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拠点村 10
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商談を終えてからは、お茶の時間として少しの間、交流を楽しむこととなった。
早く俺に慣れてもらわないとならないし、ずっと遠慮されていたのでは困ってしまう。
それにはディート殿も加わって、王都やヴァイデンフェラーでの話を面白おかしく話してくれた。
「我が領地の女は強いぞ。遠慮などせぬからな。
大抵の家庭は母親が牛耳っている。俺の家も、領主の父より母の方が実権を握っているんだ」
領主息子がここにもいた⁉︎ と、はじめは緊張していたロビンであったけれど、ディート殿のあけすけな性格は少し接すれば理解できた様子。今は楽しそうに話に聞き入っている。
「父は、母のご機嫌とりには、装飾品を送るのが一番良い! と思っているからよく贈るのだが、母はそれを数回利用したらすぐに売り払ってしまうんだ。
その金でもって国境警備隊の武具整備や備品の補給をしていたりするのだから、母が強い理由は推して知るべしだな。
我々が憂いなく職務を遂行できるのは、家庭を支えてくれる妻があってのものなんだ」
「お父様はどんな装飾品を送るのですか?」
「母は腕輪一択だ。金属部分が一番多くて金になると言ってな」
その言葉にロビンが声を上げて笑う。
しかもディート殿の母上は、籠手にできそうなほど幅の広いものを要求するらしい。
そうすると、宝石も見栄えの良いものを使用しなければならず、より出費が嵩むという。
そうやって夫の懐から上手く費用を捻出させるというのだから、天晴れと言うしかない。
「どれもこれも似たような感じだからな、父もどれがいつのものかなど覚えていない。売られているとは気付いておらんのだ」
腕輪……籠手のような腕輪か。
そういえば、何か見たような気がするな。
ふと思い立って、書類棚を確認したけれど、目的の本は私室であったと思い出す。
ちょっと待っていてくれと前置きしてから、ハインを伴って部屋を出た。
「何をお探しですか?」
「確か、机の引き出しにしまったと思うんだよ。神話集にあった挿絵がね」
執務机の引き出しを開けると、何時ぞやしまったきり忘れ去られていた神話集がそのまま見つかった。
それを手に取って、目的のものを探す。
「あった。これだ」
それを持って、執務室に戻った。
今サヤはどこだろう……話を聞かれるのは困るな……。
「ハイン、サヤを探して、執務室から離しておいてもらえるか。上手に誤魔化せよ?」
「はぁ……心得ました。行ってまいります」
執務室の前でハインと別れて戻ると、ロビンとディート殿が不思議そうな顔で俺を見る。
俺は、しーっと、唇の前に指を立てて、長椅子に戻った。
一応小声で話そう。
「ロビン、実はな……俺のもう一人の従者、サヤが十五になったから、祝いの品を贈りたいんだ。
彼は無手の名手でね、武器は振るわないが、とても強い。けど、生身で刃の相手をしているのを見るのが、とても心臓に悪くてね……」
俺の話に、二人が怪訝そうな顔になる。なんでそれを今話すのか……。
「ロビンは、透し彫りとか、得意なんだろう? カメリアの髪飾りの蝶は、見事だったものな。
それで、籠手の代わりになるような腕輪を作ってくれないかな。両腕に欲しいんだ」
持ってきた神話集を開いて、中の挿絵を見せる。
そこに描かれているのは神が唯一神であった時の姿なのだけど、腕や足には装飾品と思われる蔦模様が描かれていた。
「こんな感じはどうだろうなと思って。
服の下に身に付けるから、かさばらない、袖の中に隠せるのが良いんだ」
「ああ、朝言っていた話か。それは良いな!」
「透し彫りなら、いざという時に剣を受け止められるだろうし、重さだって軽減されるよな」
「籠手になるような腕輪……ですか……」
「大きさは……そうだな、関節の邪魔になるのは良くないらしいから、手首の少し上から、肘関節の手前まで。極力幅は広い方が良いけれど、俺は装飾品ってよく分からないからロビンに任せることになる。
でも、あまり無骨なのは似合わないな。どちらかと言うと、繊細なのが良いかと思うんだ」
「そうだなぁ、サヤは見た目も女性的というか、華奢だしな。装飾品なら身に付けていても言い訳はできるし、隠し防具として良いと思うぞ」
本人には内緒にしたいから、寸法はバート商会で確認してくれと伝えた。
ギルならほぼ正確なサヤの寸法が全て分かっているだろうし、意匠についても相談にのってくれると言っておく。
「うーん……なんとも言えませんが……や、やってみます」
「大至急で頼む。髪飾りは後回しで良いから。
早ければ早いほど嬉しい」
「えっと……他の職人の手を借りても良いのでしたら、結構早くできます」
「そうか! あぁ、構わないよ。意匠はロビンの美意識に任せる。実用最優先で考えてくれ。金額には糸目をつけないから、材料も、加工の手法も問わない」
急いで依頼書を書き記し、ロビンに渡した。
それと馬車利用の許可証も渡す。材料費は必要かと聞いたら、大丈夫とのこと。
「ありがとう! 楽しみにしている」
帰りの馬車の時間が近付いてきたとのことで、ロビンを玄関広間まで見送った。
ロビンはぺこりとお辞儀して、来た時よりは打ち解けた様子だ。
「全力で、急ぎます」
それだけ言って、軽い足取りで戻っていった。
◆
ロビンが帰ってから、後回しにした本日の業務を頑張ることとなった。
夕食までの時間には終わらなかったので、夕食を終えてからも執務室に入る。
因みに現在、ハインは食器の片付け。ディート殿は、鍋風呂を堪能中。湯屋とはまた違った格別さがあるらしい。
そして夜間は忍の皆が警備担当だ。昼間も少なからずいるのだが、夜間の方が得意であるという。
さて、今取り組んでいる業務だが……何が手間かって、交易路計画の準備で、セイバーンの地方任務に就いている騎士らの移動を、どうするかという部分。
交易路計画は、交易路を整備するとともに、騎士に土嚢の作り方、使い方を覚えてもらうことが目的だ。今セイバーンは平和で、あまり騎士らの活躍の場は無いが、今後のことは分からないし、防衛力強化のため、誰でも土嚢を扱えるよう、基礎を身につけさせるとした。
これはセイバーンだけのことではなく、交易路を引く領地全体で行う。
交易路があれば、速やかな進軍が可能だ。国境までの日程が、格段に違ってくる。
だがそれは、逆もまた然りだ。
防衛に失敗すれば、敵は交易路を、あっという間に進んでくるだろう。
だから、そうさせないため、派遣される軍が到着するまでを凌ぐための、土嚢なのだ。
とはいえ、本来の職務の遂行を疎かにはできないし、最低限は残す必要がある。そして借り受けた騎士を戻したら、留守を任せていた者らを今度は現場に呼ぶ。
あまり遠方に移動しないで良いよう……場所や期間を考えて移動要請を出さねばならない。
また、道の整備という、本来の任務ではないことをやりに来いと要請するわけで、文面にも悩む……。地方ごとの事情も考慮しなければならないし……。
「なんだか、楽しそうですね」
すごく悩んで文面を考えていたのに、サヤにそんなことを言われて、顔を上げた。
「うん?」
「鼻歌歌って作業しているなんて、珍しいですから」
意識してなかった……。自分がそんな風だったとは。
だけど、気分が上向いているのは実感している。ロビンにサヤへの贈り物をお願いできたから、嬉しくなってしまっているのだ。
ロビンなら、サヤの好むものを作ってくれそうな気がする。なにより、少しでもサヤの身を守る助けになるのだと思うと、ホッとできるのだ。
本当は……彼女を危険に晒すこと自体を、したくない。
けれどサヤは、そうは思っていない。自分のやれることを最大限やろうとする。彼女は、ただ守られるというのを好まない。
「私も嬉しいです。
ロビンさん……所属を続けてくれるって、おっしゃいましたもんね……。
きっと色々、言われているんでしょうに……それが本当に、嬉しくて」
「あぁ……。正直言って、ちょっとびっくりしたよ。
もう無理だって、言われる覚悟もしてたんだ……。俺が考えていたより、反発はだいぶん、酷いみたいだしな」
それも致し方ないと思っていた。
だから、ロビンがああ言ってくれたのは、本当に嬉しかった。
けれど……それと同じくらい、不安も大きい……。
ロビンの安全もだし、分かってくれる人が、本当に現れてくれるだろうか……と、そんな不安。
間違ったことを言っているとは思わない。
けれど、この世界の理を覆そうなんて、俺には無理なのかもしれない……。
「……大丈夫や。そのうちちゃんと、分かってもらえる。
ロビンさんかて、レイを見て、知ったから、頑張るって言うてくらはったんやて、思う」
不意に真剣な表情になったサヤが、そんな言葉を口にする。
そうして俺の横に来て、何故かキュッと、頭を抱えられた。
サヤの腹部付近に抱き寄せられた格好だ。
「その……最近元気ないなって……思うてて……。
レイは、そういうのあまり口に出さへんし……溜め込むタチやし……心配してて……。
ディート様がいはる時は、その……こういうことも、できひんし…………」
なでなでと頭を撫でられて、反応に困って固まった。
い、いや……なんというか……そういう扱いは、考えてなかった…………。子供対応というか……。
「レイはすごい頑張ってる。せやし、大丈夫。ちゃんと、分かってもらえる。
悩まんでええ。なんも間違ったこと、してへん。時間がかかるだけや。焦らんで、ええ」
真剣に、一生懸命言葉を紡ぐサヤの手が、丁寧に頭を撫でてくれる。
何度も何度も、往復する。
温もりが、サヤに触れた部分から染み込んでくるような感覚。だんだんと、それに気持ちがほぐされていくように感じた。
「……ありがとう……」
いつぶりかな……こんな…………懐かしい感じ。
幼い頃、ギルにはよく撫でられた気がする。いつからか、そんな扱いじゃなくなったのだけど……具体的なことは覚えていない。
そしてその前は? と、考えて……あの人が思い浮かんだ。
更にその前は……。囲われていた時、朧げに頭に置かれた、大きな手の記憶がある。
多分、父上の手だ。だからこんなに、胸が締め付けられるのだろうか……。
サヤに抱きしめられたこは何度もある。
なのに、今の抱きしめ方は、なにか違った。
子供扱いなのに…………それだけじゃない感じがする。嫌じゃないんだよな……。
「私が、レイを守る……。
なんかあっても、絶対に、守るし。
レイは、レイのやりたいって思うこと、正しいと思うことを、全うしたらええ」
その言葉に、胸の奥が、ギュッとなった。
俺がサヤを守りたいのに、あべこべだと思う。
けれど、守ると言ってくれたことが、何故か嬉しいなんて言葉じゃ言い表せない何かを、俺に抱かせた。
俺を大切なものとして扱ってくれている感じが、面映ゆくて、少し落ち着かない。
「私は、そうやって、誰かのために頑張れるレイが、好きやで」
……っ⁉︎
びっくりして顔を上げた。サヤの表情を、確認したくて。
それに合わせて、サヤの手がするりと俺から離れた。
一瞬それが切なくて、手に視線をやると、その手は何故かまた頬に触れて、視線を戻す前に、何かが顔にぶつかってくる。
……うん、ぶつかった。ゴチっと。口の辺りに。
「いっ」
たぃ……と、小さな声。
パッと顔にぶつかったものは離れて、サヤは真っ赤になっている。
「………………」
「………………」
え、と……。
「い、いまの無し! 忘れて!」
「え?」
「忘れなあかんっ!」
「え? ちょっと待って、今…………」
「なんでもない! 無かったことにして!」
真っ赤なサヤが、特に意味もないのだろう、両手をブンブンと振り回して、そんなことを言う。
「失敗した…………か、かんにん…………ノーカンにして、お願い……」
ノーカンってなんだ……。
い、いや、そんなことどうだって良いんだ。
そうじゃなくて今、なんで唇の辺りが、痛いのかって話で……。
それ以外の可能性、無いよな……と、思ったら、俺も顔から血が吹き出すかと思った。
慣れてないのだろう。
だから目測すら見誤って、ぶつかるみたいになった。
それはそうだ。だって、サヤは好きな相手に触れることすら、ままならなかった娘で、自分からこんな風に行動したことなんて、多分無い…………のに……。
…………好きって、言った…………。
「さ、サヤ!」
「あかんっもう今日無理やし!」
俺も好きだと言いたかっただけなのだが……サヤは何も聞かず、そう喚いてから執務室を逃げ出してしまった。
程なくハインがやって来て、机に突っ伏している俺に「また喧嘩ですか……」と、呆れた声音で言う。
「そういうことではなく……」
顔が熱すぎて上げられないだけだから……ほっといてくれ……。
好きって言った……しかもあれ、多分口付けしようとして失敗した……うああああぁぁぁ。
早く俺に慣れてもらわないとならないし、ずっと遠慮されていたのでは困ってしまう。
それにはディート殿も加わって、王都やヴァイデンフェラーでの話を面白おかしく話してくれた。
「我が領地の女は強いぞ。遠慮などせぬからな。
大抵の家庭は母親が牛耳っている。俺の家も、領主の父より母の方が実権を握っているんだ」
領主息子がここにもいた⁉︎ と、はじめは緊張していたロビンであったけれど、ディート殿のあけすけな性格は少し接すれば理解できた様子。今は楽しそうに話に聞き入っている。
「父は、母のご機嫌とりには、装飾品を送るのが一番良い! と思っているからよく贈るのだが、母はそれを数回利用したらすぐに売り払ってしまうんだ。
その金でもって国境警備隊の武具整備や備品の補給をしていたりするのだから、母が強い理由は推して知るべしだな。
我々が憂いなく職務を遂行できるのは、家庭を支えてくれる妻があってのものなんだ」
「お父様はどんな装飾品を送るのですか?」
「母は腕輪一択だ。金属部分が一番多くて金になると言ってな」
その言葉にロビンが声を上げて笑う。
しかもディート殿の母上は、籠手にできそうなほど幅の広いものを要求するらしい。
そうすると、宝石も見栄えの良いものを使用しなければならず、より出費が嵩むという。
そうやって夫の懐から上手く費用を捻出させるというのだから、天晴れと言うしかない。
「どれもこれも似たような感じだからな、父もどれがいつのものかなど覚えていない。売られているとは気付いておらんのだ」
腕輪……籠手のような腕輪か。
そういえば、何か見たような気がするな。
ふと思い立って、書類棚を確認したけれど、目的の本は私室であったと思い出す。
ちょっと待っていてくれと前置きしてから、ハインを伴って部屋を出た。
「何をお探しですか?」
「確か、机の引き出しにしまったと思うんだよ。神話集にあった挿絵がね」
執務机の引き出しを開けると、何時ぞやしまったきり忘れ去られていた神話集がそのまま見つかった。
それを手に取って、目的のものを探す。
「あった。これだ」
それを持って、執務室に戻った。
今サヤはどこだろう……話を聞かれるのは困るな……。
「ハイン、サヤを探して、執務室から離しておいてもらえるか。上手に誤魔化せよ?」
「はぁ……心得ました。行ってまいります」
執務室の前でハインと別れて戻ると、ロビンとディート殿が不思議そうな顔で俺を見る。
俺は、しーっと、唇の前に指を立てて、長椅子に戻った。
一応小声で話そう。
「ロビン、実はな……俺のもう一人の従者、サヤが十五になったから、祝いの品を贈りたいんだ。
彼は無手の名手でね、武器は振るわないが、とても強い。けど、生身で刃の相手をしているのを見るのが、とても心臓に悪くてね……」
俺の話に、二人が怪訝そうな顔になる。なんでそれを今話すのか……。
「ロビンは、透し彫りとか、得意なんだろう? カメリアの髪飾りの蝶は、見事だったものな。
それで、籠手の代わりになるような腕輪を作ってくれないかな。両腕に欲しいんだ」
持ってきた神話集を開いて、中の挿絵を見せる。
そこに描かれているのは神が唯一神であった時の姿なのだけど、腕や足には装飾品と思われる蔦模様が描かれていた。
「こんな感じはどうだろうなと思って。
服の下に身に付けるから、かさばらない、袖の中に隠せるのが良いんだ」
「ああ、朝言っていた話か。それは良いな!」
「透し彫りなら、いざという時に剣を受け止められるだろうし、重さだって軽減されるよな」
「籠手になるような腕輪……ですか……」
「大きさは……そうだな、関節の邪魔になるのは良くないらしいから、手首の少し上から、肘関節の手前まで。極力幅は広い方が良いけれど、俺は装飾品ってよく分からないからロビンに任せることになる。
でも、あまり無骨なのは似合わないな。どちらかと言うと、繊細なのが良いかと思うんだ」
「そうだなぁ、サヤは見た目も女性的というか、華奢だしな。装飾品なら身に付けていても言い訳はできるし、隠し防具として良いと思うぞ」
本人には内緒にしたいから、寸法はバート商会で確認してくれと伝えた。
ギルならほぼ正確なサヤの寸法が全て分かっているだろうし、意匠についても相談にのってくれると言っておく。
「うーん……なんとも言えませんが……や、やってみます」
「大至急で頼む。髪飾りは後回しで良いから。
早ければ早いほど嬉しい」
「えっと……他の職人の手を借りても良いのでしたら、結構早くできます」
「そうか! あぁ、構わないよ。意匠はロビンの美意識に任せる。実用最優先で考えてくれ。金額には糸目をつけないから、材料も、加工の手法も問わない」
急いで依頼書を書き記し、ロビンに渡した。
それと馬車利用の許可証も渡す。材料費は必要かと聞いたら、大丈夫とのこと。
「ありがとう! 楽しみにしている」
帰りの馬車の時間が近付いてきたとのことで、ロビンを玄関広間まで見送った。
ロビンはぺこりとお辞儀して、来た時よりは打ち解けた様子だ。
「全力で、急ぎます」
それだけ言って、軽い足取りで戻っていった。
◆
ロビンが帰ってから、後回しにした本日の業務を頑張ることとなった。
夕食までの時間には終わらなかったので、夕食を終えてからも執務室に入る。
因みに現在、ハインは食器の片付け。ディート殿は、鍋風呂を堪能中。湯屋とはまた違った格別さがあるらしい。
そして夜間は忍の皆が警備担当だ。昼間も少なからずいるのだが、夜間の方が得意であるという。
さて、今取り組んでいる業務だが……何が手間かって、交易路計画の準備で、セイバーンの地方任務に就いている騎士らの移動を、どうするかという部分。
交易路計画は、交易路を整備するとともに、騎士に土嚢の作り方、使い方を覚えてもらうことが目的だ。今セイバーンは平和で、あまり騎士らの活躍の場は無いが、今後のことは分からないし、防衛力強化のため、誰でも土嚢を扱えるよう、基礎を身につけさせるとした。
これはセイバーンだけのことではなく、交易路を引く領地全体で行う。
交易路があれば、速やかな進軍が可能だ。国境までの日程が、格段に違ってくる。
だがそれは、逆もまた然りだ。
防衛に失敗すれば、敵は交易路を、あっという間に進んでくるだろう。
だから、そうさせないため、派遣される軍が到着するまでを凌ぐための、土嚢なのだ。
とはいえ、本来の職務の遂行を疎かにはできないし、最低限は残す必要がある。そして借り受けた騎士を戻したら、留守を任せていた者らを今度は現場に呼ぶ。
あまり遠方に移動しないで良いよう……場所や期間を考えて移動要請を出さねばならない。
また、道の整備という、本来の任務ではないことをやりに来いと要請するわけで、文面にも悩む……。地方ごとの事情も考慮しなければならないし……。
「なんだか、楽しそうですね」
すごく悩んで文面を考えていたのに、サヤにそんなことを言われて、顔を上げた。
「うん?」
「鼻歌歌って作業しているなんて、珍しいですから」
意識してなかった……。自分がそんな風だったとは。
だけど、気分が上向いているのは実感している。ロビンにサヤへの贈り物をお願いできたから、嬉しくなってしまっているのだ。
ロビンなら、サヤの好むものを作ってくれそうな気がする。なにより、少しでもサヤの身を守る助けになるのだと思うと、ホッとできるのだ。
本当は……彼女を危険に晒すこと自体を、したくない。
けれどサヤは、そうは思っていない。自分のやれることを最大限やろうとする。彼女は、ただ守られるというのを好まない。
「私も嬉しいです。
ロビンさん……所属を続けてくれるって、おっしゃいましたもんね……。
きっと色々、言われているんでしょうに……それが本当に、嬉しくて」
「あぁ……。正直言って、ちょっとびっくりしたよ。
もう無理だって、言われる覚悟もしてたんだ……。俺が考えていたより、反発はだいぶん、酷いみたいだしな」
それも致し方ないと思っていた。
だから、ロビンがああ言ってくれたのは、本当に嬉しかった。
けれど……それと同じくらい、不安も大きい……。
ロビンの安全もだし、分かってくれる人が、本当に現れてくれるだろうか……と、そんな不安。
間違ったことを言っているとは思わない。
けれど、この世界の理を覆そうなんて、俺には無理なのかもしれない……。
「……大丈夫や。そのうちちゃんと、分かってもらえる。
ロビンさんかて、レイを見て、知ったから、頑張るって言うてくらはったんやて、思う」
不意に真剣な表情になったサヤが、そんな言葉を口にする。
そうして俺の横に来て、何故かキュッと、頭を抱えられた。
サヤの腹部付近に抱き寄せられた格好だ。
「その……最近元気ないなって……思うてて……。
レイは、そういうのあまり口に出さへんし……溜め込むタチやし……心配してて……。
ディート様がいはる時は、その……こういうことも、できひんし…………」
なでなでと頭を撫でられて、反応に困って固まった。
い、いや……なんというか……そういう扱いは、考えてなかった…………。子供対応というか……。
「レイはすごい頑張ってる。せやし、大丈夫。ちゃんと、分かってもらえる。
悩まんでええ。なんも間違ったこと、してへん。時間がかかるだけや。焦らんで、ええ」
真剣に、一生懸命言葉を紡ぐサヤの手が、丁寧に頭を撫でてくれる。
何度も何度も、往復する。
温もりが、サヤに触れた部分から染み込んでくるような感覚。だんだんと、それに気持ちがほぐされていくように感じた。
「……ありがとう……」
いつぶりかな……こんな…………懐かしい感じ。
幼い頃、ギルにはよく撫でられた気がする。いつからか、そんな扱いじゃなくなったのだけど……具体的なことは覚えていない。
そしてその前は? と、考えて……あの人が思い浮かんだ。
更にその前は……。囲われていた時、朧げに頭に置かれた、大きな手の記憶がある。
多分、父上の手だ。だからこんなに、胸が締め付けられるのだろうか……。
サヤに抱きしめられたこは何度もある。
なのに、今の抱きしめ方は、なにか違った。
子供扱いなのに…………それだけじゃない感じがする。嫌じゃないんだよな……。
「私が、レイを守る……。
なんかあっても、絶対に、守るし。
レイは、レイのやりたいって思うこと、正しいと思うことを、全うしたらええ」
その言葉に、胸の奥が、ギュッとなった。
俺がサヤを守りたいのに、あべこべだと思う。
けれど、守ると言ってくれたことが、何故か嬉しいなんて言葉じゃ言い表せない何かを、俺に抱かせた。
俺を大切なものとして扱ってくれている感じが、面映ゆくて、少し落ち着かない。
「私は、そうやって、誰かのために頑張れるレイが、好きやで」
……っ⁉︎
びっくりして顔を上げた。サヤの表情を、確認したくて。
それに合わせて、サヤの手がするりと俺から離れた。
一瞬それが切なくて、手に視線をやると、その手は何故かまた頬に触れて、視線を戻す前に、何かが顔にぶつかってくる。
……うん、ぶつかった。ゴチっと。口の辺りに。
「いっ」
たぃ……と、小さな声。
パッと顔にぶつかったものは離れて、サヤは真っ赤になっている。
「………………」
「………………」
え、と……。
「い、いまの無し! 忘れて!」
「え?」
「忘れなあかんっ!」
「え? ちょっと待って、今…………」
「なんでもない! 無かったことにして!」
真っ赤なサヤが、特に意味もないのだろう、両手をブンブンと振り回して、そんなことを言う。
「失敗した…………か、かんにん…………ノーカンにして、お願い……」
ノーカンってなんだ……。
い、いや、そんなことどうだって良いんだ。
そうじゃなくて今、なんで唇の辺りが、痛いのかって話で……。
それ以外の可能性、無いよな……と、思ったら、俺も顔から血が吹き出すかと思った。
慣れてないのだろう。
だから目測すら見誤って、ぶつかるみたいになった。
それはそうだ。だって、サヤは好きな相手に触れることすら、ままならなかった娘で、自分からこんな風に行動したことなんて、多分無い…………のに……。
…………好きって、言った…………。
「さ、サヤ!」
「あかんっもう今日無理やし!」
俺も好きだと言いたかっただけなのだが……サヤは何も聞かず、そう喚いてから執務室を逃げ出してしまった。
程なくハインがやって来て、机に突っ伏している俺に「また喧嘩ですか……」と、呆れた声音で言う。
「そういうことではなく……」
顔が熱すぎて上げられないだけだから……ほっといてくれ……。
好きって言った……しかもあれ、多分口付けしようとして失敗した……うああああぁぁぁ。
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