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殿下って不思議ですね
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執行部員全員がいなくなった生徒会室で、私はアシュレイ王子に右隣の小部屋へ促されていた。そこは応接室を兼ねた休憩部屋のような場所で、意外にも簡素な造りの応接用テーブルとソファ、そして窓際に三人は余裕で座れそうなソファがもうひとつ、壁には本棚があって様々な分野の本がぎっしり詰まっている。
ちなみに生徒会室の向かい側にある部屋は生徒会専用の資料室とのこと。
好きなところへ座って、と言われたので、応接用の一人掛けソファに腰をおろす。
待っててね、と言って一旦引っ込んだ王子が、暫くして大きなトレイを抱え、いそいそと戻って来た。
どうやら生徒会室を挟んで左隣の小部屋は給湯室になっているらしく、わざわざ階下へ湯を沸かしに降りなくて済むとのことだった。
私がぽけっとしている間に王子が紅茶のポットやカップ、それに焼き菓子などを次々にテーブルへ並べていく。
あまりの手際の良さに「おお……」と感心して心の中で拍手を贈っていたら、その顔を見た王子が可笑しそうにくすくす笑う。
「それ、どういう顔?」
「えっと……すごいなあって思っている顔……です?」
「ふふ、感心してくれたんだ? 普通はこれをやると、大抵なぜ王子がそんな侍女紛いのことをやるんだって驚かれるんだけどね」
「はあ……まあ、そうでしょうねえ」
「それに、王子にそんなことをさせるなんて畏れ多いって」
「なるほど」
さもありなん。
「エメはそうじゃないんだ?」
「いえ、私もそこまで無邪気でも失礼でもないつもりですが……ただ、」
「うん」
「楽しそうな表情をされていたので、ひょっとして本当にお好きなのかな、と。それに仮に演技だとしても、何らかの理由があるのだろう、と。例えば、私の反応を試しているとか」
返答に王子は目を丸くした。
「そんなこと考えていたの?」
「もし私を試されているのだとして、結果がアシュレイ殿下にとって良くても悪くても私からすればどちらに転んでも構わないなあ、と」
そう言えば、形の良い王子の眉がへにょ、と下がる。
「私との婚約はそんなに嫌……?」
またそんな捨てられた子犬みたいな顔を......極上の美形がそういう顔をするのってちょっとした破壊兵器だと思う。
私は慌てて頭を振った。
「いえ、不敬なのは承知で申し上げれば、決して殿下が嫌なのではなく、婚約自体が青天の霹靂だったもので。なんというか……婚約について知らなかったのは私自身の失態ですから自業自得なのですけど、卒業したら故郷に帰って就職するのが人生の目標だったので……正直なところ、入学早々梯子を外されてしまって困惑しているというか、新しい道を進むことにまだ気後れしているというか……つまり情けないほど覚悟が出来ていないし心がついて行かないのです」
頭では理解しているのだけれど。卒業を心待ちにしているであろう家族や親戚たちの顔が浮かんで、故郷に帰りたい気持ちが何度もぶり返す。
申し訳ない気持ちで苦笑すると、王子が瞠目した。
「では……私が嫌ではない……?」
「はい」
「初対面で揶揄ったり抱き締めたりしたのに?」
「本気で気持ち悪かったらたとえ相手が王子だろうと速攻で殴りま……いえ、さすがに殴れませんが……でもたとえ殴れなくとも声を上げます。もし文字通り声を上げられないなら、なんらかの手段で上げます」
「速攻で殴る。 ……そういえば今朝もそう言ってたね。いや、そもそも今朝の無礼をきちんと謝っていなかったね。なんの説明も了承もなしに君を巻き込み、あまつさえ許されてもいないのに恋人のように触れてしまって本当に申し訳なかった」
深々と頭を下げて謝罪されたので、思いきり慌てた。
「謝罪を受け入れます。ですからどうか頭をお上げください……!」
そう言ったのに、なかなか上げてくれないのでもう一度強めに言ったらようやく頭を上げてくれた。
いやもう、王族に頭を下げられるなんて変な汗が出るってば。
「事情がおありだろうことは察していますので、お気になさらず。 ――牽制ですか?」
王子が目を丸くした後、苦笑する。
「さすが特待生になれるだけあって察しが早い。エメの言う通りで、少し釘を刺しておきたい相手がいてね」
「なるほど、だとすれば迅速な行動ですね。それほど油断出来ない相手、ということでしょうか」
小首を傾げれば、ますます王子の苦笑は深くなった。
「本当に君は察するね。子供の頃からエメがそばにいてくれていたら良かったのになあ」
「恐縮です」
「その相手についても説明しておきたいんだけど、かなり長くなるから……そうだね、話は明日、今日みたいに生徒会が終わってからにでもしようか」
「承知しました」
しっかり頷けば、うん、と頷き返された。と思ったら、すぐに王子の眉がへにょりと下がってまた子犬になる。
「けど、 ……エメは私に触れられて本当に不快ではなかった? 私が王子だから言うに言えないということは……」
「いえ、本当に嫌ではなかったので。そういうことがあった場合、たとえ相手が誰であろうと屈せず声を上げろと幼い頃より両親から叩き込まれていますので、泣き寝入りでは決してないです。ご安心ください」
そう言うと、王子はようやく安堵の息を漏らした。
「そうか……。それなら良かった……。とはいえ、君だから良かっただけだから反省だけど」
「そのあたりは大丈夫か否か、きちんと見極めておられるように感じましたが」
「……君は、本当に……。そう言ってもらえてありがたいけど、 ……いや、それに甘えないようにしておくよ」
苦笑も先程よりは柔らかい。
アシュレイ王子は思った以上に誠実で真面目な人となりのようだ。外見は途轍もない美形なのに、内面は常識的で感覚が至って普通というか。
とはいえ美形がおしなべて非常識で性格悪いわけではないから、こういうふうに考えるのは失礼なのだろうけど。
けれど貴族社会の特殊さの中で、ましてやアシュレイ王子は貴族社会の頂点にある王族なのだ、一般的な家庭に比べればその特殊さは明らかだし、ゆえにその中にあっての普通がいかに得難い資質か、と考えれば王子にして稀有な存在なのかもしれない。
そんな常識的な感覚を持つ王子が普段ならやりそうにもないことをした、ということは、つまり今朝の言動はよほど切迫してのことだったのだろう。
なら、誠実で真面目な王子様の罪悪感を少しは軽減させられるかな。
「殿下、ひとつ私の話を聞いてくださいますか?」
「もちろん聞くけど、急にどうしたの?」
「……私は、実は男性に触れられるのが少し苦手でして」
「……っ!?」
瞠目し、息を呑んだ王子の顔がみるみる青褪めていく。
「ああ、そんな顔をしないでください。何度も言いますように殿下に触れられても大丈夫なのですから」
「けれど……私はそんな君になんという無体を……」
「いえ、だからそういうことを言いたかったわけではなく。つまり、男性に触れられるのが少々苦手な私ですが、なぜか殿下は大丈夫なんですよ。だからそんなに気負う必要はありません、とそう言いたかったのです。 ……そう考えると殿下って不思議ですね」
「え、不思議? なぜ?」
「上手く言えないのですが……触れられた時、違和感を感じなかったというか......しっくりくる……? うーん、すみません、やはりまだこれという適切な言葉が見つからないですね」
「……っ、そっか……しっくり……うん、そっかあ」
今度こそ安心したようで、ふにゃ、と嬉しそうに微笑んだアシュレイ王子は手ずから紅茶をカップに注ぐと私の目の前にそれを置いてくれた。流れるように手慣れた動きだった。そしてそのふにゃっとした笑顔は反則だと思います。
思わず見惚れちゃったじゃないか。
ちなみに生徒会室の向かい側にある部屋は生徒会専用の資料室とのこと。
好きなところへ座って、と言われたので、応接用の一人掛けソファに腰をおろす。
待っててね、と言って一旦引っ込んだ王子が、暫くして大きなトレイを抱え、いそいそと戻って来た。
どうやら生徒会室を挟んで左隣の小部屋は給湯室になっているらしく、わざわざ階下へ湯を沸かしに降りなくて済むとのことだった。
私がぽけっとしている間に王子が紅茶のポットやカップ、それに焼き菓子などを次々にテーブルへ並べていく。
あまりの手際の良さに「おお……」と感心して心の中で拍手を贈っていたら、その顔を見た王子が可笑しそうにくすくす笑う。
「それ、どういう顔?」
「えっと……すごいなあって思っている顔……です?」
「ふふ、感心してくれたんだ? 普通はこれをやると、大抵なぜ王子がそんな侍女紛いのことをやるんだって驚かれるんだけどね」
「はあ……まあ、そうでしょうねえ」
「それに、王子にそんなことをさせるなんて畏れ多いって」
「なるほど」
さもありなん。
「エメはそうじゃないんだ?」
「いえ、私もそこまで無邪気でも失礼でもないつもりですが……ただ、」
「うん」
「楽しそうな表情をされていたので、ひょっとして本当にお好きなのかな、と。それに仮に演技だとしても、何らかの理由があるのだろう、と。例えば、私の反応を試しているとか」
返答に王子は目を丸くした。
「そんなこと考えていたの?」
「もし私を試されているのだとして、結果がアシュレイ殿下にとって良くても悪くても私からすればどちらに転んでも構わないなあ、と」
そう言えば、形の良い王子の眉がへにょ、と下がる。
「私との婚約はそんなに嫌……?」
またそんな捨てられた子犬みたいな顔を......極上の美形がそういう顔をするのってちょっとした破壊兵器だと思う。
私は慌てて頭を振った。
「いえ、不敬なのは承知で申し上げれば、決して殿下が嫌なのではなく、婚約自体が青天の霹靂だったもので。なんというか……婚約について知らなかったのは私自身の失態ですから自業自得なのですけど、卒業したら故郷に帰って就職するのが人生の目標だったので……正直なところ、入学早々梯子を外されてしまって困惑しているというか、新しい道を進むことにまだ気後れしているというか……つまり情けないほど覚悟が出来ていないし心がついて行かないのです」
頭では理解しているのだけれど。卒業を心待ちにしているであろう家族や親戚たちの顔が浮かんで、故郷に帰りたい気持ちが何度もぶり返す。
申し訳ない気持ちで苦笑すると、王子が瞠目した。
「では……私が嫌ではない……?」
「はい」
「初対面で揶揄ったり抱き締めたりしたのに?」
「本気で気持ち悪かったらたとえ相手が王子だろうと速攻で殴りま……いえ、さすがに殴れませんが……でもたとえ殴れなくとも声を上げます。もし文字通り声を上げられないなら、なんらかの手段で上げます」
「速攻で殴る。 ……そういえば今朝もそう言ってたね。いや、そもそも今朝の無礼をきちんと謝っていなかったね。なんの説明も了承もなしに君を巻き込み、あまつさえ許されてもいないのに恋人のように触れてしまって本当に申し訳なかった」
深々と頭を下げて謝罪されたので、思いきり慌てた。
「謝罪を受け入れます。ですからどうか頭をお上げください……!」
そう言ったのに、なかなか上げてくれないのでもう一度強めに言ったらようやく頭を上げてくれた。
いやもう、王族に頭を下げられるなんて変な汗が出るってば。
「事情がおありだろうことは察していますので、お気になさらず。 ――牽制ですか?」
王子が目を丸くした後、苦笑する。
「さすが特待生になれるだけあって察しが早い。エメの言う通りで、少し釘を刺しておきたい相手がいてね」
「なるほど、だとすれば迅速な行動ですね。それほど油断出来ない相手、ということでしょうか」
小首を傾げれば、ますます王子の苦笑は深くなった。
「本当に君は察するね。子供の頃からエメがそばにいてくれていたら良かったのになあ」
「恐縮です」
「その相手についても説明しておきたいんだけど、かなり長くなるから……そうだね、話は明日、今日みたいに生徒会が終わってからにでもしようか」
「承知しました」
しっかり頷けば、うん、と頷き返された。と思ったら、すぐに王子の眉がへにょりと下がってまた子犬になる。
「けど、 ……エメは私に触れられて本当に不快ではなかった? 私が王子だから言うに言えないということは……」
「いえ、本当に嫌ではなかったので。そういうことがあった場合、たとえ相手が誰であろうと屈せず声を上げろと幼い頃より両親から叩き込まれていますので、泣き寝入りでは決してないです。ご安心ください」
そう言うと、王子はようやく安堵の息を漏らした。
「そうか……。それなら良かった……。とはいえ、君だから良かっただけだから反省だけど」
「そのあたりは大丈夫か否か、きちんと見極めておられるように感じましたが」
「……君は、本当に……。そう言ってもらえてありがたいけど、 ……いや、それに甘えないようにしておくよ」
苦笑も先程よりは柔らかい。
アシュレイ王子は思った以上に誠実で真面目な人となりのようだ。外見は途轍もない美形なのに、内面は常識的で感覚が至って普通というか。
とはいえ美形がおしなべて非常識で性格悪いわけではないから、こういうふうに考えるのは失礼なのだろうけど。
けれど貴族社会の特殊さの中で、ましてやアシュレイ王子は貴族社会の頂点にある王族なのだ、一般的な家庭に比べればその特殊さは明らかだし、ゆえにその中にあっての普通がいかに得難い資質か、と考えれば王子にして稀有な存在なのかもしれない。
そんな常識的な感覚を持つ王子が普段ならやりそうにもないことをした、ということは、つまり今朝の言動はよほど切迫してのことだったのだろう。
なら、誠実で真面目な王子様の罪悪感を少しは軽減させられるかな。
「殿下、ひとつ私の話を聞いてくださいますか?」
「もちろん聞くけど、急にどうしたの?」
「……私は、実は男性に触れられるのが少し苦手でして」
「……っ!?」
瞠目し、息を呑んだ王子の顔がみるみる青褪めていく。
「ああ、そんな顔をしないでください。何度も言いますように殿下に触れられても大丈夫なのですから」
「けれど……私はそんな君になんという無体を……」
「いえ、だからそういうことを言いたかったわけではなく。つまり、男性に触れられるのが少々苦手な私ですが、なぜか殿下は大丈夫なんですよ。だからそんなに気負う必要はありません、とそう言いたかったのです。 ……そう考えると殿下って不思議ですね」
「え、不思議? なぜ?」
「上手く言えないのですが……触れられた時、違和感を感じなかったというか......しっくりくる……? うーん、すみません、やはりまだこれという適切な言葉が見つからないですね」
「……っ、そっか……しっくり……うん、そっかあ」
今度こそ安心したようで、ふにゃ、と嬉しそうに微笑んだアシュレイ王子は手ずから紅茶をカップに注ぐと私の目の前にそれを置いてくれた。流れるように手慣れた動きだった。そしてそのふにゃっとした笑顔は反則だと思います。
思わず見惚れちゃったじゃないか。
応援ありがとうございます!
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