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雨降って 1

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 意識の覚醒は、とても緩やかだった。
 いつぶりだろうか。何か、不思議なくらい深く、眠った気がする。
 羊水にくるまれて、揺蕩たゆたっている様な感覚。
 自然と、ああ、動こう。と、そう思えた。
 うん、起きよう。やるべきことをやろう。英気は充分養えた。すごく、すっきりした気分だ。

「お目覚めですか?」

 愛おしい声にそう問われて、気持ちがそちらに吸い寄せらせる様に動く。
 うん、そろそろ起きる。……あ?

 額を何かに撫でられて、違和感を感じ、眉間に力が入った。
 顔にかかっていた髪を、はらってくれたのだろうというのは、感覚でなんとなく理解できたけれど……。
 瞳を開くと、俺を覗き込むサヤの顔。視界の端に今、俺の額を撫でたであろう右手が見える。
 近い……なんでそんな……?

「っ⁉︎」

 おかしい。そう気づいた瞬間、慌てて横に転がって逃げようとすると、肩を押さえ込まれた。

「落ちる!そっち動いたらあかんっ」

 慌てたサヤが、そう言って身体を覆いかぶせる様にしてくるから、更に混乱した。

「ご、ごめん!悪気は無かったんだ、なんでこんな……ぃぃいいますぐ降りるから!」

 ありえない、俺の馬鹿⁉︎  寝たら無害だって思ってたのに⁉︎
 無意識?   無意識なのか⁉︎   だけどこれはなんかもう意図的に俺がそうしたとしか思えないっ。
 どうしてこうなった⁉︎
 俺は、サヤの膝の上に頭を乗せて眠っていたのだ。恥ずかしさと、なんかよく分からない複雑な感情に混乱するしかない。
 殴ってでも起こしてくれればよかったのに⁉︎
 なんかもう、申し訳ないやら恥ずかしいやら、なのにどうしてこんな満たされた心地なのかっていう……っ、もう、俺は駄目だ……これじゃ、変態だ!

「あの……誤解してる様ですけど……私が自分でしたんですよ?」

 膝の上で顔を両手で隠し、悶えて苦悩する俺に、サヤが少々、バツが悪そうに発言をする。

「つい眠ってしまって、申し訳ありません……起きたら、レイシール様が、寝辛そうな姿勢だったので、横になれる様、体勢を変えようとしたんです。
 そしたらその……これで落ち着いてしまい、抜け出せなく……」

 起こすのも忍びなく……と、もごもご言う。

「起こせばいいだろ!」
「私のことだって起こしてくれなかったじゃないですか!
 とにかくっ、私は別に、気にしてませんから……普通に起きて下さい。焦る必要、ないですから……」

 そこで未だ膝の上という現実に到達した。大慌てで腹筋に力を込め、身を起こす。
 物凄く気まずい……長椅子の両端で、二人して沈黙するしかない。
 ……お礼を、言うべきなんだろうか……?
 寝辛そうにしていたのを、直そうとしてくれたわけなのだし……。
 とは、いうものの……。
 膝を貸してくれてありがとうは、なんか、本当に、変態っぽい。
 うーうー唸って苦悩していると、サヤがパッと立ち上がる。

「ハインさんに、眠ってしまっていたこと、謝って来ます。お仕事も、あるでしょうし!」

 逃げる様に部屋を出て行ってしまった。
 それで余計に落ち込む。
 お礼すら言わないとか……、なんかもう、本当駄目だ……。
 だけど、好きって言っちゃった相手が、それを無かったことにしてくれない場合、俺は一体、どんな態度を取るべきなのかが、全くと言って良い程、分からない!

「なんでこんな時にギルがいないんだ……」

 まともな人間関係を構築してそうな人間が彼しかいない……という、自分身辺の大問題に、今更気付いた瞬間だった。


 ◆


 どうしようもないことを延々悩むくらいなら仕事をしよう!
 というわけで、自室にて現在の問題をなんとかするべく、頭を働かせることにした。
 夕食までの時間を、執務机に向かって過ごすことにする。決して、居た堪れなかったからではない……。ものすごくその……気分がすっきりとしていて、なんだか頭が働きそうな気がしたのだ。

 姫様の問題ははっきりした。
 国王様が、姫様可愛さ故に、王位を継がせたくないとお考えであることも分かったし、それをなんとかする対抗策も、一応は提案した。
 では次。
 リカルド様……というか、ヴァーリンの問題だろう。
 ヴァーリン家の長老。彼が何を考えているのかが分からない。
 そして、それをリカルド様が問題視しており、更に直接の手出しをしたがっていない……もしくは出来ないと考えているというところだよな。
 姫様を至急王都に連れ戻そうとし、結婚を急いでいたのは、リカルド様自身の発言力を強める為であったと伺った。
 ヴァーリン家の中で、長老と、領主殿の発言力は、かなり大きいと見て良いだろう。
 それに対抗する為に、リカルド様は自身の存在価値を上げる必要があった様子だ。

 ややこしいことだけれど、リカルド様は象徴派の首魁という立場だ。つまり、長老側の人間であると、思われているということ。
 普通に考えれば、その反対勢力となる者が、当然存在して、本来のリカルド様の所属であり、味方である可能性が高いよな。
 象徴派の反対勢力……つまり、現状支持派か。

「ん?……穏便に済ませたいって思っているのは、そっちだよな?」

 何故穏便に済ませたいのだろう……?
 むしろ、騒ぎ立てれば良いと思う。今の体制に歯向かおうとする方が、普通に考えれば不利だ。
 賢王と言われる白き方を、飾りにしておけと言う彼らが、支持を集める可能性は低い。
 特に国民だ。
 白き方は目立つ。
 我が国の王族だととても分かりやすい。
 それは案外重要なことで、どれだけ乱れた時代でも、白い方が即位するとなるだけで、犯罪件数すら減少させてしまう程なのだ。
 特別な特徴であるが故に、それを誇りに思っている者は多い。
 白き方が即位されるならば安心だと、国民には刷り込まれている。そして、それだけの治世を敷いてきたということなのだ。

「……なんか、引っかかる……」

 違和感があった。
 その二千年の歴史を、象徴派は何故軽視していられるのか……。
 現状支持派は、何故強く主張してこないのか……。
 そこに鍵があるように思えた。

 こういった時はあれだ。
 思うことをひたすら紙に書き出す。
 少しでも引っ掛かりを覚えたこと、違和感を感じたことを書き上げていく。なんだ。どれだと常に自分に問い、可能性を潰していく作業。
 そうやって突き詰めていくことに没頭していると、肩を叩かれ、ハッとして顔を上げた。

「レイシール様、夕食のお時間です」
「あ……ああ、すまない。今行く」

 ハインだった。
 いつもなら長考を邪魔してきたりはしないのだけれど、今は来客も多く、好き勝手に引きこもっていられる状況でもない。
 サヤが呼びに来なかったことが少々引っかかり、やっぱり怒ってたりするのだろうかと、不安を掻き立てられた。
 だけどその反面、ホッとしていたりもするから始末に負えない。
 結局サヤとの距離感を測りかねているままだった。
 こんな時なのに、サヤのことばかり気にしてる俺って駄目だよなぁとも思う。
 ちらりとハインに視線をやってみるが、こいつは全く、いつも通りだ。
 やっぱり、勘ぐりすぎかな……?   サヤが寝ているところに俺を放り込んだのは、頓着してなかった可能性が高そうだ。

 食堂に入ると、調理場から何やら話し声がする。
 片方はサヤだ。それはすぐに分かった。もう片方は……?   と、首を傾げる。

「エレノラです。
 昼間の詫びと、お礼だそうですが」

 ハインがそう教えてくれたものだから、俺も会ってその後の確認をしておこうと思った。
 調理場に入ることはあまり良い顔をされないけれど、調理をしたいと言っているのじゃないし、まあ良いかと。

 顔を覗かせると、サヤの手を取って何か熱く語っていた彼女が、パッとこちらを見る。

「ご子息様!」

 俺の方を見て顔を赤らめる。
 ……まあ、自分が人前で何に走ったかを思い出せばそうなるよな……俺はばっちり見てしまっているわけで、そのことも少々気不味い……。
 そしてサヤはというと、俺から視線を逸らしてスススと下がる。うううぅ、やっぱりか。

「やぁ、昼間は急に、悪かったね。
 その後どうだ?   ガウリィは、落ち着いただろうか……」

 サヤの態度に意気消沈しつつ、エレノラにそう問うと、頬を赤らめたまま、恥じらいつつこくりと頷く。
 ……あの行いがあったな。くらいのことは分かる。居心地悪い……。仲直り出来たなら良かったけど……。

「そ、そう。なら良かった。
 あの時はその……俺も感情的に色々、押し付けるような言い方になってしまっていたと思う。
 気を悪くしないでもらえたら、有難い。ガウリィにも、すまなかったと伝えてもらえるかな」

 そう言うと、エレノラが感極まったとばかりに俺に駆け寄ってきて、両手を握られた。うええぇ⁉︎

「ご子息様、ダニルが……貴方様が、あたしらのことを、領民だって言ってくれてるって、それ、本当に?
 あたし、ここで骨を埋めて良いって、本当にそう、仰ったんです⁉︎」

 豊満な胸に、掴まれた手が押し付けられる。うあああぁぁ、ちょっ、ちょっと離して……当たってる、俺の手が当たってるから!

「い、言った!   だから落ち着いてエレノラ!   そこはちょっとっ色々……!」

 慌てふためく俺に、元色女だというエレノラが察してくれた様子だ。パッと手が離される。
 その代わりの様に、膝を床につけ、両手を胸の前に組んで、深く頭を下げるものだから慌ててしまった。

「エレノラ⁉︎   そこまでのことは貴族にだってしなくて良い!」
「いや、あたしは、貴方様だからこうしたいんだ。
 あたしらは、神には救われない。そこまで堕ちた人間だから。
 なのに、貴方様はそんなあたしらを掬い上げてくれるって言ったんです。
 あの人にも聞きました。獣人だからって、兇手を選ばなくて良いって、料理人のガウリィで良いって、そう言って下さったんでしょう?
 それが、あたしらにとってどれほどのことか、お分かりになってない。
 だから示したんです。
 あたしは、神にはもう、祈らない。でも貴方様になら、身を捧げる覚悟だって、出来ます」

 捧げ……っ⁉︎
 や、ちが、そんなのはちょっと……サヤの前で何を言いだすんだ⁉︎
 ガウリィと夫婦になるって女性が、今から幸せにならなきゃいけない人が、口にする言葉じゃないだろう⁉︎

 カッと顔に火がついた様な心地だ。
 俺はしゃがみ込んでエレノラの腕を持ち、無理矢理立たせる。
 やめてくれ……神への礼とか、ほんと、罰当たりだから、そんな大層なことは何もしてないんだから。
 調理場の床に膝をついてしまったエレノラは、膝を濡らしてしまっている。そんな風にさせるつもりなんてなかったのに……。

「あのね、大袈裟だ。そんなご大層なものじゃない。
 俺は、君たちを料理人として招いたんだよ。だから、その様にしてもらう、それだけのことだろう?
 それに、俺はこれでも領主一族の端くれで、俺の仕事をしてるだけなんだよ。
 どうせ暮らしていくんなら、幸せであってほしい……。ここに居たいって思ってほしい。俺がそう思うのは、普通のことだろう?   だから、何も特別なことじゃ、ないんだ」

 必死で説明してるのに、エレノラは泣き出してしまう。
 俺、なんかいけないこと言ってしまったか?
 だけどこれ以上、何を言えば良いのかが分からずオロオロするしかない。
 そんな俺に呆れたのか、サヤがやって来て、エレノラさんをそっと抱きしめる。
 エレノラの方が少し背が高いから、サヤは爪先立ちで背伸びをしている感じだ。俺と視線が合うと、大丈夫、悲しくて泣いてるんじゃないですよという風に、ふんわりと笑った。それで、少なからずホッとする。

「特別ですよ……特別なんです。
 だってあの人、ここでなら、自分のことを獣だなんて、思わなくて済むってことなんです。
 あたしも、人の世では散々でした。
 あたしを掬い上げてくれたのは、獣だって言われるあの人だったんです。
 だからあたしは、あの人が獣だってなんだって、良かった。
 だけど、あたしがどれだけそう思ったって、あの人の救いになんてならなくて……。
 貴方様は、あたしらが何かを知ってて、なのにそんな風に、人らしく、扱ってくれる。
 全部知ってて受け入れようとしてくれた所なんて、今まで本当に、無かったんだ」

 ハラハラと泣いて、サヤにあやされるエレノラ。
 泣きながら、それでも嬉しそうに微笑むエレノラは、とても美しかった。
 長いこと胸につっかえていた重石が涙とともに溶け出しているかの様に、微笑みを深くする。
 嬉しくて、泣いてくれるのか……。あんなささやかなことで、こんな風にまで感謝されるなんて、なんだか面映い。

「……なら、どうか幸せになってくれ。
 人だとか、獣人だとか、そんなこと考えなくて良い、心安らげる家庭を築いてくれ。
 君ら二人が幸せになれば、他の獣人たちも、きっと幸せになろうとしてくれる。
 皆に、幸せになれるんだって、教えてやってくれ」

 そうお願いすると、力強く、頷いてくれた。
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