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命の価値 2

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 急勾配の岸を、二人で慎重に進んだ。焦っても仕方がない。慌てて進み、滑って川に落ちたらあっという間に流されて、逆戻りだ。
 急な斜面が緩やかなものになり、幅も多少広くなって、そろそろ滑って落ちることはないだろうと安心できるようになった。
 そうなってくると、手首を繋いでいるのが動きを阻害することになるので、そろそろもうこれ、外そうか。と、提案したのだが……。
 何故か、とても嫌そうな顔をされた。
 ……いや、違うな。言いたいことを飲み込み、俯けた視線が、俺の手を見る。もしかしてサヤは、あの襲撃が怖くて、俺と離れたくなかった……とか?
 一瞬そう考えたのだけど、それもなんだか違う気がした。
 しかし、何かを言う前に、サヤはお互いの手首からベルトを外し、腰に巻き直す。
 そして顔を背け、進み出したから慌てて追った。
 二人で、小走りに川縁を進む。足掛かりになる木がある場所で、上道に戻った。
 そこからはもう、ただ走った。

「レイ、あかん。息が切れへん程度に走り。追い付かれた時に動かれへんやったら、意味ない」

 そんな風に注意されて、少し速度を落とす。
 サヤは俺の横に並び、「大丈夫。音はしいひん」と、言った。
 集会場が見えてきた辺りでやっと気持ちに余裕が持てた。よし。逃げ切れたな。
 集会場を警護していたメバックの衛兵がこちらに気付いた様だ。手を振って、仲間と一緒に、坂道を駆け下りてくるのが見える。

「どうされました⁉︎」
「びっくりだよ。襲撃された。申し訳ないが、応援を呼んでもらえるか」
「もう一人向かわせましたのでご安心を。集会場の空き部屋へどうぞ。お守りします」
「君らは今何人いる?」
「警備は三人でした。現在二人です」
「なら、警備を続けてくれ。笛を持っているな?相手は多分四人だ。馬を二頭奪われた。
 私たちはこのまま戻るから、警備をしながら道を見張っていてくれ。人影があれば笛を吹いて知らせてほしい。
 応援とは途中で合流するよ」
「し、しかし……」

 衛兵は俺の言葉に戸惑った様子を見せる。
 けれど、ここで二人に守ってもらうより、早く帰る方が良いと思った。
 あれは程々な手練れだったと思う。直前まで気配を見事に絶っていた。
 どうせもう追っては来ないだろうし、それなら早く戻って、ハインやマルに報告しなければと考えたのだ。

「大丈夫。賊は下流に俺たちを探しに向かったはずだから、こちらに来る可能性は低いんだ。
 それに、護衛は一人いる。飛来する矢も叩き落とす腕前だから、心配ない」
「ですが……ではせめて剣を……」
「問題無い。失くしたわけじゃなくて、元から持ってないだけなんだよ。
 あ、小刀があれば借りれるか。私のは使ってしまった」
「は……」
「ありがとう。私の得物はこれで充分なんだよ」

 どうせ扱えない剣を貰うより、よっぽど使える。
 これ以上押問答をしても仕方がないので、じゃあ頼むと言い置いて背を向けた。
 賊はもう追っては来ない。衛兵に接触し、襲撃を知られた。そこで詰んでいる。自分の命を捨てる気であれば別だが、まあまずそれは無いだろう。
 小刀を腰帯に差して、道を歩いて進むことにした。

「れ、レイ、どないしたん?」
「ん?」

 たいして進みもしないうちに、急にサヤがそう言って、俺の袖を引っ張るから振り返ったら、ひどく不安そうな表情のサヤが、訝しそうに俺を見ていた。

「どうしたって?」
「い、あ……レイが、何や急に、普通に歩き出すし……早う、逃げた方が……」
「ああ、もう逃げ切れたよ。大丈夫。
 ここまで追ってくる意味が無いから。
 あれは多分、絶好の機会に、つい喰らい付いてしまったんだと思う。
 ふふ、まさか逃げ切られるとは思ってなかっただろうな。人数も、状況も、俺一人なら確実に仕留められてたろうし。
 サヤが機転を利かせくれたお陰だよ。あそこで川下に逃げていたら、今頃天に召されてるよね」
「レイが狙われてたんやで⁉︎」
「そうだね、ホッとしたよ」
「何が⁉︎」
「サヤじゃなくて」

 心底そう思った。
 良かった。サヤじゃなくて。初めから俺だけを狙ってくれててほんと良かった。
 つまり目的は俺一択なのだ。俺に万が一何かがあったとしても、周りは巻き込まれない。それが俺にとってどれほど安堵できることだったか。
 だけどさっきは本当に焦ったな。サヤは逃げようとすらしなかった。サヤを守るには、二人で逃げるしか選択肢が無かったのだ。

「職業意識が高かった。連携取っているようだったし、あれは多分兇手きょうしゅ(暗殺者)だ。
 ああいった者は、目的外のことは極力しないんだ。だから、サヤは関わらなければ大丈夫……どうしたの?」

 袖を掴むサヤの手が震えだしたから、慌てた。ハッと気付く。まさかサヤに怪我をさせていたのではと、やっと思い至ったのだ。
 慌ててサヤの全身を確認するが、一見怪我らしいものは見当たらない。ホッとするが、サヤはやはり震えていた。え……まさか、俺が怖いとか、そういうこと⁉︎
 焦って一歩身を引くと、まるで逃がさないとでもいう様に両腕を掴まれた。

「レイが、狙われたんやで⁉︎   分かってる⁉︎」

 怒ったような、焦ったような、信じられないといった顔で、そんな風に声を荒げるのでびっくりしてしまった。
 あ、そうだ。いくら俺が標的だからって、サヤが俺を庇ってたんじゃ巻き込まれる。ちゃんと言い聞かせておかないと。

「分かってるよ、大丈夫だから。
 だけどねサヤ、今後は……もう、どうしようもなく俺を守る手立てがない時は、逃げて良いんだ。巻き込まれる必要はない。
 今回は二人で逃げる手段があったから良かったけど、次は駄目だ。一人でもちゃんと逃げて。
 俺は自分でなんとかするし、最悪なんともならなかったとしても、それはそれで……」
「分かってない‼︎」

 怒られてしまった。
 なんだか最近、サヤが怒ることが多い気がする。    

「分かってへん、レイになんかあって、ええわけあらへんやろ⁉︎」
「そりゃ、何も無いのが一番だよ。
 だけど、俺だけで済む問題なら、あえて被害を広げる必要は無いんだ。その方が良いに決まって……」
「人ごとみたいに言わんといて‼︎」

 なんで?
 サヤが何に怒っているのかが、分からない。

「まあ良かったじゃないか。今回はちゃんと、逃げられたんだから……」
「そんな問題と違う‼︎   レイは、本当に、分から……へんの⁉︎」

 なんでそんな、傷付いた顔をするんだ?   どうしてサヤが……泣くの?
 意味が分からなくて呆然としてると、サヤがハッと、俺の後方に注目した。
 慌てて目元をぬぐって取り繕う素振りを見せる。ってことは、応援かな。

「レイシール様⁉︎   一体何が‼︎」

 振り返って確認すると、ハインが鬼の形相で迫って来てて正直、賊より怖かった。
 ハインからだいぶ遅れて衛兵たちの姿も見える。

「落ち着け。無事だったろう?
 賊の襲撃があった。目的は不明だ。集会場の前道先。小道のある所だ」
「捕えます!」
「いや、多分もう無理だよ。けど、証拠はあるかもしれない。賊の捕獲は最優先にしなくていいから、手掛かりを探してくれ。あと、人足達は?   知られてはいないか?」
「はい。現場の警備以外を連れて来たので」
「ではまず確認が済んだら、マルと一緒に一度別館に戻って来てくれ。人足達が関わっているかどうかはマルが分析するだろうし。
 俺たちは先に戻って着替えるよ。
 詳しいことはその時に。サヤは着替えたら賄い準備に……」
「いえ、サヤはレイシール様の護衛を。賄いの献立は、二週目でしょう。村の女性で下準備はこなせます。私が戻るまで、レイシール様からひと時も離れないで下さい」
「畏まりました」

 気丈にサヤは振舞っていた。
 先程の様子は微塵も見せない。
 けれど、間近にいる俺には、サヤが小刻みに震える手を、握り込むことで押さえつけている様子が伺えて、心配になる。
 そのまま連れて来た衛兵の中から四人が護衛につけられることとなった。
 いや、もう俺の周りに配置しなくても大丈夫だと思うけど……。
 けれど、そう言ったら怒られそうだから甘んじて受け入れた。
 そして、その六人で別館へ向かう。

「サヤ、大丈夫?   ごめん、俺、何か怒らせる様なこと、言った?」
「なんでもありません」

 なんでもないなら……サヤはそんな風じゃないよね…。
 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
 前方に二名、後方に二名衛兵が付き、護衛されながらの道中、小声でサヤに問うたらキッパリと拒否されたのだ。凹むんだけど……。本当に、何を怒っているのかが、全く分からないのだ。

 誰かが巻き込まれない。それを喜ぶことの、何がいけないんだろう……?
 サヤをあの人みたいにしないで済む。それは俺にとって、自分の命が狙われることなんかと比べ物にならないくらい、重要なことなんだ。
 だってそうだろう?   そもそもの価値が違う。

 存在の価値が。

「有難う。じゃあ、持ち場に戻ってもらって構わないよ」
「は。しかし、ご子息様がその様に仰っても、出入り口の警備を行う様にと、指示されておりますので……」
「あー……うん。ハインが?   じゃあ、お願いするよ」

 別館に帰ってこれたので、衛兵たちを返そうと思ったのに拒否られた。
 しかも俺の指示よりハインの指示優先とか……。いやまあ、良いんだけどね。
 衛兵を、別館の入り口と勝手口に配置して、俺たちはまず身なりを整えようという話になった。
 ずぶ濡れで結構長時間歩き回ったし、夏場とはいえ、体が冷え切っている。

「けど……警備付きじゃ調理場の風呂が使えないな…」

 勝手口にも警備が付いてるから、窓から中が伺えてしまう。
 衝立はあるから、入浴自体は見えないけど、万が一ってこともあるし……うーん……。

「一旦湯を沸かしますから、それで身体を拭ってください。お風呂は、ハインさんが戻られてから準備致します」
「や、俺よりサヤだろ。女の子は体を冷やしすぎたらいけな……」
「私のことより、自分の心配をしてください!」
「…………はぃ……」

 すごい剣幕で怒られた。
 なんなんだよもう……。だってサヤの唇が、紫色をしている。絶対に身体が冷え切っていると思うのだ。
 気不味いままで、離れない様にと厳命されてしまった為、調理場にてサヤを待つ。
 沸かした湯を桶に移し替えてから、サヤは俺の部屋まで付いて来た。

「サヤ……。自分のことは自分でできるから……」
「ハインさんに護衛する様に言われましたから」
「い、いやあの……服、脱ぐから……」
「お気になさらず。後ろを向いておきます」

    有無を言わせない感じだな……。

 とりあえずサヤの方を見ない様にして上着と長衣を脱いだ。
 濡らして絞った手拭いで身体を拭う。
 嫌だなぁ……最低限の鍛錬しかしていないので、ハインみたいに筋肉無いし、やっぱりちょっと恥ずかしい。
 焦りつつ身体を拭って、下着を替えて、新しい細袴に足を通したところで、サヤが「あっ」と、声を上げる。

「何⁉︎」
「いえ……衝立を用意すれば良かったって、今、気付いて……」

 あああぁぁぁ……なんてこった。

「ホントだ……なんで気付かなかったんだろ……」
「いえ、すいません。私もほんと、なんで今更気付いてしまったのか……」
「もう良いよね……」
「はい……なんかもう、良い気がします……」

 お互い、緊張してたのだろう。そう思うことにした。
 命を狙われる様な経験をしたのだから、平常時と同じ気持ちでいられるわけがない。
 特にサヤは、初めての経験であったろうから……。

「あ、あの。御髪を……。また背中が濡れてしまいます」
「ああ……そうか」
「後ろを向いてて下さい。私がしますから」

 一通りの支度が済んだら、長椅子に座らされた。
 俺の髪を解いたサヤが、手拭いで丁寧に水気を拭き取っていく。
 髪をまとめたままであったからか、中は結構濡れていたようだ。手拭いを新しいものに取り替えながら、作業を続ける。
 サヤの手が、もう震えていないことに安堵した。
 なんであんなに、怒っていたんだろう……震えていたんだろう……。何を、怖がらせてしまったんだろう……。いや、あんな経験して、怖くないわけないんだけど……サヤの怯え方は、何か、違う気がした。

「ごめんサヤ、怖い思いをさせてしまった」
「…………」
「あのさ、本当に分からないんだ。なんでサヤが怒ったのか……。
 俺がサヤを不快にさせることをしたんだろう?   なら、教えて欲しい。サヤが嫌がる事はしたくない。俺は、何を間違ったの?」
「……」
「やっぱり戦い自体が怖かったとかって話なら、別に今からでも従者を辞めて、ギルの……」

 ぐいっと髪を引っ張られた。
 うなじの毛が思い切り引かれてむちゃくちゃ痛くて、つい悲鳴を上げる。

「怖かったに決まってる!」

怒鳴られた。だけど俺が何かいう前に、さやは箍が外れたように言葉を吐き出す。

「ちゃんと自分が、本当の命のやり取りで役に立つんか、ずっと不安やった!
 覚悟してるつもりで、覚悟できてへんかった部分もある……。
 そもそも、本気で相手を傷つけたり、い、命奪ったりするんは、私には無理やて、今日嫌という程感じた……。せやから、役に立たへんから辞めなあかんかなって……はじめはちょっと、考えもした……」
「えっ、そ、そんな理由で辞めろなんて言わないから!
 そもそも、サヤは従者であって衛兵でも騎士でもないんだからね?   それに、貴族だからっていきなり命を狙われるとかって、滅多にあることじゃ……!」

 そこでまた髪を引っ張られた。
 イタイイタイ痛いから!なんでそんな、髪の毛引っ張るわけ⁉︎

「考えたけど、辞めへんから!」

 悲鳴をあげるみたいに、サヤがそう叫んだ。
 サヤの方に振り返りたいのだけど、引っ張られる髪が痛くて向きをかえられない。
 だから、サヤの表情が、考えていることが、俺には見えない。

「辞めたらレイ、死んでまうやん‼︎   凄ぅ簡単に、自分のこと諦めてまうやん‼︎」

 ワッと、大声を上げて泣き出してしまい、俺は大混乱に陥った。
 髪の毛を持たれたまま、背中にサヤが頭をゴツンとぶつけてきて、泣き崩れるから動くに動けない。

「さ、サヤ……着替えないと、風邪引くから……」

 注意を逸らそうと話し掛けるも、一向に反応してくれず、ただ泣くサヤを背中で受け止めておくことしかできなかった。
 サヤがまた、震えていた。全身で恐怖を感じていると、訴えていた。なのに何を言おうと、どう宥めようと、サヤは聞き入れてくれなかった。俺の背中に縋り付いて泣いているのに、拒絶されているような、そんな心地だった。
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