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暗躍 5

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 口にしてはいけないことだけれど、しないわけにはいかない。
 俺は成人していないから、今すぐ婚儀をとはいかないだろう。
 ならそれと同等と見なす誓いを神に捧げることになる。時が来たら、国と姫様の為に、身を捧げる誓いだ。
 だが、その肝心の、俺の誓約は、もう使われてしまっている。
 もし押し切られてしまったとしても、俺を傀儡には仕立てられない。そこで姫様が詰んでしまうだけだ。
 俺の告白に、ルオード様が息を飲む。

「……レイシール、君は、セイバーン殿には長らくお会いしていないと、言っていたはずだ!」
「ええ、十二年、父とは疎遠です。……俺の誓約は、十五年前から……貴族となった時から、捧げられております……ですから……」

 姫様は初めから……俺を選んでしまった瞬間から、詰んでいたということなのだ。
 呆然と、ルオード様が虚空を見つめる。
 足掻いて足掻いて、足掻いた先にある、ただの絶望。
 それがどんな気持ちであるかも、俺は、よく知ってる……。

 足元から、全てが瓦解する。あの、喪失感……。
 …………だが俺は、それを姫様や、ルオード様に、突き付ける気は、無い。
 あんな経験、無い方が良いんだ。

「ですが、ルオード様。
 俺は、姫様を王とする為の手段が、もう詰んでいるとは思わないのですよ」

 俺が続けた言葉に、虚無を彷徨っていたルオード様の視線が、定まる。
 終わりではない。その言葉に、縋り付く。

「……終わりでは、ない?」
「ええ。それに、俺は姫様に言いましたよ。
 雨季の終わりと共に、憂いなく王都にご帰還頂けるよう、全力で挑みます。
 どうぞ心安らかに、お待ち下さい……って」

 そう言いつつ、罪悪感に疼く心を、押さえつける。
 きっと王様は、苦しまれるのだろうなと、思うから……。
 だけど、やはりこれが、最良だと思うのだ。

「貴方です、ルオード様」

 俺の言葉に。沈黙だけが返る。
 ルオード様は、俺が何を言っているのかが分からない様子だ。

「貴方が、姫様の夫となるのが良い。
 俺では、足りないのですよ。姫様の本当の願いを叶えるには。
 傀儡かいらいでは、姫様は満たされません。
 姫様に必要なのは、姫様の盾となり、剣となれる人だ。操られるのではなく、彼の方の全てを理解して、彼の方の考えを、言葉にせずとも汲み上げられる人だ。
 そんな芸当ができるのは、貴方だけだと、俺は思うのです」

 俺にとってのハインと同じ。
 俺の全てを把握し、気持ちを先読みすらして、身を捧げてくれる者。
 幼い頃より、一番時間を共にしてきた存在。
 ルオード様なら、操られずとも、姫様のやりたいこと、思うことを、先に気付き、行動出来ると思う。
 姫様の重荷を、横にいて一緒に、支えることが出来ると思う。
 何故なら……ルオード様は姫様に忠誠も、愛も、魂すら捧げていらっしゃるから。
 言葉にはしないけれど、この方の態度の全ては、それで説明がついた。

「姫様を愛してらっしゃるのでしょう?なら、その身を国と姫様に、捧げて頂けませんか。
 リカルド様との婚儀は、王家を破滅に導く。血の病を、増長させてしまいます。
 ですから、どれだけリカルド様が優れた方であっても、王家の未来を思えば、避ける必要がある。
 大丈夫。リカルド様なら承諾されますよ。
 彼の方は王位にも、自身のたねにも拘りは無い。
 リカルド様は正しく、王家に忠誠を誓われております。それが最良となれば、きっと同意して下さる」

 言葉にしながら、鷲掴みにされた様な心臓の痛みに耐える。
 顔には出さない。これが、サヤの耐えている恐怖なのだと思うから、俺もそれに耐えてみせるつもりだった。

 確証のない、保証。
 断頭台へと歩むに等しい苦痛だなと、今更ながら知る。
 血の病を阻止する方法。
 薬も存在せず、身から切り離すこともできないその病は、近い血を取り込まないという手段で、長い年月を掛けて薄め、駆逐するしかない。
 ……いや、それで駆逐出来ることに、可能性を見出しているというだけだ。本当のところは、誰にも結果は分からない。
 王家の系譜を吟味したとしても、きっと正しい答えなど手に入らない。
 誰も、正しい道を教えてはくれない。
 誰かに任せることも出来ない。
 いやいや進もうと、未来に結果は、必ず訪れる。
 望まない結果であったとしても、そんなつもりじゃなかったなんて言えなくて、ただ突きつけられたものを甘んじて受け入れるしかない。
 その、結果への恐怖も飲み込んで、言葉を口にする。

「姫様は王とならなければなりません。
 王家の……白く産まれた者の意志として、病の駆逐を指揮してもらわなければなりませんから。
 国王様も、きっと受け入れざるを得ないでしょう。
 自身を苦しめ、子を奪い、父親を死に至らしめた病です。それを断つ手段があると言えば、姫様を犠牲にしてでも、受け入れると俺は考えます。
 姫様一人と、その後の子孫を天秤にかけたら、それしか選べない。辛い決断でしょう。でも……。
 姫様で最後にできる……白く産まれる者を、終わりにできる……。それは、大きな希望になるはずだ」

 呆気にとられた様子のルオード様が、青ざめた顔で、呆然と俺を見ている。
 俺の口にした言葉の意味が、まだ頭の奥に浸透していないといった表情だ。
 そんなルオード様に、俺は容赦なく、貴方にしか出来ないことなのだと突きつけていく。

「王家の血から、最も遠い血が必要なのです。
 それは、俺であり、貴方だ。妾腹の、庶子……。
 姫様の心も、夢も、全てが貴方の血にかかっている。どうか、是と言って下さい。
 それが、最も姫様のためとなります」

 まるで悪魔の誘惑だな。
 姫様のために、身も心も捧げよ。だもんな。
 じわじわと染み込んでくる意味に、畏怖すら浮かべたルオード様の瞳を見返して、ただ彼の反応を待った。


 ◆


 ルオード様との交渉を終え、俺は重たい頭を必死で持ち上げて、自室に戻った。

「おかえりなさいませ。……お疲れのご様子ですね」
「ん……流石に、きつい……ずっと集中……久しぶりだし……」

 学舎に居た頃など、最終学年は模擬戦とか討議戦とか、目白押しだったから、人の表情を読み続けることが日常で、あまり意識すら、していなかった。
 あくまで授業の一環であったから、そこまで緊張も強いられなかったし。
 だけど、今俺は、間違いの許されない立場で、国の運命を左右しかねない事柄に、何故か関わってしまっている。
 読み間違いや、見落としなんてあってはならない。だから必死だったのだ。

「ちょっと、休んで良いかな……なんかもう、頭がズクズクする」
「午睡を取って下さい。寝室へどうぞ」
「いや……それすると、がっつり寝てしまいそうだから……」

 がっつり寝るのは嫌だ。夢を見てしまう……。疲れてるから、もう何も気にせず、ただ落ち着いて休みたいんだ……。
 そう思い、長椅子に向かおうとする俺を、ハインが遮る。

「がっつり寝て下さい。夕食時には起こします。
 ちゃんと午睡番もおりますから」

 謎の言葉と共に、寝室に押し込まれる。
 抗議しようとしたら、鋭い眼光で睨まれ、唇の前で指を立てられてしまった。
 だ、黙れってどういうことだよ……?
 最後にちらりと視線を流したハインが、有無を言わさず扉を閉じてしまう。

「ちょっ……何がしたいんだあいつ……なんか最近俺の扱い雑になってないか?」

 ブツブツと文句を言いつつ寝室の長椅子に足を向けて……動きが止まった。
 サヤが居たのだ。
 寝台脇の、長椅子の端にちんまりと座って、肘掛にしなだれかかる様にして、眠っていた。

 昨日、ちゃんと眠れてないのだろうとは、思っていた……。
 その結果、ここでこうして無防備に、寝顔を晒してしまっているのだろう。
 可憐な唇が、ほんの少しだけ開いていて、頬に影を落とす長い睫毛も、相変わらず黒い。
 後頭部で束ねた髪が、長椅子の肘掛から垂れていて、サヤの呼吸と共に、微かに揺れ動き、邪心のかけらもないといったあどけない寝顔が、サヤを随分と幼く見せ……って、ちょっと待て。

 …………ハイン……俺の何を知ってるんだあいつ⁉︎

 バッと、扉の方を見る。
 サヤのことを俺がどう思っているのか……あいつは、知らない筈だよな⁉︎
 なのになんで……寝てるサヤがいる場所に、俺を押し込んだ⁉︎

 サヤの寝顔なんて今更なのだが、ハインが意図的に、俺とサヤを密室に押し込めたのだと考えると、妙にそわそわとしてしまう。
 ど、どうしよう……、長椅子はサヤが使ってるし、寝台をつかうしか……だけど夢で魘されればどうせサヤを起こしてしまうわけで……。
 彼女の安眠を妨害したくない。とはいえ多分、部屋を出ても押し戻されるか、なんで気にするのかと逆に勘ぐられる……。
 ハインのことだから、さして意図もなく、いつもの頓着しない部分が出て、寝てる人間は一緒にしておこう。くらいの軽い考えであっただけかもしれないし……。

 何か良い案はないかと考えても、頭のズクズクが結局思考の邪魔をする。最終的に、もういいや、とりあえず、寝よう。寝てれば無害だ。という結論に至った。

 サヤを起こさない様、長椅子の反対端にゆっくりと腰を下ろす。
 ……起きない……な?
 規則正しく続く、サヤの寝息にホッと胸をなでおろすと、途端に眠くなってくる。
 もぞもぞと動いて、寝やすい態勢を探している間に、ストンと意識は落ちていた。
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