異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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雨季 8

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「レイ殿、日に日に、やつれている様に見受けられるんだが……」
「ああ、申し訳ない。雨季はだいたいこうなんです。でも、今年は相当マシですよ」

 ちゃんと記憶も意思もはっきりしているからな。今年の俺はまともだ。
 日常業務をこなしながら、いつものことだと軽く返事をすると、ディート殿は片眉を上げ、本当か?   とでも言う様に、ハインを見た。

「ええ。今年は随分と、体調が宜しい様です。
 昨年は、マルと見紛うばかりにやつれて、寝ているのか死んでるのか分からない有様でしたから」

 酷い言われ様だな……。どっちも起きてないし……。

「……医者は?   なんの病を患ってる」
「病ではないですよ。雨音が煩わしくて寝つきが悪いだけですから」
「耳に詰め物でもすればよかろう」
「そういう違和感があると余計寝付けないんですよ」

 何度も繰り返した会話だから、言い訳にも慣れている。嘘でも、本当のことの様に馴染んでしまった。

「それに、川のこともありますからね。
 気になって寝付けないのは、職業病でしょう。雨季が終われば自ずと寝られる様になります」
「む。川か……毎年氾濫を気にしていたら、そんなものか……」
「そんなものですよ」

 笑ってそう言うと、ふむ……と、呟いて納得した様子。
 やれやれ。しつこく問い正されなくて良かった。
 川は、刻一刻と水嵩を増している。雨は強くなり、弱くなりしながら、降り続いている。
 現在近衛の方々は、土嚢壁の経過観察と、雨量、川の水位測定を毎時行ってくれていた。
 雨の弱まった時を見計らって、非番の近衛ら数人ずつと練習を兼ね、いざという時に積む為の、予備の土嚢を作ったりもしている。その傍ら、その作った土嚢を使い、陣地を作る訓練というのも行っていた。
 土嚢は凄い。形が変わるのだから。
 土嚢壁を作る際は、川の曲線に沿って土嚢を積み上げることができた。この曲線が重要であるらしい。
 川の水を防ぐことを考えた場合、急激な角度変化はその角度の変わった場所の負荷を増やすのだそうだ。だから、なだらかな曲線が重要となってくる。
 陣地作りには、そこまでは要求されない。積み上げただけで充分用を成すからだ。だが木材を使うのと違い、煉瓦を積む感覚で、丈夫な壁を作ることができる。雨の中での、大変な訓練だが、評価は高かった。

 と、その時、こんこんと訪を告げる音が、誰かが来たことを告げた。「どうぞ」と声を掛けると、書類を一式持ったルーシーが、一礼して入って来た。

「レイ様、昨日の記録、図に出来ました!」
「うん、ありがとう。見せて」

 三日前から女中見習いとなったルーシーだが、現在はサヤのやっていた書類仕事を二人で分担してもらっている。
 サヤから、雨の量を測りませんかという提案があった為だ。
 雨の量の測り方というのも教えてくれた為、測ること自体は近衛の方々にお願いしてあるが、記録した雨の量を、分かりやすく図面化する作業を、サヤが担当していた。サヤの補佐を、ルーシーがする形で分担作業している。
 現在サヤは、料理指南の為に食事処に出向いている為、今までの記録を、ルーシーに図にしてもらっていたのだ。
 書類を受け取り、出来ているその図を見る。
 書類の一枚目は、毎日の雨量を一時間ごとに測ったもの。
 二枚目は、川の水量を一時間ごとに測ったもの。
 三枚目は、日の合計を、雨季の間を掛けて表にしていくものだ。

「面白い……。驚く程に、分かりやすいな。どんな意味があるのかは、いまいち理解しかねるが……」
「毎年測り続けてやっと意味が出てくるらしいから。
 二十年後とか、三十年後とか……百年後とかじゃないですか?結果が出るのは」
「悠長だな……今分からないのにやる意味があるものなのか?」
「ありますあります。雨量と、川の水位の上昇が比例しているか否かとか。どのくらいの雨量で川の氾濫が起こるかとか。そういったことは、多くの情報を積み重ねてから分かることなので」

 隣の小部屋で会計処理をしていたマルが、そう言ってウーヴェと共に戻って来た。
 肩の傷はふさがり、熱も下がった。数日食事を疎かにした所為で、また食が細くなってしまったが、一応は元気だ。

「んっふふ。楽しみです。毎年同じ方法で、同じ場所から雨量を測り続けたら、何が見えてくるんでしょうねぇ……。今までのデタラメな、数値ですらない主観だらけの文章から計算じゃなくて、ちゃんとした基準に基づいた計算ができるなんて……考えただけでもワクワクします」
「……まあ、マルが生きてたらね」

 百年後は無理じゃないかな。百二十八歳まで生きることのできる人間なんて、もう人間とは思えないよ……。いや、サヤの世界にはいるのかもしれないな……長寿って言ってたし。
 なんにしても、マル、完全復活した様で良かった。

「まあとにかくですね、取り続けるべきなんですよ。後になって前の記録は用意出来やしないんですから、取れるときに正確に、取っておくべきなんですよ」
「む。それはそうか。なら身を引き締めて測量に当たらせてもらおう」
「ええ、正確な数値をよろしくお願いしますね」
「因みにこの表は、我々も貰って良いものか」
「報告書の資料として写しを用意しておきますわっ」
「おお、ルーシーは気がきくな。では宜しく頼む」

 そんな風にやり取りしながら今日の仕事を終える頃、昼となった。今日の昼食は、サヤが持ち帰ってくれることになっていたのだが、まだ戻らない。
 少し遅いなと思いつつ、皆で談笑していると、やっと玄関の方で、扉の閉まる音がした。玄関を覗くと、ずぶ濡れのサヤが、何故か外套を丸める様にして持ち、玄関に立っている。まるで川に浸かって来たかの様にずぶ濡れで、服が肌に張り付いてしまっていた。

「サヤ!何故そんな……っ、ハイン、手拭いを……」
「すぐお持ちします。ルーシーは、サヤの外套の中身を調理場に運んで下さい」
「は、はいっ!」
「玄関を水浸しにしてしまって、申し訳ないです。途中で、降りが強くなって……昼食が濡れてしまいそうで……」

 それで外套をわざわざ脱いで食べ物を包み、優先的に守ったらしい。

「サヤ、衣服を脱げ。ずぶ濡れの布を纏っているより、その方がまだ良い。すぐ手拭いも届くし、緊急時だ、誰も不敬を咎めはせんさ」

 遅れて出てきたディート殿がそう言ったことに、ウーヴェがギクリと反応する。
 その様子に、マルがウーヴェの膝をポンと叩き、注意を促した。
 サヤが男であるなら、気にせず裸にだってさせる。濡れた布を纏うより、体温を奪われないだろうから。だが、サヤにそれは出来ない。

「ありがとうございます、ディート様。
 ですが、ハインさんがすぐに手拭いを持てきて下さいますから……」
「手拭いで拭こうが、焼け石に水だろうに。部屋までの通路が水浸しになるぞ」
「いいえ、部屋まで行きませんから。
 ルーシー、サヤの部屋から、着替え一式を持ってきて下さい。サヤはそのまま調理場です」

 戻ったハインが、同じく戻ったルーシーにそう言い、手にした毛布を広げる。失礼しますよ。と、声を掛けてから、それでサヤを包み込んだかと思うと、そのまま抱き上げてしまった。

「おい、何故調理場だ。仕事は後回しだろう」
「仕事ではありません。身体を冷やしているのですから、温めるだけです」
「は、ハインさんっ、自分で歩きますっ」
「歩いたら床がずぶ濡れです」

 ギロリと睨まれ、ズバッと言い切られたサヤがカチコチに固まった。
 毛布で包んで担ぎ上げたのは、仕事を増やさないためか……それと、サヤの体の曲線を隠す目的もあると思うが、そんな素振りは微塵も見せない。

「調理場で身体を拭けということか?」
「ああ、……いえ、調理場にその……自作の風呂がありまして、温まるようにということでしょう」
「……今何と言った」
「調理場に、自作の風呂があります」
「……聞き間違いではないのだな」

 まぁ、誰に言ってもその反応が帰ってくる自信はある。
 三人が食堂の扉の向こう側に消えたので、我々はサヤの身支度が整うまで、執務室で待機することにした。
 各々適当な場所でくつろごうと思ったのだが、ディート殿が、口を開いた。

「先程、サヤに衣服を脱がせる選択をしなかったのは、何か理由があるのか」

 ……有耶無耶にはしてくれないのか……。
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