306 / 1,121
祝賀会 9
しおりを挟む
結論から言うと、会場はさして問題になっていなかった。
あの場の違和感を理解していたのはほんの一握りであったろうし、そもそもサヤを知らない者も多かったからだ。
それに、男装中のサヤと比べれば、カメリアは髪色も、体型も、年齢すら違う。
あの事業に関わった者には、サヤの強さも知れ渡っている。
男の視線に怯えて、俺に縋りついていたりする頼りなげな姿が、あのサヤには全く繋がらなかった様子だった。
目論見通りといえばそうなのだけど、同一人物であると連想する者が、表面上いなかったことに、俺は少なからずホッとした。
「ほんとすまん、深く考えてなかった……。
名前を呼んでいたことすら意識してなかったのは、俺の落ち度だ」
「もう良いって。あの時は仕方がない。サヤがずっと従者を続けているだなんてことも想定していなかったし……。あの場の職人と、二人が知り合っているとも、思っていなかったんだ。防ぎようがないよ」
バート商会に戻ってもずっとそんな調子のギルに、俺は苦笑しつつ、もう何度目かわからないなと思いながら、同じ言葉を繰り返す。
ハインも会場の方は問題なかったと言っていたし、もうこれ以上、この問題は広がらないだろうと思われた。
「同じようなことがあっても、ロビンと同じに対応したら良い。
それでこの問題はおしまい。
とにかく着替えよう。この後胡桃さんが来る予定なんだ。夜中になるんだうから、仮眠でも取っておく方が良いだろ」
部屋に戻り、身支度を済ますことにした。
俺の髪を解くのに時間が掛かるからということで、まず俺の支度を進めてくれることとなったのだが。
「解くのも一苦労なら、こんな手の込んだ風にしなくても……」
「だって……カッコよく見えた方が、良いじゃないですか。
商談の場は、見た目の迫力も大切なんだって、ギルさんがおっしゃってましたし、ただでさえ成人前って侮られがちだって言うから……」
「そうか。色々考えてくれてたんだな。ありがとう。それなら、俺もちょっとくらい恥ずかしいのは我慢しよう」
「恥ずかしいんですか?」
「そりゃ……普段より気合入ってるって思われることがそもそも、なんか恥ずかしい……」
どことなく硬い空気を、そんな他愛ない話でなんとか和ませようと画策したのだが、あまり上手くいっている気はしなかった。
髪をほどききると、凄くうねっている。これだけ細かく跡がついたら、洗う方が手っ取り早いということで、そのまま髪を洗うことにする。
一通りの準備が済み、俺が普段着に戻ったので、今度はハインが着替えてきますと先に部屋を出た。
「そのままお茶の準備もしてきます」
「え、でも私……」
「サヤの方は、身支度に時間が掛かるでしょう?」
そんな感じでさっさと行ってしまう。
うーん……これは、頓着しない彼にしては珍しく、空気を読んだ?
部屋にサヤと二人、取り残されたのだが、するとサヤは、急に元気を無くし、俯いてしまった。
ああ……やっぱり、空元気だったんだな。そりゃ、気にするか……。
「サヤ、もう、済んだことだ」
「いいえっ、私……っ。もっと、色々考えて動くべきでした。
ロビンさんに声を掛けたのだって、その後の髪飾りのことだって……!
本当に、申し訳ありませんでした……!」
「うん。それはもうギルからも沢山聞いたし、良いからさ。
それより……理由があるなら、教えてもらえる? サヤにしては、突発的な行動だったとは思うけど……理由もなしにそんな風に行動するとも、思えないんだよね」
袴を握り締める彼女の手を取って、長椅子に座らせた。俺もその横に腰を下ろす。
まだ面覆いすら外していない彼女の表情はあまりはっきりとは分からない。けれど、全身から緊張と、後悔が伝わってくる。
しばらく待っていると、とても小さく、震える声が「役に、立たなきゃって、思って……」という、予想外の言葉を伝えてきた。
「サヤは、これ以上ないくらい、役に立ってくれてると思うんだけど?」
「違う。全然、できてない……。私、分かってるんです!」
強い口調で、彼女はそう言った。そして唇を噛みしめる。俺には、泣くまいとしているように見えた。
だけど、何故彼女がそこまで思い詰めなきゃいけないのかが、分からない。
ここ数日の彼女を思い起こしてみても、分からない……。
恋人となってから、特に彼女は輝いているように見えた。バート商会の中で、くるくるとよく動いていた。
だからその分、俺とサヤの接点が、少し減っていた……。
そのせいで、分からないのだろうか? もっとちゃんと、彼女を見ていれば、気付けたのだろうか……。
だけどやはり、唐突に何か、大きな変化があったわけではないんだと思う。
なら、彼女の中で積み重なってきた何かが原因なのではないか……と、考えた。少しずつ少しずつ、胸を占めていった、重い何か。
「私……ここに居ることを、強引に……自分で、選びました。
だから、それに見合うだけの価値を、示さなきゃって、思ったんです。
じゃあ私の価値って何かって、思ったら……知識、なんだろうなって……。
私の世界にあった、沢山のもの。学んできたこと。美味しい料理。誰も持っていない、私だけのもの」
言葉の前後に違和感を覚えた。
紡がれた言葉には無い、別の何かが含まれているような……。
それを探し出そうと、サヤをじっと見つめる。
「だから、この世界に、沢山の便利なものを、役立つものを、必要とされるものを、生活を、潤わせるものを、何か、やらなきゃ……出さなきゃって……」
膝の上の拳が、白くなるほどに握り締められていた。
強張ったその手が、必死で何かに耐えている。
一人でそうしている彼女を、抱きしめたいと思ったけれど、今のサヤは、それすら望んでいないように見えた。
自分の過ちを、失敗を、自覚している。自分で分かっている。
だけど、彼女が何故、そんな風に思い詰めてしまったのか。あんな行動へと駆り立てたのか……。
そんな風に思った時、その理由を俺は唐突に、閃いた。
俺だ。俺のせいだ!
彼女が一人で背負い込もうとしている時は、いつもそうだったじゃないか!
「サヤ、ごめんっ。俺はそんなつもりで言ったんじゃないんだ!」
俺がサヤに、生涯を捧げるなんて言ったからだ!
俺の全部をサヤに背負わせることにしてしまったから、俺の生涯に見合うだけの対価をと、彼女はそう、考えてしまった!
「サヤを望んだのは、俺の我が儘だよ? サヤはそれを、受け入れてくれただけだ!
俺が生涯を捧げるのだって、サヤが同じことを、してくれたからだ。
君からそれ以上なんて望んでない!
それに俺は、サヤの価値を、知識だなんて風にも、思ってない! それを必要としたから、君を求めたんじゃない!」
気付けば、ここ数日の中にも、彼女の違和感は、ちゃんとあった。
今までの彼女なら、ただ知識を振りまくなんてこと、しなかった。
なのに、沢山の道具を、描いていた。誰にも、何も求められていないのに。必要とされるときに、必要なものだけを差し出していた彼女がだ。
知識を晒す恐怖を上回る、恐怖があった?
だけどそれに、サヤは必死で首を横に振る。
「違います! 私、勝手に焦ったんです!」
そう叫ぶと、堪えられなかった涙が散った。
「こっ、恋人になったのに……私なんも、らしいことひとつ、できてへん……。
忙しいのを理由にして、逃げてた……今まで通りにしか、してへんかった!」
そう叫んでから、両手に顔を埋めてしまった。
俺は、サヤがまさか、そんな風に考えてたなんて、気付きもしていなかった……。
俺の方こそ、逃げていたのだ。どうすれば良いか分からず、意味もなく触れそうになる自分を、サヤに気持ち悪いと思われたくなくて。
何もなく続く日常に、心のどこかで安堵すらしていた。
なのにそれを彼女は、自分のせいだと、思っていたのか?
「この前かて、手に口付けくらいのことで、私……。あれくらい、普通のことやのに!
あれを私が怖がったん、レイは、分かってしもうたんやろ⁉︎
レイは、私が嫌やって思うことは、なんもしいひん。内心で嫌やって思うてる私には、なんも、要求できひん……。要求できひんように、私がさせてる!
せやから、せめて、何か役に立たなあかんって……っ。
ロビンさんを見つけた時、つい何も考えへんと、動いてしもうた。そしたら、あんなことになって……、余計焦って、ロビンさんまで巻き込んでしもたから、せめて何かせなって、それで今度は、ギルさんにまで迷惑かけて……!
誰かのためなんかやない……。私、自分勝手に、しただけや……」
両手に遮られた、くぐもった声で、サヤは、ごめんなさいと言った。
まるで子供のように。
そうだ。俺の横にいたのは、まだ大人にはなっていない、女の子だ。
……それを俺は今更、理解した。
素晴らしい知識を持ち、責任感があり、強くて、思慮深くて、大人びていたサヤ。
だけど彼女は……まだ、ほんの十六歳。
人生経験は、ここにいる誰よりも少ない。
親の庇護下にいて、学校に通う身で、社会経験だって無かったサヤが、あんなにしっかりして見えていたのは、それだけ必死で、頑張っていたからだ。
間違えないように、失敗しないように、彼女はそれを、俺が思う以上に努力して、こなしていたのだろう。
なまじ知識があり、責任感が強い故に、彼女はそれを、やり遂げてしまった。
本当なら、支えられるはずもないような重荷を、この世界でたった一人という孤独の中で、背負い切ってしまったんだ……。
この世界に来てサヤは、次から次へと、責任を背負わされた。
そんなつもりはなくても、俺たちはきっと、サヤの知識に縋っていた。それを彼女も、感じていただろう。
だから自分の価値は知識なのだと、そう思わせ、焦らせた。
その上で俺は、こんな少女に、自分の人生を賭けた選択を……自分の世界を捨てる決断を、彼女自身にさせた。
俺の生涯まで握らせた……。
しっかりしているから。素晴らしい知識を持っているから。責任感が強いから。
そうやって、俺たちは彼女を勝手に、大人にしていた。
十六歳の女の子として、扱っていなかった……。
そんな、ギリギリの綱渡りをするみたいに繋げてきた彼女の集中は、今日一瞬、切れてしまった……とうとう足を、踏み外したのだ。
丸まって、強張った背中。
きっと嗚咽を堪えているのだと思う。泣けば、逃げになると。俺たちが、彼女を甘やかすしかなくなると、そんな風に思ってる。
彼女はまだたったの十六歳。
なのに……こうやって、周りの期待通り、大人になろうとしてる……。
「……十六の時の俺って、どんなだったかな……。
ろくなものじゃなかったと思う。まずそもそも、一人で何も、できなかったし。
ハインに沢山、迷惑かけてたよ……。
ハインだって、まだ十九だったのにな……」
視線をサヤから外して、ただ前の空間を見た。
そこに、十六歳の自分を想像する。
何もかもを失くした気になって、絶望していた。
ハインがいてくれた。一人にすらなっていなかったのに、俺はその『つもり』で、手一杯になっていた。
必死で日々をこなしてきたつもり。だけどそれも、ハインに助けられ、ギルに助けられ、やっていたことだ。俺は全く、孤独じゃなかった。
あの人が俺に与えてくれた、俺の宝……。
「今日の失敗は、反省したらもう、気にするな。
大したことにはなっていないし、サヤだけの責任でもない。そもそも俺が、原因だし。
秘匿権のことは、今回良い勉強になったと思えば良い。サヤはもう、間違えないだろう?」
そう言うと彼女は、こくこくと何度も頷いた。
その両手で隠されたサヤの頭を、俺はそっと撫でる。
ここからは、もう叱責じゃないし。
「それと、俺がサヤを好きだと思ったのはね……多分、一番初めからだ。
サヤは、俺のせいじゃないって、言ってくれたろう?
俺が手を引いたんだ。だからサヤは、この世界に転がり落ちてしまった。
なのに君は、初対面の俺を、庇ったんだよ」
極限状態で、サヤは知り合ったばかりの俺を、庇った。
あそこに計算なんて、入る余地はなかった。絶望しかない、本当の孤独の中でも彼女は、その優しさを示した。
「あの瞬間から、魅了されたんだと思う。
だからサヤの知識も、武術の腕前も、美しさだって、君を好きになった理由じゃない」
今にして思うと、あれは魔法の言葉だった。
お前のせいだと言われ続けてきた俺に、何も知らないはずの彼女が、優しさという名の愛をくれたのだ。
だから。
俺が魅了されたのは、絶望の真っ只中にいても、優しさを失わなかった 、君の強さ。
「大丈夫。
これから時間は、いくらだってあるし、俺もサヤも、成人すらしていない。
焦らなくて良いんだ。こうして隣にいられるだけで、俺は充分幸せなんだから。
恋人らしさなんてものも、俺たちのやり方を、探していけば良い」
サヤの言う恋人らしさというのは、多分、カナくんが求めたものなのだと思う。
それを恐怖故に、受け入れられなかった。だから結果として、カナくんを失った。
今度は失敗しない。そんな風に考えていたのだろう。
何を求められても、我慢しよう、耐えようと、決意していたのかもしれない。
本当だ……。ギルの言う通り、こんなのはかわいそうだ。
幸せになるための手段を、義務みたいに、背負わせたくない……。
俺はカナくんと同じことをしてはいけない。
「まずはそうだな……作戦会議がひつようかな。
恋人らしさのすり合わせからした方が良いのかもしれない。
だってほら、サヤの世界には魂を捧げることもなかったし、他にも色々、違うかもしれない。
あと、毎日少しだけでも、二人で過ごす時間を作ろう。
ハインの目を盗んでになるから、結構大変かもだけど……」
「…………あの、ハインさんに、言った方が、ええんやないの?」
やっと少し落ち着いたらしいサヤが、口をひらいてくれた。ホッとしつつ、だけどその内容に、俺はうっ……っとなる……。
「……いや……うーん……」
せっかく少しずつって思っているのに、全部すっ飛ばしそうなのが怖いんだよ……。
「も、もうちょっと、内緒。が、良いです」
サヤのためにも、その方が良いと思います。うん。……は、恥ずかしいからってだけじゃ、ないから。断じて。うん。
◆
と、まぁ……そんなわけで、一応落ち着きを見せたサヤを着替えに送り出し、俺は結局言えなかったことを飲み込むことにした。
……ちょっと、嫉妬していたのだ、ロビンや、ルカに。
サヤを真っ向から見ていたルカ。貴族の俺が一緒であろうと関係なしに、サヤだけを視界に捉えていた……。
ロビンだって、サヤから話しかけたんだ。女性の装いであるにも関わらず。
彼女は、少しずつだけど、ちゃんと前に進んでる。
彼女自身が自覚しているかどうかは分からないけど、俺にはそれが見えてる。
それを喜ぶとともに、小さな不安も、育っていた。
サヤは、俺以外にも大丈夫な男が現れたら……どうなるのだろう。
それでも俺を、好きだと、言ってくれるのかな……。
あぁでもそれ以前に俺……サヤに、面と向かって好きって言われたこと、あったか?
何かの流れでとかならある。一応は言われてる。でも……。
溢れそうになる溜息も飲み込んで、少し、心が重くなる。
ゆっくりで良い、焦らなく良いんだって、サヤには言った。
だけど俺の中での渇望は、俺自身が自覚しないまま、少しずつ、育っていた。
あの場の違和感を理解していたのはほんの一握りであったろうし、そもそもサヤを知らない者も多かったからだ。
それに、男装中のサヤと比べれば、カメリアは髪色も、体型も、年齢すら違う。
あの事業に関わった者には、サヤの強さも知れ渡っている。
男の視線に怯えて、俺に縋りついていたりする頼りなげな姿が、あのサヤには全く繋がらなかった様子だった。
目論見通りといえばそうなのだけど、同一人物であると連想する者が、表面上いなかったことに、俺は少なからずホッとした。
「ほんとすまん、深く考えてなかった……。
名前を呼んでいたことすら意識してなかったのは、俺の落ち度だ」
「もう良いって。あの時は仕方がない。サヤがずっと従者を続けているだなんてことも想定していなかったし……。あの場の職人と、二人が知り合っているとも、思っていなかったんだ。防ぎようがないよ」
バート商会に戻ってもずっとそんな調子のギルに、俺は苦笑しつつ、もう何度目かわからないなと思いながら、同じ言葉を繰り返す。
ハインも会場の方は問題なかったと言っていたし、もうこれ以上、この問題は広がらないだろうと思われた。
「同じようなことがあっても、ロビンと同じに対応したら良い。
それでこの問題はおしまい。
とにかく着替えよう。この後胡桃さんが来る予定なんだ。夜中になるんだうから、仮眠でも取っておく方が良いだろ」
部屋に戻り、身支度を済ますことにした。
俺の髪を解くのに時間が掛かるからということで、まず俺の支度を進めてくれることとなったのだが。
「解くのも一苦労なら、こんな手の込んだ風にしなくても……」
「だって……カッコよく見えた方が、良いじゃないですか。
商談の場は、見た目の迫力も大切なんだって、ギルさんがおっしゃってましたし、ただでさえ成人前って侮られがちだって言うから……」
「そうか。色々考えてくれてたんだな。ありがとう。それなら、俺もちょっとくらい恥ずかしいのは我慢しよう」
「恥ずかしいんですか?」
「そりゃ……普段より気合入ってるって思われることがそもそも、なんか恥ずかしい……」
どことなく硬い空気を、そんな他愛ない話でなんとか和ませようと画策したのだが、あまり上手くいっている気はしなかった。
髪をほどききると、凄くうねっている。これだけ細かく跡がついたら、洗う方が手っ取り早いということで、そのまま髪を洗うことにする。
一通りの準備が済み、俺が普段着に戻ったので、今度はハインが着替えてきますと先に部屋を出た。
「そのままお茶の準備もしてきます」
「え、でも私……」
「サヤの方は、身支度に時間が掛かるでしょう?」
そんな感じでさっさと行ってしまう。
うーん……これは、頓着しない彼にしては珍しく、空気を読んだ?
部屋にサヤと二人、取り残されたのだが、するとサヤは、急に元気を無くし、俯いてしまった。
ああ……やっぱり、空元気だったんだな。そりゃ、気にするか……。
「サヤ、もう、済んだことだ」
「いいえっ、私……っ。もっと、色々考えて動くべきでした。
ロビンさんに声を掛けたのだって、その後の髪飾りのことだって……!
本当に、申し訳ありませんでした……!」
「うん。それはもうギルからも沢山聞いたし、良いからさ。
それより……理由があるなら、教えてもらえる? サヤにしては、突発的な行動だったとは思うけど……理由もなしにそんな風に行動するとも、思えないんだよね」
袴を握り締める彼女の手を取って、長椅子に座らせた。俺もその横に腰を下ろす。
まだ面覆いすら外していない彼女の表情はあまりはっきりとは分からない。けれど、全身から緊張と、後悔が伝わってくる。
しばらく待っていると、とても小さく、震える声が「役に、立たなきゃって、思って……」という、予想外の言葉を伝えてきた。
「サヤは、これ以上ないくらい、役に立ってくれてると思うんだけど?」
「違う。全然、できてない……。私、分かってるんです!」
強い口調で、彼女はそう言った。そして唇を噛みしめる。俺には、泣くまいとしているように見えた。
だけど、何故彼女がそこまで思い詰めなきゃいけないのかが、分からない。
ここ数日の彼女を思い起こしてみても、分からない……。
恋人となってから、特に彼女は輝いているように見えた。バート商会の中で、くるくるとよく動いていた。
だからその分、俺とサヤの接点が、少し減っていた……。
そのせいで、分からないのだろうか? もっとちゃんと、彼女を見ていれば、気付けたのだろうか……。
だけどやはり、唐突に何か、大きな変化があったわけではないんだと思う。
なら、彼女の中で積み重なってきた何かが原因なのではないか……と、考えた。少しずつ少しずつ、胸を占めていった、重い何か。
「私……ここに居ることを、強引に……自分で、選びました。
だから、それに見合うだけの価値を、示さなきゃって、思ったんです。
じゃあ私の価値って何かって、思ったら……知識、なんだろうなって……。
私の世界にあった、沢山のもの。学んできたこと。美味しい料理。誰も持っていない、私だけのもの」
言葉の前後に違和感を覚えた。
紡がれた言葉には無い、別の何かが含まれているような……。
それを探し出そうと、サヤをじっと見つめる。
「だから、この世界に、沢山の便利なものを、役立つものを、必要とされるものを、生活を、潤わせるものを、何か、やらなきゃ……出さなきゃって……」
膝の上の拳が、白くなるほどに握り締められていた。
強張ったその手が、必死で何かに耐えている。
一人でそうしている彼女を、抱きしめたいと思ったけれど、今のサヤは、それすら望んでいないように見えた。
自分の過ちを、失敗を、自覚している。自分で分かっている。
だけど、彼女が何故、そんな風に思い詰めてしまったのか。あんな行動へと駆り立てたのか……。
そんな風に思った時、その理由を俺は唐突に、閃いた。
俺だ。俺のせいだ!
彼女が一人で背負い込もうとしている時は、いつもそうだったじゃないか!
「サヤ、ごめんっ。俺はそんなつもりで言ったんじゃないんだ!」
俺がサヤに、生涯を捧げるなんて言ったからだ!
俺の全部をサヤに背負わせることにしてしまったから、俺の生涯に見合うだけの対価をと、彼女はそう、考えてしまった!
「サヤを望んだのは、俺の我が儘だよ? サヤはそれを、受け入れてくれただけだ!
俺が生涯を捧げるのだって、サヤが同じことを、してくれたからだ。
君からそれ以上なんて望んでない!
それに俺は、サヤの価値を、知識だなんて風にも、思ってない! それを必要としたから、君を求めたんじゃない!」
気付けば、ここ数日の中にも、彼女の違和感は、ちゃんとあった。
今までの彼女なら、ただ知識を振りまくなんてこと、しなかった。
なのに、沢山の道具を、描いていた。誰にも、何も求められていないのに。必要とされるときに、必要なものだけを差し出していた彼女がだ。
知識を晒す恐怖を上回る、恐怖があった?
だけどそれに、サヤは必死で首を横に振る。
「違います! 私、勝手に焦ったんです!」
そう叫ぶと、堪えられなかった涙が散った。
「こっ、恋人になったのに……私なんも、らしいことひとつ、できてへん……。
忙しいのを理由にして、逃げてた……今まで通りにしか、してへんかった!」
そう叫んでから、両手に顔を埋めてしまった。
俺は、サヤがまさか、そんな風に考えてたなんて、気付きもしていなかった……。
俺の方こそ、逃げていたのだ。どうすれば良いか分からず、意味もなく触れそうになる自分を、サヤに気持ち悪いと思われたくなくて。
何もなく続く日常に、心のどこかで安堵すらしていた。
なのにそれを彼女は、自分のせいだと、思っていたのか?
「この前かて、手に口付けくらいのことで、私……。あれくらい、普通のことやのに!
あれを私が怖がったん、レイは、分かってしもうたんやろ⁉︎
レイは、私が嫌やって思うことは、なんもしいひん。内心で嫌やって思うてる私には、なんも、要求できひん……。要求できひんように、私がさせてる!
せやから、せめて、何か役に立たなあかんって……っ。
ロビンさんを見つけた時、つい何も考えへんと、動いてしもうた。そしたら、あんなことになって……、余計焦って、ロビンさんまで巻き込んでしもたから、せめて何かせなって、それで今度は、ギルさんにまで迷惑かけて……!
誰かのためなんかやない……。私、自分勝手に、しただけや……」
両手に遮られた、くぐもった声で、サヤは、ごめんなさいと言った。
まるで子供のように。
そうだ。俺の横にいたのは、まだ大人にはなっていない、女の子だ。
……それを俺は今更、理解した。
素晴らしい知識を持ち、責任感があり、強くて、思慮深くて、大人びていたサヤ。
だけど彼女は……まだ、ほんの十六歳。
人生経験は、ここにいる誰よりも少ない。
親の庇護下にいて、学校に通う身で、社会経験だって無かったサヤが、あんなにしっかりして見えていたのは、それだけ必死で、頑張っていたからだ。
間違えないように、失敗しないように、彼女はそれを、俺が思う以上に努力して、こなしていたのだろう。
なまじ知識があり、責任感が強い故に、彼女はそれを、やり遂げてしまった。
本当なら、支えられるはずもないような重荷を、この世界でたった一人という孤独の中で、背負い切ってしまったんだ……。
この世界に来てサヤは、次から次へと、責任を背負わされた。
そんなつもりはなくても、俺たちはきっと、サヤの知識に縋っていた。それを彼女も、感じていただろう。
だから自分の価値は知識なのだと、そう思わせ、焦らせた。
その上で俺は、こんな少女に、自分の人生を賭けた選択を……自分の世界を捨てる決断を、彼女自身にさせた。
俺の生涯まで握らせた……。
しっかりしているから。素晴らしい知識を持っているから。責任感が強いから。
そうやって、俺たちは彼女を勝手に、大人にしていた。
十六歳の女の子として、扱っていなかった……。
そんな、ギリギリの綱渡りをするみたいに繋げてきた彼女の集中は、今日一瞬、切れてしまった……とうとう足を、踏み外したのだ。
丸まって、強張った背中。
きっと嗚咽を堪えているのだと思う。泣けば、逃げになると。俺たちが、彼女を甘やかすしかなくなると、そんな風に思ってる。
彼女はまだたったの十六歳。
なのに……こうやって、周りの期待通り、大人になろうとしてる……。
「……十六の時の俺って、どんなだったかな……。
ろくなものじゃなかったと思う。まずそもそも、一人で何も、できなかったし。
ハインに沢山、迷惑かけてたよ……。
ハインだって、まだ十九だったのにな……」
視線をサヤから外して、ただ前の空間を見た。
そこに、十六歳の自分を想像する。
何もかもを失くした気になって、絶望していた。
ハインがいてくれた。一人にすらなっていなかったのに、俺はその『つもり』で、手一杯になっていた。
必死で日々をこなしてきたつもり。だけどそれも、ハインに助けられ、ギルに助けられ、やっていたことだ。俺は全く、孤独じゃなかった。
あの人が俺に与えてくれた、俺の宝……。
「今日の失敗は、反省したらもう、気にするな。
大したことにはなっていないし、サヤだけの責任でもない。そもそも俺が、原因だし。
秘匿権のことは、今回良い勉強になったと思えば良い。サヤはもう、間違えないだろう?」
そう言うと彼女は、こくこくと何度も頷いた。
その両手で隠されたサヤの頭を、俺はそっと撫でる。
ここからは、もう叱責じゃないし。
「それと、俺がサヤを好きだと思ったのはね……多分、一番初めからだ。
サヤは、俺のせいじゃないって、言ってくれたろう?
俺が手を引いたんだ。だからサヤは、この世界に転がり落ちてしまった。
なのに君は、初対面の俺を、庇ったんだよ」
極限状態で、サヤは知り合ったばかりの俺を、庇った。
あそこに計算なんて、入る余地はなかった。絶望しかない、本当の孤独の中でも彼女は、その優しさを示した。
「あの瞬間から、魅了されたんだと思う。
だからサヤの知識も、武術の腕前も、美しさだって、君を好きになった理由じゃない」
今にして思うと、あれは魔法の言葉だった。
お前のせいだと言われ続けてきた俺に、何も知らないはずの彼女が、優しさという名の愛をくれたのだ。
だから。
俺が魅了されたのは、絶望の真っ只中にいても、優しさを失わなかった 、君の強さ。
「大丈夫。
これから時間は、いくらだってあるし、俺もサヤも、成人すらしていない。
焦らなくて良いんだ。こうして隣にいられるだけで、俺は充分幸せなんだから。
恋人らしさなんてものも、俺たちのやり方を、探していけば良い」
サヤの言う恋人らしさというのは、多分、カナくんが求めたものなのだと思う。
それを恐怖故に、受け入れられなかった。だから結果として、カナくんを失った。
今度は失敗しない。そんな風に考えていたのだろう。
何を求められても、我慢しよう、耐えようと、決意していたのかもしれない。
本当だ……。ギルの言う通り、こんなのはかわいそうだ。
幸せになるための手段を、義務みたいに、背負わせたくない……。
俺はカナくんと同じことをしてはいけない。
「まずはそうだな……作戦会議がひつようかな。
恋人らしさのすり合わせからした方が良いのかもしれない。
だってほら、サヤの世界には魂を捧げることもなかったし、他にも色々、違うかもしれない。
あと、毎日少しだけでも、二人で過ごす時間を作ろう。
ハインの目を盗んでになるから、結構大変かもだけど……」
「…………あの、ハインさんに、言った方が、ええんやないの?」
やっと少し落ち着いたらしいサヤが、口をひらいてくれた。ホッとしつつ、だけどその内容に、俺はうっ……っとなる……。
「……いや……うーん……」
せっかく少しずつって思っているのに、全部すっ飛ばしそうなのが怖いんだよ……。
「も、もうちょっと、内緒。が、良いです」
サヤのためにも、その方が良いと思います。うん。……は、恥ずかしいからってだけじゃ、ないから。断じて。うん。
◆
と、まぁ……そんなわけで、一応落ち着きを見せたサヤを着替えに送り出し、俺は結局言えなかったことを飲み込むことにした。
……ちょっと、嫉妬していたのだ、ロビンや、ルカに。
サヤを真っ向から見ていたルカ。貴族の俺が一緒であろうと関係なしに、サヤだけを視界に捉えていた……。
ロビンだって、サヤから話しかけたんだ。女性の装いであるにも関わらず。
彼女は、少しずつだけど、ちゃんと前に進んでる。
彼女自身が自覚しているかどうかは分からないけど、俺にはそれが見えてる。
それを喜ぶとともに、小さな不安も、育っていた。
サヤは、俺以外にも大丈夫な男が現れたら……どうなるのだろう。
それでも俺を、好きだと、言ってくれるのかな……。
あぁでもそれ以前に俺……サヤに、面と向かって好きって言われたこと、あったか?
何かの流れでとかならある。一応は言われてる。でも……。
溢れそうになる溜息も飲み込んで、少し、心が重くなる。
ゆっくりで良い、焦らなく良いんだって、サヤには言った。
だけど俺の中での渇望は、俺自身が自覚しないまま、少しずつ、育っていた。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる