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社交界 14

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ディート殿からの情報により、準備が始まり、少し慌しくなった。

「良うございましたわ。サヤさんの体型もずいぶん戻られましたし、腰巻を入れれば形は整いますわね」
「髪型はミツアミでゆるめにして……って、これ、どういう意味でしょう?」
「あ、それは自分でやります」
「……サヤさん、これからは私どもの職務になりますから、やり方をご指導いただいてもよろしいかしら?」

 女中頭の指揮のもと、女中総動員でサヤの身繕いの予行演習がなされている。
 なにせ、下着の上に腰巻を入れるとか、袴の中に細袴を着込むとか……規格外のことがルーシーの記した着付け手順に含まれているのだ。そりゃ慌てる……。

 朝からの衣装合わせで、鍛錬に出向く時間も無く、一通りの予行演習が済まされてから、夜会の一般的な進行の流れと貴族同士での挨拶、上位、下位の見分け方などをサヤに確認する半日となった。

「えっと、印綬があるのが爵位や役職を賜っている方で、まあそれは良いんですけど……衣装の豪華さで位を判断って、加減が分からないので難しいです……」
「うん。はじめは仕方がないから、あまり気にしないで。慣れればなんとなく見分けつくから。
 それに正直言って、俺たち成人前には皆一緒。俺たちより上の位の人しかいないから、全員に礼を尽くしておけばだいたい大丈夫。
 俺が分かる場合は教えるし、対応するから。俺と同じ礼を取っていれば問題無い」
「あの、礼と言っても……頭を下げる。許可があるまで喋らない。だけで良いのですか?」
「おさらいしますわね。
 サヤさんは、会場では極力若様の腕に片腕を預けておく。
 礼を取る場合は、腹部で手を重ねておくか、左手を胸、右手で袴を捌く……このどちらかですわ。
 後者の方がより丁寧ですが、同位の方や、爵位や役職を賜っていない方にはそこまでの必要はございません。腹部に手を重ねて礼。で、充分ですわ」
「……こう。か、こう……ですか?」
「はい。サヤさんは姿勢から整ってらっしゃいますから、所作も申し分ございませんわね」

 女性の所作に関してはあまり的確な指導ができない俺に変わり、女中頭がそれを担ってくれて、大変助かった。
 学舎も女性はほぼいなかったから、あまり女性側の知識には自信が持てないのだ。
 因みに、知識の宝庫であるマルは本日出かけている。
 なにも言わず一日外すとだけ言われたので、姫様あたりに呼び出されているのかもしれない。

「あの……レイシール様、小指に口づけをする場合があるって、祝賀会の時に……」
「ん?    あぁ……。ここでそこまで仲が深い相手はディート殿くらいだし、その当人は警備だから、必要ないと思うよ」

 上位の方から下位にはあまりそういうことはしないしね。
 リカルド様が女性を伴っていたり……クリスタ様が出席されれば、俺がしなきゃいけないかもだけど。

「そうですか……」

 ほっと、胸をなでおろすサヤ。
 まぁ、今年は……と、限定されるのだけどな。
 アギーの社交界参加が初めてだから、知り合いが少ないというだけだし。来年は分からない。縁を繋ぐ相手もできるかもしれないし。

 そんなこんなで、準備に関しては問題なく終了した。
 ついでに車椅子の具合も確認したけれど、こちらも問題無い様子。
 時間と木炭が足りず、車椅子の微調整はあまりできなかったのだけど、現状できる最大限のことはなされている。

「会場には……従者の方々は入れないのですよね」
「うん。控えの間で待機となる。
 ……正直それが一番心配なんだけど……」
「…………そう、ですね……」

 サヤと二人して眉間にしわを刻み、溜息を吐いた。
 サヤは俺の華として会場に伴うことになるから、ハイン一人と……ガイウス親子が、控えの間で待機することになるのだ。
 まぁ、武官も一緒だし、シザーとオブシズは良識あるから、何かあったとしても、この二人がなんとか諌めてくれるだろう……多分。

 俺からもハインに釘を刺しておこうと強く決意していたところ、来客があった。クリスタ様の使いであるという。
 明日、夜会の開催が決定致しました。という報せと、俺とサヤに仮の身分証明として預けられていた近衛の襟飾を回収したいという要件であるようだ。
 ついでに、新たな飾を渡したいから、こちらに赴くようにという伝言。
 また昼過ぎに使いを寄越してくれるらしい。

「サヤの襟飾も回収って、どうしてだろうな?」
「さぁ……?」

 首を傾げつつ、けどまぁ、嫌だと言えることでもないし、襟飾を持って伺いますと伝えた。

 昼食を終えたら、明日の夜会開催確定ということで、父上は体力温存と体調管理のため、身体を休めていただくことにする。

「レイシール、領主印の件だが……」
「はい。案を、一度伺ってみます」
「頼む」

 マル、食事にも戻ってこなかったなぁ……と、思いつつも、使いの方がいらっしゃったので、マルが戻ったら、相談することがあるから残っておくようにと、ハインに伝言を頼んだ。
 そうして、多少の荷物を持って、サヤとシザーを伴い姫様の元へ、向かったのだけど…………。

「やぁ、いらっしゃいましたね」

 姫様の元には先客がいた。
 そして本日も、アギー公爵様がご一緒だ。
 今回案内されたのは、どうやらアギー公爵様の執務室であるようだ。広い部屋の壁中に並べられた書棚。部屋の中心には作業台。その間を忙しく立ち回る使用人らがいて、アギー公爵様は執務机で作業中の様子。
 そんな中で、部屋の隅にある長椅子にマルはのほほんと緩んだ顔で座っていた。小机を挟んで、その向かいに灰髪のかつらの姫様という構図だ。

「やぁ、よく来てくれた。では……隣の準備は?」
「整ってございます」
「うむ。では皆、場所を移そうか」

 アギー公爵様に促され、俺たちは揃って隣室へと移動する。
 びっちり並べられた書棚が唯一置かれていない場所にあった扉。多分応接室だろう。そちらに足を進めた。

 こちらの部屋はうってかわって殺風景な部屋で、部屋の隅に戸棚が一つ。机の上に茶器のみ用意されていた。ここでお茶をしつつ話を聞くということなのだろうか……と、思っていたら、ここも通過地点であったようだ。
 部屋唯一の装飾、等身大のアギー公爵様が描かれた肖像画。それの額縁が掴まれ、引かれると、その先は隠し部屋へと続く細い廊下だった……。
 良いのか。他家の者である俺に、ほいほいこんなもの見せて……。
 アギーの隠し部屋や隠し通路をガンガン教えられているこちらとしては気が気じゃない……。

「其方に自覚は無かろうが、それくらいの重要事項を扱っているのだぞ、我々は」

 俺の表情で考えを察したらしい姫様がそのように言い、関わりたくなかったなぁ……と、若干思ってしまった。

「神殿に関わることゆえな。
 レイシール殿からすれば心臓に悪かろうが、まぁ、役得くらいに軽く考えておいてほしい。
 なに、心配しなくてもこの屋敷は絡繰りだらけだ。こんなものでは攻略できぬから大丈夫」

 アギー公爵様にまでそのように言われ、この人たちと関わっていくなら、こういう心労がつきものなんだな……と、なんとなく悟った。
 公爵家って皆こうなのかな……?    アギーだけだと思いたい……。

 細い通路を進むと、どこかの部屋に出た。窓が一切無い……が、部屋の調度品は見事なものが並べられている。
 賓客を秘密裏に招くための部屋なのだろうか……もしくは、人目に触れられない人を匿う場所か……密会の場というよりは、生活感のある部屋だった。
 隣室に続く扉が二つほどあって、広さは伺えるのだが、天井は少々低い……この建物……一体どうしてこんなことになってるんだ……。
 そんな部屋の長椅子に促されて、俺はそこに座った。サヤとシザーは背後に立つ。
 マルは俺の横手の椅子に座り、姫様とアギー公爵様は俺たちの向かいの席に。そして背後に護衛と従者が各々一人ずつ……。そう考えると、当たり前の顔をしてここにいるマルが、相当場違いだ。

「で、領主印についての返答だがな。どうだ、新たな意匠は整いそうか?」
「は……一応、一案持参致しました。……見ていただいて宜しいでしょうか」

 俺、父上、サヤと三人のみで考えられた意匠案。
 ガイウスらすら省かれたのは、将来セイバーンを背負う立場の者のみで話し合うべき内容と、父上が判断したからだ。
 ここにサヤを含めてもらえたことが、父上がサヤを受け入れてくれている証拠のようなもので、俺はそれがとても嬉しかったのだけど、そもそもサヤがいなかったらこの案も出てこなかったろう。
 これにより、父上のサヤに対する信頼は、更に大きく揺るぎないものとなったように思う。

 俺が差し出したのは、父上の所持していた領主印を捺印した紙。
 これは鍵付きの特別な箱にしまわれ、その鍵は常に父上が身につけている。鍵すら聖白石で作られている精巧なものであるため、ただ印のしまわれた箱を盗んだとしても取り出せない。
 そして父上は、今日に至るまで、この鍵を手放した経験は皆無である。つまり、鍵は盗まれていないのだ。
 その特殊な鍵を使い、特殊な箱から取り出された領主印。それを一度だけ捺印していただいた紙に手を加えたものを、姫様に差し出したのだが……。

「…………レイシール、何も変わっておらぬではないか」
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