を、そのまま美味しくいただいて、抗議の声は不安と共に俺が飲み込んだ。


 ◆


 七の月に入り、雨季……。
 ヘイスベルトと共に、馬車でハマーフェルド男爵領へ向かうオブシズを見送る。
 貴重な戦力ふたりが半月抜けるのは大変痛手だったけれど、今後ヘイスベルトを奪われないためにも必要なことだった。

 ヘイスベルトには、牧草栽培という新たな事業を提案する資料を持たせ、それをハマーフェルド領主殿へと渡すように伝えてある。
 これから交易路が栄えれば、交易路を持つ領地は潤うが、持たなかった領地は割りを食うことになる。
 けれど、その交易路でこれから必要になるものを卸すという、新たな事業が可能になると考えていた。
 サヤの国では既にあるという、牧草を栽培する事業だ。
 ハマーフェルド領にも麦畑は多いのだが、休耕畑は放置されているままであるよう。だからその畑を有効活用する提案である。
 特に費用を必要としない事業なので、やって損は無いだろう。

 半月ばかり、大変苦労を強いられたのだけど、その間、研修官らが大いに頑張ってくれた。そして七の月の半ば、オブシズは妻を連れ帰り……。

 七の月が終わる頃となっても、マルは戻らぬままだった。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子
恋愛
絶世の美貌を謳われた王妃レイアの記憶に残っているのは、愛しい王の最期の声だけ。 凄惨な過去の衝撃から、ほとんどの記憶を失ったまま、レイアは魔界の城に囚われている。 人界を滅ぼした魔王ディオン。 逃亡を試みたレイアの前で、ディオンは共にあった侍女のノルンをためらいもなく切り捨てる。 「――おまえが、私を恐れるのか? ルシア」 恐れるレイアを、魔王はなぜかルシアと呼んだ。 彼と共に過ごすうちに、彼女はわからなくなる。 自分はルシアなのか。一体誰を愛し夢を語っていたのか。 失われ、蝕まれていく想い。 やがてルシアは、魔王ディオンの真実に辿り着く。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

処理中です...