異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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試練の時 7

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「あの娘の母は、赤子を取り出す職務だったのでしょう?    ならばサヤは、その知識を頼みに、誰にも頼れない戦いに挑みます。今までの経験で、それが分かりませんか?
 遠い地で、離れて生活していて、さして得ることのできなかったであろう母親の知識でも、今はそれしか頼みがない……自分にしか、この場の対処はできない。
 そう考える娘でしょう、あれは」

 ハインの言う通り……サヤは、そういう娘だ。

「……シザー、この鍋頼む」

 急いで二階に向かった。
 そうすると、扉の開け放たれた部屋から話し声。

「大丈夫。破水は出産の前兆、普通のことです。私の国では、八ヶ月でも普通分娩……。安全に産める期間に入っています。
 だから、このまま待っていれば、陣痛が始まります。
 そうしたら後は、子宮口が開くまで待つだけ。きっと時間がかかりますから、極力安静にして、リラックス……えっと、落ち着けることを、しましょう。
 カーリンさんの場合は破水が先に来ましたから、歩き回るのはよくありません。だからここでできること……あっ、足湯をしましょう!
 身体を温めて血の巡りを良くすることは、陣痛や子宮口が開くことの手助けになるんですよ」

 さっきまで震えていたのに、不安そうにしていたのに、柔らかい笑顔で、何も心配は無いのだと、安心して良いのだと振る舞うサヤがいた。
 ハインの言う通り……こんな時くらい、サヤを支えなくって、どうする。

 話の区切りがつくまで聞き、引き返す。できることをやるために。

「ハイン、足湯ができるくらいの盥に、湯を張ってくれる?」
「ご自分でなさってください。今手が離せません。
 盥ならばそこの棚に。湯は熱湯ですから、水で薄めて調節してください」

 言われるままに道具を探し、湯を柄杓で掬って注いだ。水を足して、少し熱いくらいに調節……。
 薬缶に、熱いままの湯を注いで、足し湯として持って行くことにした。

「サヤ、これで良い?」
「あっ、ありがとうございます!」

 盥をサヤに渡し部屋を見渡すと、カーリンは顔色は冴えないものの、落ち着いた様子で、静かに座している。
 瞳は揺れていたけれど……泣き言を言う気は無いと、唇を噛み締めていた。
 そうしてそれとは対照的に……。
 カーリンが横たえられた寝台の足元に、血の気の引いた顔で、表情を強張らせているダニル。
 成る程。さっきサヤが言っていた通り、思考に囚われて、現実が見えていない感じだ。
 いったん、ダニルからも視線を外し、俺は部屋を確認することを再開した。

「……この部屋、長椅子無いんだ……。入れた方が良くない?」
「あっ、そうですね。長期戦になるかもしれませんから、私たちが休める場所も、作った方が良いかも……」
「じゃあダニル、手伝って。長椅子が無いなら、寝具を持ち込もう」

 ダニルに声を掛けたら、弾かれたように顔を上げた。
 そうして、まるで幽鬼に取り憑かれたかというような、おぼつかない足取りでこちらにやって来る。
 その彼を促して、前にダニルの部屋として案内された部屋に入ると、限界であったとでもいうように、ダニルはその場に膝をついてしまった。
 だから俺は、こちらの音が極力伝わらないよう、扉を閉めて、そのまま部屋の中を確認。……長椅子は無いけれど、寝台は当然あるから、あれの寝具を持っていくか……。

「…………俺のせいだ………………」

 敷布を畳んでいたら、ダニルから、震えるか細い声……。
 振り返ると、ポタリと落ちた雫が、床を濡らし、それは不規則に続いていた……。

「俺の、所業が…………あの子を殺す…………っ」

 ガリッと、爪が床を掻く音。

 今まで何人も手に掛けてきた。
 生きるために、盗みだって、暴力だって、ありとあらゆる手段を講じてきた。
 己の両手は、穢れて血に塗れているのだ。……と、ダニルはそう考えている。

 だから、カーリンと我が子を、手放す方を選んだ。二人を不幸にしないために、持たないことを選択した。これは、正しい判断で、あったはず……。
 なのに現実は、カーリンを窮地に立たせている……。

 持ってはいけない。望んではいけないと、自分を縛り付けていたあの日々の苦しさを、俺も思い出していた。
 彼らからしたら俺は恵まれた環境で、ぬくぬくと、生きてきた……。ダニルは前に俺を、坊ちゃんだって、言ったもんな……。
 だけどそんな俺も、お前と同じ。幸せになっちゃいけないって思ってたんだって、知ってたかい?

 持っていた寝具を、寝台に置き直して、俺は踵を返す。
 ダニルの前にしゃがみ込んで…………ダニルの頬を、パチンと張った。

「勝手に殺すな」

 極力、怒っているのだというように、表情を引き締めてそう言うと、頭を持ち上げたダニルが、顔を歪める。

「破水しただけだろ。出産するならば、当然のことだ。
 だけど、このまま陣痛が来なければ、赤子だけじゃない。カーリンの命だって危ういって、お前は理解している?」

 そう敢えて口にすると、絶望の底に叩き落とされた、生気の抜け落ちた顔になった。

「なぁダニル……これで満足?    お前が目を背け、手を取らないでいたあの二人は幸せになれそう?    
 生憎だけど……お前がカーリンを抱いたから、お前たちはあの子を授かった。
 それを、認めていないお前以外は、これを皆が承知している。当然、全能なる神も……だと、俺は思うよ」

 そう言うと、ダニルはボロボロと涙を零した。そうして俺の手に、縋るように、自らの震える手を伸ばしてきた。

「どうすればいい、何をすれば、あの二人を許してくれる。救ってやれる……っ⁉︎。俺が、俺が命を捧げれば、助けてくれるのか⁉︎」
「残念ながら……お前が何を捧げたって、そんなことはお構い無しさ。
 今起きていることは覆らない。無かったことになんて、ならないよ。
 なぁダニル……どうする?    このまま、ただ眺めておく?    それがあの二人にとっての最良だと、お前は思うの?」

 お前が何をしようが、現実はこのまま続く。お前が今まで何をしてきたかだって、これから何をするかだって、関係なく、変わらず続くだけだ。
 そう念を押すと、どうして良いか分からなくなったダニルは、自らの頭を掻きむしって、額を床に打ち付けた。
 痛みで自分を罰するみたいに……。だけどな、そんなことしたって、何にもならない……。

「あのな、お前は今、苦しいよな……。
 だけど、子の命を預かって、まだ早いこの時期に破水してしまったカーリンは……お前よりもきっと、もっと、苦しんでいるぞ」

 俺の言葉に、自身の頭を掴むダニルの手に、更に力がこもった。うううぅぅと、苦しそうな呻き声……。
 だけど俺は、容赦するつもりなんて、無いからな。

「今までだってずっと、苦しんでた。お前は目を背ければ済んだけれど、カーリンは腹に子を宿した身だ。
 不安でも、その子を腹に抱えてる、だから育てるしかなかった。現実を受け止めることしか、選べかったんだぞ」

 本当ならもう一つ、選べる道はあった。
 ダニルが拒絶した時、早い段階で子を堕ろすことだって、考えられたはず。
 だけどカーリンはそれをしなかった。それは、お前を幸せにしたいって、カーリンが、想い続けてくれているからだ。
 お前の幸せになる機会を与えるため。お前の心の準備が整うまで、待つためなんだぞ。

「今も、自分の命と、腹の子の命を抱えて、怯えてる。怖くて怖くて、泣き叫びたいって思ってる。何にでもいい、縋りたいって思ってる。
 だけどそれをしないのは、腹の子が守れるのは自分だけだって、分かってるからだ。腹の子には父親がいない、母親の自分しかいないのだって、思ってるからだ」

 なぁ、それで良いのか?    カーリンを支えてやれるのは、お前だけなのに。

「子は神からの祝福……。サヤの国でも、子は神からの授かり物だと、考えるそうだよ。
 なぁダニル……どうして神は、お前たちに子を授けてくださったんだろうな。なんでお前たちを祝福したんだ?
 なんのための祝福なんだ。お前たちを、こんな風に苦しませるため?
 俺は、違うと思うよ。
 神は……神は前世の行いや、今世の行いなんて関係なく、俺たちを慈しんでくださってるって、思ってる。
 だから、祝福してくださったんだろう?    お前に幸せになってほしいって、思ってくださったんだろう?    天上の尊い方たちは、いつだって、俺たちが幸せになることを、願ってくださってるんじゃないのかな」

 お前の心にある苦しみを分かっているから、祝福を与えてくださったんじゃないのかな。
 罪を悔いて、よりよくなりたいと願うお前の心を祝福してくれたんじゃないのかな。苦難を乗り越えて、前に進んでほしいって、思ってくださってるんじゃ、ないのかな。

「残念だけど、カーリンと腹の子を今すぐ救う手立ては無いよ。でも……この試練を乗り越えられるよう、二人を支えることならば、できる。
 無事に子を産めるよう、俺たちも全力で手助けする。できる限りのことをする。だけどな。
 カーリンの心を支えられるのは、俺たちじゃない」

 それができるのは、ただ一人だけだ。

「それは、お前の役目だろ。
 この不安な時に、カーリンの心を支えてやらなくてどうする!
 カーリンは、お前の子を、無事に産もうって、今も戦ってる。命懸けで守ろうとしてくれてるんだぞ!」
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