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仮面 3
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母もああだった。
初めは少し、無理して笑っているなって、それだけだったんだ。
だけど、日を追うごとに、どんどん、どんどん、壊れていった。
笑顔が、笑顔じゃなくなっていった。
そうだ、それで、何かの手紙を受け取って、それが崩壊の切っ掛けだった。
ズキリと、頭の芯が痛む。
母の記憶は、針と一緒だ。思い出すことに、痛みを伴う。苦しさや悲しみが針になって突き刺さる。
それでも、三歳までは、ただ優しく、時に厳しい母だった。けれどその崩壊から、変わってしまった。
手紙が来た日、母は一日を、その手紙を見て過ごした。
思えば、その時からもう、何かがおかしかったのだと思う。
翌朝、まだ随分と早い時間に起こされて、着替えさせられて、そのまま朝食も取らずに、俺の手を引き、家を出て、そして……あの、記憶に、繋がっていく……。
「レイシール様、少し休まれては如何ですか」
ハインに声を掛けられ、はっと顔を上げると、心配そうに俺を見る、クリスタ様の視線とかち合った。
しまった。つい思考に没頭してしまっていたか。
「大丈夫だ。……申し訳ありません、集中します」
「本当に、休んだらどうだ?
眠れていないのではないか? 顔色が、随分と悪い……」
「あぁ、この時期はいつものことなのですよ。お気になさらず。
今年で、この不眠の日々ともお別れになるかもしれないのです。少しくらい無茶もしますよ」
顔を笑みの形に整えて、そんな風に言うと、クリスタ様もしようのない奴だなと苦笑を返す。
あれから三日……サヤはやはり、作り物の笑顔をちらつかせる。
ハインや、ルーシーと接している時は、まだ普段のサヤであるように見えるのに、俺には表情を偽ることが増えた。自ずと、サヤと接する機会が減り、クリスタ様との時間が増える。
サヤは、ルオード様との約束を守り、クリスタ様には極力、近寄らない様にしている様子だったから、なおのこと、サヤとの時間は削られていった。
気を取り直し、話し合いを再開する。
交易路計画は、クリスタ様の名も副責任者として連ねると決まった。アギーが先頭に立つのではなく、あくまで俺が主体で行う事業となる。俺の実績作りだと、クリスタ様は言った。
「この計画に僕は名を貸すだけだ。
動かすのはマルなのだろう? なら、セイバーンが君のやることに口出し出来ぬ様、せいぜい権力をチラつかせてやる。そうだな……この土嚢、軍事面でも有用なのだから、他領から研修ということで、軍部の者を募るのはどうだ。なに、数人の派遣で構わん。数日滞在させ、資料を渡して帰す程度で良いのだ。他領との繋がりをつくる意思があると示しておけば、君のその技術を欲しがる者は自ら足を運ぶだろう」
「それは良いですねぇ。正直、あまり口出しもされたくないので、それくらいの接点が望ましいです。
まあ、大半の方々は齧っておきたい程度の興味でしょうし、もっと切実に土嚢の利用を考える方々なら、資料を見た後連絡をよこすでしょうからねぇ」
マルも賛成か。なら、その様に進めよう。そんな風に、話がまとまっていくわけだが……。
こういった話をする時、クリスタ様ってこんなに生き生きとされるんだな……。
たまに毒舌を挟みつつ、マルと頭をつき合わせて計画を研磨するクリスタ様は、凄く格好良い。元々、人を使うことに長けた方だ。この方の下にいると、言われたことを為さねばならない気持ちになる。
学舎に居た頃は、体調を崩すことが多く、講義に参加することすら、ままならなかった。だから、こんな風に采配を振るう姿に、あまりお目にかかる機会が無かったわけだが、ここに来てからのクリスタ様は、あの頃に比べて、随分と健やかに見えた。
お身体のことがなかったら、この方はきっと、もっと、活躍される方だったのだろう……。
「……なんだ? 何か顔についているのか?」
「っ、も、申し訳ありませんっ。ついその……見とれていたといいますか……」
学舎に居た頃のクリスタ様は、いつも何か、心の中に苛立ちを抱えておられた様に思う。
今もそれは、少なからず彼の中に見え隠れするのだけれど、それでも今のクリスタ様は、とても、いきいきして見える。それについ、見とれてしまっていたのだ。
俺の言葉に面食らってしまった様に、クリスタ様が瞠目した。そして、カッと顔に朱が指して、そのまま睨みつけられる。この人は照れると怒るのだ。
「君はギルバートに、とんだ悪影響を受けているのではないか? まるで女誑しの様な発言だな!」
「ええっ⁉︎ クリスタ様に言ったのに、女たらしの発言になるのですか⁉︎」
「では言い換える。人たらしだ。そういえばそうだった。君は前から人たらしだな。いつも通りか」
仕返しをされてしまった。少しまだ頬を赤らめたまま、意地悪そうな瞳が俺を見て笑う。
今度は俺が紅潮する番だ。しかもそれに、油を注ぐものがいるのだからたちが悪い。
「あはは、そうですよねぇ。土嚢壁を作る時も、人足たちから絶大な人気を誇ってましたよぅ。レイ様が見回りに来ると、それはもう、みんな張り切ってましたから」
「……まさか、現場にも赴いていたのか?」
「そりゃ、赴きますよ。責任者なんですから。
けど、人気だったとかじゃなく、皆が良い者たちだっただけです。……後半、顔を出せなくて、正直申し訳なかったんですよね……。それでも皆、頑張ってくれました。有難いことです」
見回りすら出来ない不甲斐ない俺のかわりに、皆が頑張ってくれた。だから、今こうして、安心して川の様子を見ていられる。
先日雨が強い時に、川の水が一度、本来の護岸を越えた。いつもなら、村人を避難させる様な事態だったのだが、土嚢壁はビクともせず、今はまた、川は水位を戻していた。
あの事態を乗り越えたときの、気持ちの高揚は忘れられない。これはいける。そう、確信出来た瞬間だった。この時ばかりはサヤも、本当の笑顔で笑い、おめでとうございますと、言ってくれたのだ。
「まあ、見とれていたというのは、クリスタ様が、思いの外お元気そうで、ホッとしたということです。
こんな片田舎にお身体の不調をおしてお越しになるだなんて、正直、大丈夫なのかと、本気で心配していたんですよ」
サヤのことを頭から追い払う為に、あえて明るく、そう口にした。
するとクリスタ様が、ふと、真面目な顔に戻る。
「そういえば、そうだ。
私も、もう少し……大変なものだと思っていた。だが、ここは何か、居心地が良い」
「そうですわね。いつもならば、遠征の時は幾日か、寝込むのが常なのですが……随分と、体調が宜しい様に思えます」
クリスタ様のお茶を入れ替えていたリーカ様が、そう言って、ふんわりと微笑んだ。
そうか……。ならばこれは、きっとサヤの、采配のお陰なんだな……。
「……それは、良かった。
サヤが、とても気を配ってくれたのです……。クリスタ様の体調に沿う様、一生懸命動いてくれたのですよ……」
つい、声が沈んでしまった。
サヤに触れたい。唐突に、そんな気持ちが込み上げて来たのだ。
仮面の笑顔で、心を閉ざす様になっても、サヤは今まで通り、優しい、慈悲深いサヤのままだ。
悪夢から俺を助け出してくれるし、日常業務も手伝ってくれる。サヤの態度は何も変わらない。
けれど……辛かった。サヤの気持ちが、見えないことが。
サヤの心が見えないから、自然とサヤに触れることも躊躇われてしまい、俺はサヤから、距離を置かれたままだ……。
傍に居るのに、遠い……。これからずっと、このままなのだろうか……。
「サヤとは、あの黒い従者だな。僕とはとんと接点が無いので分からぬが、気を配ったとは、どういうことだ?」
眉間に小さくしわを寄せて、クリスタ様が訝しげに俺を見た。
あれ? ルオード様から、伺ってないのだろうか……。
「? ルオード様から報告はございませんでしたか?
クリスタ様の病の知識が、サヤにはあったのです。それで……クリスタ様が健やかに過ごせる様に、内装に気を配ってくれたのですよ」
戦慄が走る。
「……病……だと? 病とは……この呪いのことか⁉︎」
「の、呪い……まあ、呪い、ですよね。うん……ええ、クリスタ様の、日の光が毒となる体質のことです。これは、サヤの国では病と知られていた様なのです……本当に、報告を受けて、いらっしゃらないのですか?」
驚いた。ルオード様のことだから、事細かに、クリスタ様に報告が入っているものと思っていたのだ。
とくに、クリスタ様の病については、かなり厳しい対応だっただけに。
それまでと打って変わって、クリスタ様から鋭い命が飛ぶ。急ぎルオードを呼べと、言われ、従者の一人が外に走った。
俺は、マルと顔を見合わせて、何が何だかわからず、状況を見守るしかない。
「なんでだ? てっきり知らせが入っているものと……」
「……うーん、なんでしょうねぇ……まあ、思惑があってのことでしょうけど」
そう言ったマルが、俺をちらりと見て、何か考える風な素振りを見せてから。
「レイ様、サヤくんも呼んだ方が良いと思います」
「え……」
「何があったか知りませんけれど、気不味くっても呼んでください」
念を押されてしまった……仕方がないので、ハインにサヤを呼んで来るように伝えると、一礼して席を外した。
サヤはすぐにやって来た。ハインとともに部屋に入り、一礼して俺の背後に立つ。
俺の方を、サヤは見なかった。そのことに、少なからず傷付いてしまう。
「その方、僕のこの体質について、よく知っておるそうだな。
先程、レイシールより報告を受けた。その方が知る、僕の病……それについて教えてくれるか」
クリスタ様がそう言うと、サヤが少し、動くのが気配で分かった。きっと、小首を傾げたのだと思う。サヤはよく、その様にするから。
「……直接、口を開くことを、お許しいただけるのでしょうか……」
「良い。話せ。知ること全てを」
「……はい。クリスタ様の病は、私の国で『先天性白皮症』と呼ばれるものだと推測しております。
生まれつき、肌が白く、場合によって、瞳が赤、薄紫、薄青、灰色など、色に差が出るものの、総じて陽の光を毒とし、浴びすぎることが害になる……と、認識しております。
また、瞳も光に弱く、私たちが一般的に生活している光量だと、眩しく感じてしまう方が多いです」
スラスラと、サヤが静かに答えていく。まるで、何度も繰り返し練習したかの様に、柔らかく続くサヤの言葉は流れを止めなかった。
「この部屋を、其方が心地よく過ごせる様に手配してくれたと聞いた。
確かに、心地良いように思う。どういったことを、配慮したのだ?」
「はい。まず、帳を二重にし、光量を調節できる様に致しました。材質を絹とし、クリスタ様にとって毒となるものが、部屋に入る量をある程度、遮断しております。
それから、家具を窓辺に配置するのを控えました。部屋の明るさも、本来より暗めにしてあります。
快適だと感じてらっしゃるのは……たぶん、その光量の調整だと思います。
眩しすぎると、目が疲れますし、目が疲れますと、体力を削られますから、クリスタ様は日常的に、目を酷使しすぎていらっしゃるのではないでしょうか」
「…………驚いた。其方、本当に、この病を知っておるのだな……。そうか……これは、病……病なのか……」
使用人の方々も、何か浮き足立っている。
長年、クリスタ様を煩わせていたものの正体が知れたのだ。平常心でいろという方が難しいだろう。
だが、サヤはそんな方々を前に、硬い表情を崩さない。
「……はい。あと、一つ……申し上げにくいことも、お伝えしなければなりません」
ピシリと、空気が張り詰めた様に感じた。クリスタ様は、サヤに視線を戻し、鋭く見つめながら「申せ」と、命ずる。
「この病は、治せません」
空気が、凍り付いた。
初めは少し、無理して笑っているなって、それだけだったんだ。
だけど、日を追うごとに、どんどん、どんどん、壊れていった。
笑顔が、笑顔じゃなくなっていった。
そうだ、それで、何かの手紙を受け取って、それが崩壊の切っ掛けだった。
ズキリと、頭の芯が痛む。
母の記憶は、針と一緒だ。思い出すことに、痛みを伴う。苦しさや悲しみが針になって突き刺さる。
それでも、三歳までは、ただ優しく、時に厳しい母だった。けれどその崩壊から、変わってしまった。
手紙が来た日、母は一日を、その手紙を見て過ごした。
思えば、その時からもう、何かがおかしかったのだと思う。
翌朝、まだ随分と早い時間に起こされて、着替えさせられて、そのまま朝食も取らずに、俺の手を引き、家を出て、そして……あの、記憶に、繋がっていく……。
「レイシール様、少し休まれては如何ですか」
ハインに声を掛けられ、はっと顔を上げると、心配そうに俺を見る、クリスタ様の視線とかち合った。
しまった。つい思考に没頭してしまっていたか。
「大丈夫だ。……申し訳ありません、集中します」
「本当に、休んだらどうだ?
眠れていないのではないか? 顔色が、随分と悪い……」
「あぁ、この時期はいつものことなのですよ。お気になさらず。
今年で、この不眠の日々ともお別れになるかもしれないのです。少しくらい無茶もしますよ」
顔を笑みの形に整えて、そんな風に言うと、クリスタ様もしようのない奴だなと苦笑を返す。
あれから三日……サヤはやはり、作り物の笑顔をちらつかせる。
ハインや、ルーシーと接している時は、まだ普段のサヤであるように見えるのに、俺には表情を偽ることが増えた。自ずと、サヤと接する機会が減り、クリスタ様との時間が増える。
サヤは、ルオード様との約束を守り、クリスタ様には極力、近寄らない様にしている様子だったから、なおのこと、サヤとの時間は削られていった。
気を取り直し、話し合いを再開する。
交易路計画は、クリスタ様の名も副責任者として連ねると決まった。アギーが先頭に立つのではなく、あくまで俺が主体で行う事業となる。俺の実績作りだと、クリスタ様は言った。
「この計画に僕は名を貸すだけだ。
動かすのはマルなのだろう? なら、セイバーンが君のやることに口出し出来ぬ様、せいぜい権力をチラつかせてやる。そうだな……この土嚢、軍事面でも有用なのだから、他領から研修ということで、軍部の者を募るのはどうだ。なに、数人の派遣で構わん。数日滞在させ、資料を渡して帰す程度で良いのだ。他領との繋がりをつくる意思があると示しておけば、君のその技術を欲しがる者は自ら足を運ぶだろう」
「それは良いですねぇ。正直、あまり口出しもされたくないので、それくらいの接点が望ましいです。
まあ、大半の方々は齧っておきたい程度の興味でしょうし、もっと切実に土嚢の利用を考える方々なら、資料を見た後連絡をよこすでしょうからねぇ」
マルも賛成か。なら、その様に進めよう。そんな風に、話がまとまっていくわけだが……。
こういった話をする時、クリスタ様ってこんなに生き生きとされるんだな……。
たまに毒舌を挟みつつ、マルと頭をつき合わせて計画を研磨するクリスタ様は、凄く格好良い。元々、人を使うことに長けた方だ。この方の下にいると、言われたことを為さねばならない気持ちになる。
学舎に居た頃は、体調を崩すことが多く、講義に参加することすら、ままならなかった。だから、こんな風に采配を振るう姿に、あまりお目にかかる機会が無かったわけだが、ここに来てからのクリスタ様は、あの頃に比べて、随分と健やかに見えた。
お身体のことがなかったら、この方はきっと、もっと、活躍される方だったのだろう……。
「……なんだ? 何か顔についているのか?」
「っ、も、申し訳ありませんっ。ついその……見とれていたといいますか……」
学舎に居た頃のクリスタ様は、いつも何か、心の中に苛立ちを抱えておられた様に思う。
今もそれは、少なからず彼の中に見え隠れするのだけれど、それでも今のクリスタ様は、とても、いきいきして見える。それについ、見とれてしまっていたのだ。
俺の言葉に面食らってしまった様に、クリスタ様が瞠目した。そして、カッと顔に朱が指して、そのまま睨みつけられる。この人は照れると怒るのだ。
「君はギルバートに、とんだ悪影響を受けているのではないか? まるで女誑しの様な発言だな!」
「ええっ⁉︎ クリスタ様に言ったのに、女たらしの発言になるのですか⁉︎」
「では言い換える。人たらしだ。そういえばそうだった。君は前から人たらしだな。いつも通りか」
仕返しをされてしまった。少しまだ頬を赤らめたまま、意地悪そうな瞳が俺を見て笑う。
今度は俺が紅潮する番だ。しかもそれに、油を注ぐものがいるのだからたちが悪い。
「あはは、そうですよねぇ。土嚢壁を作る時も、人足たちから絶大な人気を誇ってましたよぅ。レイ様が見回りに来ると、それはもう、みんな張り切ってましたから」
「……まさか、現場にも赴いていたのか?」
「そりゃ、赴きますよ。責任者なんですから。
けど、人気だったとかじゃなく、皆が良い者たちだっただけです。……後半、顔を出せなくて、正直申し訳なかったんですよね……。それでも皆、頑張ってくれました。有難いことです」
見回りすら出来ない不甲斐ない俺のかわりに、皆が頑張ってくれた。だから、今こうして、安心して川の様子を見ていられる。
先日雨が強い時に、川の水が一度、本来の護岸を越えた。いつもなら、村人を避難させる様な事態だったのだが、土嚢壁はビクともせず、今はまた、川は水位を戻していた。
あの事態を乗り越えたときの、気持ちの高揚は忘れられない。これはいける。そう、確信出来た瞬間だった。この時ばかりはサヤも、本当の笑顔で笑い、おめでとうございますと、言ってくれたのだ。
「まあ、見とれていたというのは、クリスタ様が、思いの外お元気そうで、ホッとしたということです。
こんな片田舎にお身体の不調をおしてお越しになるだなんて、正直、大丈夫なのかと、本気で心配していたんですよ」
サヤのことを頭から追い払う為に、あえて明るく、そう口にした。
するとクリスタ様が、ふと、真面目な顔に戻る。
「そういえば、そうだ。
私も、もう少し……大変なものだと思っていた。だが、ここは何か、居心地が良い」
「そうですわね。いつもならば、遠征の時は幾日か、寝込むのが常なのですが……随分と、体調が宜しい様に思えます」
クリスタ様のお茶を入れ替えていたリーカ様が、そう言って、ふんわりと微笑んだ。
そうか……。ならばこれは、きっとサヤの、采配のお陰なんだな……。
「……それは、良かった。
サヤが、とても気を配ってくれたのです……。クリスタ様の体調に沿う様、一生懸命動いてくれたのですよ……」
つい、声が沈んでしまった。
サヤに触れたい。唐突に、そんな気持ちが込み上げて来たのだ。
仮面の笑顔で、心を閉ざす様になっても、サヤは今まで通り、優しい、慈悲深いサヤのままだ。
悪夢から俺を助け出してくれるし、日常業務も手伝ってくれる。サヤの態度は何も変わらない。
けれど……辛かった。サヤの気持ちが、見えないことが。
サヤの心が見えないから、自然とサヤに触れることも躊躇われてしまい、俺はサヤから、距離を置かれたままだ……。
傍に居るのに、遠い……。これからずっと、このままなのだろうか……。
「サヤとは、あの黒い従者だな。僕とはとんと接点が無いので分からぬが、気を配ったとは、どういうことだ?」
眉間に小さくしわを寄せて、クリスタ様が訝しげに俺を見た。
あれ? ルオード様から、伺ってないのだろうか……。
「? ルオード様から報告はございませんでしたか?
クリスタ様の病の知識が、サヤにはあったのです。それで……クリスタ様が健やかに過ごせる様に、内装に気を配ってくれたのですよ」
戦慄が走る。
「……病……だと? 病とは……この呪いのことか⁉︎」
「の、呪い……まあ、呪い、ですよね。うん……ええ、クリスタ様の、日の光が毒となる体質のことです。これは、サヤの国では病と知られていた様なのです……本当に、報告を受けて、いらっしゃらないのですか?」
驚いた。ルオード様のことだから、事細かに、クリスタ様に報告が入っているものと思っていたのだ。
とくに、クリスタ様の病については、かなり厳しい対応だっただけに。
それまでと打って変わって、クリスタ様から鋭い命が飛ぶ。急ぎルオードを呼べと、言われ、従者の一人が外に走った。
俺は、マルと顔を見合わせて、何が何だかわからず、状況を見守るしかない。
「なんでだ? てっきり知らせが入っているものと……」
「……うーん、なんでしょうねぇ……まあ、思惑があってのことでしょうけど」
そう言ったマルが、俺をちらりと見て、何か考える風な素振りを見せてから。
「レイ様、サヤくんも呼んだ方が良いと思います」
「え……」
「何があったか知りませんけれど、気不味くっても呼んでください」
念を押されてしまった……仕方がないので、ハインにサヤを呼んで来るように伝えると、一礼して席を外した。
サヤはすぐにやって来た。ハインとともに部屋に入り、一礼して俺の背後に立つ。
俺の方を、サヤは見なかった。そのことに、少なからず傷付いてしまう。
「その方、僕のこの体質について、よく知っておるそうだな。
先程、レイシールより報告を受けた。その方が知る、僕の病……それについて教えてくれるか」
クリスタ様がそう言うと、サヤが少し、動くのが気配で分かった。きっと、小首を傾げたのだと思う。サヤはよく、その様にするから。
「……直接、口を開くことを、お許しいただけるのでしょうか……」
「良い。話せ。知ること全てを」
「……はい。クリスタ様の病は、私の国で『先天性白皮症』と呼ばれるものだと推測しております。
生まれつき、肌が白く、場合によって、瞳が赤、薄紫、薄青、灰色など、色に差が出るものの、総じて陽の光を毒とし、浴びすぎることが害になる……と、認識しております。
また、瞳も光に弱く、私たちが一般的に生活している光量だと、眩しく感じてしまう方が多いです」
スラスラと、サヤが静かに答えていく。まるで、何度も繰り返し練習したかの様に、柔らかく続くサヤの言葉は流れを止めなかった。
「この部屋を、其方が心地よく過ごせる様に手配してくれたと聞いた。
確かに、心地良いように思う。どういったことを、配慮したのだ?」
「はい。まず、帳を二重にし、光量を調節できる様に致しました。材質を絹とし、クリスタ様にとって毒となるものが、部屋に入る量をある程度、遮断しております。
それから、家具を窓辺に配置するのを控えました。部屋の明るさも、本来より暗めにしてあります。
快適だと感じてらっしゃるのは……たぶん、その光量の調整だと思います。
眩しすぎると、目が疲れますし、目が疲れますと、体力を削られますから、クリスタ様は日常的に、目を酷使しすぎていらっしゃるのではないでしょうか」
「…………驚いた。其方、本当に、この病を知っておるのだな……。そうか……これは、病……病なのか……」
使用人の方々も、何か浮き足立っている。
長年、クリスタ様を煩わせていたものの正体が知れたのだ。平常心でいろという方が難しいだろう。
だが、サヤはそんな方々を前に、硬い表情を崩さない。
「……はい。あと、一つ……申し上げにくいことも、お伝えしなければなりません」
ピシリと、空気が張り詰めた様に感じた。クリスタ様は、サヤに視線を戻し、鋭く見つめながら「申せ」と、命ずる。
「この病は、治せません」
空気が、凍り付いた。
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