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手筋編
しれっと本命にチョコを渡す方法
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岡本・武士沢・江田・三嶋は、京子から渡された各々の箱を京子の掛け声で同時に開けた。
厚さは8センチほど、A4サイズのノートを広げた位の大きさの箱の中に入っていたのは、チョコレートで出来た碁盤と碁石だった。碁盤はミルクチョコ。碁石は、黒石と路はビターチョコ、白石はホワイトチョコで出来ている。そしてその碁石チョコはある規則性に則って並んでいた。
その名も『詰碁チョコ』。岡本門下の研究会。バレンタインデーを前に、京子は皆に特注のバレンタインチョコを渡した。去年は女流棋戦を奪取し、懐に余裕のある京子は少し凝ったバレンタインチョコを渡そうと、『詰碁チョコ』作成を近所にある洋菓子店に依頼していたのだった。
「10秒……」
京子が秒読みを始めた。
「え!?秒で解かないとダメなのか?」
三嶋が『詰碁チョコ』の箱の蓋を持ったまま固まる。
「棋士なんだから当たり前じゃないですか。これ位のレベルの詰碁ぐらいサクッと解いて下さいよ。20秒。1、2……」
京子は岡本家のダイニングに置かれた時計を見つめながら、正確に時間を計る。
「わー!N○K方式かよ!待て待て!早い!」
慌てる三嶋をよそに、箱を開けた瞬間から全てを理解しゾーンに突入した江田が手を挙げた。
「ここのツケで。黒先黒生きだね」
「正解です!さすが江田さん!」
京子はパチパチと拍手する。
「私のはここのハサミで黒先黒生きかな」
岡本は、江田が答え終わるまで待っていたようだ。京子は拍手を続けた。
「先生も正解です!」
「私のはここのノビからかな?」
武士沢も受け取った『詰碁チョコ』を指差しながら答えた。
「武士沢さんも正解です!」
京子は武士沢にも拍手する。
自分の分の問題を解き終えた武士沢が、他の3つの『詰碁チョコ』を覗く。
「へぇ。4つとも違う問題にしたのか」
「え?そうなの?」
武士沢に指摘されて、江田がやっと気付く。
「あ。本当だ。京子、全部違う問題作るの、大変だっただろ?」
江田と目が合った京子が、頬を赤く染めながら江田の質問に答えた。
「実は、プロ入りした時から計画してたんですよ。詰碁チョコ。なので3年かけて作成した力作の詰碁問題です!」
「そうだったのか」
そう言って武士沢がもう一度『詰碁チョコ』を眺める。
岡本門下のiTwitterに、京子はほぼ週一で詰碁の問題を投稿している。門下の中では一番多い。よくそんなに問題を思い付くな、と思う。「授業中に問題を作っている」と言っていた。さぞ授業がつまらないのだろう。
しかし、その京子が「力作」という割には『プロにとっては普通レベル』の難易度だ。正直、なんの捻りも面白味もない、言うならば『京子らしくない詰碁』だ。
(もっと高難易度の詰碁も投稿していたのにな)
武士沢は違和感に首を捻る。すると、珍しく江田が大声を張り上げた。
「あ!この詰碁、4つとも白から打つと、セキ生きになる!」
「はっ!?セキ!?」
武士沢も珍しく素っ頓狂な声を上げる。もう一度、チョコを見つめる。自分の、江田の、師匠の、そしてまだ黒番から解いている最中の三嶋のものと、順に詰碁を解いていく。
「本当だ……!これ4つとも、黒からなら『黒生き』で、白からだと『セキ』になる……!」
「そうなんですよ!嬉しーい!江田さんが一番最初に気付いてくれた!大変だったんですよ!どっちから打っても死なない詰碁を作るの!バレンタインぽくていいかなって」
京子がここぞとばかりに江田に抱きついた。江田も慣れたのか諦めたのか、抵抗することなく京子に抱きつかれている。
「すごいな、京子……」
武士沢は言葉を失う。
弟子入りした時から京子のヨセの強さは知っていた。詰碁を秒で解き、作らせてみれば週一で高難度のものを量産する。
親である畠山亮司氏の指導の賜物なのかと思いきや、そうではないそうだ。京子の性格からくる特性だけで、ここまでヨセのレベルを上げられるものなのかと、考えてしまう。
「……ブシさんも、もう4人分の白番からのまで解いたんですか?」
未だに自分の分の問題が解けない三嶋が情けない声を出す。
「後は三嶋さんだけですよ。難易度は三嶋さんに渡したのが一番簡単なんですけどね」
京子が声のトーンを落として三嶋を煽る。
「逆差別!」
「そんな文句言ってる暇があったらさっさと解いたらどうですか?」
三嶋が歯軋りする。こんな女と富岳とをくっつけない方が、富岳の将来のためにはいいのではないかと思ってしまう。
「それより、学校の囲碁部の子にもこの詰碁チョコをあげたのか?」
「はい。対局で学校休んだ時にいつもノートを見せてくれる人にだけ渡してきました。さすがにこの大きさのを家から学校まで人数分、運べないんで」
◇◇◇◇◇
洋峰学園囲碁将棋部の部室に部員が集まる。部員達は京子から寄付された大盤を食い入るように見つめている。その大盤には詰碁の問題が出されてあった。
「私から詰碁の問題のプレゼントでーす!」
毎年恒例のバレンタイン詰碁だ。部員数の既製品チョコと共に、詰碁問題を部全体で一問、渡しているのだ。京子なら一人一問ずつ渡すだけの問題数を作れそうだが、一人一人答え合わせするのが面倒臭かったからだ。その変わり難易度はプロレベル。皆で相談しながら解いている。
今年も詰碁の問題を前に、皆が唸っている。
「ヒント、いる?」
京子が皆の顔色を伺いながら聞いた。毎年、皆と一緒にうんうん唸っていた優里亜は今年からいない。大学受験を終えた優里亜は、棋士になった今でも棋院に記録係のアルバイトに行っている。
「うーん……。とりあえず、1日待って。1日は自力で解いてみる」
石坂嘉正が、気も漫ろに京子の方を見ずに答える。もう問題に夢中になっている。
「そう。じゃあ皆さん、頑張ってね!あ、そうそう。石坂くん。石坂くんには、これ。いつもノート見せてもらってるから、そのお礼」
と言って三嶋達に渡した物と同じ大きさの詰碁チョコを渡した。
「えっ!?僕だけ?」
嘉正が周りをキョロキョロ見渡しながら、恐る恐る京子からの箱を受け取る。いじめや嫌がらせをするような陰険な性格の輩はこの洋峰学園にはいないが、気の弱い嘉正は注目されるだけでも精神的なダメージを喰らうのだ。
「うん。お礼だから!じゃあ私、バスケ部に行ってくるね。そうそう、それから石坂くん。後でちゃんと答え、聞かせてね」
そう言って京子は囲碁将棋部の部室から出て行った。
部室のドアが閉まると同時に、部員全員が嘉正に群がった。
◇◇◇◇◇
「そんな思わせ振りな言い方してチョコを置いていったのか?」
石坂という子の顔を三嶋は脳内検索する。交流会で囲碁部部長として挨拶した子だ。確か京子とクラスメイト。気弱そうな子だった。背は低く眼鏡をかけていて容姿は富岳とよく似ていて、初対面の時は「お?」と思ったほどだった。
「何が?どの辺が「思わせ振り」なんですか?」
これだ。恋愛に興味が無いのがそのまま行動に出ている。相手が富岳でも、同じ行動をしたのか?と問いたい。
「あ。分かった。俺の詰碁、ここのキリだな!」
なぜか富岳の顔を思い浮かべたらスラスラと答えが頭に浮かんできた。ヨセの苦手な富岳が必死で解いていた詰碁問題の中に似たような問題があったのを思い出した。
「そうです。正解です」
京子はゆるゆると拍手した。
「さっき「バレンタインらしい」って言ってたよな?なんで俺のだけキリからなんだ?」
江田と武士沢が思わず吹き出した。
京子は三嶋の質問に答えず、視線と話を逸らす。
「あー。それよりも、もうすぐあの棋戦があるじゃないですか。今日の研究会はその練習をしたいんですけど」
●○●○●○
日本棋院二階の大広間に男女各16名、計32名のトップ棋士が集まった。
今日ここで行われるのはペア碁・琥珀戦だ。昨年1年間1月から12月までの獲得賞金順に男性棋士16人と女性棋士16人が出場。くじ引きでペアを決め、凌ぎを削る。
女性棋士は、昨シーズン真珠戦・紅水晶戦を制した畠山京子を筆頭に他15人。
男性棋士は、京子の兄弟子・江田照臣を筆頭に、ライバルの豊本武や金剛石戦を制した川上光太郎や、金緑石戦を制した立花富岳も参戦する。
本当なら京子の師匠・岡本幸浩も参戦予定だったのだが、腰の調子が思わしくなく、出場を見送った。
代わりに繰り上がりで出場が決まったのが、京子の兄弟子・武士沢友治だった。
「何年振りかな?この棋戦に出場するの」
武士沢が所在なさげにウロウロ、キョロキョロしている。それも致し方ないだろう。前回の出場は8年前で、しかも立て替えで新しくなった東京本院で大広間での対局は初めてだからだ。
「じゃあ、私と同じ初出場ってことで!」
京子がいつものように沢山のおにぎりの入ったクーラーボックス2つを抱えて、ペア決めのくじ引きを待っている。そして珍しく江田ではなく武士沢の話し相手になっている。
「京子。今日はテルの近くでなくていいのか?」
「あ。はい……。江田さんは今、お話中なので……。仲がいいんですね、あの方と」
京子が言った「あの方」とは、豊本武の事だ。何を話しているかまでは聞き取れないが、楽しげにしている。そういえば京子は豊本を苦手にしてた。割り込んでまで江田と一緒にいたいとは思わないらしい。相当苦手なようだ。
「それより、なんで三嶋さんがいるんですか?」
武士沢の反対隣にいた三嶋を、京子が睨めつける。
「随分なご挨拶だな!記録係だよ!」
「三嶋さんて、この琥珀戦に……」
「出たこと無いよ!」
三嶋のツッコミが速い。京子のせいで……もとい、京子のお陰で相当鍛えられているようだ。
「そろそろ選手として棋戦に参加したらどうですか?」
「これでも頑張ってるんだよ!人数の多い男子は大変なんだよ!数の少ない女子と一緒にすんな!」
「女性蔑視発言です!」
「本当の事を言ったまでだ!」
「おはようございます、三嶋さん」
京子が言い返そうとしたそのタイミングで、京子の背後から三嶋に挨拶する者がいた。
「おお、おはよう。富岳」
三嶋は手を上げて富岳に応えた。京子は無表情でゆっくりと振り返る。
「おはようございます、立花さん」
思わず三嶋の顔がにやける。ほぼ一年振りに再会した二人がお互いどんな反応をするのか、これを見たくて記録係になったのだ。
「おはようございます」
富岳を睨みつける京子と、視線を逸らす富岳。
(富岳のやつ、久しぶりに京子に会って、きっと照れてるんだな。相変わらず自覚ないみたいだけど。それより京子。それ以上、富岳を威嚇するな!富岳はお前と違って年相応にガラスのハートなんだから!)
まじまじと富岳を見つめていた京子が突然手を伸ばし、自分の頭の上に手をやったかと思ったら次の瞬間、その手を富岳の頭の天辺めがけてチョップした。「ゴン」とかなり派手な音がした。
「何すんだよ!」
富岳は頭をさする。
(これはマズイ!)
「やめろ京子!また出場停止処分を喰らいたいのか!?」
三嶋は慌てて二人の間に入って壁を作った。この展開は読んで無かった。この二人の仲の悪さを見誤っていた。二人ともそれなりに少しは大人になったんだから、もう大丈夫だなんて思っていたのに、甘かった。京子の恋愛レベルは小学生低学年男子並みだとちゃんと認識していれば、こんな乱闘にはならなかったのに。
「なんであんた、私より少し背が高くなってんのよ!」
「「……は!?」」
三嶋が二人を見比べる。京子の言う通り、ほんの僅かだが富岳の方が高くなっている。
富岳はこの一年で身長が17㌢も伸びたのだ。ほぼ毎週のように会っているので、三嶋は急激な富岳の成長に気付かなかった。
そういえば富岳は、制服が小さくなって卒業式に今着ている制服が着れるかどうか、新調しようかと悩んでいた。
「……え?俺、背がお前より高くなっただけで殴られたの?」
「殴ってません!身長を測っただけです!」
「理不尽!」
「理不尽はこっちの台詞ですよ!女ってだけで、男より体が小柄になるなんて!」
「なんでお前はそんなに身長に拘るんだ!?」
「体が大きいほうが、それだけで威圧感が出るでしょうが!この男社会で戦うためには、体が大きい方が有利なんですよ!それをアンタって人は……。空気読めよ!」
「なんだソレ!?理不尽の詰め合わせか!?」
三嶋が富岳のボケツッコミに思わず吹き出しそうになる。それと京子に理不尽を感じる。俺は駄目だけど、富岳に「お前」って呼ばれるのは怒らないのかよ。なんでだよ。まぁ、理由は想像つくけど。
握り拳を作り俯いていた京子が勢いよく顔を上げた。
「お前の石を殺す!」
良かった。殺人予告ではなくて。石なら囲碁の範疇だ。
「やれるもんならやってみろ!」
富岳も握り拳を作って応戦する。しかし、喧嘩慣れしていないのがこういう場面で出てくる。
富岳の腹が「ぐぅ~」と派手な音を立てて鳴ったのだ。
(折角啖呵切ったのに、決まらない奴だな)
「……もしかして立花さん。また朝御飯、食べてないんですか?」
「い、いや。そんなことは……」
また「ぐぅ~」と音が鳴る。富岳が顔を真っ赤にして腹を押さえる。また寝坊したのだ。昨日、岡本門下のiTwitterに投稿された詰碁の問題がかなりの難問で、気がついたら夜中の2時を回っていたのだ。
京子が溜め息を吐いて、クーラーボックスを開けた。
「どうぞ。おにぎり、どれでも好きなものを取って下さい」
「あ、いや。そんなに何度も世話になる訳には……」
「じゃあ、お菓子にしますか?」
そう言って京子はもうひとつの方のクーラーボックスを開けた。中はおにぎりではなく、饅頭やどら焼き、最中や羊羮といった和菓子がぎっしり詰まっていた。
富岳は物欲しそうにクーラーボックスを眺める。勢いよく手を突っ込むと何かを掴んで取り出した。
「これ!これ好きなんだよ!貰っていいか?」
富岳が手に取ったのは、高カカオチョコだった。
(チョコをクーラーボックスに入れてたのか!なんで今日に限って和菓子を入れてたんだろうと思ったら、その手できたか!)
三嶋が思わず心の中で京子にツッコむ。素直にさらっと渡せばいいのに、まさか和菓子の中にチョコを紛れ込ませておくとは!
それにしても京子のやつ、どうやってあのチョコが富岳の好物だって知ったんだ?偶然か?
「あ。ああ、ええ。どうぞ」
いつもなら相手がまだ喋っているのに被るくらいのスピードで返答する京子が、歯切れの悪い返事をする。
「あ。駄目だったか?これ」
富岳が空気を読んでチョコを返そうとする。三嶋は心の声が漏れるのではないかというほど、心の中で大声でツッコむ。
(違う富岳!照れてんだよ!京子の奴が珍しく!超レアだぞ!ちゃんと見とけ!)
「あ、いえ。大丈夫です。もう1個あるんで」
そう言って京子はクーラーボックスの底からもうひとつ同じチョコを取り出した。
(2つ用意してたのかよ。やるな、京子)
「そうか。じゃあ、これ貰っていいんだな?」
富岳はホッとしたような声で聞いた。
「ええ。どうぞ」
そう言われた富岳は、すぐさまチョコのフィルムを剥がして食べ始めた。
美味そうにモグモグと口を動かす富岳を、僅かな間見つめていた京子は、直ぐにいつもの無表情に変わり、クーラーボックスの蓋を閉めていた。
(これが『ツンデレ京子』かぁ)
三嶋一人だけが、京子のツンデレを楽しんでいた。
《お待たせしました。それではくじ引きを始めます》
アナウンスが流れる。
京子は誰とペアを組むのか。
三嶋はそれも楽しみにしてきた。
厚さは8センチほど、A4サイズのノートを広げた位の大きさの箱の中に入っていたのは、チョコレートで出来た碁盤と碁石だった。碁盤はミルクチョコ。碁石は、黒石と路はビターチョコ、白石はホワイトチョコで出来ている。そしてその碁石チョコはある規則性に則って並んでいた。
その名も『詰碁チョコ』。岡本門下の研究会。バレンタインデーを前に、京子は皆に特注のバレンタインチョコを渡した。去年は女流棋戦を奪取し、懐に余裕のある京子は少し凝ったバレンタインチョコを渡そうと、『詰碁チョコ』作成を近所にある洋菓子店に依頼していたのだった。
「10秒……」
京子が秒読みを始めた。
「え!?秒で解かないとダメなのか?」
三嶋が『詰碁チョコ』の箱の蓋を持ったまま固まる。
「棋士なんだから当たり前じゃないですか。これ位のレベルの詰碁ぐらいサクッと解いて下さいよ。20秒。1、2……」
京子は岡本家のダイニングに置かれた時計を見つめながら、正確に時間を計る。
「わー!N○K方式かよ!待て待て!早い!」
慌てる三嶋をよそに、箱を開けた瞬間から全てを理解しゾーンに突入した江田が手を挙げた。
「ここのツケで。黒先黒生きだね」
「正解です!さすが江田さん!」
京子はパチパチと拍手する。
「私のはここのハサミで黒先黒生きかな」
岡本は、江田が答え終わるまで待っていたようだ。京子は拍手を続けた。
「先生も正解です!」
「私のはここのノビからかな?」
武士沢も受け取った『詰碁チョコ』を指差しながら答えた。
「武士沢さんも正解です!」
京子は武士沢にも拍手する。
自分の分の問題を解き終えた武士沢が、他の3つの『詰碁チョコ』を覗く。
「へぇ。4つとも違う問題にしたのか」
「え?そうなの?」
武士沢に指摘されて、江田がやっと気付く。
「あ。本当だ。京子、全部違う問題作るの、大変だっただろ?」
江田と目が合った京子が、頬を赤く染めながら江田の質問に答えた。
「実は、プロ入りした時から計画してたんですよ。詰碁チョコ。なので3年かけて作成した力作の詰碁問題です!」
「そうだったのか」
そう言って武士沢がもう一度『詰碁チョコ』を眺める。
岡本門下のiTwitterに、京子はほぼ週一で詰碁の問題を投稿している。門下の中では一番多い。よくそんなに問題を思い付くな、と思う。「授業中に問題を作っている」と言っていた。さぞ授業がつまらないのだろう。
しかし、その京子が「力作」という割には『プロにとっては普通レベル』の難易度だ。正直、なんの捻りも面白味もない、言うならば『京子らしくない詰碁』だ。
(もっと高難易度の詰碁も投稿していたのにな)
武士沢は違和感に首を捻る。すると、珍しく江田が大声を張り上げた。
「あ!この詰碁、4つとも白から打つと、セキ生きになる!」
「はっ!?セキ!?」
武士沢も珍しく素っ頓狂な声を上げる。もう一度、チョコを見つめる。自分の、江田の、師匠の、そしてまだ黒番から解いている最中の三嶋のものと、順に詰碁を解いていく。
「本当だ……!これ4つとも、黒からなら『黒生き』で、白からだと『セキ』になる……!」
「そうなんですよ!嬉しーい!江田さんが一番最初に気付いてくれた!大変だったんですよ!どっちから打っても死なない詰碁を作るの!バレンタインぽくていいかなって」
京子がここぞとばかりに江田に抱きついた。江田も慣れたのか諦めたのか、抵抗することなく京子に抱きつかれている。
「すごいな、京子……」
武士沢は言葉を失う。
弟子入りした時から京子のヨセの強さは知っていた。詰碁を秒で解き、作らせてみれば週一で高難度のものを量産する。
親である畠山亮司氏の指導の賜物なのかと思いきや、そうではないそうだ。京子の性格からくる特性だけで、ここまでヨセのレベルを上げられるものなのかと、考えてしまう。
「……ブシさんも、もう4人分の白番からのまで解いたんですか?」
未だに自分の分の問題が解けない三嶋が情けない声を出す。
「後は三嶋さんだけですよ。難易度は三嶋さんに渡したのが一番簡単なんですけどね」
京子が声のトーンを落として三嶋を煽る。
「逆差別!」
「そんな文句言ってる暇があったらさっさと解いたらどうですか?」
三嶋が歯軋りする。こんな女と富岳とをくっつけない方が、富岳の将来のためにはいいのではないかと思ってしまう。
「それより、学校の囲碁部の子にもこの詰碁チョコをあげたのか?」
「はい。対局で学校休んだ時にいつもノートを見せてくれる人にだけ渡してきました。さすがにこの大きさのを家から学校まで人数分、運べないんで」
◇◇◇◇◇
洋峰学園囲碁将棋部の部室に部員が集まる。部員達は京子から寄付された大盤を食い入るように見つめている。その大盤には詰碁の問題が出されてあった。
「私から詰碁の問題のプレゼントでーす!」
毎年恒例のバレンタイン詰碁だ。部員数の既製品チョコと共に、詰碁問題を部全体で一問、渡しているのだ。京子なら一人一問ずつ渡すだけの問題数を作れそうだが、一人一人答え合わせするのが面倒臭かったからだ。その変わり難易度はプロレベル。皆で相談しながら解いている。
今年も詰碁の問題を前に、皆が唸っている。
「ヒント、いる?」
京子が皆の顔色を伺いながら聞いた。毎年、皆と一緒にうんうん唸っていた優里亜は今年からいない。大学受験を終えた優里亜は、棋士になった今でも棋院に記録係のアルバイトに行っている。
「うーん……。とりあえず、1日待って。1日は自力で解いてみる」
石坂嘉正が、気も漫ろに京子の方を見ずに答える。もう問題に夢中になっている。
「そう。じゃあ皆さん、頑張ってね!あ、そうそう。石坂くん。石坂くんには、これ。いつもノート見せてもらってるから、そのお礼」
と言って三嶋達に渡した物と同じ大きさの詰碁チョコを渡した。
「えっ!?僕だけ?」
嘉正が周りをキョロキョロ見渡しながら、恐る恐る京子からの箱を受け取る。いじめや嫌がらせをするような陰険な性格の輩はこの洋峰学園にはいないが、気の弱い嘉正は注目されるだけでも精神的なダメージを喰らうのだ。
「うん。お礼だから!じゃあ私、バスケ部に行ってくるね。そうそう、それから石坂くん。後でちゃんと答え、聞かせてね」
そう言って京子は囲碁将棋部の部室から出て行った。
部室のドアが閉まると同時に、部員全員が嘉正に群がった。
◇◇◇◇◇
「そんな思わせ振りな言い方してチョコを置いていったのか?」
石坂という子の顔を三嶋は脳内検索する。交流会で囲碁部部長として挨拶した子だ。確か京子とクラスメイト。気弱そうな子だった。背は低く眼鏡をかけていて容姿は富岳とよく似ていて、初対面の時は「お?」と思ったほどだった。
「何が?どの辺が「思わせ振り」なんですか?」
これだ。恋愛に興味が無いのがそのまま行動に出ている。相手が富岳でも、同じ行動をしたのか?と問いたい。
「あ。分かった。俺の詰碁、ここのキリだな!」
なぜか富岳の顔を思い浮かべたらスラスラと答えが頭に浮かんできた。ヨセの苦手な富岳が必死で解いていた詰碁問題の中に似たような問題があったのを思い出した。
「そうです。正解です」
京子はゆるゆると拍手した。
「さっき「バレンタインらしい」って言ってたよな?なんで俺のだけキリからなんだ?」
江田と武士沢が思わず吹き出した。
京子は三嶋の質問に答えず、視線と話を逸らす。
「あー。それよりも、もうすぐあの棋戦があるじゃないですか。今日の研究会はその練習をしたいんですけど」
●○●○●○
日本棋院二階の大広間に男女各16名、計32名のトップ棋士が集まった。
今日ここで行われるのはペア碁・琥珀戦だ。昨年1年間1月から12月までの獲得賞金順に男性棋士16人と女性棋士16人が出場。くじ引きでペアを決め、凌ぎを削る。
女性棋士は、昨シーズン真珠戦・紅水晶戦を制した畠山京子を筆頭に他15人。
男性棋士は、京子の兄弟子・江田照臣を筆頭に、ライバルの豊本武や金剛石戦を制した川上光太郎や、金緑石戦を制した立花富岳も参戦する。
本当なら京子の師匠・岡本幸浩も参戦予定だったのだが、腰の調子が思わしくなく、出場を見送った。
代わりに繰り上がりで出場が決まったのが、京子の兄弟子・武士沢友治だった。
「何年振りかな?この棋戦に出場するの」
武士沢が所在なさげにウロウロ、キョロキョロしている。それも致し方ないだろう。前回の出場は8年前で、しかも立て替えで新しくなった東京本院で大広間での対局は初めてだからだ。
「じゃあ、私と同じ初出場ってことで!」
京子がいつものように沢山のおにぎりの入ったクーラーボックス2つを抱えて、ペア決めのくじ引きを待っている。そして珍しく江田ではなく武士沢の話し相手になっている。
「京子。今日はテルの近くでなくていいのか?」
「あ。はい……。江田さんは今、お話中なので……。仲がいいんですね、あの方と」
京子が言った「あの方」とは、豊本武の事だ。何を話しているかまでは聞き取れないが、楽しげにしている。そういえば京子は豊本を苦手にしてた。割り込んでまで江田と一緒にいたいとは思わないらしい。相当苦手なようだ。
「それより、なんで三嶋さんがいるんですか?」
武士沢の反対隣にいた三嶋を、京子が睨めつける。
「随分なご挨拶だな!記録係だよ!」
「三嶋さんて、この琥珀戦に……」
「出たこと無いよ!」
三嶋のツッコミが速い。京子のせいで……もとい、京子のお陰で相当鍛えられているようだ。
「そろそろ選手として棋戦に参加したらどうですか?」
「これでも頑張ってるんだよ!人数の多い男子は大変なんだよ!数の少ない女子と一緒にすんな!」
「女性蔑視発言です!」
「本当の事を言ったまでだ!」
「おはようございます、三嶋さん」
京子が言い返そうとしたそのタイミングで、京子の背後から三嶋に挨拶する者がいた。
「おお、おはよう。富岳」
三嶋は手を上げて富岳に応えた。京子は無表情でゆっくりと振り返る。
「おはようございます、立花さん」
思わず三嶋の顔がにやける。ほぼ一年振りに再会した二人がお互いどんな反応をするのか、これを見たくて記録係になったのだ。
「おはようございます」
富岳を睨みつける京子と、視線を逸らす富岳。
(富岳のやつ、久しぶりに京子に会って、きっと照れてるんだな。相変わらず自覚ないみたいだけど。それより京子。それ以上、富岳を威嚇するな!富岳はお前と違って年相応にガラスのハートなんだから!)
まじまじと富岳を見つめていた京子が突然手を伸ばし、自分の頭の上に手をやったかと思ったら次の瞬間、その手を富岳の頭の天辺めがけてチョップした。「ゴン」とかなり派手な音がした。
「何すんだよ!」
富岳は頭をさする。
(これはマズイ!)
「やめろ京子!また出場停止処分を喰らいたいのか!?」
三嶋は慌てて二人の間に入って壁を作った。この展開は読んで無かった。この二人の仲の悪さを見誤っていた。二人ともそれなりに少しは大人になったんだから、もう大丈夫だなんて思っていたのに、甘かった。京子の恋愛レベルは小学生低学年男子並みだとちゃんと認識していれば、こんな乱闘にはならなかったのに。
「なんであんた、私より少し背が高くなってんのよ!」
「「……は!?」」
三嶋が二人を見比べる。京子の言う通り、ほんの僅かだが富岳の方が高くなっている。
富岳はこの一年で身長が17㌢も伸びたのだ。ほぼ毎週のように会っているので、三嶋は急激な富岳の成長に気付かなかった。
そういえば富岳は、制服が小さくなって卒業式に今着ている制服が着れるかどうか、新調しようかと悩んでいた。
「……え?俺、背がお前より高くなっただけで殴られたの?」
「殴ってません!身長を測っただけです!」
「理不尽!」
「理不尽はこっちの台詞ですよ!女ってだけで、男より体が小柄になるなんて!」
「なんでお前はそんなに身長に拘るんだ!?」
「体が大きいほうが、それだけで威圧感が出るでしょうが!この男社会で戦うためには、体が大きい方が有利なんですよ!それをアンタって人は……。空気読めよ!」
「なんだソレ!?理不尽の詰め合わせか!?」
三嶋が富岳のボケツッコミに思わず吹き出しそうになる。それと京子に理不尽を感じる。俺は駄目だけど、富岳に「お前」って呼ばれるのは怒らないのかよ。なんでだよ。まぁ、理由は想像つくけど。
握り拳を作り俯いていた京子が勢いよく顔を上げた。
「お前の石を殺す!」
良かった。殺人予告ではなくて。石なら囲碁の範疇だ。
「やれるもんならやってみろ!」
富岳も握り拳を作って応戦する。しかし、喧嘩慣れしていないのがこういう場面で出てくる。
富岳の腹が「ぐぅ~」と派手な音を立てて鳴ったのだ。
(折角啖呵切ったのに、決まらない奴だな)
「……もしかして立花さん。また朝御飯、食べてないんですか?」
「い、いや。そんなことは……」
また「ぐぅ~」と音が鳴る。富岳が顔を真っ赤にして腹を押さえる。また寝坊したのだ。昨日、岡本門下のiTwitterに投稿された詰碁の問題がかなりの難問で、気がついたら夜中の2時を回っていたのだ。
京子が溜め息を吐いて、クーラーボックスを開けた。
「どうぞ。おにぎり、どれでも好きなものを取って下さい」
「あ、いや。そんなに何度も世話になる訳には……」
「じゃあ、お菓子にしますか?」
そう言って京子はもうひとつの方のクーラーボックスを開けた。中はおにぎりではなく、饅頭やどら焼き、最中や羊羮といった和菓子がぎっしり詰まっていた。
富岳は物欲しそうにクーラーボックスを眺める。勢いよく手を突っ込むと何かを掴んで取り出した。
「これ!これ好きなんだよ!貰っていいか?」
富岳が手に取ったのは、高カカオチョコだった。
(チョコをクーラーボックスに入れてたのか!なんで今日に限って和菓子を入れてたんだろうと思ったら、その手できたか!)
三嶋が思わず心の中で京子にツッコむ。素直にさらっと渡せばいいのに、まさか和菓子の中にチョコを紛れ込ませておくとは!
それにしても京子のやつ、どうやってあのチョコが富岳の好物だって知ったんだ?偶然か?
「あ。ああ、ええ。どうぞ」
いつもなら相手がまだ喋っているのに被るくらいのスピードで返答する京子が、歯切れの悪い返事をする。
「あ。駄目だったか?これ」
富岳が空気を読んでチョコを返そうとする。三嶋は心の声が漏れるのではないかというほど、心の中で大声でツッコむ。
(違う富岳!照れてんだよ!京子の奴が珍しく!超レアだぞ!ちゃんと見とけ!)
「あ、いえ。大丈夫です。もう1個あるんで」
そう言って京子はクーラーボックスの底からもうひとつ同じチョコを取り出した。
(2つ用意してたのかよ。やるな、京子)
「そうか。じゃあ、これ貰っていいんだな?」
富岳はホッとしたような声で聞いた。
「ええ。どうぞ」
そう言われた富岳は、すぐさまチョコのフィルムを剥がして食べ始めた。
美味そうにモグモグと口を動かす富岳を、僅かな間見つめていた京子は、直ぐにいつもの無表情に変わり、クーラーボックスの蓋を閉めていた。
(これが『ツンデレ京子』かぁ)
三嶋一人だけが、京子のツンデレを楽しんでいた。
《お待たせしました。それではくじ引きを始めます》
アナウンスが流れる。
京子は誰とペアを組むのか。
三嶋はそれも楽しみにしてきた。
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