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08 艦上生活 2
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黙々と書類仕事をするディートハルトの傍でぼんやりと本を眺めていると、バルツァーがやって来た。
「殿下、そろそろ艦橋に行かれる時間ですよ。その間、少しアリサ殿とお話をしたいのですが」
「もうそんな時間か。……まぁバルツァーならいいけど、アリサに変な事吹き込むなよ?」
「変な事とは? 殿下の子供時代の話でもしましようか?」
「後で何をされてもいい覚悟があるなら話せばいいよ」
ディートハルトの口元は笑っているが、目は笑っていなかった。
「それは穏やかではない。致しませんよ。私も命は惜しいですからね。アリサ殿にはテラの歴史をお聞きしたい。それに、こちらのことも少しずつ教えていくおつもりでしたよね?」
「ああ、そっち? そうだね、奴隷に教育を与えるのも主の義務だ。よろしく頼む」
「寵姫にされると聞いて、艦長も是非挨拶したいと申しておりました。後ほどお時間を作っていただきたいとの事です」
「……そうだね、艦長には引き合わせておかないとね」
ディートハルトは面倒そうな顔をしながら答えた。
言われてみれば、ここに来てからまともに顔を合わせたのは、ディートハルトとバルツァーだけである。
「……そろそろ行ってくるよ。アリサ、バルツァーに色々教えて貰うといい」
気怠そうな仕草で立ち上がると、ディートハルトは執務室を出て行った。
「さて、お茶でも入れましょうか」
ディートハルトが去って行くのを見送ってから、バルツァーは、勝手知ったるとばかりに執務室の戸棚を開け、ティーセットを取り出した。
「宜しければアリサ殿も覚えてみますか? 殿下のご機嫌伺いに使えますよ?」
「奴隷だから媚びておけって言うんですか?」
「思う所があるのは存じますが、それも賢い処世術というものです」
「……バルツァーさん、何か態度が変わってませんか? 前はもっと、なんて言うか……そんなに丁寧じゃなかったですよね、話し方」
有紗はバルツァーの態度の変化に眉を顰めた。
すると、バルツァーはふっと笑う。
「アリサ殿の事は殿下が寵姫にすると明言されましたからね。これは八位貴族相当の地位に当たります。奴隷の立ち位置というものは、誰が主なのか、また、主からの処遇のされ方で変わるものなんですよ。……そうですね、今日はこの国の身分制度についてお話しましょうか」
そう言いながらバルツァーはティーポットの上に手を翳した。
手の平が光り、光が次の瞬間にはお湯に変わり、ポットに注がれていく。
「お茶って魔法で淹れるんですか? それじゃ私には出来ないですよね?」
「そうですね、お湯だけは殿下に準備していただく必要がございますね」
思わず突っ込むと、事も無げに言われた。
「こちらに準備しております茶葉は殿下が特に好んで飲まれている銘柄のものです。八十度くらいのお湯で淹れるのがいいので、一度カップに移して冷ましてください。こうするとカップも温まりますからね」
まるで日本茶みたいな淹れ方をするお茶だ。
「一度に淹れる茶葉はこれくらい。冷ましたお湯をポットに戻したら、蓋をして、ティーコジーを被せます。そして、この砂時計の砂が落ちきるまで蒸らせば完成です」
「……いい香り」
オレンジに似た柑橘系の匂いが部屋中に立ち込める。時間にして二、三分だろうか。砂時計の砂が落ちきったタイミングでバルツァーはポットのお茶を注いで有紗にサーブしてくれた。
「美味しいです」
一口含むと、柑橘系の香りが付いた紅茶に似た味がした。でも紅茶よりももっと甘みがある。
「気に入っていただけて何よりです。殿下にも是非淹れて差し上げてください」
そう言いながらバルツァーは、有紗の向かいのソファに腰掛けた。
「さて、早速ですが、この国の身分制度のお話をしましょうか。テラでは身分制度のない国が多いんですよね?」
「はい。私の住んでいる国でもそうでした」
「宜しければ祖国の国名をお伺いしても?」
「日本です」
「ニホン」
バルツァーはニホン、ニホンと呟くと、手持ちのメモに何かを書きとめた。恐らく国名を書いたのだろう。
「ニホンの事は後ほどまたお伺いするとして……この国には、魔力の多寡を基準とした厳しい身分制度がございます。何故ならこちらの世界の生活は、魔力がなければ立ち行かないからです。魔力とは武力であり、様々な道具を動かす動力でもあり……土地を富ませる源でもあるからです」
「土地を……?」
「はい。大地に関わる魔術は、王家の出身者の中でも、特別な神器を継承した者だけが扱える特別な魔術となります。そして、我が国の王が絶対君主として君臨し続ける理由でもある。王族、というのは血統的に特別で、貴族よりも一段階高い魔力を持って生まれてこられますが、それ以上に、地脈に魔力を注ぎ、地力を高める特別な祭祀を行う能力を持つ最高位の聖職者でもいらっしゃるのです」
「へえ……ディートハルト殿下もそうなんですか?」
「勿論です。殿下は特に歴代の王族の中でも規格外の魔力量をお持ちです」
バルツァーは一旦ここで言葉を切った。
「人間の持つ魔力量は瞳の赤さに比例します。強ければ強いほど赤く、一方で魔力の弱い者の瞳は青みが増します。これは、魔力をこの地にもたらすとされる赤い月の加護の差と言われております」
これはもう既に有紗も知っている。混じり気のない深紅の瞳を持つディートハルトは、自分で自分の魔力量が規格外だと言っていた。
「生まれ持った魔力は生涯変動する事はございません。この魔力量によって、貴族に生まれたものは、成人年齢の十六歳に達すると王より一位から八位の階級を与えられます。生来の魔力量が少なければ、例え生まれが貴族であっても平民という扱いになります。逆に平民の間に生まれた魔力の高いものに関しては、その者の生まれた家の環境や運によって貴族になるかどうかが決まります」
「どういう事ですか?」
「貴き平民、と呼ばれる元貴族家系に生まれた平民の場合は高確率で元の本家に引き取られ、貴族認定を受ける事ができます。裕福な平民に生まれた者も、親の伝手で養子として迎えられる事が多いですね。しかし、貧しい平民の場合は、奴隷として売られ、高級娼婦や軍奴とされる者も少なくありません。こちらは運次第、という事になりますね。魔力の高い子供は高値で取引されますから」
「高い魔力を持って生まれても、貴族家系に生まれるか、貴族家系の養子にならない限り、貴族にはなれない、という事ですか?」
「ええ、その通りです。ちなみに殿下は一位貴族、私は三位貴族です。一位は慣例的に王族に与えられる階級になりますので、二、三位は上位、三から五位は中位、六位以下は下位貴族として扱われます」
(ヨーロッパっぽいのに爵位じゃなくて一位二位って、平安時代の貴族みたい)
「貴族は王から賜った位階に応じて、奉魔の義務、というものを負います。こちらをご覧頂けますか?」
そう言って、バルツァーは軍服の右袖を捲った。
そこには数珠状のブレスレットが付けられている。
ブレスレットは三分の二程は赤く、残りは透明な石で出来ていた。
「これは、魔水晶と呼ばれる魔力を蓄積する特殊な石で出来ております。透明なものは空で、魔力を込めると赤く変色します。我々貴族は、位階に応じた量の魔水晶に魔力を込めて、国に納めなければなりません」
そう言ってバルツァーはブレスレットを撫でた。
「国に納めた魔水晶は、国王陛下が地脈に魔力を注ぐ祭祀の際に使用されています。王侯貴族の総合的な魔力量は国力に繋がります」
「こちらでは、魔力次第で人生が決まってしまうんですね……」
「残念ながらその通りです」
有紗の言葉にバルツァーは頷いた。
この国では、王の権力が思っていたよりも強い。
政治の頂点であると同時に祭祀の頂点でもあるという辺り、昔の日本の天皇や、古代エジプトのファラオみたいだ。
「この国の王は、神器を神より賜った特別な存在です。そのため、行政、軍事、政治における権限と財政は、王の下に一元化されていて、貴族は王の任命を受けて政に関わっています」
奈良時代や平安時代の日本……というよりは、明治から戦前の日本が近いような気がした。
飛行船や車、二十世紀初頭のヨーロッパ的な街並みがその印象を強めている。
「この国の権力は、王を頂点とした階層構造になっています。王の下に貴族があり、貴族の下に平民がいる。奴隷は、その枠組みから逸脱し、市民権を手放した状態の者の事を言います」
奴隷制度の説明が始まった。有紗は背筋を正した。
「戦争捕虜、犯罪者、そして、貧しさのあまり身売りした者、そのような者達が市民権を喪った結果が奴隷です。テラ・レイスであるあなたの場合、そもそもの市民権がないため、一番最初によほど人のいい人間に拾われない限り奴隷にされてしまいますね。希少な体質の為高値で売れますから」
「魔力を通さないから、ですか?」
「ええ。魔力相性や魔力量という制約の為、満たされない生活を送っている貴族というのは案外多いのですよ。ですから、テラ・レイスの場合、容姿、性別、見た目に関係なく、愛玩用の性奴隷にされる事が多いですね。そもそも生活魔法さえ使えないので、労役にも軍務にも不向きです」
改めて言われると、理不尽に身体が震えた。
「あなたの境遇には正直同情いたしますが、フレンクベルクの奴隷はまだ待遇がいい方ですよ。一定の福祉と人権が法律によって認められていますから。また、この国で信仰されている神は、奴隷に教育を施した上で解放することは善行であると説いています。他国では耐久消費財として奴隷を扱う国もあると言いますからね」
「どういう事ですか」
「奴隷と一口に言っても主人次第なところがありましてね……王侯貴族に買われた奴隷の場合、自分自身の才覚で市民権を再び取り戻し、官吏や軍人として身を立てる事も可能という事です。女奴隷であれば主人の子を孕めば妻として正式に娶られる。あなたもそうですよ。殿下が寵姫に迎えると宣言されましたから、いきなり大出世です」
「……王子様の愛人になったからですか」
「ディートハルト殿下、です。口の利き方に気を付けなさい。不敬と取られますよ」
「…………」
「第二王子殿下の寵姫というのはそれだけの地位です。いずれあなたにはきちんとした行儀作法の教師を付けなくてはならないでしょうね。あなたが無作法な振る舞いをすれば殿下の品位が落ちますから」
「……好きで私はここにいる訳じゃないです」
「あなたは幸運なんですよ。殿下を主とすることが出来たのですから。それとも娼館に売られて、不特定多数の貴族に股を開くほうが良かったですか?」
バルツァーに指摘され、ぐっと有紗は押し黙った。
幸運だという事は自分でもわかっている。戻れないなら、ディートハルトの寵愛を失わない様媚びるしかない事も。
この国の奴隷制度は、虐待と酷使の歴史を持つアメリカの黒人奴隷よりは、アラブの奴隷制度に似ている。アラブの奴隷は、マムルークと呼ばれる軍人として活躍したり、スルタンの母となって後宮の女主人に上り詰めた者もいたはずだ。
「……少しいじめ過ぎましたね。身分制度のお話はこれくらいに致しましょう。あなたには、個人的に質問したい事が沢山ありますので」
「……何でしょうか」
「まずはこちらを見ていただけますか?」
そう言ってバルツァーは、持参していた本のある一ページを開いてこちらに見せてきた。
「これは、世界地図、ですか……?」
かなり不恰好でいい加減だが、それは、アメリカ大陸を中心に書かれた地球の世界地図だった。
「約五十年前にこちらに来られ、現在王都にいらっしゃるテラ・レイス、ロゼッタ妃からの聞き取りを元に作成した世界地図ですよ」
有紗は目を見張った。
街に買い物に行った日、ディートハルトは王都にテラ・レイスが居ると言っていた。きっとその人の事だ。
「ロゼッタ妃は殿下の大叔父上……先王の弟君にあたるマクシミリアン殿下の寵姫で、長年の献身より妃の称号を与えられた方です」
バルツァーにより明かされたテラ・レイスの先達の現在に、有紗は少なからず衝撃を受けていた。
この世界での地球人はやはり権力者の囲われ者なのだ。
「ロゼッタ妃はここ、アメリカ合衆国の出身だと仰っていました」
「アメリカの人なんですか!?」
言われてみれば、地図には英語でざっくりと世界中の国名が記載されている。
と言っても、全体的にかなり適当なのは、彼女の記憶があやふやだからだろう。アフリカ大陸にはエジプトしか書かれていないし、ヨーロッパも西欧の主要諸国以外は適当だ。ロシアはソビエト連邦になっているところにも時代を感じる。
「アリサ殿にはこの地図を出来る範囲でいいので補完して頂きたい。こちらでもテラの研究というのがされていましてね。その史料として使わせていただきます」
バルツァーはそう言うと、鉛筆と消しゴムを渡してきた。
「こっちにもあるんですね、鉛筆と消しゴム……」
「隣国のテラ・レイスの聞き取りを元に作られたものですよ。テラ・レイスの知識は未知の発見の宝庫です。歴史を学ばれていたというアリサ殿の知識にも私は大いに期待しておりますよ」
そう言ってバルツァーはにっこりと笑った。
「殿下、そろそろ艦橋に行かれる時間ですよ。その間、少しアリサ殿とお話をしたいのですが」
「もうそんな時間か。……まぁバルツァーならいいけど、アリサに変な事吹き込むなよ?」
「変な事とは? 殿下の子供時代の話でもしましようか?」
「後で何をされてもいい覚悟があるなら話せばいいよ」
ディートハルトの口元は笑っているが、目は笑っていなかった。
「それは穏やかではない。致しませんよ。私も命は惜しいですからね。アリサ殿にはテラの歴史をお聞きしたい。それに、こちらのことも少しずつ教えていくおつもりでしたよね?」
「ああ、そっち? そうだね、奴隷に教育を与えるのも主の義務だ。よろしく頼む」
「寵姫にされると聞いて、艦長も是非挨拶したいと申しておりました。後ほどお時間を作っていただきたいとの事です」
「……そうだね、艦長には引き合わせておかないとね」
ディートハルトは面倒そうな顔をしながら答えた。
言われてみれば、ここに来てからまともに顔を合わせたのは、ディートハルトとバルツァーだけである。
「……そろそろ行ってくるよ。アリサ、バルツァーに色々教えて貰うといい」
気怠そうな仕草で立ち上がると、ディートハルトは執務室を出て行った。
「さて、お茶でも入れましょうか」
ディートハルトが去って行くのを見送ってから、バルツァーは、勝手知ったるとばかりに執務室の戸棚を開け、ティーセットを取り出した。
「宜しければアリサ殿も覚えてみますか? 殿下のご機嫌伺いに使えますよ?」
「奴隷だから媚びておけって言うんですか?」
「思う所があるのは存じますが、それも賢い処世術というものです」
「……バルツァーさん、何か態度が変わってませんか? 前はもっと、なんて言うか……そんなに丁寧じゃなかったですよね、話し方」
有紗はバルツァーの態度の変化に眉を顰めた。
すると、バルツァーはふっと笑う。
「アリサ殿の事は殿下が寵姫にすると明言されましたからね。これは八位貴族相当の地位に当たります。奴隷の立ち位置というものは、誰が主なのか、また、主からの処遇のされ方で変わるものなんですよ。……そうですね、今日はこの国の身分制度についてお話しましょうか」
そう言いながらバルツァーはティーポットの上に手を翳した。
手の平が光り、光が次の瞬間にはお湯に変わり、ポットに注がれていく。
「お茶って魔法で淹れるんですか? それじゃ私には出来ないですよね?」
「そうですね、お湯だけは殿下に準備していただく必要がございますね」
思わず突っ込むと、事も無げに言われた。
「こちらに準備しております茶葉は殿下が特に好んで飲まれている銘柄のものです。八十度くらいのお湯で淹れるのがいいので、一度カップに移して冷ましてください。こうするとカップも温まりますからね」
まるで日本茶みたいな淹れ方をするお茶だ。
「一度に淹れる茶葉はこれくらい。冷ましたお湯をポットに戻したら、蓋をして、ティーコジーを被せます。そして、この砂時計の砂が落ちきるまで蒸らせば完成です」
「……いい香り」
オレンジに似た柑橘系の匂いが部屋中に立ち込める。時間にして二、三分だろうか。砂時計の砂が落ちきったタイミングでバルツァーはポットのお茶を注いで有紗にサーブしてくれた。
「美味しいです」
一口含むと、柑橘系の香りが付いた紅茶に似た味がした。でも紅茶よりももっと甘みがある。
「気に入っていただけて何よりです。殿下にも是非淹れて差し上げてください」
そう言いながらバルツァーは、有紗の向かいのソファに腰掛けた。
「さて、早速ですが、この国の身分制度のお話をしましょうか。テラでは身分制度のない国が多いんですよね?」
「はい。私の住んでいる国でもそうでした」
「宜しければ祖国の国名をお伺いしても?」
「日本です」
「ニホン」
バルツァーはニホン、ニホンと呟くと、手持ちのメモに何かを書きとめた。恐らく国名を書いたのだろう。
「ニホンの事は後ほどまたお伺いするとして……この国には、魔力の多寡を基準とした厳しい身分制度がございます。何故ならこちらの世界の生活は、魔力がなければ立ち行かないからです。魔力とは武力であり、様々な道具を動かす動力でもあり……土地を富ませる源でもあるからです」
「土地を……?」
「はい。大地に関わる魔術は、王家の出身者の中でも、特別な神器を継承した者だけが扱える特別な魔術となります。そして、我が国の王が絶対君主として君臨し続ける理由でもある。王族、というのは血統的に特別で、貴族よりも一段階高い魔力を持って生まれてこられますが、それ以上に、地脈に魔力を注ぎ、地力を高める特別な祭祀を行う能力を持つ最高位の聖職者でもいらっしゃるのです」
「へえ……ディートハルト殿下もそうなんですか?」
「勿論です。殿下は特に歴代の王族の中でも規格外の魔力量をお持ちです」
バルツァーは一旦ここで言葉を切った。
「人間の持つ魔力量は瞳の赤さに比例します。強ければ強いほど赤く、一方で魔力の弱い者の瞳は青みが増します。これは、魔力をこの地にもたらすとされる赤い月の加護の差と言われております」
これはもう既に有紗も知っている。混じり気のない深紅の瞳を持つディートハルトは、自分で自分の魔力量が規格外だと言っていた。
「生まれ持った魔力は生涯変動する事はございません。この魔力量によって、貴族に生まれたものは、成人年齢の十六歳に達すると王より一位から八位の階級を与えられます。生来の魔力量が少なければ、例え生まれが貴族であっても平民という扱いになります。逆に平民の間に生まれた魔力の高いものに関しては、その者の生まれた家の環境や運によって貴族になるかどうかが決まります」
「どういう事ですか?」
「貴き平民、と呼ばれる元貴族家系に生まれた平民の場合は高確率で元の本家に引き取られ、貴族認定を受ける事ができます。裕福な平民に生まれた者も、親の伝手で養子として迎えられる事が多いですね。しかし、貧しい平民の場合は、奴隷として売られ、高級娼婦や軍奴とされる者も少なくありません。こちらは運次第、という事になりますね。魔力の高い子供は高値で取引されますから」
「高い魔力を持って生まれても、貴族家系に生まれるか、貴族家系の養子にならない限り、貴族にはなれない、という事ですか?」
「ええ、その通りです。ちなみに殿下は一位貴族、私は三位貴族です。一位は慣例的に王族に与えられる階級になりますので、二、三位は上位、三から五位は中位、六位以下は下位貴族として扱われます」
(ヨーロッパっぽいのに爵位じゃなくて一位二位って、平安時代の貴族みたい)
「貴族は王から賜った位階に応じて、奉魔の義務、というものを負います。こちらをご覧頂けますか?」
そう言って、バルツァーは軍服の右袖を捲った。
そこには数珠状のブレスレットが付けられている。
ブレスレットは三分の二程は赤く、残りは透明な石で出来ていた。
「これは、魔水晶と呼ばれる魔力を蓄積する特殊な石で出来ております。透明なものは空で、魔力を込めると赤く変色します。我々貴族は、位階に応じた量の魔水晶に魔力を込めて、国に納めなければなりません」
そう言ってバルツァーはブレスレットを撫でた。
「国に納めた魔水晶は、国王陛下が地脈に魔力を注ぐ祭祀の際に使用されています。王侯貴族の総合的な魔力量は国力に繋がります」
「こちらでは、魔力次第で人生が決まってしまうんですね……」
「残念ながらその通りです」
有紗の言葉にバルツァーは頷いた。
この国では、王の権力が思っていたよりも強い。
政治の頂点であると同時に祭祀の頂点でもあるという辺り、昔の日本の天皇や、古代エジプトのファラオみたいだ。
「この国の王は、神器を神より賜った特別な存在です。そのため、行政、軍事、政治における権限と財政は、王の下に一元化されていて、貴族は王の任命を受けて政に関わっています」
奈良時代や平安時代の日本……というよりは、明治から戦前の日本が近いような気がした。
飛行船や車、二十世紀初頭のヨーロッパ的な街並みがその印象を強めている。
「この国の権力は、王を頂点とした階層構造になっています。王の下に貴族があり、貴族の下に平民がいる。奴隷は、その枠組みから逸脱し、市民権を手放した状態の者の事を言います」
奴隷制度の説明が始まった。有紗は背筋を正した。
「戦争捕虜、犯罪者、そして、貧しさのあまり身売りした者、そのような者達が市民権を喪った結果が奴隷です。テラ・レイスであるあなたの場合、そもそもの市民権がないため、一番最初によほど人のいい人間に拾われない限り奴隷にされてしまいますね。希少な体質の為高値で売れますから」
「魔力を通さないから、ですか?」
「ええ。魔力相性や魔力量という制約の為、満たされない生活を送っている貴族というのは案外多いのですよ。ですから、テラ・レイスの場合、容姿、性別、見た目に関係なく、愛玩用の性奴隷にされる事が多いですね。そもそも生活魔法さえ使えないので、労役にも軍務にも不向きです」
改めて言われると、理不尽に身体が震えた。
「あなたの境遇には正直同情いたしますが、フレンクベルクの奴隷はまだ待遇がいい方ですよ。一定の福祉と人権が法律によって認められていますから。また、この国で信仰されている神は、奴隷に教育を施した上で解放することは善行であると説いています。他国では耐久消費財として奴隷を扱う国もあると言いますからね」
「どういう事ですか」
「奴隷と一口に言っても主人次第なところがありましてね……王侯貴族に買われた奴隷の場合、自分自身の才覚で市民権を再び取り戻し、官吏や軍人として身を立てる事も可能という事です。女奴隷であれば主人の子を孕めば妻として正式に娶られる。あなたもそうですよ。殿下が寵姫に迎えると宣言されましたから、いきなり大出世です」
「……王子様の愛人になったからですか」
「ディートハルト殿下、です。口の利き方に気を付けなさい。不敬と取られますよ」
「…………」
「第二王子殿下の寵姫というのはそれだけの地位です。いずれあなたにはきちんとした行儀作法の教師を付けなくてはならないでしょうね。あなたが無作法な振る舞いをすれば殿下の品位が落ちますから」
「……好きで私はここにいる訳じゃないです」
「あなたは幸運なんですよ。殿下を主とすることが出来たのですから。それとも娼館に売られて、不特定多数の貴族に股を開くほうが良かったですか?」
バルツァーに指摘され、ぐっと有紗は押し黙った。
幸運だという事は自分でもわかっている。戻れないなら、ディートハルトの寵愛を失わない様媚びるしかない事も。
この国の奴隷制度は、虐待と酷使の歴史を持つアメリカの黒人奴隷よりは、アラブの奴隷制度に似ている。アラブの奴隷は、マムルークと呼ばれる軍人として活躍したり、スルタンの母となって後宮の女主人に上り詰めた者もいたはずだ。
「……少しいじめ過ぎましたね。身分制度のお話はこれくらいに致しましょう。あなたには、個人的に質問したい事が沢山ありますので」
「……何でしょうか」
「まずはこちらを見ていただけますか?」
そう言ってバルツァーは、持参していた本のある一ページを開いてこちらに見せてきた。
「これは、世界地図、ですか……?」
かなり不恰好でいい加減だが、それは、アメリカ大陸を中心に書かれた地球の世界地図だった。
「約五十年前にこちらに来られ、現在王都にいらっしゃるテラ・レイス、ロゼッタ妃からの聞き取りを元に作成した世界地図ですよ」
有紗は目を見張った。
街に買い物に行った日、ディートハルトは王都にテラ・レイスが居ると言っていた。きっとその人の事だ。
「ロゼッタ妃は殿下の大叔父上……先王の弟君にあたるマクシミリアン殿下の寵姫で、長年の献身より妃の称号を与えられた方です」
バルツァーにより明かされたテラ・レイスの先達の現在に、有紗は少なからず衝撃を受けていた。
この世界での地球人はやはり権力者の囲われ者なのだ。
「ロゼッタ妃はここ、アメリカ合衆国の出身だと仰っていました」
「アメリカの人なんですか!?」
言われてみれば、地図には英語でざっくりと世界中の国名が記載されている。
と言っても、全体的にかなり適当なのは、彼女の記憶があやふやだからだろう。アフリカ大陸にはエジプトしか書かれていないし、ヨーロッパも西欧の主要諸国以外は適当だ。ロシアはソビエト連邦になっているところにも時代を感じる。
「アリサ殿にはこの地図を出来る範囲でいいので補完して頂きたい。こちらでもテラの研究というのがされていましてね。その史料として使わせていただきます」
バルツァーはそう言うと、鉛筆と消しゴムを渡してきた。
「こっちにもあるんですね、鉛筆と消しゴム……」
「隣国のテラ・レイスの聞き取りを元に作られたものですよ。テラ・レイスの知識は未知の発見の宝庫です。歴史を学ばれていたというアリサ殿の知識にも私は大いに期待しておりますよ」
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