上 下
199 / 1,121

仮面 3

しおりを挟む
 母もああだった。
 初めは少し、無理して笑っているなって、それだけだったんだ。
 だけど、日を追うごとに、どんどん、どんどん、壊れていった。
 笑顔が、笑顔じゃなくなっていった。
 そうだ、それで、何かの手紙を受け取って、それが崩壊の切っ掛けだった。

 ズキリと、頭の芯が痛む。
 母の記憶は、針と一緒だ。思い出すことに、痛みを伴う。苦しさや悲しみが針になって突き刺さる。
 それでも、三歳までは、ただ優しく、時に厳しい母だった。けれどその崩壊から、変わってしまった。
 手紙が来た日、母は一日を、その手紙を見て過ごした。
 思えば、その時からもう、何かがおかしかったのだと思う。
 翌朝、まだ随分と早い時間に起こされて、着替えさせられて、そのまま朝食も取らずに、俺の手を引き、家を出て、そして……あの、記憶に、繋がっていく……。

「レイシール様、少し休まれては如何ですか」

 ハインに声を掛けられ、はっと顔を上げると、心配そうに俺を見る、クリスタ様の視線とかち合った。
 しまった。つい思考に没頭してしまっていたか。

「大丈夫だ。……申し訳ありません、集中します」
「本当に、休んだらどうだ? 
 眠れていないのではないか?   顔色が、随分と悪い……」
「あぁ、この時期はいつものことなのですよ。お気になさらず。
 今年で、この不眠の日々ともお別れになるかもしれないのです。少しくらい無茶もしますよ」

 顔を笑みの形に整えて、そんな風に言うと、クリスタ様もしようのない奴だなと苦笑を返す。
 あれから三日……サヤはやはり、作り物の笑顔をちらつかせる。
 ハインや、ルーシーと接している時は、まだ普段のサヤであるように見えるのに、俺には表情を偽ることが増えた。自ずと、サヤと接する機会が減り、クリスタ様との時間が増える。
 サヤは、ルオード様との約束を守り、クリスタ様には極力、近寄らない様にしている様子だったから、なおのこと、サヤとの時間は削られていった。

 気を取り直し、話し合いを再開する。
 交易路計画は、クリスタ様の名も副責任者として連ねると決まった。アギーが先頭に立つのではなく、あくまで俺が主体で行う事業となる。俺の実績作りだと、クリスタ様は言った。

「この計画に僕は名を貸すだけだ。
 動かすのはマルなのだろう?   なら、セイバーンが君のやることに口出し出来ぬ様、せいぜい権力をチラつかせてやる。そうだな……この土嚢、軍事面でも有用なのだから、他領から研修ということで、軍部の者を募るのはどうだ。なに、数人の派遣で構わん。数日滞在させ、資料を渡して帰す程度で良いのだ。他領との繋がりをつくる意思があると示しておけば、君のその技術を欲しがる者は自ら足を運ぶだろう」
「それは良いですねぇ。正直、あまり口出しもされたくないので、それくらいの接点が望ましいです。
 まあ、大半の方々は齧っておきたい程度の興味でしょうし、もっと切実に土嚢の利用を考える方々なら、資料を見た後連絡をよこすでしょうからねぇ」

 マルも賛成か。なら、その様に進めよう。そんな風に、話がまとまっていくわけだが……。
 こういった話をする時、クリスタ様ってこんなに生き生きとされるんだな……。
 たまに毒舌を挟みつつ、マルと頭をつき合わせて計画を研磨するクリスタ様は、凄く格好良い。元々、人を使うことに長けた方だ。この方の下にいると、言われたことを為さねばならない気持ちになる。
 学舎に居た頃は、体調を崩すことが多く、講義に参加することすら、ままならなかった。だから、こんな風に采配を振るう姿に、あまりお目にかかる機会が無かったわけだが、ここに来てからのクリスタ様は、あの頃に比べて、随分と健やかに見えた。
 お身体のことがなかったら、この方はきっと、もっと、活躍される方だったのだろう……。

「……なんだ?   何か顔についているのか?」
「っ、も、申し訳ありませんっ。ついその……見とれていたといいますか……」

 学舎に居た頃のクリスタ様は、いつも何か、心の中に苛立ちを抱えておられた様に思う。
 今もそれは、少なからず彼の中に見え隠れするのだけれど、それでも今のクリスタ様は、とても、いきいきして見える。それについ、見とれてしまっていたのだ。
 俺の言葉に面食らってしまった様に、クリスタ様が瞠目した。そして、カッと顔に朱が指して、そのまま睨みつけられる。この人は照れると怒るのだ。

「君はギルバートに、とんだ悪影響を受けているのではないか?   まるで女誑しの様な発言だな!」
「ええっ⁉︎   クリスタ様に言ったのに、女たらしの発言になるのですか⁉︎」
「では言い換える。人たらしだ。そういえばそうだった。君は前から人たらしだな。いつも通りか」

 仕返しをされてしまった。少しまだ頬を赤らめたまま、意地悪そうな瞳が俺を見て笑う。
 今度は俺が紅潮する番だ。しかもそれに、油を注ぐものがいるのだからたちが悪い。

「あはは、そうですよねぇ。土嚢壁を作る時も、人足たちから絶大な人気を誇ってましたよぅ。レイ様が見回りに来ると、それはもう、みんな張り切ってましたから」
「……まさか、現場にも赴いていたのか?」
「そりゃ、赴きますよ。責任者なんですから。
 けど、人気だったとかじゃなく、皆が良い者たちだっただけです。……後半、顔を出せなくて、正直申し訳なかったんですよね……。それでも皆、頑張ってくれました。有難いことです」

 見回りすら出来ない不甲斐ない俺のかわりに、皆が頑張ってくれた。だから、今こうして、安心して川の様子を見ていられる。

 先日雨が強い時に、川の水が一度、本来の護岸を越えた。いつもなら、村人を避難させる様な事態だったのだが、土嚢壁はビクともせず、今はまた、川は水位を戻していた。
 あの事態を乗り越えたときの、気持ちの高揚は忘れられない。これはいける。そう、確信出来た瞬間だった。この時ばかりはサヤも、本当の笑顔で笑い、おめでとうございますと、言ってくれたのだ。

「まあ、見とれていたというのは、クリスタ様が、思いの外お元気そうで、ホッとしたということです。
 こんな片田舎にお身体の不調をおしてお越しになるだなんて、正直、大丈夫なのかと、本気で心配していたんですよ」

 サヤのことを頭から追い払う為に、あえて明るく、そう口にした。
 するとクリスタ様が、ふと、真面目な顔に戻る。

「そういえば、そうだ。
 私も、もう少し……大変なものだと思っていた。だが、ここは何か、居心地が良い」
「そうですわね。いつもならば、遠征の時は幾日か、寝込むのが常なのですが……随分と、体調が宜しい様に思えます」

 クリスタ様のお茶を入れ替えていたリーカ様が、そう言って、ふんわりと微笑んだ。
 そうか……。ならばこれは、きっとサヤの、采配のお陰なんだな……。

「……それは、良かった。
 サヤが、とても気を配ってくれたのです……。クリスタ様の体調に沿う様、一生懸命動いてくれたのですよ……」

 つい、声が沈んでしまった。
 サヤに触れたい。唐突に、そんな気持ちが込み上げて来たのだ。
 仮面の笑顔で、心を閉ざす様になっても、サヤは今まで通り、優しい、慈悲深いサヤのままだ。
 悪夢から俺を助け出してくれるし、日常業務も手伝ってくれる。サヤの態度は何も変わらない。
 けれど……辛かった。サヤの気持ちが、見えないことが。
 サヤの心が見えないから、自然とサヤに触れることも躊躇われてしまい、俺はサヤから、距離を置かれたままだ……。
 傍に居るのに、遠い……。これからずっと、このままなのだろうか……。

「サヤとは、あの黒い従者だな。僕とはとんと接点が無いので分からぬが、気を配ったとは、どういうことだ?」

 眉間に小さくしわを寄せて、クリスタ様が訝しげに俺を見た。
 あれ?   ルオード様から、伺ってないのだろうか……。

「?   ルオード様から報告はございませんでしたか?
 クリスタ様の病の知識が、サヤにはあったのです。それで……クリスタ様が健やかに過ごせる様に、内装に気を配ってくれたのですよ」

 戦慄が走る。

「……病……だと?   病とは……この呪いのことか⁉︎」
「の、呪い……まあ、呪い、ですよね。うん……ええ、クリスタ様の、日の光が毒となる体質のことです。これは、サヤの国では病と知られていた様なのです……本当に、報告を受けて、いらっしゃらないのですか?」

 驚いた。ルオード様のことだから、事細かに、クリスタ様に報告が入っているものと思っていたのだ。
 とくに、クリスタ様の病については、かなり厳しい対応だっただけに。
 それまでと打って変わって、クリスタ様から鋭い命が飛ぶ。急ぎルオードを呼べと、言われ、従者の一人が外に走った。
 俺は、マルと顔を見合わせて、何が何だかわからず、状況を見守るしかない。

「なんでだ?   てっきり知らせが入っているものと……」
「……うーん、なんでしょうねぇ……まあ、思惑があってのことでしょうけど」

 そう言ったマルが、俺をちらりと見て、何か考える風な素振りを見せてから。

「レイ様、サヤくんも呼んだ方が良いと思います」
「え……」
「何があったか知りませんけれど、気不味くっても呼んでください」

 念を押されてしまった……仕方がないので、ハインにサヤを呼んで来るように伝えると、一礼して席を外した。

 サヤはすぐにやって来た。ハインとともに部屋に入り、一礼して俺の背後に立つ。
 俺の方を、サヤは見なかった。そのことに、少なからず傷付いてしまう。

「その方、僕のこの体質について、よく知っておるそうだな。
 先程、レイシールより報告を受けた。その方が知る、僕の病……それについて教えてくれるか」

 クリスタ様がそう言うと、サヤが少し、動くのが気配で分かった。きっと、小首を傾げたのだと思う。サヤはよく、その様にするから。

「……直接、口を開くことを、お許しいただけるのでしょうか……」
「良い。話せ。知ること全てを」
「……はい。クリスタ様の病は、私の国で『先天性白皮症』と呼ばれるものだと推測しております。
 生まれつき、肌が白く、場合によって、瞳が赤、薄紫、薄青、灰色など、色に差が出るものの、総じて陽の光を毒とし、浴びすぎることが害になる……と、認識しております。
 また、瞳も光に弱く、私たちが一般的に生活している光量だと、眩しく感じてしまう方が多いです」

 スラスラと、サヤが静かに答えていく。まるで、何度も繰り返し練習したかの様に、柔らかく続くサヤの言葉は流れを止めなかった。

「この部屋を、其方が心地よく過ごせる様に手配してくれたと聞いた。
 確かに、心地良いように思う。どういったことを、配慮したのだ?」
「はい。まず、帳を二重にし、光量を調節できる様に致しました。材質を絹とし、クリスタ様にとって毒となるものが、部屋に入る量をある程度、遮断しております。
 それから、家具を窓辺に配置するのを控えました。部屋の明るさも、本来より暗めにしてあります。
 快適だと感じてらっしゃるのは……たぶん、その光量の調整だと思います。
 眩しすぎると、目が疲れますし、目が疲れますと、体力を削られますから、クリスタ様は日常的に、目を酷使しすぎていらっしゃるのではないでしょうか」
「…………驚いた。其方、本当に、この病を知っておるのだな……。そうか……これは、病……病なのか……」

 使用人の方々も、何か浮き足立っている。
 長年、クリスタ様を煩わせていたものの正体が知れたのだ。平常心でいろという方が難しいだろう。
 だが、サヤはそんな方々を前に、硬い表情を崩さない。

「……はい。あと、一つ……申し上げにくいことも、お伝えしなければなりません」

 ピシリと、空気が張り詰めた様に感じた。クリスタ様は、サヤに視線を戻し、鋭く見つめながら「申せ」と、命ずる。

「この病は、治せません」

 空気が、凍り付いた。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

処理中です...