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二度目の祝い 4

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 触れることすらできないのに、幸せだなんて……。
 もっと沢山、もっと求めて良いんだと言いたい。

 だけど今の俺に許されるのは、サヤの髪だけだ。
 こうして伝わりきらない言葉を、伝えることだけ……。

「簪……つけてみてくれる?」

 髪でも良い。
 あわよくば触れたくて……だけどその願望をひた隠して、なんとかそう言った。
 するとサヤは少し戸惑った後、降ろしていた髪を束ね、それをくるくると捻り、巻きつけて、たった一本のその簪で、器用に縫い止めた。

 そうして俺に見せるため、後ろを向く。

「どう?」

 後毛の残るうなじと、そこに添えられた細い指。どちらもほんのりと、桜色……。

「よく似合っている。……綺麗だ」

 そう伝えると、肌に赤味が増したような気がした。そうして俯く後ろ姿……。

 艶やかな黒髪に黄金の花を添えたサヤは、神秘的なほど美しい。
 まるで内側から光を放っているみたいに神々しくて、俺はその姿に、吸い寄せられてしまう羽虫さながら、本能に任せて手を伸ばし……。
 それ以上は駄目だと、拳を作り、机に落とした。

 こんなに愛しくて、触れたいのに……っ!

 どうして……叶わないんだろう。
 お互いに、大切だと、思い合えているはずなのに。
 悔しくて、切なくて、この理不尽に対する怒りを、どこにぶつけて良いのかが分からない。
 俺たちは、何も間違った行いなど、していないはずなのに。
 どうして当然のことが、許されない…………!

 サヤには、触れられなくても、共にいられるならば幸せだと言った。
 言ったけどやっぱり……。

 辛かった。

 孤独を感じずにはいられなかった。

 でも俺以上に、サヤはもっと、孤独だろう……。
 そう思うから、耐えるしかない……。
 サヤを責めてはいけない。
 彼女は何も悪くない。
 悪くないんだ……。

「…………レイ」

 名前を呼ばれ、慌てて顔を上げた。
 苦しみに歪んでいた表情を、無理やり笑顔に作り替えて、何? と、弾む声音を絞り出す。
 すると、瞳に強い決意を滲ませたサヤが、真剣な表情で。

「レイ……暫く、じっとしとって?」

 サヤに乞われるまま、俺は「良いよ」と、応えた。
 否やは無い。
 なんでも良いのだ。今日はサヤの望むことは全て、叶えたかった。
 本当は、あちらの世界でとっくに終わっている、サヤの十八になる誕生日。
 もう帰れない彼女の、ここで定めた、偽りの祝い日であったけれど、この日くらい、どんな我儘だって、叶えてやりたい。
 ……本当は、いつだって、もっと、願ってほしいと思っている。
 けれどサヤは、自分のためには細やかな願いごとすら、滅多にしてくれない。

 静止した俺に、サヤは意を決したみたいに、席を立った。
 そして隣に来て、手を伸ばそうとして……でもやっぱり無理だと思ったのだろう。

「……かんにん」

 謝る必要なんてないのに、そう言う。
 けれどその言葉は終わりではなくて……。

「……やっぱり、長椅子。
 長椅子で、じっとしておいてほしい……」
「うん、分かった」

 俺が部屋に帰ってきた時、サヤが座っていた、窓辺の長椅子に移動した。

 いつの間にやら、サヤの練習時間になってしまったようだ。
 サヤはすぐ隣に座り、決意の顔で必死に、俺を凝視している。
 触れようと、手が俺の近くを彷徨い、自身の膝に落ちて、また暫くしてから、今度は長椅子の背もたれを握りしめ、身体ごとこちらに向き直る。

 無理しなくて良いのに……。

 俺の願望が、筒抜けになってしまっていたのかな……。
 サヤが必死で、それがまた辛い。
 こんな顔をさせたかったんじゃないのにと、そう思う。

 だけど。

 無理をしなくて良いのだと言えば、サヤはまた、表情を歪めるのだろう……。
 それが分かるから、その言葉を飲み込んだ。
 今日は、気の済むまで付き合えば良いじゃないかと、そんな風に気持ちを切り替える。

 サヤは、暫く何かと葛藤していたけれど、必死に手を伸ばし、俺の半面の紐を解いた。
 気合を入れて、それでやっと触れられる俺の髪。まずはそこで、自信を付けるみたいに。
 そして己の猫の半面にも手を伸ばし、紐を解いた。
 だけど、お互い顔を晒してしまうと、やはり抵抗を覚えたのだろう……。
 それまでよりも、更にぎこちなく、サヤの挙動が怪しくなる。

「……もう一回つけようか?」

 見かねてそう声を掛けた。
 けれどそれに、サヤは激しく首を振った。

「あかん。邪魔になる」
「そうかな?」
「うん……」

 視線だけでチラリと半面を見ると、猫も狐も、人より鼻の部分が突き出している。

 ……まさかね。

 触れられもしないのに、それは難しい……よな。
 だけどサヤのことだから、俺の望みを必死で叶えようと、無茶をするかもしれないと思った。
 そうして意識してみれば、サヤが触れようとしているのが、俺の頬であるように思えてしまった。

 …………いや、まさか。

 まだ約束に、拘っている?
 口付けだけは、許すと言ってくれたことを、守れなくなってしまったから?

「レイ、目……瞑って」

 今度はそう言われた。
 その言葉に従って視界を閉ざすと、耳と、肌に、意識が集中する。
 サヤの動く微かな衣擦れの音がして……無音。
 だけど肌に、サヤがすぐ傍にいる体温を、感じる気がした。
 そうしたまま、ただ時だけが過ぎる……。

 期待するなと自分に言い聞かせたけれど、駄目だった。
 何故目を閉じろと言われたのか……必死で触れようとしているのか……その理由を考えてしまう。

 外から聞こえてくる喧騒……。でもそれは意識の外に押しやって、サヤからの音だけに集中した。
 待って。
 更に待って。
 それでも何も、起こらない。

 闇の中にいる心地だった。

 諦めかけた頃に、本当にごく近くに微かな布の擦れる音がして、唇に、風を感じた。
 そう思った矢先に、またふんわりと、温かい…………っ。

 サヤの吐息だ。
 驚いて瞳を開いたら、眼前にあったサヤの顔が、慌てて飛び退いてしまった。

「あ……ごめ……」
「ううん。こっちがかんにん……凄い、待たせて……そら、痺れも切れるなって、思うし……」

 自重気味にそう言うサヤは、怯えている。
 必死に恐怖を押し隠そうとしているけれど、それが俺に、分からないはずがない……。
 そんな風に、無理させてまで、欲するものじゃないんだ……。
 触れたいけれどそれは、そういうものじゃない……。
 その痛々しい姿に、いつもの、無理をするなを、口にしそうになったのだけど……。

「悔しい……」

 絞り出すようなその言葉に、唇を縫い止められた。

「レイは違うって、分かってるのに。あんな風にはしいひん……怖ぁないって、分かってるのに……。
 今は本当に、したいって思うたのに、なのに……」

 唇を噛み締めて、涙を堪えるように。

 したい……口づけが?

 驚きが表情に出てしまったんだろう。それを見たサヤがフッと、苦いものを噛みしめるように笑う。

「私かて、そういう感情はあるんやで。
 凄く、触れたいって、思うことかて……」

 だってもう、知ってるんやし。と、サヤは視線を逸らし、頬を赤らめた。
 あれが幸福で、気持ちの良いことだと、もう、知っているのだと。

「レイが、私にそれを、教えたんやしな……」

 責めるような、懇願するような…………っ。
 だけど次の瞬間、恥ずかしいことを口にしてしまったと自覚したのだろう。ハッと我に返って、顔を更に染めて、長椅子の背もたれに縋り付くようにして、表情を腕の中に全て、隠してしまった。

「忘れて!」

 小さく縮こまって、なんてはしたないことを口にしてしまったのかと、身悶えするその姿が…………。

 俺の触れたいという激情を、更に掻き立てた。

 したいと、思ってくれていたのか。
 触れたいと。
 分かっていた、理解していたけれど、もっとそれは、義務的なものだと勝手に思っていた。
 お互い想い合えているはずだと言いながら、俺はサヤ自らが望んでいるだなんてことを、考えていなかった……。
 俺は、サヤに求められていた?

「俺から、しても良い?」

 口から出た言葉は半ば無意識。
 ハッとしたけれど、ビクッと跳ねたサヤの背に、決して欲望を満たしたいから言っているのではないのだと、慌てて説明した。

「だ、だってサヤは、元から……自分からそういうこと、恥ずかしいって、思うのだろう?
 前からそうだったのは、分かってたし、知ってる。
 それで余計、難しいのかなって……」

 ……俺からしたいと言うのは、サヤを、責める行為だと、思っていた……。
 だから、だから俺は…………っ。その言葉を、間違っても口にしてはいけないのだと……。
 でも……。
 サヤが、望んでくれるなら。
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