異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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閑話 昇華 2

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 今日までずっと、父上が口を閉ざしていた理由……。

 信じられないその内容に、何を言えば良いか、検討もつかなかった。
 そんなことってあるのだろうか……。
 あの兄上が、俺を可愛がっていた?
 信じられなかったけれど、カークが言っていた通り、俺は母と兄上に、望まれていたらしい。
 そして、どういう因果か、よじれて、もつれて、あんな風になってしまった……。
 はは。我がことなのに、なんだろうこれ……まるで、現実味が無い…………。

「…………お前を学舎にやってからは……嘘みたいに平和になった……。表面上は。
 私はフェルナンを見限った……。視界に入れておきたくなかった……。
 幸いにもセイバーンは人手不足で忙しい。ロレッタは補佐であったから、あの館に残しておかずとも良かった……。
 そしてお前は、もう安全な場所にいる……。
 そうやって、表面上の平和を受け入れた。
 館に戻っても、私はあの二人との時間を極力削った。
 政略的な婚姻だ……元から愛など無いと……そんな風に自分に言い訳してな。
 フェルナンは……どんどん、歪んでいった。私を求めていることも理解していたが……あれをもう、受け入れることが、生理的にできなかった。
 そしてあの日だ。
 普段は職務の合間に確認するのだが、たまたま館に戻っていたその日に、お前からの手紙が届いた。
 お前の卒業見込みが立ったことはアルバート殿からの報せでも受け取っていた……そして案の定、戻りたくないという内容だった……。
 執務室で私とロレッタは、それを受け入れようと、そう話していたのだがな……。
 フェルナンが、部屋に飛び込んできた……。
 十年だと、言ったのに……。だから我慢したのに、ずっと我慢してきたのに、またお前を奪うのかと……。
 何故いつも邪魔をするのか、ちゃんと良い子にしてたのに、俺が俺のものを手にするだけだ。それがなんで許してもらえない。
 ……その辺りまでは、まだ言葉が聞き取れたのだが、その先はもう、よく分からない音の羅列だった……暴れて、手当たり次第にそこら中のものを引っ張り出して、投げて、拳を振り上げて……人を呼んだが、人払いをしていたことが裏目に出てしまった。
 ロレッタは……頭を強打されて意識が朦朧としていた私を庇って、何度も打たれて……多分、それが死因だ。
 私も何度目かで、記憶が飛んでしまったから……もう、本当のことを知る術も、無い……」

 ああ……想像できる……できてしまう…………。

 俺の足を刺し貫き、それを手掛かりにするようにして、寝台の隙間から這い出してきた、あの姿……。
 焦点すら定まっていない視線でどこかを見て、ひたすら口を動かしていた兄上……。
 小刀を俺の首に突きつけ、そのまま押し込めば良かったのに、それをしなかった。
 まるで何かに取り憑かれているみたいに、お前は俺のなんだと繰り返して…………。

 もう、癒えたはずの脚の傷に、ズキンと鋭い痛みが走った気がして呻くのと、サヤが俺の頭を抱き寄せたのはほぼ同時だった。
 だから、嗚咽を零す醜態は晒さずに済んで、だけど苦しくて、頭に回されたサヤの腕に顔を埋め、縋り付いた。

 俺は、何を思えば良いんだ?

 あの人はもう、正気を保っていなかったんだ。
 だから酒の無い時は、あんな風に気怠げで、繰る者がいない人形のように、無気力だった。
 怖い人だった……ずっと恐れていた……。
 なのになんでだろう、俺はどうして今、こんなに胸が苦しいのか……。
 怖くて仕方がないのに、なんでこんなに、苦しいのか…………。

 母を殺した人だ。
 俺のことだって殺そうとした。
 なのになんで俺は……こんなに後悔しているのだろう……。
 ちゃんと見ておけば良かった。
 きちんと向き合っていれば、違和感に気付けたかもしれないと、そんなことを考えてしまう。
 ただ恐れて、視線一つ合わせてこなかった。ひたすら逃げていた。
 何も知ろうとしなかった……。
 なんでそれに俺は、罪悪感を、感じているのだろう…………。

「…………」

 ぎゅっと歯を食いしばったら、さらりと髪を撫でられた。
 その手が俺の背中に回されて、ポン、ポンと、あやすように旋律を刻む。

 ……あぁ、俺が罪悪感を感じるのは、きっとこの手が、あるからだ……。
 サヤだけじゃない、ハインやギル……他にもたくさんの手が、俺にはある。
 ただ優しく、こうして俺を抱いてくれる……支えてくれる……何も言わず、受け止めようとしてくれる手を、俺は得たのに……。
 兄上の救いは……心安らぐ時間は…………きっと、無かった…………。
 俺に固執していた兄上は、俺にそれを、求めていたのじゃないか……。
 何かが欲しくて、縋りたかったのは兄上も一緒で、そしてあの人は…………何も得られないまま、来世へと旅立ってしまった……。

「……バンスでの兄上は…………どう、だったのですか……」

 別邸に、月の半分は滞在していた異母様がた。その間のことを、気力を振り絞って聞いたら、会っていないという返答が返ってきた。

「一度は、顔を合わせたのだがな……あれが取り乱して手がつけられなくなった。それからは……」
「…………」

 父上と共に過ごす時間が無かったのは、兄上も一緒だったんだ……。

 そう考えたら、あの人が哀れで、悲しかった……。
 俺とあの人は、きっと似ていた。俺もあそこにいれば、きっといつか、ああなっていたのだろう。
 それがとても恐ろしく、あの場から逃げ出せた幸運に感謝したけれど、それと同時に罪悪感で胸が押し潰されそうだった。
 俺たちは選べなかった。
 二人とも、それは同じであったはずなのに……何が、運命を隔てたのかな……。

「……レイ……。
 お兄様の手紙……ジェスルの手が使われたって、マルさんがおっしゃっていたのは、これですよね。
 使用者が分からないって……それは、お兄様だったということでは?」

 不意に、それまで黙っていたサヤが、俺の耳元で囁いた。
 何の話かは、すぐに思い至る。
 あの山城の麓、母と過ごしていた邸で開いた、マルの手紙。

「十三歳の子供が、何をどうしたかったのかまでは、分かりませんけれど……何かの暗示が、手紙か、使者に仕込まれていたのではって、話でしたよね。
 だからお母様は……レイと一緒に、死のうとした……お父様の元に、向かおうとして……。
 お父様の死が、その暗示なのだとしたら、生きていたお父様を見て、それが解けたのではないでしょうか……」

 そう指摘され、俺はサヤの顔に視線をやった。
 我が事のように瞳を潤ませたサヤ……。

「私は、マインドコントロールとか、そういうのの手法はよく、分かりません……。
 でも、恐怖というものが、時には簡単に、人の心を支配してしまうことは知っています。
 ……レイを殺しかけたのは一回やった。
 でもお母様はその後もずっと、不安や恐怖に縛られてきはったんや思う……。
 何で自分がそうしたんか。理由が分からんまま、ただレイをこれ以上傷付けたなぁて、レイの傍では緊張してはった……。
 せやから、笑顔が強張ってはったんや。
 レイはちゃんと、愛されとった。
 レイが三歳まで見てきたお母様は、ちゃんと本当に笑うてはった。
 レイと離れても、お母様はきっと、毎日レイのこと考えてはった。
 十年以上、レイに会われへんでも、頑張って我慢して……それをずっと先まで、一生続けるつもりでいはったんや思う。
 レイ、それは、物凄ぅ、大きな愛やない?
 レイがこんなに優しいのんは、そんなお母様の愛が、ちゃんとレイにも届いてはったからや思う。
 そんな我慢が、優しさが、祈りが、きっとレイを守ってくれてはったはずや。
 それが巡り巡って、たくさんの縁に、繋がったんやって、私は思う」

 綺麗事だ。
 そんなこと、後からならどうとだって言えるじゃないか。
 本当のことはもう、分かりはしないのだ。
 母はいない。
 もう、いないんだ……。
 いくらだって、良いように受け取れる。
 いくらだって……悪いようにだって、受け取れるんだ……。

 言いたいことは沢山あったけど、何を言っても、違う気がした……。
 許すとも、許せないとも、言えない……。
 もう良いと、言ってやれない……。
 俺はまだ納得できなくて、下手に口を開けば汚い言葉ばかりを吐き出してしまいそうで、ただ歯を食いしばって、醜く歪んだ顔を、サヤの腕の中に隠す。
 こんな俺を、サヤはどう思っているだろう……。
 こんなみっともない……。
 亡くなった人だ。
 もういないのだから、一言、もう良いって言葉にすれば、それで全てが丸く収まる。
 なのに…………。
 俺はその、たった一言を、吐き出すことができない……。

 ただサヤの腕に縋って、呻いた。
 無性に、サヤと口づけがしたかった。
 こんなもの、全部、頭から振り払ってしまいたい。サヤとの快楽に、身を委ねてしまいたい。
 もう、考えることを放棄してしまいたかった。
 そんな俺の耳に、サヤの言葉が、するりと染み込んできた。

「レイは、苦しくても、本当のお母様を忘れたなかったんやろね……。
 せやし、夢をずっと、掴んでた。あのお母様を本物や思うて、頭の中に刻んできた。
 せやけどレイ……笑ってはったお母様の方が本物やったって、もう分かったやろ?
 ならレイの中の、邸で一緒に過ごしてたお母様を、大切にしたらええ」

 この娘はなんで…………っ。

 サヤのその言葉に、もう色々が限界だったのに、耐えられなくなった。
 サヤの背に腕を回して、父上の前だという羞恥すらかなぐり捨てて、抱きしめた。
 まるで心に沈む重しに羽が生えたみたいに、天に昇っていくみたいに、何かがすとんと、腑に落ちた……。

 次に、夢が訪れたら……。
 俺の手を掴み進む、あの母にさようならと、ごめんなさいを伝えよう。
 今日までずっと苦しめてきた。
 何度も何度も俺を殺させた。
 母にとってそれはきっと、拷問に等しかったろう。

 ああ、やっぱり一度、俺は戻っていれば良かったんだ。
 母を見てみれば、良かったんだ。
 そうすればきっと、もっと、色々が、見えていたはずだった。

 だからもう一度、あの夢に来て欲しいと思った。次はちゃんと、まっすぐ向き合うから。

 だけどあの夢は……結局、もう二度と、現れてはくれなかった……。
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