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ずっと好きだった
しおりを挟むその日の夜。
夜着に着替え、寝支度を整えたところで部屋の扉が叩かれた。
扉の向こうから聴こえたのはレイ従兄様が来訪を告げる声。
部屋付きの年嵩の侍女ヘレンさんがどうしますか、と目線で伺ってきたので、厚めの上着を羽織りながら頷いた。
ヘレンさんに開けてもらった扉から大きな箱を抱えたレイ従兄様が静かに入って来る。夕方頃からすればすっかり落ち着いた様子で、いつものレイ従兄様に戻っていた。
「レイ従兄様。どうしたの? 何かあった?」
向かいのソファに座るよう勧めながら、私自身もヘレンさんの手を借りてソファへ腰をおろす。
「エメに会ったら、本当は真っ先にこれを渡したかったんだ」
そう言って、レイ従兄様は抱えていた箱をテーブルの上に置くと蓋を開けた。なんだろうと覗き込んだ私は、
「レイ従兄様、これ……!」
と思わず大きな声を出してしまった。
だけど、その箱の中身は私にとってそれくらい待ち望んでいたものだったのだ。
果たして、そこには入っていたのは待望の義足。なのだけど……以前のものと少し違うような……?
首を傾げる私を見て、レイ従兄様がにやりと笑う。
「改良したんだ。前のやつより更に躓き難くなってよりスムーズに歩けるはずだし、軽くなら走れると思う。あと複雑なステップでなければダンスだって踊れるはずだぞ」
「……ほ、ほんとに……?」
込み上げる嬉しさに胸を震わせ、私は箱の中に収まっている新しい義足を茫然と見下ろす。
これから先、出席するであろう夜会で王子の婚約者でありながらダンスが出来ないなんて、アシュレイ様の顔に泥を塗ってしまうのでは、と密かに悩んでいたから、まさかこんな形で解消されるだなんて思わなかった。
「聞けば、事故で前のやつが壊れたんだって? しかもこちらの職人じゃ直せなかったそうじゃないか。尚更、今回の訪問に間に合って良かった」
と、安堵の微笑みを浮かべるレイ従兄様。
「これ……ひょっとしてレイ従兄様が?」
「いや、ミヤじいだ。なんでお前が来るんだ、って文句言われたぞ。エメが隣国に行ったと言ったら随分寂しがってた」
「え、そうなの? 今度手紙書くね」
「そうしてやってくれ。喜ぶから」
ミヤじいはリヴィエール領で義足や義手を作る職人さんで、国一番の腕を持っている人だ。何せ年がら年中帝国が戦いを仕掛けてくるせいで、手や足の一部を欠損してしまう騎士や傭兵がどうしても出るわけで。なので、国のどこよりも我が領の職人さんたちの腕が磨かれているのである。ミヤじいをはじめとするリヴィエールの職人さん以外だと、こんなに素足の形に近い見た目にはならないし、機能的にも著しく劣る。
いつも制服のズボンで隠れていたからといって、ここまでバレなかったのはひとえにミヤじいが持てる技術を詰め込んで義足を作ってくれたからなのだ。
そして、そのミヤじいのところへ足繁く通い詰め、頼み込んで弟子入りしたのがレイ従兄様で、リヴィエール辺境騎士団の衛生班で医師を務める傍ら義手や義足のちょっとした調整も担当しており、そのおこぼれにあずかって私もお世話になっていたのである。
ちなみに、医師にしては年齢が若過ぎるとよく疑われるレイ従兄様だが、なんと自ら志願して十二歳の頃から衛生班の医師に師事し、基礎医療、臨床医療、社会医療を学んでいたらしく、十八歳という若さで医師の資格を取得してしまったすごい人なのである。
そのうえ、騎士団や傭兵の皆さんに混じってバキバキに鍛えているものだから、いざという時は剣を取って戦えるというね。なんというか、全方位死角なしみたいな人だなあといつも思う。
思い起こせばリヴィエール辺境領ってこういう類の人たちがごろごろいるところなんだよなあ……と外に出て初めてその特異さを思い知ったよね。こちらでは特待生で頭良いとか言われるけど、あの中にいれば私なんて平凡の極みみたいなものだからね。上には上がいる。それを肝に銘じてこちらでも慢心しないように気をつけよう。
いや、しかし。婚約の事でアシュレイ様に喧嘩売りそうだなあ、とレイ従兄様来たら面倒だとか思っていたけど、こうして義足を抱えて鉄道込みでひと月半もかかる道のりを来てくれたのは本当に感謝しかない。ミヤじいと共に何度感謝しても足りないくらいだ。
深々と頭を下げる。
「レイ従兄様、いつもありがとう。感謝します」
「うん。 ……ところでエメ」
「なに?」
「元気だったか……?」
「ご覧のとおり、毎日楽しく過ごせてるよ」
「そうか。それなら良かった。それにしてもエメが婚約とはね。しかも相手は王子だ、皆、仰天だったぞ」
「あー……、だよねえ。私だってびっくりだったよ」
「なんだそれは。大体、あいつ俺たちに黙ってたんだぞ、特待生試験に受かったら自動的に歳の近い王族の婚約者になるって」
「えっ、それってリュカの事?」
リュカとは、特待生試験の事を教えてくれた私の弟の事だ。正確に言えば私はリヴィエール家の養女なのでリュカは義弟にあたる。歳は三つ下の十二歳だ。
「そのリュカだよ。あいつ、エメが家を出た後でしれっと『そういえば言い忘れてたけど、エメ姉、特待生だからサウスフェリの第二王子と婚約するんじゃないかな』なんてほざきやがったんだぞ。義兄さんも義姉さんも腰抜かしてたからな。あれ、絶対知ってて黙ってたクチだろ」
思い切り顔を顰めて苦々しく言葉を吐き出すレイ従兄様に、私は乾いた笑いを漏らした。
「あー…………、うん、あり得るね……」
試験の時、睡眠不足で朦朧としていたから婚約者云々の情報をてっきり自分が聞き逃していたと思っていたのだけど……うん、ようやく得心が行った。リュカの仕業だわ。あの子、私にも黙ってたな……? 知ったら試験受けないのわかってるから。どうりで資料の読み込みやら必要書類の記入やらに関してやたらと手伝いたがったわけだ。自分が読み上げるから聞いて確認して、とか、自分が代わりに記入しといてやるからエメ姉は勉強してなよ、とか言ってくれるものだから……えー良いの助かる、なんて喜んでお任せしてしまった私だよ。
うわぁ、まんまとしてやられた。
でも、あれだけ事あるごとに王子なんてどいつもこいつも碌なもんじゃない、なんて偏見に塗れた事を言ってる母様に育てられた一人息子が、どうして私を見ず知らずの隣国の第二王子に託そうと思ったんだろう。
まだ子供でリヴィエール領から出た事のない弟だし、接点なんて欠片もないはずなのになあ。
なのに、どうにもこれは事前にアシュレイ様の為人を知っていたとしか思えないのだけど……うーん……あの子、こういう面でちょっと謎めいてるとこあるからなあ……。
まあこの手の謎についてはそういうものかと丸っと受け入れるしかないのだけどね。
それに、弟の人を見る目に関しては確実に信頼出来るから問題ないし、実際アシュレイ様の婚約者になってとても幸せなので、弟にはむしろ感謝を捧げたい。
あっ、そういえば。
隣国へ向けて出発する日の朝、やけに清々しい笑顔で親指立てながら「幸せになれよ!」なんて言ってた……! そういうことだったの!?
ええ~なにそれ。こうなる事がわかってたのか、弟よ。ううむ……やはりあの子は謎だ。
まあでもリュカだしなあ、うん。
弟についてあれこれ思いに耽っていると、レイ従兄様が自嘲めいた笑みを浮かべ、小さく溜め息を吐いた。
「あいつ……何もかもわかってたんだろうな……エメがもし留学しなかったらどうなってたか」
「え……っと……あの方の事?」
「それもあるが……俺の事も織り込み済みだったと思う」
「……」
う……自分で言っちゃうのか、レイ従兄様……。それって、レイ従兄様が私に向ける感情の事だよね……。
気づいたのはいつだったかな。そこまで昔というわけではないのだけど、この時も鈍感じゃない自分を恨めしく思ったものだ。 ……と、そうは言ってもレイ従兄様、俺のなんちゃら発言からもわかる通り、どちらかといえば色々ダダ漏れではあったのだけどね(リヴィエールの特に使用人のみんな、生温かい目で従兄様を見てたもんなあ)。
そんなわけで、巷でよくある恋愛小説だと主人公は恋愛方面に関してはイラッとするくらい他人からの好意に鈍感というのが相場なのだけど、まあヒロインではない私は早々に勘付いてしまったわけだ。
こういう時、己の察しの良さを嘆くよね……なんで気づいちゃったかなあ……、って。
ほんと、なんで気づいちゃったんだろうなあ。
リヴィエール辺境伯領の家は一般的な貴族のカントリーハウスではなく謂わゆる城塞というやつで、いざという時に領民が避難して来る場所でもあるため、家と言っても敷地も含めてその規模はとんでもなく広く、そして大きい。
そんな巨大建造物ではあるものの、言ってみれば同じ屋根の下で暮らしているのだし、リヴィエールの家族は皆仲が良いうえに結束も固く、当然可能な範囲で食事も一同揃ってとるし、家族用のサロンに集まって団欒する事も多かった。なのでレイ従兄様とだって毎日のように顔を合わせ、時間を共にするわけで。そうなると嫌でもわかってしまうんだよね。私に対する言葉や態度と、その他の女性に対する態度がまるで違う事に。
明らかに家族に向けるのとは違うそれに、もう気まずいといったらなかった。
今でもレイ従兄様が私のどこをそんなに好きなのか皆目見当もつかない。いつから好きになったのかも。
レイ従兄様は優しいし頼りがいあるし、まさに非の打ち所がない人だから、従兄様に愛されたらそれはもう幸せになれるだろう事はわかりきっていたのだけれど……結局、どうあっても私は従兄様に対して恋愛感情を持つ事は出来なかった。
なので、弟のリュカがレイ従兄様に関して織り込み済みだったのもそこだろうと思う。
特待生として私を隣国へ留学させる第一目的はあの方から逃れさせるため。そして第二がレイ従兄様と物理的に距離を置くため。レイ従兄様に外堀を埋められて断れない状況になる前に、という事だと思う。
……恋も知らない十二歳がここまで気を回してくれるとか末恐ろしくはあるけれど、ともかく私の知らないところでそんなふうに大切にしてくれる弟よ……本当にありがとう。思えば姉扱いされた事なんてなかった気がするし、世話ばかりかけてごめんよ。
心の中で弟に向けて感謝と謝罪を繰り返していたところへ、レイ従兄様がぽつりと呟く。
「エメを見送った後、リュカの奴が言ってたんだ。『大丈夫。エメ姉はサウスフェリで幸せになるよ』、と」
「……リュカが……」
「それを聞いた時、エメを幸せにするのはお前じゃないと言外に匂わされた気がしたのだが……今日、エメと第二王子を見て本当だったと思い知らされた」
微かに震えて掠れる声。従兄様のこんな声色、聞いた事ない。
「……レイ従兄様……」
「ずっと好きだった。エメが望むなら俺がどこへでも連れて逃げたかった。逃げたくないのならどこまでも守って大事にしたかった。 ――愛してるんだ、エメ」
黒水晶のような漆黒の瞳が、痛いほどに真っ直ぐ私を射抜く。
思わず息を呑んだ。
固く握り込んだ指が、手のひらに食い込むのを感じた。
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