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変化 1
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夜会で、サヤが女性であることはもう、知れ渡ってしまった。
しかも彼女の黒髪は目立つ。容易にサヤが特定できてしまう。
おかげで翌日から、俺たちを取り巻く環境は、否応無しに、大きく変化した……。
サヤは昨日の美しい女性の装いから、またいつもの男装に戻った。
セイバーンへの帰還準備も始まり、明日の出立ができるよう、使わない荷物に関しては、今日から馬車に詰め込んで行くことになった。
とはいえ、ディート殿がいる間の、朝の鍛錬は続行したいという俺の希望もあり、午前中は仕度を女中らに任せて俺たちは鍛錬だ。
荷物の片付けを押し付けてしまうと恐縮するサヤに、女中頭は「むしろ本来は私どもの職務なのですよ」と、苦笑気味だ。
従者の仕事は本来、俺の補佐。
掃除や洗濯、食事を作ることや……まして旅の荷造り全般なんて、通常は含まれない。
やたら雑務にまで手を出そうとする俺の従者たちに、女中頭は普段から思うところがあったらしく……。
「今後は女中や衛兵を増やし、新たに教育していかなければなりませんし……できるならばこういったことは全て、任せていただきたいのですけど……」
と、進言してきた。
例外を設けることは最低限にしておいてほしいと女中頭。
「若い子を雇った時、例外の数だけその子らが叱責を受けることになりかねませんもの」
「そうだな……。確かに、そろそろ仕事の整理は必要かもしれない」
役職を賜れば、今まで以上の仕事量になるだろうし、掃除や洗濯までしてまわる余裕は無いだろう……。
「それと、料理人を雇うことも検討していただけると有難いですわね。
ユミルもそろそろ十五……今回の件で料理の腕も、手際も申し分ないと感じました。
食事処との兼ね合いもあるのでしょうけれど、もう館は、料理人無しで捌ける状況ではないと思いますわ」
う……。
そ、そうだよな、やっぱり……。この冬はガウリィたちが臨時雇いに応じてくれたから助かったけれど……来年はそうもいくまい。
うん、それも考えてみます。
女中頭に、続きはセイバーンに戻ってからと伝え、俺たちは鍛錬場所に足を向けた。
いつもならば朝の早い時間帯に、人は少ない。
けれど皆、帰還準備に奔走しているのだと思う。本日のアギー邸宅内は騒々しかった。
知人への挨拶へ赴くのか、従者を連れた貴人が闊歩し、通過の最中頭を下げていた使用人が、慌てて荷物を持ち直して、足早に先を急ぐ。
時間に追われている使用人らは皆必死だ。貴族が通る度に作業を中断し、頭を下げなければならないから。……ここを通るのはなんか、申し訳ない気がするな……。
「邪魔になりそうだから、さっさと通ろう」
ここでモタモタしていたら、使用人らが仕事に困る。
極力速やかに邸宅内を突っ切ろうと足早に進み出したのだけど……。
「女らしいぞ」
という言葉が、耳に飛び込んできた。
咄嗟に、足が止まる。
「昨日は着飾っていたのに、また男の様相だな……」
……サヤのこと、だ。
「趣味が悪いというか……」
「そうまでする価値がある女か」
「片時も離したくないとは、恐れ入る。そこまで執着せねばならぬ女とは思えぬがな」
「いやいや、案外あちらは見た目に反しておるのやもしれぬぞ」
敢えてなのだろう。
俺に聞こえるように囁かれているのだ、これは。
だけど……何故、俺じゃなくサヤを、あげつらう?
「本日は耳に印も無いようだ」
ゾクリと背筋が凍った。
印が無い……。サヤに印があるかどうかを、わざわざ確認し、口にした輩……。
恐る恐る周りを見渡すと、そこいらの貴族の視線が、全てこちらを向いていた……。
俺を一度見て、横に視線をずらす。眉をひそめる。口元を歪ませる。チッという舌打ち。溜息……。
決まって、俺から、右へとそらされるその視線の先が何なのかは、見なくとも分かっていた。
何より、声を聞いただけで分かる、好奇、嘲笑、苛立ち、敵意……。声が粘ついているとさえ感じる。まるで舐め回されるような不快感を伴う、視線。
「昨日のあれだって、印とは言わぬだろう。飾りを飾っていただけさ」
あの耳飾を、そうとは認めないという意思を、敢えて示してくる。
「近衛とやりあう猛者らしいが、到底そうは見えぬ」
ただサヤを、見た目で愚弄する言葉を吐いてくる。
「あの細い首や腕、抱けば折れそうな腰。あれで無手で、どうやって戦うと言うのか……」
「それはお前、女には特別な武器があるだろう」
「それは羨ましい。俺にも一手願いたいものだ」
わざわざ聞こえるように囁かれる、毒針のように鋭く陰湿な言葉。
視線をやれば、目元だけがニヤリと笑って話を別のものにすり替え、まるでそれまでが無かったかのように振る舞う。
そうして、無遠慮な視線だけをサヤに向け、彼女を視線で蹂躙する……。
分かっていた……分かっていたけど……。
「……行こう」
止まってしまっていた足を、無理やり動かして前に進んだ。
行こう。ここを抜けよう。早く、ディート殿らの所へ急げ。
こんな毒のある言葉を、視線を、サヤに、触れさせたくない。
邸内を進めば進むほど、どんどん顔色が悪くなるサヤを連れ、とにかく進んだ。
貴族の方々と遭遇する度、身の震えを必死で押し殺すサヤが痛々しくて、引き返そうかと何度も考えた。
けれどそれをサヤは是とせず、ならばせめてと、腕に引き込み庇おうとしたのだけれど、それも本人が頑なに拒んだ。
「大丈夫です」
弱っているところを見せまいと、歯を食いしばって顔を上げる。
血の気が引いた白い手で、拳を握って……手に爪跡がつくほど握りしめて……。
大丈夫であるはずがなかった。
けれど彼女は、大丈夫と、口にする。
「サヤ……」
「大丈夫です。分かっていたことですし、それでもと、望んだ結果です。……後悔なんて、していませんから」
瞳の奥底に見え隠れしている恐怖。でもそれを強靭な精神力でもってねじ伏せて、サヤは真っ直ぐ俺を見た。
そうして、騎士のような凛々しい表情を、敢えてふわりと緩ませて、笑ってみせる……。
「行きましょう。リヴィ様や、ディート様が、お待ちですよ」
俺に心配をかけまいと、歯を食いしばって、口角を持ち上げる。
「……あぁ、そうだな……」
そうだ……これは、俺がサヤを望んだ結果で、サヤが俺を望んでくれた結果。
今のままでは、近い未来にサヤを孤独にしてしまう。だから、この戦いに挑むと決めた。サヤの居場所を、俺の隣に定めるために。
ならこれは、成るべくして成ったこと。成そうとしたものが形となるまで、耐えるしかないんだ……。
しかも彼女の黒髪は目立つ。容易にサヤが特定できてしまう。
おかげで翌日から、俺たちを取り巻く環境は、否応無しに、大きく変化した……。
サヤは昨日の美しい女性の装いから、またいつもの男装に戻った。
セイバーンへの帰還準備も始まり、明日の出立ができるよう、使わない荷物に関しては、今日から馬車に詰め込んで行くことになった。
とはいえ、ディート殿がいる間の、朝の鍛錬は続行したいという俺の希望もあり、午前中は仕度を女中らに任せて俺たちは鍛錬だ。
荷物の片付けを押し付けてしまうと恐縮するサヤに、女中頭は「むしろ本来は私どもの職務なのですよ」と、苦笑気味だ。
従者の仕事は本来、俺の補佐。
掃除や洗濯、食事を作ることや……まして旅の荷造り全般なんて、通常は含まれない。
やたら雑務にまで手を出そうとする俺の従者たちに、女中頭は普段から思うところがあったらしく……。
「今後は女中や衛兵を増やし、新たに教育していかなければなりませんし……できるならばこういったことは全て、任せていただきたいのですけど……」
と、進言してきた。
例外を設けることは最低限にしておいてほしいと女中頭。
「若い子を雇った時、例外の数だけその子らが叱責を受けることになりかねませんもの」
「そうだな……。確かに、そろそろ仕事の整理は必要かもしれない」
役職を賜れば、今まで以上の仕事量になるだろうし、掃除や洗濯までしてまわる余裕は無いだろう……。
「それと、料理人を雇うことも検討していただけると有難いですわね。
ユミルもそろそろ十五……今回の件で料理の腕も、手際も申し分ないと感じました。
食事処との兼ね合いもあるのでしょうけれど、もう館は、料理人無しで捌ける状況ではないと思いますわ」
う……。
そ、そうだよな、やっぱり……。この冬はガウリィたちが臨時雇いに応じてくれたから助かったけれど……来年はそうもいくまい。
うん、それも考えてみます。
女中頭に、続きはセイバーンに戻ってからと伝え、俺たちは鍛錬場所に足を向けた。
いつもならば朝の早い時間帯に、人は少ない。
けれど皆、帰還準備に奔走しているのだと思う。本日のアギー邸宅内は騒々しかった。
知人への挨拶へ赴くのか、従者を連れた貴人が闊歩し、通過の最中頭を下げていた使用人が、慌てて荷物を持ち直して、足早に先を急ぐ。
時間に追われている使用人らは皆必死だ。貴族が通る度に作業を中断し、頭を下げなければならないから。……ここを通るのはなんか、申し訳ない気がするな……。
「邪魔になりそうだから、さっさと通ろう」
ここでモタモタしていたら、使用人らが仕事に困る。
極力速やかに邸宅内を突っ切ろうと足早に進み出したのだけど……。
「女らしいぞ」
という言葉が、耳に飛び込んできた。
咄嗟に、足が止まる。
「昨日は着飾っていたのに、また男の様相だな……」
……サヤのこと、だ。
「趣味が悪いというか……」
「そうまでする価値がある女か」
「片時も離したくないとは、恐れ入る。そこまで執着せねばならぬ女とは思えぬがな」
「いやいや、案外あちらは見た目に反しておるのやもしれぬぞ」
敢えてなのだろう。
俺に聞こえるように囁かれているのだ、これは。
だけど……何故、俺じゃなくサヤを、あげつらう?
「本日は耳に印も無いようだ」
ゾクリと背筋が凍った。
印が無い……。サヤに印があるかどうかを、わざわざ確認し、口にした輩……。
恐る恐る周りを見渡すと、そこいらの貴族の視線が、全てこちらを向いていた……。
俺を一度見て、横に視線をずらす。眉をひそめる。口元を歪ませる。チッという舌打ち。溜息……。
決まって、俺から、右へとそらされるその視線の先が何なのかは、見なくとも分かっていた。
何より、声を聞いただけで分かる、好奇、嘲笑、苛立ち、敵意……。声が粘ついているとさえ感じる。まるで舐め回されるような不快感を伴う、視線。
「昨日のあれだって、印とは言わぬだろう。飾りを飾っていただけさ」
あの耳飾を、そうとは認めないという意思を、敢えて示してくる。
「近衛とやりあう猛者らしいが、到底そうは見えぬ」
ただサヤを、見た目で愚弄する言葉を吐いてくる。
「あの細い首や腕、抱けば折れそうな腰。あれで無手で、どうやって戦うと言うのか……」
「それはお前、女には特別な武器があるだろう」
「それは羨ましい。俺にも一手願いたいものだ」
わざわざ聞こえるように囁かれる、毒針のように鋭く陰湿な言葉。
視線をやれば、目元だけがニヤリと笑って話を別のものにすり替え、まるでそれまでが無かったかのように振る舞う。
そうして、無遠慮な視線だけをサヤに向け、彼女を視線で蹂躙する……。
分かっていた……分かっていたけど……。
「……行こう」
止まってしまっていた足を、無理やり動かして前に進んだ。
行こう。ここを抜けよう。早く、ディート殿らの所へ急げ。
こんな毒のある言葉を、視線を、サヤに、触れさせたくない。
邸内を進めば進むほど、どんどん顔色が悪くなるサヤを連れ、とにかく進んだ。
貴族の方々と遭遇する度、身の震えを必死で押し殺すサヤが痛々しくて、引き返そうかと何度も考えた。
けれどそれをサヤは是とせず、ならばせめてと、腕に引き込み庇おうとしたのだけれど、それも本人が頑なに拒んだ。
「大丈夫です」
弱っているところを見せまいと、歯を食いしばって顔を上げる。
血の気が引いた白い手で、拳を握って……手に爪跡がつくほど握りしめて……。
大丈夫であるはずがなかった。
けれど彼女は、大丈夫と、口にする。
「サヤ……」
「大丈夫です。分かっていたことですし、それでもと、望んだ結果です。……後悔なんて、していませんから」
瞳の奥底に見え隠れしている恐怖。でもそれを強靭な精神力でもってねじ伏せて、サヤは真っ直ぐ俺を見た。
そうして、騎士のような凛々しい表情を、敢えてふわりと緩ませて、笑ってみせる……。
「行きましょう。リヴィ様や、ディート様が、お待ちですよ」
俺に心配をかけまいと、歯を食いしばって、口角を持ち上げる。
「……あぁ、そうだな……」
そうだ……これは、俺がサヤを望んだ結果で、サヤが俺を望んでくれた結果。
今のままでは、近い未来にサヤを孤独にしてしまう。だから、この戦いに挑むと決めた。サヤの居場所を、俺の隣に定めるために。
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