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新たな挑戦 4
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報告会の解散後。
「オブシズ、ちょっと良いかな」
オブシズを呼び止めたのは、オゼロ官邸を後にする前。帰り仕度の最中に、サヤから報告を受けていたからだ。
オブシズのことについて。
俺とエルピディオ様が協定についての契約書を作っている間に、他の面々はダウィート殿や、オゼロの文官の長らと共に、石炭の加工について話を進めてもらっていたのだけど、その席で……。
「ヴィルジール様……」
ダウィート殿が、オブシズに、オゼロへ戻る気は無いかと、再度問うたという。
それに対しオブシズは、笑って「私に文官の才はございません。父に似ず、こうして武官をしておりますから」と、答えたそうだ。
「お館様は、ラッセル様をお救いできなかったことを、長く悔いておられます。
貴方が無事であることが分かり、きっと肩の荷の半分は降りたろうと思うのですが……貴方がオゼロに戻ってくだされば……」
「申し訳ない。ですが私は、もうセイバーンに仕官しましたので」
取りつく島のないオブシズの返答に、ダウィート殿は意を決し。
「……ここにはレイモンドがいるからですか?」
その問いに、オブシズは言葉を飲み込んだそうだ。
今まで押さえ込んできていた色々な感情が、彼を目にしたことで、再熱してしまったのだろう。苦しみや怒りが、オブシズの中でまた、炎を灯したのだと、サヤには見えたそうだ。
「お父上の職務を継げとは申しません。ですが、お館様の盾として、オゼロに戻っていただきたいのです。
我々に、償いの機会を与えてはくださりませんか。それに私は……ラッセル様に頂いた数々のご恩を、せめて貴方にお返ししたいのです。
貴方がここに戻ってくださるならば、レイモンドのことは如何様にも致します。ですからどうか、考えてくださいませんか……」
「……申し訳ないが、今は職務中なのです。私的なお話は、また今度ということで……」
結局それを最後にして、彼はこの話をしなかったそうだ。
「どうしました?」
急に呼び止められ、キョトンとした表情のオブシズ。
「うん、ちょっとそこに座って。
ハイン、お茶をお願い。それが終わったら仕事に戻って良いから」
腰を据えて話そうとする俺に、オブシズは警戒を強くした様子。何を言われるのだろうと硬い表情になった。
お茶を準備してくれたハインが退室して、部屋にいるのが俺とオブシズだけになってから。
彼に、まずしたのは謝罪。
「レイモンドのこと……申し訳ない」
「……は?」
「オゼロとの交渉の席で、あいつを退けることを提案に含めることはできた。だけど、それはすべきでないと判断した。
あの男は、ジェスルだけじゃない……本人の自覚は無いと思うけれど、別の何かとも繋がっている」
レイモンドがサヤに無関心であったことで、サヤを欲する誰かと、細いながらも糸が、繋がっている……。その確信が持てた。
頭は死んだし、あの時、あの事件に関わった者は、レイモンド以外全て、殺すか、捕えるかしたから、こちらが何を掴んだかは、あちらには伝わっていないだろう。
だから、まだレイモンドは、泳がせておきたかった……。
その細い糸の先にあるもの。その何かしらが、レイモンドを通してまた、仕掛けてくるかもしれない……。
あれを泳がせておけば、あれからジェスルや、その先にあるものを探れるかもしれない……。
「あれを退けるのは、オゼロにとっても俺たちにとっても、不利益と判断した」
それを、オブシズには伝えておかねばと思った。
レイモンドに人生を狂わされたオブシズに、我慢をしろと言うのだから……俺が伝えなければいけないと……。
本当は、俺だって……。
オブシズだけじゃない、カタリーナだって、酷い仕打ちを受けた。サヤを、拠点村を、あんな酷い目に合わせた奴だ。
そのことを考えると、腑が煮えるような怒りを覚えるけれど。
あいつを許したわけじゃない。絶対に許さない。いつか必ず、報いは受けてもらうつもりだけれど……。
でも今は。
あいつの先を、見定めるまでは……。
「はぁ。……まぁそれは別に、気にしていませんが」
どこか気の抜けた返答を返したオブシズ。
少し逡巡してから、今は畏る必要はないと、判断したのだろう。
「……というか、俺よりもお前が我慢ならんって顔になってるぞ?」
砕けた口調でそう指摘され、自分が表情の制御すら手放しかけていることに気付かされた。
慌てて感情の手綱を握り直す。
オブシズは、レイモンドの扱いに、政治的な判断が絡むだろうことは察していたようだ。
ならば、ダウィート殿の申し出を受けないのは…………。
「……戻っても良いよ」
「やっぱりその話か」
「ごめん。口を挟むことではないとも、思ったんだけど……。
俺はほら、もうオブシズが生きていてくれたことが分かったから、それで充分過ぎるくらい、報われてるんだ。
元気でいてくれているのだって分かれば、それで良い。
オブシズは……貴族……辞めたくて辞めたんじゃなかったって……あの時も、言ってた」
十三年前のこと。
忘れるわけがない。
あの時、オブシズが俺に言ってくれたことを。
兄上の躾で痛めつけられていた俺に気付き、抱きしめて、逃げたいかと、問うてくれた時。
オブシズは初めて、自分も元々は貴族だったことを、俺に教えてくれた。そして、辛いだけなら連れていってやると、言ってくれたのだ。
今なら……あの時よりも沢山を知った今なら、その言葉に込められた決意や覚悟が、どれほどのものだったかを、理解できる。
「嬉しかったよ、あの時は。
誰にも顧みられなかった時だったから。一人きりだったから……俺を見てくれる。痛みに気付いてくれる。それがどれほど、救いだったか……。
あの時もあの後も、オブシズはずっと俺を守っていてくれた。学舎にいる間もずっとだ。
だからオブシズはさ、もう自由になって良いんだよ。エルランドはあんな風に言ってたけど、あれは結局、口実というかさ」
きっとオブシズと俺を、エルランドも繋げようとしてくれたのだ。
もういないと思っていた人が、生きていてくれた。そんな夢みたいなことが起こった。
仕官も承知してくれて、共にいてくれることが、本当に嬉しかった。
だけど俺はもう、子供じゃない……。
いつまでもこの人の庇護下にいては、いけないのだと思う。
オゼロがオブシズのために、レイモンドを退けると判断するならば。
俺はそれを、受け入れる。
セイバーンやサヤにとって不利益となることだとしても、もうオブシズからは、何一つ奪わない。奪っては駄目だ……。
「オブシズのしたいようにして良いんだよ」
「お前、俺の誇れる主人になるんじゃなかったのかよ」
なのに、返ってきこたのはそんな言葉。
「あのなぁ……武官足りない足りないって、日々言ってるのに……その武官手放そうとするってのは、どういうことだ」
「そこは……なんとかするから、大丈夫」
「なるか! ならねぇから俺とシザーが必死で探してるんだろうが⁉︎」
「そうだけどさ……望まれているんだよ。お父上のいた場所に。
それにオブシズ……貴族に戻るって、言ったろ……」
オゼロ公爵家の武官ならば、待遇も最高じゃないか。胸を張って、ヴィルジールに戻れる。
ここは武官であっても、武官以外の仕事だってしなきゃならないくらい人手不足だし、苦労させるだけだと思うのだ。
なにより、オブシズの父上を知る人たちが、望んでくれている……。
でもオブシズは、そんな風に言う俺に呆れ顔。
「そもそも十三年前に言ってたことだぞ。今更望んでないっつうの……」
「だけど……」
「傭兵してる時間の方が、貴族してる時間より長くなった。もう今更感が半端ないし……」
ため息まじりにそう言ってオブシズは、表情を緩めた。
「俺が貴族に戻ろうとしたのは、その方がお前を守りやすいと思ったからであって、昔を取り戻したかったわけじゃない。そこは誤解しないでくれ。
お前が……自分のことそっちのけで、俺を心配してくれてるのは有難いと思うけどな……。
俺は結構ここ、気に入ってるんだよ……。
貴族らしいことはどうせ元々得意でもなかったし、それしかなかった幼い時はともかく、今は違う。
お前や、獣人らのことだって……。ここでほっぽり出して戻るなんて、考えてもいないよ。
それに……。
確かに、あいつの顔を見た時は、それなりに思うことがあったよ。あったけどな……多分、お前が思ったのとは、違う感慨だと思う」
そう言ってからオブシズは、あいつ相変わらず、不満そうな面構えだったよ……と、諦めを滲ませた。
「正直言うとな、俺は多分、レイモンドに関わりたくないんだ……。
あいつに対して色々思うことはあるけれど、それ以上にこう……禁忌だと感じる。あいつには、関わっては駄目だと。
だから、お前があいつを泳がせると決めたなら、俺はそれに従うし、否を唱えるつもりもない」
ただ、お前が心配だと、オブシズは続けた。
「多分あいつは、俺をもう、この世の者とは、思っていない……。だから俺にあいつが、これ以上何かをするなんてことは、無いさ。
そして……あいつが俺にしたことは、あいつの人生を全く彩っていない。満たしていないんだと、不満だらけのあの表情を見て、分かった。
あいつは昔っからああだった。
周りの何もかもに不満があるんだ。セーデン当主の地位におさまったと聞いた時は、これであいつも満足することを覚えたろうかって……少し、期待したけど……。
結局あいつは、何一つ、満たされていない。
あいつと今の俺、どっちが幸せなんだろうなって、その時思ったんだ。
そうしたらさ、俺はもう、結構満たされてるなって。大切にしてくれる仲間に恵まれて、俺を慕ってくれる、可愛い弟みたいなもんや、支え甲斐のある主人ができた。
ああ、俺はこれでいいんだって、そう思ったんだよ」
弟という部分で、伸びた腕が俺の髪を、ぐしゃぐしゃと掻き回した。
「だから、お前が私情や利益を優先した、なんて風には、思っていない。
お前があいつを泳がせておくことが必要だと思うなら、そうしたら良いし、それが俺の主人たるお前の判断なら従う。
だけどあいつとの関わりを切らないことを選ぶなら、俺にお前を守らせてほしい。
それと…………これだけは絶対、守ってほしいんだけどな」
ただひとつだけ、約束してほしいと言われた。
「……レイモンドに、もう何ひとつ、与えてやるな。
あいつは底の抜けた頭陀袋だよ。どうせ満たされないし、満たされない自分に、余計飢餓感を覚えるだけだ。
だから、もう何ひとつ、あいつには与えないでくれ。許さないでくれ」
与えるなと、オブシズは言ったけれど。
それはもう何ひとつ、奪われたくないという意味だと、理解できた。
オブシズを苦しめることにはしない。それを俺は、彼に誓うべきなんだ。
「分かった」
与えない。
あいつにはセイバーンの何にも、もう、手を出させない。
「誓う」
「それでこそ我が主」
胸に手を当て、ニッカリと笑ってオブシズは「これからもお仕え致します」と、そう言ってくれた。
「オブシズ、ちょっと良いかな」
オブシズを呼び止めたのは、オゼロ官邸を後にする前。帰り仕度の最中に、サヤから報告を受けていたからだ。
オブシズのことについて。
俺とエルピディオ様が協定についての契約書を作っている間に、他の面々はダウィート殿や、オゼロの文官の長らと共に、石炭の加工について話を進めてもらっていたのだけど、その席で……。
「ヴィルジール様……」
ダウィート殿が、オブシズに、オゼロへ戻る気は無いかと、再度問うたという。
それに対しオブシズは、笑って「私に文官の才はございません。父に似ず、こうして武官をしておりますから」と、答えたそうだ。
「お館様は、ラッセル様をお救いできなかったことを、長く悔いておられます。
貴方が無事であることが分かり、きっと肩の荷の半分は降りたろうと思うのですが……貴方がオゼロに戻ってくだされば……」
「申し訳ない。ですが私は、もうセイバーンに仕官しましたので」
取りつく島のないオブシズの返答に、ダウィート殿は意を決し。
「……ここにはレイモンドがいるからですか?」
その問いに、オブシズは言葉を飲み込んだそうだ。
今まで押さえ込んできていた色々な感情が、彼を目にしたことで、再熱してしまったのだろう。苦しみや怒りが、オブシズの中でまた、炎を灯したのだと、サヤには見えたそうだ。
「お父上の職務を継げとは申しません。ですが、お館様の盾として、オゼロに戻っていただきたいのです。
我々に、償いの機会を与えてはくださりませんか。それに私は……ラッセル様に頂いた数々のご恩を、せめて貴方にお返ししたいのです。
貴方がここに戻ってくださるならば、レイモンドのことは如何様にも致します。ですからどうか、考えてくださいませんか……」
「……申し訳ないが、今は職務中なのです。私的なお話は、また今度ということで……」
結局それを最後にして、彼はこの話をしなかったそうだ。
「どうしました?」
急に呼び止められ、キョトンとした表情のオブシズ。
「うん、ちょっとそこに座って。
ハイン、お茶をお願い。それが終わったら仕事に戻って良いから」
腰を据えて話そうとする俺に、オブシズは警戒を強くした様子。何を言われるのだろうと硬い表情になった。
お茶を準備してくれたハインが退室して、部屋にいるのが俺とオブシズだけになってから。
彼に、まずしたのは謝罪。
「レイモンドのこと……申し訳ない」
「……は?」
「オゼロとの交渉の席で、あいつを退けることを提案に含めることはできた。だけど、それはすべきでないと判断した。
あの男は、ジェスルだけじゃない……本人の自覚は無いと思うけれど、別の何かとも繋がっている」
レイモンドがサヤに無関心であったことで、サヤを欲する誰かと、細いながらも糸が、繋がっている……。その確信が持てた。
頭は死んだし、あの時、あの事件に関わった者は、レイモンド以外全て、殺すか、捕えるかしたから、こちらが何を掴んだかは、あちらには伝わっていないだろう。
だから、まだレイモンドは、泳がせておきたかった……。
その細い糸の先にあるもの。その何かしらが、レイモンドを通してまた、仕掛けてくるかもしれない……。
あれを泳がせておけば、あれからジェスルや、その先にあるものを探れるかもしれない……。
「あれを退けるのは、オゼロにとっても俺たちにとっても、不利益と判断した」
それを、オブシズには伝えておかねばと思った。
レイモンドに人生を狂わされたオブシズに、我慢をしろと言うのだから……俺が伝えなければいけないと……。
本当は、俺だって……。
オブシズだけじゃない、カタリーナだって、酷い仕打ちを受けた。サヤを、拠点村を、あんな酷い目に合わせた奴だ。
そのことを考えると、腑が煮えるような怒りを覚えるけれど。
あいつを許したわけじゃない。絶対に許さない。いつか必ず、報いは受けてもらうつもりだけれど……。
でも今は。
あいつの先を、見定めるまでは……。
「はぁ。……まぁそれは別に、気にしていませんが」
どこか気の抜けた返答を返したオブシズ。
少し逡巡してから、今は畏る必要はないと、判断したのだろう。
「……というか、俺よりもお前が我慢ならんって顔になってるぞ?」
砕けた口調でそう指摘され、自分が表情の制御すら手放しかけていることに気付かされた。
慌てて感情の手綱を握り直す。
オブシズは、レイモンドの扱いに、政治的な判断が絡むだろうことは察していたようだ。
ならば、ダウィート殿の申し出を受けないのは…………。
「……戻っても良いよ」
「やっぱりその話か」
「ごめん。口を挟むことではないとも、思ったんだけど……。
俺はほら、もうオブシズが生きていてくれたことが分かったから、それで充分過ぎるくらい、報われてるんだ。
元気でいてくれているのだって分かれば、それで良い。
オブシズは……貴族……辞めたくて辞めたんじゃなかったって……あの時も、言ってた」
十三年前のこと。
忘れるわけがない。
あの時、オブシズが俺に言ってくれたことを。
兄上の躾で痛めつけられていた俺に気付き、抱きしめて、逃げたいかと、問うてくれた時。
オブシズは初めて、自分も元々は貴族だったことを、俺に教えてくれた。そして、辛いだけなら連れていってやると、言ってくれたのだ。
今なら……あの時よりも沢山を知った今なら、その言葉に込められた決意や覚悟が、どれほどのものだったかを、理解できる。
「嬉しかったよ、あの時は。
誰にも顧みられなかった時だったから。一人きりだったから……俺を見てくれる。痛みに気付いてくれる。それがどれほど、救いだったか……。
あの時もあの後も、オブシズはずっと俺を守っていてくれた。学舎にいる間もずっとだ。
だからオブシズはさ、もう自由になって良いんだよ。エルランドはあんな風に言ってたけど、あれは結局、口実というかさ」
きっとオブシズと俺を、エルランドも繋げようとしてくれたのだ。
もういないと思っていた人が、生きていてくれた。そんな夢みたいなことが起こった。
仕官も承知してくれて、共にいてくれることが、本当に嬉しかった。
だけど俺はもう、子供じゃない……。
いつまでもこの人の庇護下にいては、いけないのだと思う。
オゼロがオブシズのために、レイモンドを退けると判断するならば。
俺はそれを、受け入れる。
セイバーンやサヤにとって不利益となることだとしても、もうオブシズからは、何一つ奪わない。奪っては駄目だ……。
「オブシズのしたいようにして良いんだよ」
「お前、俺の誇れる主人になるんじゃなかったのかよ」
なのに、返ってきこたのはそんな言葉。
「あのなぁ……武官足りない足りないって、日々言ってるのに……その武官手放そうとするってのは、どういうことだ」
「そこは……なんとかするから、大丈夫」
「なるか! ならねぇから俺とシザーが必死で探してるんだろうが⁉︎」
「そうだけどさ……望まれているんだよ。お父上のいた場所に。
それにオブシズ……貴族に戻るって、言ったろ……」
オゼロ公爵家の武官ならば、待遇も最高じゃないか。胸を張って、ヴィルジールに戻れる。
ここは武官であっても、武官以外の仕事だってしなきゃならないくらい人手不足だし、苦労させるだけだと思うのだ。
なにより、オブシズの父上を知る人たちが、望んでくれている……。
でもオブシズは、そんな風に言う俺に呆れ顔。
「そもそも十三年前に言ってたことだぞ。今更望んでないっつうの……」
「だけど……」
「傭兵してる時間の方が、貴族してる時間より長くなった。もう今更感が半端ないし……」
ため息まじりにそう言ってオブシズは、表情を緩めた。
「俺が貴族に戻ろうとしたのは、その方がお前を守りやすいと思ったからであって、昔を取り戻したかったわけじゃない。そこは誤解しないでくれ。
お前が……自分のことそっちのけで、俺を心配してくれてるのは有難いと思うけどな……。
俺は結構ここ、気に入ってるんだよ……。
貴族らしいことはどうせ元々得意でもなかったし、それしかなかった幼い時はともかく、今は違う。
お前や、獣人らのことだって……。ここでほっぽり出して戻るなんて、考えてもいないよ。
それに……。
確かに、あいつの顔を見た時は、それなりに思うことがあったよ。あったけどな……多分、お前が思ったのとは、違う感慨だと思う」
そう言ってからオブシズは、あいつ相変わらず、不満そうな面構えだったよ……と、諦めを滲ませた。
「正直言うとな、俺は多分、レイモンドに関わりたくないんだ……。
あいつに対して色々思うことはあるけれど、それ以上にこう……禁忌だと感じる。あいつには、関わっては駄目だと。
だから、お前があいつを泳がせると決めたなら、俺はそれに従うし、否を唱えるつもりもない」
ただ、お前が心配だと、オブシズは続けた。
「多分あいつは、俺をもう、この世の者とは、思っていない……。だから俺にあいつが、これ以上何かをするなんてことは、無いさ。
そして……あいつが俺にしたことは、あいつの人生を全く彩っていない。満たしていないんだと、不満だらけのあの表情を見て、分かった。
あいつは昔っからああだった。
周りの何もかもに不満があるんだ。セーデン当主の地位におさまったと聞いた時は、これであいつも満足することを覚えたろうかって……少し、期待したけど……。
結局あいつは、何一つ、満たされていない。
あいつと今の俺、どっちが幸せなんだろうなって、その時思ったんだ。
そうしたらさ、俺はもう、結構満たされてるなって。大切にしてくれる仲間に恵まれて、俺を慕ってくれる、可愛い弟みたいなもんや、支え甲斐のある主人ができた。
ああ、俺はこれでいいんだって、そう思ったんだよ」
弟という部分で、伸びた腕が俺の髪を、ぐしゃぐしゃと掻き回した。
「だから、お前が私情や利益を優先した、なんて風には、思っていない。
お前があいつを泳がせておくことが必要だと思うなら、そうしたら良いし、それが俺の主人たるお前の判断なら従う。
だけどあいつとの関わりを切らないことを選ぶなら、俺にお前を守らせてほしい。
それと…………これだけは絶対、守ってほしいんだけどな」
ただひとつだけ、約束してほしいと言われた。
「……レイモンドに、もう何ひとつ、与えてやるな。
あいつは底の抜けた頭陀袋だよ。どうせ満たされないし、満たされない自分に、余計飢餓感を覚えるだけだ。
だから、もう何ひとつ、あいつには与えないでくれ。許さないでくれ」
与えるなと、オブシズは言ったけれど。
それはもう何ひとつ、奪われたくないという意味だと、理解できた。
オブシズを苦しめることにはしない。それを俺は、彼に誓うべきなんだ。
「分かった」
与えない。
あいつにはセイバーンの何にも、もう、手を出させない。
「誓う」
「それでこそ我が主」
胸に手を当て、ニッカリと笑ってオブシズは「これからもお仕え致します」と、そう言ってくれた。
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