上 下
584 / 1,121

対の飾り 8

しおりを挟む
「構造はこれで決まった……あとは数を作るだけだ」
「もう針子に任せておける段階になったってこと?」
「そ。なので俺はちょっと寝てくる……」

 そう言い欠伸を咬み殺すギル。
 あとは針子らが総出で作り上げていってくれるのだろう。作れる段階まではどれも進めてあるのだろうし、多分あとはある程度早いはず。
 とはいえ、リヴィ様のお帰りは明日だ。

「ギル、リヴィ様は明日の昼にお帰りになるらしい。
 だから、リヴィ様の荷物を早めに済ませてあげて欲しいんだ」

 そう言うと、扉に向かっていた足が止まった。

「…………明日の昼?」

 予想していなかったといった表情。

「はい。私、一度アギーに戻らねばなりませんの」

 美しく微笑んで、リヴィ様はなんでもないことのように、そう口にする。
 本当は今の、この一瞬だって、リヴィ様にはギルと過ごせる貴重な時間……。だけど、ギルを引き留める様子は無い。
 ギルが全力を出し切って、女近衛の正装に挑んだと理解しているから……。

 ただ微笑むリヴィ様に、ギルはまた、暫く沈黙した。

「……畏まりました。では本日のご予定は?」
「特にはございませんわ。荷物はもうだいたい、纏めてありますし……」
「ならば少々お待ちいただけますか。身支度を整えてまいりますので」
「え?」

 首を傾げるリヴィ様。
 それに対しギルは、説明もなしに急ぎ退室していくから慌てた。

「サヤ、ちょっとここ、任せて良い?」
「はい」

 ついて来ようとするハインも断り、外には行かないからと伝え、ギルの後を追った。
 彼の部屋に行くと、慌てた女中が湯を張った桶と剃刀を持ってやって来たり、礼服を持って走って来たりと忙しなくしている。
 開いた扉から中に身を滑り込ませると、身支度中のギルが何やら女中に指示を飛ばしていた。

「ギル、寝るんじゃなかったの?」
「はぁ?    そんな場合じゃねぇだろ」

 そう言い、もっと早く教えろよと言わんばかりに俺を睨むギル。
 言える状況じゃなかったろうが。そんな風に目の下を黒くして、切羽詰った顔して、仕事に没頭してた奴に。
 そう言ってやろうかと思ったけれど、その言葉は胸の奥にしまい込む。
 今は少しでも、休ませてやることを優先しよう。

「…………ギル、とりあえず長椅子に横になれ。俺が髭、剃ってやるし。
 あ、すまないが、湯で湿らせた手拭いを頼む。極力熱いやつ、二つね」

 女中にそう指示して、長椅子にどかりと腰を下ろし、長靴を脱いだ。
 その様子を見ていたギルが嫌そうに顔を歪める……。

「男の膝枕かよ……」
「文句言うな」

 散々抱きついたりして来るくせに、これくらいのことがなんだ。

 ぽんぽんと膝を叩くと渋々こちらにやって来るから、ギルの頭を無理やり膝の上に引き下ろした。
 背の高いギルは、俺が長椅子の端に座ったって足が反対の端からはみ出るのだが、女中がサッとギルの長靴を脱がし、手置きに引っかかる足の下に座褥クッションを詰め込み、腰から下に上掛けを掛けてしまう。
 素早い……。彼女らも、ギルを少しでも休ませたいって、思っていたのだろう。
 そんなことを考えながら、俺は別の女中が持って来てくれた手拭いを、鼻から下と、目の上に置いた。

「コラッ、なんで視界を塞ぐ」
「目元を温めると、くまが多少ましになるって、サヤが前にやってたんだよ。……髭剃る間だけでも、寝てろ」

 そう言うと、目元の手拭いを取ろうと伸ばされた手が、そのままパタリと胸の上に落ちた。

 髭が湿るのを待つ間に、用意を済ませた女中に手振りで退室を促すと、お願いしますと視線のみで伝えて来た彼女らが、そのままそっと部屋を退く。
 静かになった室内で、とりあえず手持ち無沙汰な俺は、ギルの前髪を手で梳いて、暇を潰した。
 たいして待つまでもなく、寝息が聞こえてきだす……。
 前も目元をこうすると、気持ちが良いのかよく寝てたもんな。

「お疲れ、ギル……」

 声を掛けてみたけれど、返事は無い。
 俺は頃合いを見て、勝手にギルの顔の手入れを開始した。

 こうして……リヴィ様を放置しないでおこうと動くのは、女性に手厚いギルなら当然のことだ。
 今回は、仕事を優先して放置していたと自覚もしているから、尚更だろう。

 だけど……お前、自分でちゃんと気付いてる?

 普段のお前なら、女性に隙を見せるなんてしない。
 求められる通り、いつも完璧な王子様を演じるのだ。
 それは、王子様を求められていると、自覚しているから。女性がギルの姿をした偶像を見ているだけだと、理解しているから。
 つまり、無精髭を生やしたり、目の下にクマを作ったりしている姿を晒したりなんてしない。

 なのに……。

 姫様の命とはいえ、リヴィ様のために、なりふり構わず全力を出しきって、あの細袴を作り上げたんだろ?
 元の細袴でも、構わなかったのに。
 彼女は文句ひとつ、言っていなかったのに。
 つまりもうそれが、お前の答えなんじゃないのか?

 そう思うものの、ギルは多分、このままではこれ以上を踏み越まないという、確信があった。
 リヴィ様がアギーの方であり、自分がただの庶民であるということを、きっと俺以上に理解しているのだ。
 更に俺たちの問題もある。
 まだ晒すわけにはいかない、獣人らのこと。
 だけど、地盤を固め、時が来たら、獣人らに関わっていることを、俺たちは世に示す。
 その日は必ずやって来る……。

「そういや、あの馬鹿野郎は王都にいるのか?」

 いつの間にか手が止まっていたのだろう。
 ギルが不意にそう言うから、びっくりして剃刀を取り落すところだった。

「あっ、あっぶな……!
 あのなぁ、起きてるならそれらしくしててくれないかな⁉︎」
「お前こそ剃刀構えて考え事に没頭してんなよ。俺の顔に傷を入れる気か」

 目元を隠したまま、見えもしないのにそんな風に言う……。
 くそっ、腐れ縁ってこう言う時に不利だ……。
 そう思ったものの、ギルの言う通り、剃刀を構えて考え事なんてするもんじゃない。
 何よりリヴィ様をお待たせしているのだし。
 剃刀を一旦洗いつつ、俺はギルの質問に質問を返す。

「馬鹿野郎って、誰のこと?」
「一人しかいないだろうが。オリヴィエラ様の、ほら、元あれだ……」
「……あぁ、ライアルド様?」
「様なんか付けんな」

 心底嫌そうに吐き捨てる。
 まぁ、ギルの対極にいるような人だもんな。嫌悪もするか……。

 とりあえず髭剃りを再開して、ギルの質問について考えた。

「……いるんじゃない?    軍属だって言ってたし。
 リカルド様が見覚えあるみたいに言っていたから」
「…………じゃぁ、王都で顔を合わせる可能性もあるんだな」
「…………そうだね」

 王都の国軍に属しているなら、式典には必ず出席するはずだ。
 そう答えると、ギルの口元が不機嫌そうに歪む。

「急に動くなって。本当に切っちゃうだろ」
「……お前の印象では、どうなんだ。そいつは」
「どうって?」
「……だから式典で顔を合わせでもしたらだよ。
 オリヴィエラ様に、暴言を吐くような輩なんだよな?」

 そう言われ、まあそうだろうなと思った。
 一応、マルにも聞いたのだ。ライアルドという人物について。
 イングクス伯爵家、第一夫人の子で、イングクスでは三子にあたるライアルド。
 母親が公爵家の者であったため、二人目の妻であったけれど、第一夫人となったのだという。
 だから、三子であっても扱いは嫡子となり、それゆえか……。

「リヴィ様は、あちらの体裁を考えて、姫様の推挙により女近衛となるためって理由で、縁を切ったらしい。
 だから、あちらの落ち度は問われていない」

 伯爵家の者であるのに、リヴィ様に敬称を付けなかったライアルド。
 この出自で、あの性格なら……リヴィ様をこき下ろして自分の株を上げるくらいのことは、躊躇なくするだろう。

「軍属なのだし、戴冠式やその他の式典にも顔を出すと思う。
 今まではリヴィ様との縁を伏せていたようだけど、たぶん大々的に晒すだろうな。
 国への忠誠、貢献として、婚約者を泣く泣く手放した……という艇を取るのじゃない?」

 無論リヴィ様は、そうすることができるようにと、あの理由を使ったのだと思う。
 それが彼の方のけじめのつけ方であり、アギーの者であるという矜持なのだろう。
 だけど、正直俺はそれを、歯痒く思っていた。
 リヴィ様がそれをライアルドに許すならば、ライアルドはきっと、リヴィ様を好き勝手にこき下ろす。
 そしてなりより、女近衛となるリヴィ様の決意など関係無しに、その地位を妬むだろう。
 近衛隊長は、ただ軍属であるライアルドよりも、地位としては上になる。
 家の格式が違ってすら、リヴィ様を見下していたあの男が、それを許すとは思えない。

「アギー公爵様は、知っていらっしゃるのだよな?オリヴィエラ様の身に起きていたことは」
「うん。そう思うよ。ただ……。
 アギーの社交界に出席して感じたのだけど、アギー公爵様は、自ら動くことはしないと思う。
 リヴィ様本人が申し立ててくれば動くかもしれないけれど、ただ過保護にリヴィ様を守ることはしない。
 だから、リヴィ様の申告通り、推挙が理由ってことで、ライアルドとの縁を切ったのだろうし」

 アギー公爵様は獅子だ。
 子を千尋の谷に突き落とす方だ。
 這い上がってこれない子も慈しむだろうけれど、自らの背に乗せて谷を駆け上がろうとはなさらない方。

「ていうか、ギルはアギー公爵様と面識あるだろ?」
「ねぇよ馬鹿。大公爵様だぞ」
「えっ⁉︎    だって推薦状……」
「……あれは……姫様経由でお願いしたから。だから……面識すら無い。
 俺はアギーの女性陣とは縁があるが、男性方とは無いんだよ」

 そう言い、どこか歯痒そうに口元を歪める。
 女性全般に優しいギルにとっては、アギー公爵様の放任主義は納得いかないのだろう。

「女近衛は、今までのこの国の在り方を真っ向から否定してんだぞ。
 馬鹿野郎だけじゃなく、そこらじゅうが彼の方やサヤを、真っ当な目で見ない……」
「うん……そうなるだろうね」

 女性が武を嗜むことすら否定してきた国だ。
 急に方針を翻したって、すぐそれに右倣えとはならないだろうことは、容易に想像できた。
 女王となる姫様すら、受け入れられるには時間が必要だろう。

「姫様は王だ。それに姫様には、ルオード様がいらっしゃる……。サヤは式典だけで、普段はセイバーンなんだよな?」
「うん。そうなる……」

 なら、リヴィ様の盾となってくださる方は?

 その問いを、ギルは俺に投げかけはしなかった。
 分かっていたのだろう。リヴィ様は、一人立たなければならないということが。
 ただでさえ少ない女近衛。その長となるリヴィ様は、男社会に身を投じなければならない。全ての矢面に立つための、長だ。

「……姫様は、オリヴィエラ様の任期について、何も言ってらっしゃらなかったのか?」
「言ってなかったよ。だけどまぁ……数年では済まないだろうな」

 たぶんリヴィ様は……ご自身の結婚は、人生の中に想定していらっしゃらない……。
 生涯を独身で通すか、役割を果たした後に、どなたかの後妻として、政略的な結婚をする形か……その辺りを想定していらっしゃるのじゃないかな。

「初めての役職だし、なにより女性が政策に携わるための礎を作らなきゃならない。
 リヴィ様は、それを分かってらっしゃると思うよ……」

 分かってらっしゃる……。
 その覚悟をしているから、ギルに何も、求めないのだろう……。

 リヴィ様は、きっと踏み越えない。
 ギルをただ、良い思い出として、宝箱に奥底に、しまい込むつもりなのだろう。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

貴方を捨てるのにこれ以上の理由が必要ですか?

蓮実 アラタ
恋愛
「リズが俺の子を身ごもった」 ある日、夫であるレンヴォルトにそう告げられたリディス。 リズは彼女の一番の親友で、その親友と夫が関係を持っていたことも十分ショックだったが、レンヴォルトはさらに衝撃的な言葉を放つ。 「できれば子どもを産ませて、引き取りたい」 結婚して五年、二人の間に子どもは生まれておらず、伯爵家当主であるレンヴォルトにはいずれ後継者が必要だった。 愛していた相手から裏切り同然の仕打ちを受けたリディスはこの瞬間からレンヴォルトとの離縁を決意。 これからは自分の幸せのために生きると決意した。 そんなリディスの元に隣国からの使者が訪れる。 「迎えに来たよ、リディス」 交わされた幼い日の約束を果たしに来たという幼馴染のユルドは隣国で騎士になっていた。 裏切られ傷ついたリディスが幼馴染の騎士に溺愛されていくまでのお話。 ※完結まで書いた短編集消化のための投稿。 小説家になろう様にも掲載しています。アルファポリス先行。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。

火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。 王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。 そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。 エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。 それがこの国の終わりの始まりだった。

処理中です...