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カナくん 1

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 カタリーナ親子を加え、セイバーンに戻ることが決まった。彼女に娘と、荷物を纏めて至急ここへと指示をして、いったんは彼女を解放。
 我々もその間に、最後の荷造り……。
 とはいえ、あらかたのことは済ませてしまっているので、基本的にお世話になった方々への挨拶が主な仕事だ。

「結局あまり時間を作れずで申し訳ありませんでした。
 湯屋の件に関しましては、戴冠式までに計画内容と費用を幾つか纏めておきます。式の時にご確認いただきましてから、修正ののち、進めさせてもらう……ということでよろしいですか?」
「それで良い。
 だが優先順位は騎士団宿舎が先だ。まずはそちらの湯屋から頼む。
 使える井戸と敷地は記しておいたものを参考にしろ。ふってある番号は位置の希望順だが、工事の関係上選べぬ場合もあろうし、参考程度で良い」

 リカルド様より、騎士団の名簿と見取り図、井戸の場所と希望順を記された書面を渡された。準備してくださっていたらしい。

「アギーの社交界だからな。こちらが無理を言って割り込んだようなものだ。こうなることは分かっていたゆえ、気にせずとも良い。
 だがとにかく、戴冠式には必ず来い。もう辞めたなどと言うなよ」

 最後にそう念を押され、行って良いと促された……。
 それはつまり……リカルド様も俺のことを気にしてくださっていて、こうしてわざわざアギーまで足を運んでくれた……ということなのだろう。
 嫡子であるこの方がわざわざこうして……。
 リカルド様の王座へと至る道を閉ざした俺なのに、そのことには一切触れないで……。

「はい……もう、言いません。
 俺も、俺のやるべき役割を、全うします」

 姫様を支える礎のひとつとして。サヤや領民を幸せにするために働く。
 その気持ちを込めてそう答えると、リカルド様はうっすらと微笑み「期待している」と、もう一言だけ添えてくださった。

 ヴァーリンのお部屋から戻る途中で、ホーデリーフェ様に遭遇した。
 聞けば俺たちの部屋へと挨拶に来てくださったのだという。しかし不在のため、伝言だけ預けてきたのだと……そんな風に添えられてしまい……。

「大変失礼致しました!」

 まさか来客があるとは考えてもみなかったのだ。
 ヘイスカリ子爵家……後で知ったけれど、アギー傘下で従者や女中として公爵家に仕えている家系であった様子。
 特別秀でた者を輩出しているというわけではないが、堅実に役割をこなす歴史の長い血筋であるようだ。
 どちらにしても男爵家のセイバーンより当然高位。まさか挨拶に来ていただいたなどと……⁉︎

「いいえ、お気になさらないで。
 私は貴方に救っていただいたお礼をと思っただけ。そのことに出自の位など関係ございませんし、無粋なだけですわ」
「いや、私は何も……あれは……」
「リカルド様が、来て下さったから……でしょう?
 でも私、貴方に、お礼を伝えたいと思いましたの。どうしても」

 柔らかい笑顔でそう言って、それから後方に立つ男装のサヤに視線をやるホーデリーフェ様。
 当然今日も、サヤに対する視線は厳しいものであったのだけど、彼女はそういった視線の中で敢えて、声を掛けてくれた。嫋やかな女性には些か勇気が必要であったと思う。
 一緒におられる男性はご家族の方なのだと思うが、どこかそわそわと周りを気にしている。俺たちに声を掛けたこと自体、この方々には不利益を被る可能性があることなのだろう。
 これは早々に離れた方が良さそうだ。ご迷惑をお掛けしてしまう前に……。そう思ったので、一礼して場を離れようとしたのだけれど……。

「昨日、オリヴィエラ様から……正式に女近衛への推薦をお受けすると決めた……と、ご報告をいただきましたの」

 その柔らかい笑顔のまま、俺が言葉を口にする前に、声を発したホーデリーフェ様。

「ライアルド様との縁を切ることを、私が気にしてはいけないと思って……と、そうおっしゃいましたのよ、あの方。
 あのこととは関係無く、アギーの者として必要とされておりますことに、応えるだけですのよって」

 そう言ったホーデリーフェ様は、苦いものを飲み込んだような苦笑を零す。

「私、あの時……ただオリヴィエラ様の陰に隠れて、オリヴィエラ様を侮辱する言葉に何も言い返せず、ただ自分可愛さで怯えておりましたわ。
 ヒルリオ様や、ライアルド様が恐ろしくて……誰でも良いから助けてほしくて、本来は関係の無いオリヴィエラ様に、縋り付いてしまいました。
 私が、巻き込んでしまったのだのだというのに……」
「…………あの……、リヴィ様は、そのようには考えていらっしゃらないのだと、思いますよ。
 あの方は、女性の身で剣を握った、誇り高き方です。
 貴女ではなくとも、女性がああして苦境に立っていたのなら、きっと動いたのではないでしょうか」

 リヴィ様は、騎士たるにふさわしい方だ。
 ライアルドに言われる言葉に深く傷ついていた……。少なからず恐れを抱いていた……。それでも、家の関係を壊すまいと耐え忍んでいた。
 なのに、ホーデリーフェ様を背に庇い、引かなかったのだ。
 彼の方は俺に助けられたと言うけれど、リヴィ様は始めから、ライアルドにちゃんと立ち向かっていた。負けてなどいなかった。俺はそう思っている。

 俺の言葉に、ホーデリーフェ様は瞳を伏せた。
 そうして今一度視線を上げ、サヤを見る。

「ひとつ……お聞きしてもよろしくて。
 サヤ、貴女は何故、身を危険に晒すことを選びますの?    恐ろしいとは、思わなくて?」

 今も当然サヤは、その危険の中に身を晒している。顔色だって、少し悪いし、身を震わせている……。
 オブシズが身を盾にしてくれて、幾分かマシになっている視線であるけれど、やはり今も……。
 けれどサヤは、ホーデリーフェ様の言葉に、口角を持ち上げて、微笑んだ。

「当然、怖いものは怖いですよ。
 でも……それよりもっと怖いものを、私は知っているので……」
「それよりもっと……ですの?」
「はい。怖くて怖くて逃げていた時、今よりもっと、怖かったです。何もかもが、怖かったです。
 部屋から一歩を踏み出すことすら……私のために差し伸べてくれていた手すら、全部怖くて」

 微笑んで、口にされたその言葉に、ホーデリーフェ様は目を見開いた。
 勇者であるとリヴィ様に誉めたたえられていたサヤが、何もかもを恐れていた時があった……ということに。

「そんな私を……全部が怖い私を無理矢理にでも引っ張り出して、背中を押してくれた人が、いたんです。
 逃げるから、怖いのだって。立ち向かえば、怖くなくなるって……。その言葉に縋って、身を鍛えてまいりました。
 嬉しいも、楽しいも、全部恐怖になってしまったあの時に比べたら……。
 嬉しいや、楽しいを、ちゃんと感じるために戦う方が、いくらだってマシなんです。
 それに……。
 本当に失くしたくないものができたので、そのために自分にできることがある今を……とても嬉しく、思います。
 縮こまっていた私を引っ張り出してくれたあの人に、とても感謝しています」

 危険に身を晒し、それでもそれを後悔していないと、サヤは言った。
 恐怖というものは、立ち向かう限り、恐怖ではなくなる。越えるべき壁なのだと。
 そして……カナくんにも、今は感謝しているのだと……。

「逃げるから、怖い……?」
「ええ。逃げ続ける限り、怖いはずっと、傍にいるでしょう?
 結局、立ち向かって倒す以外、解放されないのだって、分かったので。
 だから私は、怖いに負けたくないんです」

 どんな逆境にだって、挑む。負けない、倒すまで立ち向かうのだと、サヤは笑った。
 その笑顔に、ホーデリーフェ様もほんの少しだけ、口角を持ち上げる。

「そう……貴女は初めから、強かったのではないのね。
 教えてくださって、ありがとう。私も……今からでも、強くなれるものなのかしら?」
「進み出した瞬間から、負けていた時より貴女は確実に、強くなっています」
「!    そう。そうなのね。なら私も、昨日の自分より強くなれるよう、頑張ってみようかしら……」

 応援していますと笑ったサヤ。
 その笑顔がとても眩しくて、愛おしくて、美しくて……。
 逃げない彼女の強さは、この輝かしさは、彼女が逃げなかったからこそなのだと、これを守るためなら俺だっていくらでも、戦えるのだと思った。

 そして、ただ気になって、だけど怖くて聞けなかった……カナくんという存在に、俺も目を向けなければならない現実を……もう、見ないふりはできないのだと、理解した。
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