GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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次の一手編

クリスマスには「ケーキを焼く」か「鶏を捌く」か

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 以前から組み込まれていた会合をキャンセルし、江田正臣はある場所へ向かう。

「しかし納得いきません。あんな小娘のお遊びを優先しなければならないなんて」

 助手席に座る正臣の第一秘書・剣持尊治たかはるが言った。

「剣持。口を慎め。君も知っているだろう。彼女が江田グループうちにどれだけの利益を齎しているのかを」

 会長があの小娘を囲うようになってから、我社が他社に情報戦で遅れをとる事が無くなった。一体、あの小娘はあれだけの情報をどこから手に入れてくるのか、秘密を暴こうとしたが、会長から止められた。会長からの信用を失えば、やっと掴んだ第一秘書の地位を失ってしまう。大人しく引き下がったが、それでも剣持は会長があの小娘にいいように扱き使われるのが気に入らない。京子が女でまだ子供だからだ。昭和の脳味噌のままの剣持には、男より優れている女がいるなど、あってはならない。

「失礼しました」

 剣持は謝罪したが、正臣はその言葉には心が籠っていない事などお見通しだ。仕事は出来る。しかし、最近の剣持の言動は目に余る。この国の人間は権力や地位を手に入れると、歪んだ自尊心に成長してしまうらしい。この剣持がいい例だ。そろそろ人事を見直したほうが良さそうだ。剣持には『アラクネ』の正体は明かしていない。明かさなくて正解だった。人事はスムーズに行えそうだ。


 江田を乗せた車は岡本家から一番近いバス停近くで止まった。

 今日の主役になるであろう、赤いダッフルコート姿の畠山京子が待っていた。

「それに全くのお遊びという訳ではない。あの岩井グループの本拠地に招かれたんだ。どんな所か、見学してこようじゃないか」

 正臣は鼻をフフンと鳴らした。

 剣持は無表情のまま車を降り、京子のために助手席後部座席のドアを開けた。京子は剣持に礼を伝えてから車に乗り込んだ。

「今晩は!江田会長!」

 車の広さを無視した声の大きさに、江田と運転手は苦笑いし、剣持は眉間に皺を寄せた。品が無い。粗野で、田舎臭さを隠そうとも誤魔化そうともしない。まるで山猿のようなこの小娘が、我が社の切り札だとは。

「今晩は、畠山さん」

 剣持は、会長がこの小娘を名字で「さん」付け呼びするのも納得していない。何故あの江田グループ総帥がこんな小娘に媚びへつらうのか。

「本日は私の我が儘を聞いて下さって、ありがとうございます!」

 本当にとんでもない我が儘だと、剣持は思う。

「とんでもない。楽しみにして来たよ」

 そこは否定しない。会長は小娘からこの話を聞いた時から本当に楽しみにしていた。

「この話を聞かされた時は、心底驚いたよ。まさか、君が弱みを握られるなんてね」

 会長が楽しそうに笑う。

「私も人間なんですよ」

 京子がとぼけたような返しをする。


 岩井司が、文化祭で約束した「デートする」権利を行使したのだ。棋院経由で話がきた。京子は前もって総務の事務員に話を通しておいた。京子は頑なに自分のLINEを教えなかったからだ。『あんな人に連絡先を教えたら、スマホが鳴りっぱなしになる』危機感を覚えたからだ。

 そして案の定、人の迷惑を考えない日取りを指定してきた。

 明日は仕事納め。つまり明日対局があるというのに、お坊っちゃまは「クリスマスパーティーをやるから家に来い」と呼びつけたのだ。そこで京子が条件をつけた。

 『一人だけ知人を連れて行く』と。

 その知人が江田正臣だ。


「ところで畠山さん。先方に私が行く事は伝えてあるのかな?」

 走り出した車の運転席後部座席に座る江田グループ会長が言った。

「いいえ。面白い事になりそうだなーって、黙ってました」

「はっはっは!いいねぇ!ドッキリか!」

 正臣が豪快に笑う。

「会長もこういうの、お好きでしょ?」

 京子がいつものニヤニヤヘラヘラ笑いをする。

「ああ!楽しみだよ。彼等がどんな顔をするのか」

 助手席の剣持の眉間の皺が増える。会長はこういう悪戯が好きだ。だからこの小娘と気が合う。剣持が京子を快く思っていない所だ。

 豪快に笑っていた正臣が、急に真顔になる。

「それより畠山さん。もしかして見込んで、弱みを握られたをしたのかな?」

 正臣が京子の方に顔を向ける。京子も正臣の方に顔を向けた。

「その質問には先程答えましたよ。私も人間だって」

 また京子がニヤニヤヘラヘラと笑う。

 正臣は正面を向いた。

「君って子は一筋縄ではいかないなぁ。どうだい?うちで働かないか?」

 京子も正面を向いた。

「あら大変。とっくに正社員として働いてる気になってました。きちんと書面で契約したほうがいいですか?」

 また正臣が豪快に笑った。反対に剣持の眉間には、もう美容整形でなければ取れないであろう皺が深く刻まれた。


 京子達を乗せた黒塗りの車が岩井家に着いた。

 車中から先日最年少経団連会長となった江田正臣が現れると、岩井の屋敷内は静かにパニックになった。

 京子と正臣はコートを脱ぎ、岩井家に足を踏み込んだ。



 ●○●○●○



 ダンスパーティーも開けるのでは?と思うほど広いサロン。ここはヨーロッパ貴族の屋敷なのか?と思わせる豪華なシャンデリア、テーブルに椅子、ゴージャスに生けられた花、その花の美しさを引き立てる花瓶。どれもこれも庶民にはお目にかかれない秀麗なものばかりだ。

 クラシック音楽が流れる。スピーカーから流れる機械音ではない。生演奏だ。岡本門下の新年会では碁を打つが、上流階級のクリスマスパーティーではピアノやヴァイオリンを演奏するらしい。

 演奏しているのは、司とパーティーの招待客、京子と歳の近い女子4人だ。このクリスマスパーティーの主催者は司で、招待客は全員司が招待した者だ。


 司はヴァイオリンを。それから京子と歳の近い女子4人は、一人がピアノ、残りはヴァイオリンを弾いていた。女子4人は交流会では見なかった顔ばかりだ。

 この女子4人は、どうやら司の嫁候補らしい。京子がサロンに入るとこの4人に早速、品定めされた。4人とも京子を頭の天辺から爪先まで、舐めるように眺める。

 京子の今日の服装は、いつも松山と会う時に着ているあの時代遅れの赤いワンピースだ。靴は通学で毎日履いているスニーカー。このコーディネートに、お嬢様方は視線を背け肩を揺らす。何を考えているのか、手に取るように分かる。ただ、その後正臣が姿を現すと、目を丸くし、水を打ったように静まり返ったのだが。


 ふかふかのソファで京子はついつい船を漕ぐ。知らない曲で、しかもゆったりとしたリラクゼーション音楽のようで、退屈でしょうがない。

 拍手の音で目を覚ました。慌てて京子も拍手する。演奏していた司と京子と歳の近い女子は、お辞儀をしていた所だった。

「素晴らしい演奏だったよ。皆、去年より腕が上がったな」

 司の父が演奏者を誉め称える。正臣の来訪に一瞬驚いた表情を見せたが、その後は平常心を装っている。

「ありがとうございます。おじさま」

 司と共に演奏していた女子4人が流れるように定型文を読み上げた、ようにしか京子は見えなかった。会話の内容や雰囲気からして、この4人は幼少時から岩井家と交流があるようだ。

 その内の一人、黒いイブニングドレスを着た腰までの長い髪を靡かせた女子が京子と視線を合わせる。

「えーっと、畠山さん、でしたかしら?あなたも何か演奏なさらない?」

 気を利かせて京子に話を振る。そう言った女子の後ろで、残りの3人がクスクスと笑い出す。気を利かせて京子に話を振ったのではない。『こんな田舎臭い猿のような娘に楽器の演奏なんか出来るはずがない』と言いたいのだ。

 ただ、この4人の予想通り、京子が演奏出来る楽器の類いは、音楽の授業で扱う鍵盤ハーモニカやリコーダーだ。

「あ、いえいえ。私はピアノもヴァイオリンも弾けないんで」

 京子はいつものように、手をブンブンと左右に振って断る。

 黒いイブニングドレスの女子の後ろで、残りの3人がクスクスと笑う。しかもわざわざ聞こえる音量で「はしたない」とまで言った。

「大坪様、無理強いはいけませんわ」

 クスクス笑っていた内の一人が、黒いイブニングドレスの女子に向けて言った。

「でも、「猫踏んじゃった」くらいは弾けるのではなくて?」

 大坪と呼ばれた黒いイブニングドレスの女子が京子を煽る。

 女の怖い所だ。結託などしなくても、阿吽の呼吸で罠に掛けたい女を貶める。この4人は、どうやってでも京子に恥を掻かせてやりたいらしい。

 ただ、京子も京子で、売られた喧嘩は素直に買う。

 そしてその買い取り方法は、京子独自だ。なので、こうなる。

「あ!そうでした!私にも弾ける曲がありました!では、猫踏んじゃったを弾きます!」

 京子は勢いよく立ち上がると、ピアノを演奏していた女子を退けて、椅子に座った。

「スタインウェイ?聞いたことあります。いいピアノなんですよね?こんなにいいピアノを演奏出来るなんて、光栄です」

 京子は鍵盤に指を落とす。ぎこちない「猫踏んじゃった」の演奏が始まった。

 途中、つっかえる。間違える。調子っ外れの演奏にお嬢様の一人が笑いを堪えきれなかったのか「ぷっ」と放屁のような笑い声をたてた。こんな時にも大口開けて笑えないなんて、お嬢様は大変だなぁ、と京子は思う。

 京子は最後まで弾ききった。演奏を終えると立ち上がり、客に向かって満足そうに礼をした。

「素晴らしかったよ、畠山さん」

 司が拍手する。

 京子は司を睨みつける。

 (お前、さっきのキャットファイト、仲裁もせずに傍観してたよな)

 と言ってやりたいのを、グッと堪えた。正臣のいる手前、正臣と岩井家との間に軋轢を生じさせるのは得策ではない。

 だが、対局の前日に呼び出すこの傍迷惑なお坊っちゃまには一言言ってやらないと京子の気が済まない。

「ありがとうございます。相変わらず捻りのないお世辞丸出しの定型文で」

 険しい表情で放った刺のあるこの一言に、京子の演奏を笑っていた嫁候補の4人が顔を見合わせる。

 司が新しい嫁候補を連れてきたのだと思った。しかし京子は司に向けて、陰湿な空気を放っている。

 (もしかして私達の敵にはならないのでは?)

 という視線が4人の間で錯綜する。


「お食事のご用意が整いました。お席にご案内いたします」

 メイドが呼びに来た。

 食事会が始まる。



 ●○●○●○



 京子の目の前にローストチキンが横たわる。角館の祖父に頼んで取り寄せた比内地鶏だ。

 給仕が手際よく切り分け、皿に盛り付け、客の前に出された。

 京子は早く鶏肉を食べたそうにじっと眺める。しかし、皆に行き渡るまで我慢する。さすがに正臣に恥を掻かせられないからだ。

 岩井家の家主がカトラリーに手を伸ばす。それがゴーサインであるかのように、京子もナイフとフォークを持ち、すぐさま鶏肉を口に運んだ。

「んー!美味しい!いかがですか?最高級の比内地鶏は?」

 今日は行儀良く、口の中のものを飲み込んでから喋りだす。ただ心の中では「面倒臭い」と思っている。

「うん。とても美味しいよ」

 司がまた定型文で応える。しかし京子は、いつものように扱き下ろさない。

「そうでしょう?鍋もいいけど、焼いた方が鶏本来の味が引き立ちますね!」

 そう言うと京子は一気に鶏肉を平らげた。

「随分この比内地鶏に思い入れがあるようにお見受けしますけど」

 サロンで京子に猫踏んじゃったを弾くよう仕向けた黒ドレスの女子が聞いた。上品とはいえない京子のテーブルマナーに、辟易している。

「ええ。私、秋田出身なんで」

 女子4人が一斉に「ああ、どうりで田舎臭いと……」という納得したような表情をした。

「あら、そうでしたの。先程囲碁棋士だとお聞きしましたけど、東京には棋士になるために?」

 青いドレスの女子が京子に聞いた。

「はい。小学6年生の時ですね」

「まあ。お一人で?」

「はい」

 京子は短く答える。骨だけになった比内地鶏を(出汁を取れば美味しいスープになるのに)と思いながら、勿体ないという表情でじっと見つめる。

「それは大変でしたね」

 京子と同じ位の髪の長さの女子が言った。

「何がですか?」

 京子は骨から視線を外して聞き返す。

「え?……ですから、まだ小学生なのに親元を離れて……」

「小学生といっても、6年生ですよ。反抗期に入る年頃の子供が「親がいなくて寂しい」なんて言い出す人、いないでしょ?」

 京子はワイングラスに入った水を飲む。

 お嬢様方4人だけでなく、司までがキョトンとした表情になる。

「え?もしかして皆さん、まだ親と一緒じゃないと寂しいとか?」

「そんなことはありませんわ」

 そう黒ドレスの女は言ったが、他の3人は視線を逸らしている。

 京子はさっきの仕返しと言わんばかりの笑顔を4人に向けた。

「ですよね。実は明日、対局なんですよ。まさかそんな日に呼び出し喰らうとは思わなかったんで、かなり気が立ってるんです」

 正臣以外の全員が眉間に皺を寄せる。場の空気を悪くする発言を悪びれる事もなく、しれっと言い出す京子に、皆が白い目を向ける。

「それは申し訳ない。謝罪するよ」

 司が言った。しかし頭を下げる気はないようだ。

「私があなたの謝罪を受け入れるかどうかは、明日の対局の結果次第です。あと2つ勝てば緑玉エメラルド戦本戦入り出来るっていう大事な対局なんですよ。わかります?どれだけ大切な対局なのか。わかりませんよね。なんせ、対局のスケジュールは棋院のホームページを見ればわかるのに、それすら見ずに私を呼びつけたんですから。
 もし明日負ければ今年一年頑張ってきたのが全てパア!」

 京子は大袈裟に両手を広げてみせた。

「また来年は振り出しに戻って、最初の一番下っぱから出直さなきゃいけないんですよ。そんな大切な日に呼び出すなんて、非常識もいいとこです。でも今日、世間が囲碁棋士という職業をどんな風に認識しているか、よおくわかりました。そして岩井さん。あなたが私とどんな風に接していくつもりなのかも」

 京子は人目も気にせず、司を睨みつける。

 司は一瞬視線を逸らして、それから立ち上がった。

「すまなかった。この通りだ」

 司がやっと頭を下げた。しかし京子は当然の行いだと無視する。

「君に楽しんでもらいたいと、呼んだんだ」

「私が楽しそうにしてるように見えました?」

 女子4人が何か言いたそうにしたが、司と京子の仲が険悪になっているのだから仲裁は必要ないと、黙っている。

「これでよぉくわかったでしょう?生まれと育ちで、これだけ興味の持ちようが変わると。
 今日はもう帰ってもいいですよね?」

 京子は立ち上がって、全員の顔色を伺う。

「江田会長。よろしいですね?」

「ああ。それじゃお暇いたします」

 正臣も立ち上がった。

 食堂から出ていこうとする京子が立ち止まり振り返った。

「あ。そうそう。お料理、美味しかったです。ごちそうさまでしたと料理人の方に宜しくお伝え下さい」


 京子と正臣を見送る者は、司しかいなかった。



 ●○●○●○



「それにしても、畠山さん。内装ばかりを気にしていたね」

 帰宅の途に着く京子と正臣は、正臣の車の中で反省会を行った。剣持が聞き耳を立てているのが分かる。

「お気づきでしたか」

 京子が浮かれている。さっさとあの退屈な会から抜け出せたのが嬉しくてしょうがない。

「もしかして、秋田に建てる城の参考にするのかな?」

「正解です!中々凝ってましたよね!でもどうしよう?あれだけの物を揃えるとなると、さすがに予算面や、たぶん窃盗も起こり得るでしょうし……」

「それなら模造品という手もある」

「あ!なるほど!やっぱり江田会長と一緒に来て良かった!」

「僕もね、途中で帰ってこれて良かったよ。医者に甘いものを止められてて、どうやって断ろうと思ってたんだ」

「あ!最後のデザート!ああ……。勿体ないことしちゃった……。ま、いいか。会長のお役に立てたんだし」

 剣持の眉間にまた皺が寄る。この小娘、やはり岩井の屋敷で何かしでかしたらしい。

 しかし、会長の様子を見るに、マイナスにはならなかったようだ。


 京子は待ち合わせ場所だったバス停近くで下ろされた。岡本家の通りの道は狭くてこの車が通るのは困難だからだ。

 家までの道を歩く。冬なのに雪が無い。東京に来て4回目の冬だが、この時期にスニーカーで道路を歩くのはまだ違和感がある。


 今日は、京子はもうひとつ楽しみにしていた事があった。

 先日、松山に話した人物も来ていないかと思っていたのだ。残念ながら空振りだった。


 夜空を見上げる。

 祖父や、碁会所のお爺さん達から聞いていた東京の空とは違う。星が出ていた。





  次の一手編 完


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