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命の価値 7
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そのまま橋の上を駆け抜け、速度を落とした馬から飛び降りるが、多少よろめいてしまった。けどなんとか持ち直し、馬にびっくりして道を開けた野次馬の間をすり抜ける。
ギルも馬を降り、手近な人に手綱を強引に押し付けているのが、聞こえる声で分かった。
駆け付けた現場は……。荒い息を吐き、うつ伏せで唸り声を上げるハインを、サヤが馬乗りになって押さえ付けているという、さんざんな状態だった。
相当暴れたのは雰囲気で分かる、野次馬がかなり遠巻きにしていたし、状況の割に、周りがしんと静かだった。ハインの剣が抜き身の状態で、少し先の地面に転がっている……。
「ハイン!」
駆け寄ると、組み敷かれたままのハインが「レイシール様、サヤに退くよう言って下さい」と、ドスの効いた声で脅してくる。まだ諦めてない……。腕の関節を固められ、身動きが取れない筈なのに、殺気を撒き散らしている……。
サヤが不安そうな顔を俺に向けてきたが、俺は首を横に振った。まだ離しては駄目だ。そう伝えると、キュッと唇を引き結び、こくりと頷く。
ウーヴェはというと、特に怪我はしていない様だった。
いつもの黒服姿は、土や砂で汚れて斑らになっていたが、問題は無さそうだ。
組み敷かれたハインから十歩ぶんほど離れ、座り込んでいた。
俺がウーヴェに近付こうとしたら、ハインの唸り声が咆哮に変わる。
駄目だこれは……もうブチギレもいいとこだ……。仕方がない。
「ウーヴェ、ひどい目に合わせてしまったようで、すまない。ちょっと、間が悪かったんだ。
ハインについては後ほど謝罪に伺う。間もなくルカも来るだろうから、君はまずそちらに避難しなさい」
「え……あ、あの……」
「うん、何か話しをしに来てくれたんだろう? それも、後で聞くよ。
けど、まずはこいつをなんとかしないと、話がこじれて仕方がない」
「こんな時に、のこのこと現れたこいつが、無関係である筈ないだろうがぁ‼︎」
「ハイン。お前、言葉使いすら制御できてないような思考で、自分が冷静に判断できていると、本気で思うのか?
自分の行動が間違ってないと言うなら、まず私に説明しろ。勝手に先走るな」
ギルが、ウーヴェの方に向かってくれたので、俺はハインの前に立った。
ここまで取り乱すハインも二年ぶりくらいだ。だけど、冷静になってもらわなければ困る。
目が血走り、口の端も切れている。サヤにガッチリと固められているのに足掻くハインは、まるで手負いの獣のようだった。
「ハイン……心配掛けてすまなかった。
もう軽率な行動は取らないと誓う。短慮だったのは俺も同じだものな。そこは深く反省してる。
お前が、俺の危険を取り除こうとしてくれているのは、分かっているよ。だけどこれは嬉しくない。ウーヴェを傷つけられるのも嫌だけど……お前が傷つくのも嫌なんだよ。
でも……お前をそんな風に焦らせたのは俺だよな。悪かった。
どうか、普段のお前に戻って欲しい。お前がそんなじゃ、俺が不安だよ」
そう言って頭を撫でる。
砂埃でくすんでしまった青髪。
こんな姿を見ていると、二年前を思い出すな。
兄に斬られた時。やはりハインはこんな風に取り押さえられ、踠いていた。唸って、呪詛を吐いて、慟哭していた。
あの時とは違う。
俺はちゃんと無事だった。怪我ひとつ無い。サヤが護ってくれたから。
落ち着くようにと声を掛け、髪を梳いていると、ハインの呼吸が、少しずつ整い出して、踠くのも止めた。冷静になろうとしてくれているのだと分かって、ありがとうなと礼を言う。
「サヤ、もう良いよ。ハインは大丈夫だ。
サヤにも心配を掛けてしまったな。何がいけなかったかも理解したから……不安にさせてしまって、すまなかった」
サヤにもそう声を掛けた。
すると、瞳の潤んだ、泣きそうな顔ではあったけれど、口元にいつもの笑みを浮かべてくれた。
本当に、サヤには心配掛けてばかりだな。
状況が落ち着いたと分かったようで、野次馬たちにも喧騒が戻ってくる。
うーん……ここまで騒ぎを大きくしておいて、説明なしってわけにも、いかないよな……。
現場の雰囲気にも影響するだろうし……。
とりあえず、話せる範囲だけ伝えておくか。
ルカが到着し、ウーヴェに駆け寄っていくのが確認できたので、周りを見渡して、俺は声を張り上げた。
「皆、この様な騒ぎを起こしてしまい、申し訳ない。
昨日、私が悪漢に襲われたもので、少々周りが過敏になっていたんだ。
相手の目的ははっきりしているので、其方らに累が及ぶ様なことにはならない。が、そんな言葉だけでは不安だろうから、衛兵たちには現場の警備を徹底して行ってもらうようにお願いする。
君らのお陰で、工事の方は順調そのものだ。私はあまり顔を出せなくなってしまうので、少々残念だが……どうかそのまま、工事を続けてもらえたら、嬉しい。
不安だから、契約を解除したいという者は、遠慮なく申し出てくれて構わないよ。その場合は今までの賃金を渡し、メバックまで送ろう」
そこまで一気に喋り、口を噤むと、人混みの間から「犯人は捕まってないのか?」と、声が飛んだ。「なんでレイ様を?」「レイ様怪我は⁉︎」と、いくつも聞こえてきて、少々びっくりする。しかも、怒気だか、焦りだか、言いようのないものがブワリと高まるのを感じ、焦った。
っていうか……なんで、人足達まで俺のことレイ様って呼んでるんだろう……。しかも遠慮なしに俺に話し掛けてくるし……まあ、良いけど。
「あー……捕まっていない。
だがまあ、工事の妨害が目的ではないから、君たちに累は及ばな……」
「そんなこと聞いてねぇよ!」
「そうだよ! 怪我してないのレイ様!」
喧騒の、怒りの度合いが一気に高まったものだから、慌てて答える。
「し、してないよ。大丈夫だ」
あ、若干収まった。なんだこれ……? もしかして俺、心配されてる? いや、まさか。
「俺たちに出来ることは?」
で、出来ること⁉︎
虚をつかれた俺は、とっさに言葉を返せなかった。
な、なんでそんな風に、聞くんだ?
出来ることって……どういう意味だ?
慌てる俺の横に、ギルが戻ってくる。苦笑を浮かべていたけれど、俺の肩にポンと手を置き、声を張り上げた。
「工事を全力で頑張ってくれ! それがレイシール様の、一番の望みだ。
ここをお前たちに任せられるなら、レイシール様は、俺たちが全力で護る。
絶対に護り抜くと、誓う。こちらは任せてくれ!
それから、この方の為にと思ってくれたことに、感謝する。これほど心強いことはないさ」
「分かった! 俺ら全力で頑張るからよ!」
「心配しないでくれ、ちゃんと仕事してやるから!」
「まあ、サヤ坊がいれば大丈夫だよな」
「ハインさんよりすげぇんだなあのガキ……温和で良かった……」
若干冷や汗をかくような言動も紛れていたけれど、皆が恐れ、ここを離れようとするのではなく、何故かやる気を出してくれているのは、雰囲気で分かった。高揚感のようなものが、周りをまとめている感じがするのだ。
え? 良いのか? 一人も辞めない? 俺一応……雇われて妨害を行うために来てる連中に、逃げるなら今だよってのも、含めて言ったつもりだったんだけどな……。
「あの……無理しなくて良いんだぞ?」
「ビビって逃げるとか男じゃねぇよ‼︎ 馬鹿にすんな!」
「感謝なら菓子で示してくれ!」
その野次に周りがどっと湧く。
そして、場を見計らった組合員が「仕事に戻るぞ!」と、声を掛けると、皆がわらわらと移動を始めて、俺の側を通る時に「任せてくれよ」「レイ様は、心配しすぎだ」「俺ら頑張るから、事が片付いたらまた顔見せてくれよ」と、声を掛けてくれた。
状況についていけてないのは俺だけか?
なんか周りは当たり前みたいに流してるんだが……。
「…………どういう状況?」
皆を見送った後、ついそう呟いたら、クスクスと笑い声。
ハインを解放したサヤが、口元に手を当てて笑っていた。和やかな雰囲気に、サヤの不安が払拭できたことが伺えて、胸がじんわりと温かくなる。
「レイシール様は、人気者なんですよ?
豪華で美味しい賄いを毎食用意してくれて、楽しくお仕事できるように遊戯を取り入れてくれて、お菓子まで景品にしてくれる。
作業中に褒めてもらえたって人も沢山いて、見回りの時間は、みんな特に気合が入ってたの、気付いてらっしゃらなかったんですか?」
「あ……えっと……特別、意識してなかったから……。
そ、それに、美味しい賄いを準備してくれているのはサヤだ。遊戯を取り入れたのはマルだし、別に俺じゃな……」
「もうっ! 全部レイシール様です!
怪我をした人の為にって、救急道具を用意してくれてるのも、体調を気遣って補水液を常備してくれているのも、全部レイシール様です! レイシール様が良いよって言わないことは起こらないんです。どうも、ご本人様より、人足の皆さんの方がよくご存知みたいですけど!」
ぷぅ、と、頬を膨らませた顔で、サヤが上目遣いにこちらを睨んでくる。
その愛らしさに赤くなりつつ、苦笑するしかない。人足たちが去った後で良かった……こんな顔をあまり振りまかないでもらいたい。女性だとバレてしまいそうだ。
そのサヤの後ろで、苦虫を噛み潰した顔のハインがむくれていた。
あー……。まだ完全には機嫌を直してくれていないみたいだ。ハインもサヤも、砂まみれでひどく汚れている。相当な大乱闘だったんだろうな……。
「ハイン、悪かった。本当に心配かけたと思ってる、反省してるよ。
だけどな、無茶なことはするな。俺はお前に、そんな風にはしてほしくない。
そもそも、徹夜明けに炎天下で証拠探しなんてした後、まともに頭が働くはずないだろ?
今晩はきちんと休んでくれ、お願いだから」
「ほっといて下さい」
「拗ねるなよ。……傷、痛まないのか? 他に怪我は?」
「ありません!
……申し訳ありませんでした……」
最後にやっとボソリと謝った。
ああもぅ、これは取り乱し過ぎたのをやっと自覚して、恥ずかしくなってるな。後でギルに、からかわない様に言っておこう。
あ、ギルで思い出した。
くるりと振り返ると、少し離れた場所に、まだ彼は居た。
ウーヴェだ。食い入る様に、こちらをじっと見つめていた。会話に加わらなかったギルが、それとなく警戒してくれていた様だ。
俺はもう一度ハインを伺って、ついてきてくれるか。と、声を掛ける。
是と頷いたので、ハインを伴って、ウーヴェの方に足を進めた。
「ウーヴェ、わざわざ来てくれてありがとう。
本当に、すまなかったな……この通りだ」
頭を下げると、やめて下さい! と、慌てた声。そして、追い詰められたような、悲壮感の漂う顔で、口走った。
「無関係とは、思えない……私も、無関係とは思えないんです!
ご子息様が襲われたなんて……どうか、どうか父を、私を、捕らえて下さい! 後生ですから‼︎」
そう言ってひれ伏してしまった。
慌てたのは俺だけではない。一緒にいたルカも大慌てだ。
いかん、人足たちに見られて、事がややこしくなるといけない。
「ウーヴェ、やめなさい。人足たちがこちらに気付く前に立って!
事情があるのは分かった。けどね、聞かないと分からないから、まずは別館へ行こう。そこで話を聞くよ」
「お、俺も一緒に行っていいか⁉︎」
「ああ、ウーヴェ一人では不安だろうから、ルカがついていてやってくれ」
ウーヴェを立たせて、ついておいでと促す。
ルカは、近くにいた組合員に、現場の指揮等指示を手短に与えてから、すぐに戻ってきた。
あ、そういや、馬はどうした? と、ギルが辺りを見回していたが、手綱を押し付けられた野次馬が、近場の杭に括り付けておいてくれた様子だ。呑気に路肩の草を食んでいた。
気付けば、かなり時間が過ぎている。もうしばらくすれば夕刻か。
「サヤ、賄い準備は……」
「もう済みました。あとは時間いっぱい煮込むだけですから、村の女性に任せてあります。
後程、夕食のぶんは取りに行きますね」
「ああ、それならルカと、……ウーヴェのぶんも、余裕あるか? もう一緒に食事をしたら良いと思うんだけど。時間的に」
「あと俺のぶんもな」
「大丈夫ですよ。数食ぶんは、余裕をもたせて作ってありますから」
ニコニコと朗らかなサヤ。
ああ、和む。
サヤが笑顔を向けてくれるだけで、なんだかもう大丈夫な気すらしてくる。
先程の緊張感など吹き飛んでしまって、ひどく平穏な心地で俺は別館に足を向けた。
馬の手綱を引くギルが、今日の献立はなんだと聞いてくるから、オニオンスープと麺麭、鶏肉のハーブ焼きだよと話していると、ルカが大きく溜息を吐いた。
「…………なんかよぅ、あんたら、呑気だよな……。この状況で飯の話かよ……」
けどそう言ったルカの腹が鳴り、俺とサヤは顔を見合わせて微笑んだ。
「この状況だかこそだよ。食べておかないと、頭が働かないんだぞ」
「ですよ。糖質取らないと」
「意味が分かんねぇよ!」
ギルも馬を降り、手近な人に手綱を強引に押し付けているのが、聞こえる声で分かった。
駆け付けた現場は……。荒い息を吐き、うつ伏せで唸り声を上げるハインを、サヤが馬乗りになって押さえ付けているという、さんざんな状態だった。
相当暴れたのは雰囲気で分かる、野次馬がかなり遠巻きにしていたし、状況の割に、周りがしんと静かだった。ハインの剣が抜き身の状態で、少し先の地面に転がっている……。
「ハイン!」
駆け寄ると、組み敷かれたままのハインが「レイシール様、サヤに退くよう言って下さい」と、ドスの効いた声で脅してくる。まだ諦めてない……。腕の関節を固められ、身動きが取れない筈なのに、殺気を撒き散らしている……。
サヤが不安そうな顔を俺に向けてきたが、俺は首を横に振った。まだ離しては駄目だ。そう伝えると、キュッと唇を引き結び、こくりと頷く。
ウーヴェはというと、特に怪我はしていない様だった。
いつもの黒服姿は、土や砂で汚れて斑らになっていたが、問題は無さそうだ。
組み敷かれたハインから十歩ぶんほど離れ、座り込んでいた。
俺がウーヴェに近付こうとしたら、ハインの唸り声が咆哮に変わる。
駄目だこれは……もうブチギレもいいとこだ……。仕方がない。
「ウーヴェ、ひどい目に合わせてしまったようで、すまない。ちょっと、間が悪かったんだ。
ハインについては後ほど謝罪に伺う。間もなくルカも来るだろうから、君はまずそちらに避難しなさい」
「え……あ、あの……」
「うん、何か話しをしに来てくれたんだろう? それも、後で聞くよ。
けど、まずはこいつをなんとかしないと、話がこじれて仕方がない」
「こんな時に、のこのこと現れたこいつが、無関係である筈ないだろうがぁ‼︎」
「ハイン。お前、言葉使いすら制御できてないような思考で、自分が冷静に判断できていると、本気で思うのか?
自分の行動が間違ってないと言うなら、まず私に説明しろ。勝手に先走るな」
ギルが、ウーヴェの方に向かってくれたので、俺はハインの前に立った。
ここまで取り乱すハインも二年ぶりくらいだ。だけど、冷静になってもらわなければ困る。
目が血走り、口の端も切れている。サヤにガッチリと固められているのに足掻くハインは、まるで手負いの獣のようだった。
「ハイン……心配掛けてすまなかった。
もう軽率な行動は取らないと誓う。短慮だったのは俺も同じだものな。そこは深く反省してる。
お前が、俺の危険を取り除こうとしてくれているのは、分かっているよ。だけどこれは嬉しくない。ウーヴェを傷つけられるのも嫌だけど……お前が傷つくのも嫌なんだよ。
でも……お前をそんな風に焦らせたのは俺だよな。悪かった。
どうか、普段のお前に戻って欲しい。お前がそんなじゃ、俺が不安だよ」
そう言って頭を撫でる。
砂埃でくすんでしまった青髪。
こんな姿を見ていると、二年前を思い出すな。
兄に斬られた時。やはりハインはこんな風に取り押さえられ、踠いていた。唸って、呪詛を吐いて、慟哭していた。
あの時とは違う。
俺はちゃんと無事だった。怪我ひとつ無い。サヤが護ってくれたから。
落ち着くようにと声を掛け、髪を梳いていると、ハインの呼吸が、少しずつ整い出して、踠くのも止めた。冷静になろうとしてくれているのだと分かって、ありがとうなと礼を言う。
「サヤ、もう良いよ。ハインは大丈夫だ。
サヤにも心配を掛けてしまったな。何がいけなかったかも理解したから……不安にさせてしまって、すまなかった」
サヤにもそう声を掛けた。
すると、瞳の潤んだ、泣きそうな顔ではあったけれど、口元にいつもの笑みを浮かべてくれた。
本当に、サヤには心配掛けてばかりだな。
状況が落ち着いたと分かったようで、野次馬たちにも喧騒が戻ってくる。
うーん……ここまで騒ぎを大きくしておいて、説明なしってわけにも、いかないよな……。
現場の雰囲気にも影響するだろうし……。
とりあえず、話せる範囲だけ伝えておくか。
ルカが到着し、ウーヴェに駆け寄っていくのが確認できたので、周りを見渡して、俺は声を張り上げた。
「皆、この様な騒ぎを起こしてしまい、申し訳ない。
昨日、私が悪漢に襲われたもので、少々周りが過敏になっていたんだ。
相手の目的ははっきりしているので、其方らに累が及ぶ様なことにはならない。が、そんな言葉だけでは不安だろうから、衛兵たちには現場の警備を徹底して行ってもらうようにお願いする。
君らのお陰で、工事の方は順調そのものだ。私はあまり顔を出せなくなってしまうので、少々残念だが……どうかそのまま、工事を続けてもらえたら、嬉しい。
不安だから、契約を解除したいという者は、遠慮なく申し出てくれて構わないよ。その場合は今までの賃金を渡し、メバックまで送ろう」
そこまで一気に喋り、口を噤むと、人混みの間から「犯人は捕まってないのか?」と、声が飛んだ。「なんでレイ様を?」「レイ様怪我は⁉︎」と、いくつも聞こえてきて、少々びっくりする。しかも、怒気だか、焦りだか、言いようのないものがブワリと高まるのを感じ、焦った。
っていうか……なんで、人足達まで俺のことレイ様って呼んでるんだろう……。しかも遠慮なしに俺に話し掛けてくるし……まあ、良いけど。
「あー……捕まっていない。
だがまあ、工事の妨害が目的ではないから、君たちに累は及ばな……」
「そんなこと聞いてねぇよ!」
「そうだよ! 怪我してないのレイ様!」
喧騒の、怒りの度合いが一気に高まったものだから、慌てて答える。
「し、してないよ。大丈夫だ」
あ、若干収まった。なんだこれ……? もしかして俺、心配されてる? いや、まさか。
「俺たちに出来ることは?」
で、出来ること⁉︎
虚をつかれた俺は、とっさに言葉を返せなかった。
な、なんでそんな風に、聞くんだ?
出来ることって……どういう意味だ?
慌てる俺の横に、ギルが戻ってくる。苦笑を浮かべていたけれど、俺の肩にポンと手を置き、声を張り上げた。
「工事を全力で頑張ってくれ! それがレイシール様の、一番の望みだ。
ここをお前たちに任せられるなら、レイシール様は、俺たちが全力で護る。
絶対に護り抜くと、誓う。こちらは任せてくれ!
それから、この方の為にと思ってくれたことに、感謝する。これほど心強いことはないさ」
「分かった! 俺ら全力で頑張るからよ!」
「心配しないでくれ、ちゃんと仕事してやるから!」
「まあ、サヤ坊がいれば大丈夫だよな」
「ハインさんよりすげぇんだなあのガキ……温和で良かった……」
若干冷や汗をかくような言動も紛れていたけれど、皆が恐れ、ここを離れようとするのではなく、何故かやる気を出してくれているのは、雰囲気で分かった。高揚感のようなものが、周りをまとめている感じがするのだ。
え? 良いのか? 一人も辞めない? 俺一応……雇われて妨害を行うために来てる連中に、逃げるなら今だよってのも、含めて言ったつもりだったんだけどな……。
「あの……無理しなくて良いんだぞ?」
「ビビって逃げるとか男じゃねぇよ‼︎ 馬鹿にすんな!」
「感謝なら菓子で示してくれ!」
その野次に周りがどっと湧く。
そして、場を見計らった組合員が「仕事に戻るぞ!」と、声を掛けると、皆がわらわらと移動を始めて、俺の側を通る時に「任せてくれよ」「レイ様は、心配しすぎだ」「俺ら頑張るから、事が片付いたらまた顔見せてくれよ」と、声を掛けてくれた。
状況についていけてないのは俺だけか?
なんか周りは当たり前みたいに流してるんだが……。
「…………どういう状況?」
皆を見送った後、ついそう呟いたら、クスクスと笑い声。
ハインを解放したサヤが、口元に手を当てて笑っていた。和やかな雰囲気に、サヤの不安が払拭できたことが伺えて、胸がじんわりと温かくなる。
「レイシール様は、人気者なんですよ?
豪華で美味しい賄いを毎食用意してくれて、楽しくお仕事できるように遊戯を取り入れてくれて、お菓子まで景品にしてくれる。
作業中に褒めてもらえたって人も沢山いて、見回りの時間は、みんな特に気合が入ってたの、気付いてらっしゃらなかったんですか?」
「あ……えっと……特別、意識してなかったから……。
そ、それに、美味しい賄いを準備してくれているのはサヤだ。遊戯を取り入れたのはマルだし、別に俺じゃな……」
「もうっ! 全部レイシール様です!
怪我をした人の為にって、救急道具を用意してくれてるのも、体調を気遣って補水液を常備してくれているのも、全部レイシール様です! レイシール様が良いよって言わないことは起こらないんです。どうも、ご本人様より、人足の皆さんの方がよくご存知みたいですけど!」
ぷぅ、と、頬を膨らませた顔で、サヤが上目遣いにこちらを睨んでくる。
その愛らしさに赤くなりつつ、苦笑するしかない。人足たちが去った後で良かった……こんな顔をあまり振りまかないでもらいたい。女性だとバレてしまいそうだ。
そのサヤの後ろで、苦虫を噛み潰した顔のハインがむくれていた。
あー……。まだ完全には機嫌を直してくれていないみたいだ。ハインもサヤも、砂まみれでひどく汚れている。相当な大乱闘だったんだろうな……。
「ハイン、悪かった。本当に心配かけたと思ってる、反省してるよ。
だけどな、無茶なことはするな。俺はお前に、そんな風にはしてほしくない。
そもそも、徹夜明けに炎天下で証拠探しなんてした後、まともに頭が働くはずないだろ?
今晩はきちんと休んでくれ、お願いだから」
「ほっといて下さい」
「拗ねるなよ。……傷、痛まないのか? 他に怪我は?」
「ありません!
……申し訳ありませんでした……」
最後にやっとボソリと謝った。
ああもぅ、これは取り乱し過ぎたのをやっと自覚して、恥ずかしくなってるな。後でギルに、からかわない様に言っておこう。
あ、ギルで思い出した。
くるりと振り返ると、少し離れた場所に、まだ彼は居た。
ウーヴェだ。食い入る様に、こちらをじっと見つめていた。会話に加わらなかったギルが、それとなく警戒してくれていた様だ。
俺はもう一度ハインを伺って、ついてきてくれるか。と、声を掛ける。
是と頷いたので、ハインを伴って、ウーヴェの方に足を進めた。
「ウーヴェ、わざわざ来てくれてありがとう。
本当に、すまなかったな……この通りだ」
頭を下げると、やめて下さい! と、慌てた声。そして、追い詰められたような、悲壮感の漂う顔で、口走った。
「無関係とは、思えない……私も、無関係とは思えないんです!
ご子息様が襲われたなんて……どうか、どうか父を、私を、捕らえて下さい! 後生ですから‼︎」
そう言ってひれ伏してしまった。
慌てたのは俺だけではない。一緒にいたルカも大慌てだ。
いかん、人足たちに見られて、事がややこしくなるといけない。
「ウーヴェ、やめなさい。人足たちがこちらに気付く前に立って!
事情があるのは分かった。けどね、聞かないと分からないから、まずは別館へ行こう。そこで話を聞くよ」
「お、俺も一緒に行っていいか⁉︎」
「ああ、ウーヴェ一人では不安だろうから、ルカがついていてやってくれ」
ウーヴェを立たせて、ついておいでと促す。
ルカは、近くにいた組合員に、現場の指揮等指示を手短に与えてから、すぐに戻ってきた。
あ、そういや、馬はどうした? と、ギルが辺りを見回していたが、手綱を押し付けられた野次馬が、近場の杭に括り付けておいてくれた様子だ。呑気に路肩の草を食んでいた。
気付けば、かなり時間が過ぎている。もうしばらくすれば夕刻か。
「サヤ、賄い準備は……」
「もう済みました。あとは時間いっぱい煮込むだけですから、村の女性に任せてあります。
後程、夕食のぶんは取りに行きますね」
「ああ、それならルカと、……ウーヴェのぶんも、余裕あるか? もう一緒に食事をしたら良いと思うんだけど。時間的に」
「あと俺のぶんもな」
「大丈夫ですよ。数食ぶんは、余裕をもたせて作ってありますから」
ニコニコと朗らかなサヤ。
ああ、和む。
サヤが笑顔を向けてくれるだけで、なんだかもう大丈夫な気すらしてくる。
先程の緊張感など吹き飛んでしまって、ひどく平穏な心地で俺は別館に足を向けた。
馬の手綱を引くギルが、今日の献立はなんだと聞いてくるから、オニオンスープと麺麭、鶏肉のハーブ焼きだよと話していると、ルカが大きく溜息を吐いた。
「…………なんかよぅ、あんたら、呑気だよな……。この状況で飯の話かよ……」
けどそう言ったルカの腹が鳴り、俺とサヤは顔を見合わせて微笑んだ。
「この状況だかこそだよ。食べておかないと、頭が働かないんだぞ」
「ですよ。糖質取らないと」
「意味が分かんねぇよ!」
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恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
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