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第七章 悪役令嬢の秘密
53. 記憶の在り処
しおりを挟む隠れ家のキッチンで夕食を摂ったあと、さすがに疲れが出たのか、俺は再びジオルグのベッドに戻り、今度は朝が来るまで泥のように眠った。
陽の光が窓から射し込む中で目を覚ましたとき、共に寝ていたはずの宰相閣下はもう部屋にはいなかった。急いで身支度を整えて階下に向かうと、ジオルグはちょうど居間で書状を読んでいるところだった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
ジオルグが座っている長椅子の隣に腰を下ろし、互いの頬にキスをし合う。
「体の具合はどうだ?」
「もう、平気です」
「本当に? あまり顔色が良くないが」
ジオルグにじっと顔を覗き込まれ、俺は思わず目を伏せた。
「ここは、ロームの朝よりも冷えるので。でも体を動かせば大丈夫です」
「……そうか」
そんな話をしているうちに、クリスチャードが、朝はあまり食べられない俺のために、小ぶりの菓子パンのように丸く膨らんだ焼きたてのビスケットを二つ載せた皿と、お茶を運んできてくれる。そこにはシリルの……、いや俺の大好物であるコケモモのジャムも添えられていた。
──所々、曖昧だった十年分の記憶が、もうほぼ完全に俺の頭に入っている……。
その内的変化が起こったのは、俺がジオルグに抱かれた後だった。そして今朝起きたとき……、俺が『シリル』と呼んでいた主人格は消滅していた。
もうひとつ何か大事なものを失った気がするが、それが何なのか、今はまだわからない。
ただ俺だけが知る喪失の事実が、小さな棘のように心を刺してくる。
十年前、俺がこの世界で【前世】を思い出した夜。
あの瞬間が、もしもなかったとしたら。
──もしも、俺が、あのとき集落を襲った連中に悪足掻きにも似た抵抗をしなかったとしたら?
この世界においても、『セイント・オブ・ドラゴン ~竜と魔法の王国~』のシナリオに沿う形でこの十年間が過ぎていたとしたら。
あの夜に瀕死の傷を負い、その記憶を失くし、ジオルグに助けられた後は孤児院に入れられ、そこで第二の人格である『カイファ』を誕生させる。
そこまでフラグを立ててしまえば、あとは自動的に魔竜の介入が始まり、召喚された聖女が誰と想い合おうが、シリルとジオルグの死亡エンドは確定する。
……そう考えると、あれ以上はないタイミングで、俺は【前世】を思い出したことになる。
あの夜以来、今の時点で俺は、まだ魔竜の手先らしい人物とは出会っていないのだ。ゲームのシリルにはなかった月精の徴も、俺の額には現れた。俺とジオルグが、破滅への道に入る最低限のフラグは、外せているのかもしれない。
──……本当に?
何か……、俺はどこかで何か肝心なものを見落としていないだろうか。
「シリル」
食事に手をつけようとしないまま、思索に耽り出す俺を引き戻すような声で呼ばれる。すでに朝食が終わっているジオルグは、コーヒーカップを手にしていた。
「はい?」
「先にお茶だけでも飲んだらどうだ。冷めてしまうぞ」
「ああ、すみません……」
俺は、言われるがままに冷めかけているお茶にミルクを入れ、一口飲んだ。その様子が、いかにも心ここに在らずといった風に見えたのか、ジオルグは眉宇を顰め、怪訝そうに問うてきた。
「どうした、考え事か?」
「ええ、まあ。ロームに帰ってからのことを考えていました。まず真っ先に護衛師団本部に行って……」
「いや、君はせめてもう一日、ここにいた方がいい」
意外なほど厳しい声で言われ、俺はぱちりと目を瞬かせる。
「え、どうしてですか?」
「念の為だ。このカルヴァラの地の空気には、魔素が多く含まれている。昨日の君のように弱っていても、数日ここで療養をしていれば、それだけで自然と元の量にまで回復するぐらいには」
「数日なんて、そんな。それに、あなたのおかげで、その……、もうほとんど回復しています」
「ここでは、そう感じるだろう。だが、今ロームに帰ればそれだけでいくらかは消耗する。大事を取った方がいい」
俺の休暇は昨日一日のはずだったが、ジオルグによれば今日も休暇扱いになっているそうだ。自分の知らないところで勝手にそう決められて、俺は唖然とする。
「少しぐらい消耗したって平気です。休暇扱いだとしても、確認したいことがあるのでとにかく帰りたい。だって、あなたは帰るつもりなんでしょう?」
ここに一人で置いて行くつもりかと言外に責めれば、ジオルグは目線を俺から外し、やれやれと嘆息した。
「……やはり、一筋縄ではいかないか」
「悪かったですね、強情で」
「いや、君がそんな風に言うとわかっていて、それでも無理にここに留めようとした私が悪い」
強情というのは否定しないのか、などと思っていると、そっと肩を抱かれて引き寄せられる。
「例の魔法石のことが、気になっているのだろう?」
「ええ、そうです」
俺は強く頷く。
昨日の朝、教会に行く道であの露天商の男が売っていた、赤黒い魔法石のことだ。
「月精を呪う石だとゼフェウスに言ったそうだな。自分があの石を見せたせいで、君の容態をさらに悪化させたのではと気にしていたぞ」
「彼は、月精のことを?」
「ロートバル家の者ならば、皆知っている。……だがシリル、君は? 本当に、徴が出るまで、月精については何も知らなかったのか?」
「え?」
ああ、同じ目だと思った。エドアルドの部屋で、この強い目をしたジオルグから、同じように問い詰められたことがある。
あのときは、知らなかったと嘘をついた。
そして今は……。
しかし、ジオルグはあっさりと追及を引っこめると、魔法石のことに話を戻した。
「今、ヒースゲイルたちが、あの石を調べている。だが、石を売っていた男のことは、もともと聖竜騎士団が彼らの内輪の問題で調査をしていたらしい。あの魔法石がよほどの代物でもない限り、その情報が開示されるかどうかは微妙なところだったのだが」
「……何かわかったのですか」
「ああ。君の使い魔は、ちゃんと仕事をしたようだ。これは、ゼフェウスからの……、男が逃げ込んだ場所についての報告書だ」
ジオルグは、さっきまで読んでいた紙を俺に差し出した。朝一番に王都の屋敷に届けられたものを、クリスチャードが隠れ家まで持ってきたらしい。
「俺が読んでもいいんですか?」
「ああ、構わない」
許可を得て、俺は書面に目を走らせた。己の影に入り込んだルトに追跡されているとも知らず、男が逃げ込んだ先は、王都の…………、
「ギヨーム・セオデリク・スタウゼンの屋敷……? これってまさか……!」
思わず声を上げた俺に、ジオルグも険しい表情をうかべて頷いた。
「ああ、スタウゼン公爵。つまり、エドアルド殿下の婚約者、オリーゼ嬢の父親だ」
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