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暗夜の灯 2
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そこから暫くは、ただそこに居るだけだった。
誰かの立てた物音が、急に耳元で吹かれた大音量の笛のように聞こえたりして、いちいち頭を揺さぶってくる。
やばいかもしれない……。なんかもう、動く気力も湧かない……。急ぎすぎたかな……多分そうだったんだろう……。色々がキツすぎて、視界まで歪んできた気がする。
どうしよう……こんな場合じゃないのは重々承知してるのに……。
長椅子の背もたれに寄りかかったまま、俺は考えることもできずにいた。
どうにかしなきゃいけないのは分かっているのに、何をしたらいいかわからない。
どうにかしなきゃいけないのに……。
どうにかしなきゃ……。
ただそれを繰り返していた時、耳に叩きつけるような音が響いて、俺は飛び起きた。
どこからの音が分からず、視線を彷徨わせると、ギルが応接室に来ていた。
怖いくらいの顔で、俺の方にまっすぐ歩いてくる。
俺……また何か、失敗したのか?
よく分からないままに、不安が胸を圧迫してくる。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、俺の前まで来たギルは、一度ぎゅっと眉を寄せて、それから何か言った。
「……、……ヤの手当て…………てやってくれ……」
「手当て……?」
手当て。そう聞き取れた。けれど、何故ギルが手当てと言ったのか分からなかった。だから首をかしげる。すると、ギルの後ろにサヤがいた。使用人の服を着て、いつもの男装で、左腕を庇い、右手を伸ばして、いる、サヤ。の、左腕が、赤黒く、染まって、いる。
「サヤ‼︎」
サヤは、顔を歪めて逃げるように二歩引いた。
俺は無我夢中でサヤの腕を掴みに行く。染まっていない右腕を掴み、引き寄せ、左腕の手首を掴むと、サヤの腕は冷たかった。微かに、震えてすらいる……やばい!
血を失いすぎると、体が震える。
だから俺は、サヤを無理やり引っ張った。嫌がってる場合じゃない。下手をしたら、この世のどこからも、サヤを失う!
ギルが、使用人が運んで来た治療道具を小机に広げてくれたので、机の上をざっと見て鋏を取る。邪魔な袖を切って開く。傷を縛っていた手拭いも毟り取った。
「お前…………」
ギルが呻く。
サヤの上腕には、赤く長い筋が走っていた。手のひら大の長さ。傷はまだ塞がってすらいず、端から赤い筋が、肘に向かって伝っていく。
想像していたより酷くはない。だが、赤黒い血が固まって、腕を斑らに染めている。一体どれくらい放置してたんだ⁉︎ 俺は喚きたい気分だった。
「縫うほどでは無いようですね……。サヤ、事情を説明してください」
「それは後だ‼︎
ハイン、手拭いを塗らせ」
この状況に説明を求めるハインを怒鳴りつけると、サヤがビクリと身を竦めた。
説明なんて、そんなものどうでもいい。それよりもサヤを、繋ぎ止めなければ。
そこではたと、現実に気付く。
俺の手では、押さえてられないかもしれない……。
右手は握力が弱いし、包帯を巻くのだって片手では無理だ。押さえておかなれば、サヤは痛みで暴れるかもしれない……。
慌てて周りを見渡す。
生憎、ギルが人払いをした後なのか、使用人の姿がない。
焦ってギルに女中を呼ぶよう、お願いしようと視線をやると、途中でルーシーを見つけた。良かった!
ルーシーにサヤの腕を押さえておくようお願いしてから、ハインが差し出した手拭いを受け取り、サヤの腕を綺麗に拭う。汚れは残しては駄目だ……膿みやすくなるって、サヤが言ったから。傷口の近くも拭ったが、サヤは声を上げなかった。
水差しの水で傷口を洗う。下に置かれた盥に、薄紅色の水が注がれる。新しい手拭いで、濡れた腕と、滲む血を拭ってから、俺は意を決して、サヤの傷口横に両手を添えた。
「んっ…………」
サヤが初めて呻いた。くぐもった、押し殺した声で。
傷口を開いたのだから、無論痛いだろう。癒合し、血の止まりかけていた部分も、無理やり剥がされた為、出血の量が一気に増えた。
血を拭いながら、全体を丹念に確認して、ルーシーにも傷口に異物が入る可能性があったかを確かめる。青ざめていたが、ルーシーはきちんと答えてくれた。問題無さそうだな……なら、あとは傷を塞ぐだけだ。
左手で腕を掴むようにして傷口を合わせる。そうしてから油紙を当てて、包帯でキツめに縛っていく。
縛る間も、サヤは顔を背けたまま、悲鳴を上げなかった。
ただ、痛みに耐えているのは、腕に力がこもる感覚で分かる。痛くないはずがない……。そんなの当然だ。なのに、なんでそれすら、我慢する? そんなことまで遠慮するのかと思うと、胸が苦しくなった。
最後まできっちり巻き終わり、端を括って止めるそこまで来て、俺はやっと、全身の力を抜く。サヤも、痛みに耐えきり、ぐったりと長椅子に寄りかかっていた。
良かった……傷は、大きかったが、最悪なほど深い……なんてことは無かった。
とはいえ、軽いものでもない。当分消えないだろう……もしかしたら、一生残るかもしれない。
けど……サヤを失くさずに済んだ。それだけで、今はいい。
間に合わなかったのかと、思った……。
俺がサヤを手放せないでいるうちに、決まってしまったのかと思った。
罰が、もう、サヤを、絡め取ってしまったのかと……。
我慢する。我慢できる。
サヤが、この世のどこにも居ない絶望に比べれば、会えないくらい、我慢できる……。
そう思ったときには、手が泳いでいた。
サヤの温もりに触れ、確認する。まだここに居る。
そうすると、もう離せなくて、両手で拘束するように捕まえてしまった。
サヤが慌てて、何か言っていたけれど、包帯を巻いたばかりの腕を動かすから、咄嗟に叱りつけ、腕に力を込める。
失くすことに変わりはない。だけど、どこかに居ると思えるなら、我慢できるはずなのに、ちぐはぐな俺は、気持ちと身体が食い違っていた。
ごめん、ごめん、失くしたくないなら我慢しなきゃいけないのに、ごめん。
ひたすら謝りながら、サヤが今ここに居ることを、噛み締めた。
◆
いつの間にか、サヤは震えなくなっていた。
どこかぼんやりする頭で、なぜ震えていたんだろうかと考えていると、痺れを切らしたハインが、サヤに詰問を始める。
「サヤ、報告して下さい。なぜ手傷を負ったのですか。誰に、このような仕打ちを受けましたか」
その言葉に、サヤを傷付けた誰かという存在に気が付いた。
ハッとする。
そうだ…サヤの腕に、刃物を這わせた者が、いるのだ。
ずっと残るかもしれない傷を、刻みつけた何者かが。命を刈り取るかもしれなかった、何者かが。
それに気付いた途端、腹の底の、モヤモヤしたものが、カッと熱を持った。
サヤがしどもど、状況を説明していく。話す中に、幾人もの人がチラつく。ルーシー、バート商会の使用人、エゴンの息子、刃物を持った来客、こいつか。そう思ったら、熱は一気に膨れ上がる。
「そいつがサヤを斬ったのか……」
心で思ったことが、勝手に口をついて出た。
そいつがサヤに、俺の罰をなすりつけようとした奴か。
「事情が、あったんです! それに私が、急に割り込んだから……悪いのは私です!」
「だがそいつが……!」
「無理な返済を強いられてて、どうにもならなくなってらしたんです!」
「だからって‼︎」
だからって、サヤが傷付く謂れは無かったはずだ!
そいつをどうにかしなければ、またサヤを害しに来る。ふいに、そんな予感がした。俺はいてもたってもいられなくなって、膝に力を入れる。頭の中をなんとかしなければという言葉が、繰り返される。取られる、消される、なんとかしなければ。先になんとかしなければ。サヤを消そうとしたのだから、先に消さなければ、またそいつが……!
だが一歩を踏み出す前に、柔らかい感触が、俺の腰に絡みついてきて、それを振り払うために見下ろすと、サヤだった。
腕に巻かれた包帯に自ずと視線が張り付いてしまい、俺は動くに動けない……。
「家族のことを、叫んでらしたんです……父親を亡くしたら、家族が、困ってしまう……。ほっとけなかったんです………」
「サヤ、傷に響く、手を離せ……」
「大丈夫やから、レイ、落ち着いて……。大したことない……。こんなん、全然大したことあらへんから。
レイらしくないんは、嫌や。な?」
言い聞かせるように、ゆっくり囁くように言うサヤの声が、俺の中の熱源に染み込むようで、怒りか焦燥なのか、よく分からなかったものが、次第に蠢くのを止めていく……。
ふと気付くと、いつの間にか俺を取り巻いていた油の皮膜のようなものが、無かった。
雑音も無い……。半分理解できていなかった言葉の波が、普通に聞き取れるようになっている。
あれ?
どこか滞っていたような思考も、違和感を無くしていた。
サヤの手が、ぽんぽんと、俺の背を叩いている。
サヤが俺に触れてる……。それに、どういうわけか、安堵していた。
「サヤ、誰を庇っているのか存じませんが、それでは正確な状況把握ができません」
ハインが、怒りを押し込んだような顔で、サヤを説教しはじめる。
ギルが、俺に心配そうな目を向けていたが、視線が合うと、ホッと息をついた。
そして、とりあえずは落ち着けと言わんばかりに、お茶を入れようと言い出す。俺にしがみついたままだったサヤに視線をやり、それから俺を見て、少し意地の悪い顔をする。
「サヤ、お前は、長椅子に横になっとけ。結構血を失くしてる筈だ。
レイは……サヤの様子をきちんと見てろ。こいつ、俺が手当てするって言っても触れさせやしねぇ……あの状態で逃げやがったんだ。
お前しか触れないんじゃ、お前が診とくしかねぇ。分かったな」
ひくりと、サヤの手が反応した。
俺がサヤに視線を落とすと、俺に絡みつけていた腕をそっと離し、視線も同じく、明後日の方を見る。
あの状態で、逃げた…………。
「分かった……診てる」
「あ、あの……ごめんなさい、その……ほんと、ごめんなさい……」
視線を空中に彷徨わせながら謝罪をするサヤに、いつも俺が言われていたように「寝なさい」と、言うと、こくこくと頷いた。
誰かの立てた物音が、急に耳元で吹かれた大音量の笛のように聞こえたりして、いちいち頭を揺さぶってくる。
やばいかもしれない……。なんかもう、動く気力も湧かない……。急ぎすぎたかな……多分そうだったんだろう……。色々がキツすぎて、視界まで歪んできた気がする。
どうしよう……こんな場合じゃないのは重々承知してるのに……。
長椅子の背もたれに寄りかかったまま、俺は考えることもできずにいた。
どうにかしなきゃいけないのは分かっているのに、何をしたらいいかわからない。
どうにかしなきゃいけないのに……。
どうにかしなきゃ……。
ただそれを繰り返していた時、耳に叩きつけるような音が響いて、俺は飛び起きた。
どこからの音が分からず、視線を彷徨わせると、ギルが応接室に来ていた。
怖いくらいの顔で、俺の方にまっすぐ歩いてくる。
俺……また何か、失敗したのか?
よく分からないままに、不安が胸を圧迫してくる。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、俺の前まで来たギルは、一度ぎゅっと眉を寄せて、それから何か言った。
「……、……ヤの手当て…………てやってくれ……」
「手当て……?」
手当て。そう聞き取れた。けれど、何故ギルが手当てと言ったのか分からなかった。だから首をかしげる。すると、ギルの後ろにサヤがいた。使用人の服を着て、いつもの男装で、左腕を庇い、右手を伸ばして、いる、サヤ。の、左腕が、赤黒く、染まって、いる。
「サヤ‼︎」
サヤは、顔を歪めて逃げるように二歩引いた。
俺は無我夢中でサヤの腕を掴みに行く。染まっていない右腕を掴み、引き寄せ、左腕の手首を掴むと、サヤの腕は冷たかった。微かに、震えてすらいる……やばい!
血を失いすぎると、体が震える。
だから俺は、サヤを無理やり引っ張った。嫌がってる場合じゃない。下手をしたら、この世のどこからも、サヤを失う!
ギルが、使用人が運んで来た治療道具を小机に広げてくれたので、机の上をざっと見て鋏を取る。邪魔な袖を切って開く。傷を縛っていた手拭いも毟り取った。
「お前…………」
ギルが呻く。
サヤの上腕には、赤く長い筋が走っていた。手のひら大の長さ。傷はまだ塞がってすらいず、端から赤い筋が、肘に向かって伝っていく。
想像していたより酷くはない。だが、赤黒い血が固まって、腕を斑らに染めている。一体どれくらい放置してたんだ⁉︎ 俺は喚きたい気分だった。
「縫うほどでは無いようですね……。サヤ、事情を説明してください」
「それは後だ‼︎
ハイン、手拭いを塗らせ」
この状況に説明を求めるハインを怒鳴りつけると、サヤがビクリと身を竦めた。
説明なんて、そんなものどうでもいい。それよりもサヤを、繋ぎ止めなければ。
そこではたと、現実に気付く。
俺の手では、押さえてられないかもしれない……。
右手は握力が弱いし、包帯を巻くのだって片手では無理だ。押さえておかなれば、サヤは痛みで暴れるかもしれない……。
慌てて周りを見渡す。
生憎、ギルが人払いをした後なのか、使用人の姿がない。
焦ってギルに女中を呼ぶよう、お願いしようと視線をやると、途中でルーシーを見つけた。良かった!
ルーシーにサヤの腕を押さえておくようお願いしてから、ハインが差し出した手拭いを受け取り、サヤの腕を綺麗に拭う。汚れは残しては駄目だ……膿みやすくなるって、サヤが言ったから。傷口の近くも拭ったが、サヤは声を上げなかった。
水差しの水で傷口を洗う。下に置かれた盥に、薄紅色の水が注がれる。新しい手拭いで、濡れた腕と、滲む血を拭ってから、俺は意を決して、サヤの傷口横に両手を添えた。
「んっ…………」
サヤが初めて呻いた。くぐもった、押し殺した声で。
傷口を開いたのだから、無論痛いだろう。癒合し、血の止まりかけていた部分も、無理やり剥がされた為、出血の量が一気に増えた。
血を拭いながら、全体を丹念に確認して、ルーシーにも傷口に異物が入る可能性があったかを確かめる。青ざめていたが、ルーシーはきちんと答えてくれた。問題無さそうだな……なら、あとは傷を塞ぐだけだ。
左手で腕を掴むようにして傷口を合わせる。そうしてから油紙を当てて、包帯でキツめに縛っていく。
縛る間も、サヤは顔を背けたまま、悲鳴を上げなかった。
ただ、痛みに耐えているのは、腕に力がこもる感覚で分かる。痛くないはずがない……。そんなの当然だ。なのに、なんでそれすら、我慢する? そんなことまで遠慮するのかと思うと、胸が苦しくなった。
最後まできっちり巻き終わり、端を括って止めるそこまで来て、俺はやっと、全身の力を抜く。サヤも、痛みに耐えきり、ぐったりと長椅子に寄りかかっていた。
良かった……傷は、大きかったが、最悪なほど深い……なんてことは無かった。
とはいえ、軽いものでもない。当分消えないだろう……もしかしたら、一生残るかもしれない。
けど……サヤを失くさずに済んだ。それだけで、今はいい。
間に合わなかったのかと、思った……。
俺がサヤを手放せないでいるうちに、決まってしまったのかと思った。
罰が、もう、サヤを、絡め取ってしまったのかと……。
我慢する。我慢できる。
サヤが、この世のどこにも居ない絶望に比べれば、会えないくらい、我慢できる……。
そう思ったときには、手が泳いでいた。
サヤの温もりに触れ、確認する。まだここに居る。
そうすると、もう離せなくて、両手で拘束するように捕まえてしまった。
サヤが慌てて、何か言っていたけれど、包帯を巻いたばかりの腕を動かすから、咄嗟に叱りつけ、腕に力を込める。
失くすことに変わりはない。だけど、どこかに居ると思えるなら、我慢できるはずなのに、ちぐはぐな俺は、気持ちと身体が食い違っていた。
ごめん、ごめん、失くしたくないなら我慢しなきゃいけないのに、ごめん。
ひたすら謝りながら、サヤが今ここに居ることを、噛み締めた。
◆
いつの間にか、サヤは震えなくなっていた。
どこかぼんやりする頭で、なぜ震えていたんだろうかと考えていると、痺れを切らしたハインが、サヤに詰問を始める。
「サヤ、報告して下さい。なぜ手傷を負ったのですか。誰に、このような仕打ちを受けましたか」
その言葉に、サヤを傷付けた誰かという存在に気が付いた。
ハッとする。
そうだ…サヤの腕に、刃物を這わせた者が、いるのだ。
ずっと残るかもしれない傷を、刻みつけた何者かが。命を刈り取るかもしれなかった、何者かが。
それに気付いた途端、腹の底の、モヤモヤしたものが、カッと熱を持った。
サヤがしどもど、状況を説明していく。話す中に、幾人もの人がチラつく。ルーシー、バート商会の使用人、エゴンの息子、刃物を持った来客、こいつか。そう思ったら、熱は一気に膨れ上がる。
「そいつがサヤを斬ったのか……」
心で思ったことが、勝手に口をついて出た。
そいつがサヤに、俺の罰をなすりつけようとした奴か。
「事情が、あったんです! それに私が、急に割り込んだから……悪いのは私です!」
「だがそいつが……!」
「無理な返済を強いられてて、どうにもならなくなってらしたんです!」
「だからって‼︎」
だからって、サヤが傷付く謂れは無かったはずだ!
そいつをどうにかしなければ、またサヤを害しに来る。ふいに、そんな予感がした。俺はいてもたってもいられなくなって、膝に力を入れる。頭の中をなんとかしなければという言葉が、繰り返される。取られる、消される、なんとかしなければ。先になんとかしなければ。サヤを消そうとしたのだから、先に消さなければ、またそいつが……!
だが一歩を踏み出す前に、柔らかい感触が、俺の腰に絡みついてきて、それを振り払うために見下ろすと、サヤだった。
腕に巻かれた包帯に自ずと視線が張り付いてしまい、俺は動くに動けない……。
「家族のことを、叫んでらしたんです……父親を亡くしたら、家族が、困ってしまう……。ほっとけなかったんです………」
「サヤ、傷に響く、手を離せ……」
「大丈夫やから、レイ、落ち着いて……。大したことない……。こんなん、全然大したことあらへんから。
レイらしくないんは、嫌や。な?」
言い聞かせるように、ゆっくり囁くように言うサヤの声が、俺の中の熱源に染み込むようで、怒りか焦燥なのか、よく分からなかったものが、次第に蠢くのを止めていく……。
ふと気付くと、いつの間にか俺を取り巻いていた油の皮膜のようなものが、無かった。
雑音も無い……。半分理解できていなかった言葉の波が、普通に聞き取れるようになっている。
あれ?
どこか滞っていたような思考も、違和感を無くしていた。
サヤの手が、ぽんぽんと、俺の背を叩いている。
サヤが俺に触れてる……。それに、どういうわけか、安堵していた。
「サヤ、誰を庇っているのか存じませんが、それでは正確な状況把握ができません」
ハインが、怒りを押し込んだような顔で、サヤを説教しはじめる。
ギルが、俺に心配そうな目を向けていたが、視線が合うと、ホッと息をついた。
そして、とりあえずは落ち着けと言わんばかりに、お茶を入れようと言い出す。俺にしがみついたままだったサヤに視線をやり、それから俺を見て、少し意地の悪い顔をする。
「サヤ、お前は、長椅子に横になっとけ。結構血を失くしてる筈だ。
レイは……サヤの様子をきちんと見てろ。こいつ、俺が手当てするって言っても触れさせやしねぇ……あの状態で逃げやがったんだ。
お前しか触れないんじゃ、お前が診とくしかねぇ。分かったな」
ひくりと、サヤの手が反応した。
俺がサヤに視線を落とすと、俺に絡みつけていた腕をそっと離し、視線も同じく、明後日の方を見る。
あの状態で、逃げた…………。
「分かった……診てる」
「あ、あの……ごめんなさい、その……ほんと、ごめんなさい……」
視線を空中に彷徨わせながら謝罪をするサヤに、いつも俺が言われていたように「寝なさい」と、言うと、こくこくと頷いた。
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