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暗夜の灯 3

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 サヤの怪我をした経緯を改めて聞くと、さもありなん……サヤだな。という感じだった。
 つい人のことに足を突っ込みたがる辺りが。
 怪我の経緯が、サヤを狙ったものではなく、偶然が運悪く重なってといった感じだったので、胸を撫で下ろす。
 サヤを標的にと定めた相手じゃなくて、心底ホッとした……。そんな奴が現れたら、俺はそいつに何をしてしまうか分からない……先程の熱を思い出して、背筋が寒くなる。
 俺は、事情を知りもしないで、何をしようとしていたのか……そう考えると怖かった。
 サヤが止めてくれなかったら……俺らしくないのは嫌だと言ってくれなかったら……あのまま外に向かっていたら……。相手の顔も素性も分からないのだから、どうしようもなかったとは思うけれど、感情に溺れてしまう自分は気味が悪かった。

 俺がそんなことを考えている間に、ギルが溜息をつき、ハインが思案に暮れ、サヤがウーヴェという、エゴンの息子を擁護している。

「怪我の手当ても申し出て下さったんですけど……触れられたくなかったんです……。だから、ルーシーさんに無理を言って、付き合って頂いたんです。あの……ルーシーさんを怒らないで下さいね。全部、私が無茶を言ったんです」

 ギルが渋面になってる。
 触れられたくないって、傷の手当ては例外にしろよと思ってるのだろうな。
 震えていたし…きっと怖かったのだと思う…。ギルには、急に湧き上がってくるような恐怖というのは分からないかもしれない……経験がないと、あの感覚は理解できないと思う。理屈じゃないんだ。
 と、……?    震え……?    サヤは、男装してるのに?
 違和感を覚えた。
 収穫の手伝いをしている時のサヤは……男がすぐ側にいても、ぶつかっても、たまにポンと肩を叩かれても、怖がっている風ではなかったということに、気が付いてしまったのだ。
 女性として扱われるより、同性と思ってもらえた方が楽だと言っていたのを思い出す。
 サヤは自分が男だと思われているなら、側に男が来ても、あまり意識しないで済むのだと思う。
 なら、震えていたのは……知られてしまったからなのでは?    女性として見られたと、認識したからでは?
 でもそうなら……知られてしまったことを、報告すべきだ。
 それとも、あれはやはり、血を失いすぎたせいで、震えていたのか?

 どちらとも言い難く、俺がサヤに触れていた手をなんとなしに眺めながら考えていると、気付いたギルにどうしたと聞かれてしまった。
 いや……確証があるわけじゃないしな……。首を振ってなんでもないと伝えておく。
 そもそも、男だと思われてるなら、怖くない……なんていうのにも、根拠は無い。なんとなくそうなのではと思ってるだけだしな……。

 なんにしても、そのウーヴェという、エゴンの息子に会ってみれば、何かしら分かるかもしれない。
 ギルが蛇に似てると言ってたけど……サヤは爬虫類が苦手……という可能性もあるのだし。
 なんとなく怖くて嫌とか。女の子はそんなのがよくあるのじゃなかったか。
 結構失礼なことを考えていたが、ハインがサヤに、マルとの交渉について話を振ったので、俺の意識はそっちに全力で方向転換した。

 結構な血を失っているはずなのに、サヤは頑なに出ると言い張っている。
 今日は、もう休んでいるべきだ。そう思ったのだがサヤは受け入れない。長椅子から身を起こすので、寝ているようにと制止するが、それも拒否されてしまった。

「自分のことです」

 そう言うサヤは、瞳の中に、何かチラリと、イラつきのようなものを覗かせた。
 少なからずムッとしてしまう。サヤの体調を心配してるだけなのに……。それどころか、交渉自体を自分でしたいと言い出す始末。
 何を言ってるんだ。これは初めから、俺たちですると言っていた筈だ。
 先程までは頭が働かず、正直どうしようかって思ってたのだが、俺はそんなことも忘れていた。サヤの強情さに気分を害し、その勢いのまま、思ったことを口にする。

「駄目だ!あんなに血を失くしてるのに、集中出来るわけないだろ⁉︎俺は明日だって、サヤを人前に晒す気は無い!ここで大人しく……」
「レイは、そないに私を、居いひんかったことにしたいん⁉︎」

 叩きつけるように言葉を浴びせられた。
 怒鳴られた…………。
 一瞬それが飲み込めない。
 俺を睨みつけるサヤの顔が、前に怒った時のそれとは比較にならないくらいで、俺は釘を打たれたように、固まった。
 睨んでいるのだけれど……何故か悲しそうに見えた。

「私な、レイが私のこと帰さなあかんって、言わはる度にな、ちくんって、なんや、棘が刺さる心地やった。
 レイがここに残るよう言うた時も、そうやったんよ?
 ずっとその事について、考えとったん……。
 何が痛いんやろって。何が辛いんやろって」

 静かな声音だったが、普段より低い、重たい声だ。腹の底に、響くような……。

「ようやっと分かった。
 私、レイに居いひんかったことにされるんが、嫌やったんやわ。
 私がここに居ることが、間違うてることみたいに言わはるんが、嫌なんやわ。
 けど、私は、ここに居る。京都やのうて、セイバーンに居る。今のこの瞬間が、私の現実や」

 長椅子から足を下ろし、俺の方に向き直る。
 視線を俺から離さない。俺は、サヤの視線に気圧されて、身を引いた。
 だが、膝をついて座り込んでいたため、それ以上の距離を取ることができない。
 するとサヤは、俺に向かって、身を乗り出し……膝が当たるほど近くに座り込んで、俺の顔を至近距離で睨む。

「今、決めた。
 私、勝負するレイの罰と」

 ……罰?
 俺を睨み据えるサヤが、俺の目を見つめるサヤが、俺じゃなく、俺の中を見ている気がした。

「私、居いひんかったことにされたない。せやから、戦うことにする。
 覚悟してな。もう決めたし、レイが何言うたかて、聞かへんから」

 夜の部屋や、二人の時にしか口にしなかった、訛りの強い、サヤの言葉で言う。
 だが、その内容に俺は慌てた。俺がサヤを居なかったことにしようだなんて、そんなことは思ってやしない。ただサヤを、失くしたくないだけなんだ。

「何、言ってるの?
 俺は、別に、サヤを居なかったことにしようだなんて、思っ……」
「思ってるやろ⁉」

 最後まで言い終わる前に全力否定された。ハインもかくやという眼力で睨み据えられた。

「何度も何度も言われたのに、分からへん訳ない。私はそこまで、阿呆と違う!
 レイはそう思うてる。居ることに、慣れたらあかんって言うたやない。私が居いひんのを、当たり前にしようとしてはるやない。
 罰やからって、持ったらあかんって。それで私を、無かったことにするんや!
 今までの時間全部、無かったことにしようとしてる!これからも、作らんようにしようとしてるんや‼
 私は、レイと共有した時間を、無かったことになんてしいひん。絶対に、許さへんから!」

 無かったことにしようとしてる……。
 それは、俺が心の奥底に沈めたことだった。
 知ってしまったら、失くせなくなってしまうから。
 幸せを得てしまうと、消えた時に耐えられないから。
 全部知らなければ、苦しくない。
 初めから持ってなければ、無いことを知ることもない。
 サヤは元から、この世界の人間じゃ無い。俺が得られるものじゃない。だから……。

「レイ。よく聞き。一回しか言わへんし。聞き逃したらもっと怒るしな⁉」

 サヤの気迫に、ただ反射で頷いた。
 そんな俺に、サヤは叩きつけるように言ったのだ。

「罰なんて無い。
 今までも無かったし、これからも無い。
 レイは何も失くしてへん。
 無かったことにせなあかんって思うから、辛いんやろ。
 私が居いひん日が来たら、私と共有した時間が、消えて無くなるとでも思うてるん?
 使うた時間はレイのものやろ。誰にも取られへん。失くなったりもせえへん。
 レイは、ちゃんと持っててええ。
 私は、レイの中にいっぱい、私のことを残す。沢山残す。
 それで、レイが何も失くしてへんこと、罰なんて無いこと、証明していく。
 ここにいる時間全部使うて証明する!
 それが、私と、罰の勝負や。分かった⁉」

 嵐が吹き抜けていくように、宣言した。
 そしてグッと、胸を逸らす。腕を組んで、ふんっ!    と、怒った顔でふんぞり返った。

「私は忘れへん。どこに居っても、レイのこと忘れへん。私の世界に帰った後も、なかった事になんてしいひん。
 それで……もし帰れへんかったとしても、私の居った世界を、無かったことにも、しいひん。
 辛くても、悲しくても、幸せやったことまで捨てる必要ない。ちゃんと覚えとく。忘れへん」

 それは俺への、宣戦布告だった。
 持たないことで失くさないようにしようと願う、臆病な俺への。
 これは罰だと。俺に課せられたものだと言い訳して、ずっと逃げてきた俺への。
 得ようと、足掻こうとした時も、あった。
 でも途中でそれも辞めてしまった。もうこれ以上を失くしたくなくて。それ以上は耐えられないと思ったから。
 失くした時、胸が苦しくなることに耐えられないから、もうそれをしないと決めてしまった。
 だけどサヤは、苦しくても思い出すのだ。苦しさと一緒にある幸せを失くさない為に。
 自分の世界に帰っても、俺を無かったことにはしないでくれると言った。
 それは……俺を、大切なものの中に、加えてくれてると言ったようなもので……俺は、心臓が潰れてしまうかもしれないと思った。

 そしてサヤは、故郷も忘れないと、言った……。

 この世界にいる限り、サヤは不幸なのだと思っていたのに……俺の側にいる限り、辛いままだと思っていたのに……失くさないと言ってくれた。ここに居ても、サヤの世界が、サヤの中から消えたりはしないと。ここに居ることが、不幸ではないと、言ってくれた。

 なんだろう。胸が痛い。明らかに痛い。
 痛いのに、なんだろうこれは……。苦しいのに、張り裂けそうなのに……。
 どうして俺は、こんなにも嬉しいんだ…………。
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