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第三章: リタ、奪還
其の五十五話 エルフの里の囚われ人:その12(ティタニア)
しおりを挟むまだ夜の明けない〈妖精郷〉の暗い森を和穂は走っていた。
これだけ走ってまだ息は上がっていない。この辺は鍛えてくれたローザさんに感謝だな。毎日毎日、何度吹き飛ばされ、気絶してたことか。
この人、姿通りの鬼だーーと何度思ったことか。
「森が、騒ついてる……」
和穂の腕の中でリタが呟き、不安な視線を辺りに巡らす。
「森が……僕にはわからないけど」
リタはエルフだから植物の感情が解るって言ってたな。
和穂の首を引き寄せるように、回された細い腕に力が入る。
その不安を消してあげたくて、和穂も更にリタの身体を自分に抱き寄せる。
「うん。なにか嫌な感じだわ。まるで木々に見られてる、監視されてるみたい。私たちに対する悪意のようなものをすごく感じるの」
ここの森の感情が読めない。
森にもそれぞれに感情がある。それはそこを構成する動植物、魔物、四大元素といったものが複雑に結びついた総意のようなものだ。
この〈妖精郷〉はアルベロンの心が色濃く影響している。
「とにかく早くこの森から出よう。ここから離れればーーうわっ」
突然、足を取られた和穂が前のめりに転倒した。倒れる寸前に身体を捻りリタを守る。腕の中、リタの悲鳴が聞こえた。
「リタ、ごめん。大丈夫?」
「私は大丈夫よ。和穂、気をつけて。悪意が来るわ」
「悪意って?」
和穂は自分が転ぶ原因になったものに目を凝らした。太い縄のようなものが地面を這うように伸びていた。
「これって、木の根っ子? どうして」
ここまではリタの持つ〈森精霊の契約〉に護られて、この暗闇の中でも走ってこれたのに。
〈森精霊の契約〉は森人であれば大なり小なりに持っている加護のことで、森で行動、生活するにあたっての恩恵を意味するものだ。
この加護を持つ者は森林の協力を得て、そのフィールド内において行動の制限がされないか緩和され、また、守護の対象となる。
「私の〈森精霊の契約〉が消えているわ。和穂、気を付けーーきゃあ!」
リタの言葉が悲鳴に途絶える。
木の蔓が植物ならざる早さで、その身体に巻き付いたと思った刹那、もぎ取るように和穂の腕から奪い去った。
「和穂ーー」
「リターーぁ、わぁー」
急いで立ち上がろうとした和穂の身体がいきなり強い力に締め付けられ、引きずられた。
引き離されながらも伸ばされた互いの手が虚しく土を掻いた。
「なんなんだ、一体」
振り返る和穂は自分の目を疑った。
さっきつまづいた木の根が足に絡まりながら這い上がってくる様子が見えた。
「なんだこれ、木の根が動いてる」
「和穂」
その間にもリタとの間隔が徐々に開いて、互いを呼び合う声が小さくなっていく。
「リターーくそ、離せ、離せよ」
和穂が〝黒曜〟を振い、木の根を粉砕する。
立ち上がるその身体に追い縋るように堅いロープのようなものが巻き付いた。
それは首に、顔に、手足に胴にと絡み付き、その巻き付いた更に上にもと、幾重にも和穂に巻き付き締め上げる。
「くぅー、リ、タぁーーぁああー」
和穂が獣のように吠えた。
吠えて、狂ったように〝黒曜〟を振う。
幾重にも分かれた黒い牙が咬み千切り、鎌のように掴み、剣のように切り裂いていく。
穿ち粉砕されながら、それでも木の根が、枝が、蔓が、氾濫し押し寄せる大河の大水のように和穂に絡み付き、締め上げ、〝黒曜〟に切り裂かれ、その上からまた締め上げる。
それでもリタから離されまいと和穂が動かせない足に力を込める。首を手足を絞め、もぎ取ろうとする枝や根に抗った。
それでも、それでもそれでもーー離されていく。最愛の人から。
あれだけ凄いと思った〝黒曜〟が蟷螂の鎌に見えた。
振るっても振るっても切り裂いたよりも更に多くの枝が根が伸びてくる。
締め上げられた身体が悲鳴を上げる。意識が飛ぶ、そう思った瞬間、
いまこそ響け、光の大鐘楼
翔るは刹那、銀の波動
邪悪を祓い、打ち砕け。
〝破邪の鐘楼〟
声と共に光が迸り、ざわめきが清浄へと変わっていく。
光に触れた木の根や枝が動きを止め、昇華するように消えていった。
身体が一気に解放され地面に転がる和穂に、詠唱と同じ声が足早に駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか」
聞き覚えのない女の声と細い腕が、激しく咳き込みながらも立ち上がろうと足掻く和穂を抱き起こした。
「無理に動かないで。いま回復します」
〝回復魔法〟
同時に痛みに麻痺した身体が楽になり、活力が戻ってくる。
「あ、ありがとうございます。でもどうして。それよりあなたは……?」
そこまで言って、ハッとしたように振り返り身体を起こす。軋んだ骨格が一気に元の位置に戻るような激痛に身悶える。
一瞬でも今の状況が頭から吹っ飛んだ自分を和穂は悔いた。
「リタ!」
そして、とにかく闇雲に走り出し、
ドスン!
見えない何かに阻まれぶつかり、貼り付くように止まった。
「痛ったぁー」
そのまま引っくり返って、また〝回復魔法〟の世話になった。
「少し落ち着きなさい」
女の声が和穂に自制を促した。
しかし和穂はその言葉に異を唱えるように叫んだ。
落ち着く? どうしたら落ち着けるっていうんだ!
リタが、僕のリタがーー!
「リタを助けなきゃ。リタを! ようやく会えたのに。探したのに。また、離してしまった。もう離さないって誓ったのに……」
女の声がため息をつく。
同時に険しかった表情が緩み、微笑みが浮かんだ。
初々しいわね。どんなことにも一生懸命で、精一杯で。まだ今は見えない可能性にも何も考えずに飛び込んでいける。年長者はそれを無謀と呼ぶかもしれないけど、それが彼らに与えられた特権なのだ。
女の声がもう一度、諭すように和穂に語りかける。
「落ち着いて、あれを見なさい」
白く繊細な手が和穂の視線を誘導する。
指差す方向から青白い目を灼くような眩い閃光が瞬き、闇夜よりも濃い黒煙が森から巻き上がる。その閃光が森と夜を焼き払いながら大きくゆっくりと横に流れるように動いた。
半月形の残光が切り裂く刃のように見えた。
半月の紫電が薙ぐように何度も左右に動く。
地面を穿つように撃たれる閃光が土埃を巻き上げ、森を削るように焼き、吹き飛ばしていく。
全てが灰燼に還り、決着するように見えた。しかし、それでも尚、森はそれを遥かに越える勢いで再生し、膨れ上がり、溢れ出した水のように這い広がり、山のような分厚い強固な壁となって迫ってくる。
「なんなんだ、あれ。まるで『森』の魔物だ」
「あれは魔物ではありません。この〈妖精郷〉を護って死んでいった精霊の成れの果てです」
「あれが精霊……?」
「〈黒の竜〉はご存じですか。あの厄災がこの里を襲った際にその矢面に立ってここを護り、呪われた黒い〈息吹〉と瘴気に灼かれ、死霊へと変貌した『樹木精霊』『古樹精霊』の哀れな姿なのです。
でも当時の私たちにはどうすることも出来なかった。
だから愚かにも〈死霊域〉を作り、禁忌区域として閉じ込めてしまったのです」
閃光が迫る森の闇に掴み掛かられるように握られ途絶えた。
同時に和穂と樹木死霊とを隔てていた見えない壁ーー結界が大きく歪んだ。押し潰されると思った瞬間、何かが外から飛び込んで来る。
すぐさま白い指が魔法陣を展開し、結界を修復、追って伸びてきた樹木死霊が触れるなり黒い霧状に瓦解し四散した。
入ってきたのは黒と白の斑らな球体だった。人ひとり分以上の大きさがある。かなりの弾力があるのか、結界の端まで転がり、跳ね返り、空中で花が開くように解けた。
『痛ったったー、なのですよ』
聞き覚えのある声と共に黒と白の羽を持った姿が現れ、その羽に護られるように包まれていたもう一人が宙に投げ出される。
銀糸の髪が大きく広がり、身体を包んでいた毛布が解ける。放物線を描く先細りの長い耳の白い裸体を和穂が飛び出して全身で受け止めた。
その様子を満足そうに目を細めて眺めていた金色の髪の女に、ティタニアが近寄り声を掛けた。
「ご苦労さまでした」
『本当なのですよー』
心底くたびれた声と非難するような半眼のジト目がティタニアに向けられ、彼女は「ははは……」と誤魔化すように乾いた笑みを浮かべて距離を取った。
その声に、解けた毛布をリタに巻き直し終えた和穂が反応した。
「その声は、もしかしてフェリア?」
『どうして疑問系なのですか』
「だって、その姿は……」
和穂が知っているフェリアとはまったくかけ離れていた。
項垂れ、地面に投げ出された黒と白の翼と燻んだ長い金髪を除けば、そこには絶世とも呼べそうな美女が腰を下ろしていた。
長い睫毛の奥で妖しい光を放つ髪の色と同じ金の瞳が和穂を写している。
『見てしまいましたか……』
と、ため息をはさみ、不本意ながらと前置く。
『これが私の本来の姿なのですよ。で、ついでに紹介させていただくと、あっちはティタニア、ここ〈妖精郷〉の里長、アルベロンの奥方なのですよ』
フェリアの「ついで」の言葉にティタニアの柳眉が微妙に跳ねるた。
それでも笑みを絶やさず、和穂に自らを紹介する。
「初めまして、リタの旦那様。あなたの叔母となりますね、この〈妖精郷〉の里長アルベロンの妻でティタニアと申します」
軽く会釈する顔に肩から流れた金糸が掛かる。今のフェリアと比較しても劣るところがない美貌に和穂の心が一瞬、放心状態になる。
フェリアの咳払いで我に返り、しどろもどろで挨拶を始めた。
「あ、は、初めましてティタニアさん。リタの夫で三坂和穂・スカンディナです」
そこまで言って、和穂ははたと気付いた。
「あのフェリア、アルベロンって誰?」
『知らないで言ってたのですか、マスター、なのですよ』
頷く和穂からフェリアが顔をそむけ、これ見よがしのため息をついた。
『今頃になってですか。呆れた唐変木なのですよ』
だってさ、何の説明もなくここまで連れてこられた僕の気持ちも少しは考えてよ。
それにリタのことで頭がいっぱいで、他を考える余地なんてなかったんだよ。
「ここが〈妖精郷〉って言うところなのはアンさんに聞いてはいたけど、ここの里長とかの名前は全く……
だって僕はリタを取り戻しにアンさんとここまでーーそれよりフェリア、リタが目を覚さないんだ。リタ! ねえリタ、目をあけてよ」
『あーマスター、それは大丈夫だと思うのですよ』
あさっての方を向いたままでフェリアがバツの悪そうな声で答える。
「だってまるで眠っているみたいに」
『眠っているみたいではなく、眠っているのですよ』
「眠ってるって、どうして?」
『魔力切れ、なのですよ』
「どういうこと?」
『さっきの閃光魔法にリタ殿の魔力を使わせてもらったのですよ。ギリギリまで使わせてもらいましたが、結局、灼き払い切れませんでしたが……なのですよ』
「それでリタは大丈夫なの?」
『勿論なのですよ。本当に眠っているだけなのですよ』
「良かった」
和穂が胸を撫で下ろした。
「フェリアーーの言っていることは本当ですよ、和穂さん。心配であれば治癒魔法をお掛けしましょう」
『ふん! 治癒魔法では魔力回復しないのですよ』
フェリアの皮肉をティタニアがスルーして和穂に釈明する。
「ごめんなさい、〈死霊域〉での魔力供給は結界を保てなくなる可能性があるの」
『ティタニアともあろうひとが情けないことを』
「フェリア、少し辛辣だよ。ありがとうございます、ティタニアさん」
『マスター、〈妖精郷〉のハイエルフ、ティタニアといえば、五つの属性の他、高位精霊召喚も使いこなす魔法の大家なのですよ』
和穂に叱られたフェリアがしらけた顔でティタニアを讃美、嘲笑した。
その乾いた笑顔を和穂に今一度嗜められる。
もう、そんな顔で褒められたって誰も嬉しいなんて思わないよ。
「ティタニアさん、すごいんですね」
フェリアの言った意味を殆ど理解出来ないまま、それでもフェリアがそこまで言うなら、きっと凄いことなんだと思う和穂だった。
マスター、単純すぎるのですよ。まったく。本当、お人よしなのですよ。
フェリアが大きくため息をついた。
「良いのですよ、和穂さん。私はあなたの叔母になるのですから」
「叔母?」
「叔母」とは?
和穂の「?」にフェリアが答えた。
『ティタニアの夫であるアルベロンは、リタ殿の亡くなった実母、リリクスの実兄なのですよ』
「え、そうなの。あの大変、失礼なことをーー」
そこはもっと驚くところではないのですか、なのですよ。
ご近所の見ず知らずの誰かのカミングアウトではないなのですよ。
「知らなかったのですから仕方ありません」
ティタニアが和穂ではなくフェリアに向けて言葉を放つ。今度はフェリアがそれをスルーした。
『何か問題でも、なのですよ』
「別に何もありませんよ」
雰囲気がギスギスのティタニアとフェリアに和穂は居心地の悪さを感じて訊ねた。
「あの、二人の間には何か遺恨でもあるの」
その言葉に一瞬見合わせた顔と顔が反発する磁石の同極のように反対方向を向いた。
「『別っつにーー』」
あるんだね……
「とりあえずこのままでは埒があきません。脱出の用意をしましょう」
『ふん、一時休戦ですか、仕方ないのですよ』
「でも、どうするの。あんなすごい熱光線でも排除出来なかったんでしょ?」
『全員は無理なのですよ。ならばーー』
「あなた方、二人ならなんとかなるでしょう」
「二人?」
『マスターとリタ殿の二人ならば、なのですよ』
「だめだよ、そんな」
「どちらにせよ、この瘴気と不浄の中ではこの結界も長くは持ち堪えられません」
「二人はどうやって脱出するのさ? だったら四人一緒の方が」
『リタ殿は魔力枯渇、マスターは魔力無し。私は魔力を供給してもらわなければ大きな魔法は使えません』
「だったらティタニアさんから」
「申し訳ありませんが、私の魔力もそろそろ限界なのです」
「なら、尚更じゃないか」
『マスター、あなたは何のためにここまで来たなのですか』
「それはリタを助けるため……だけど、ダメだよ! そんな二人を、こんな危ないところにおいて僕たちだけ逃げるなんて、僕には出来ないよ」
「ですが、そうして頂かないと私たちがここに来た意味がありません」
「だからって……」
『あーもう、またマスターのウジウジが始まったのですよ。いいから子供は大人の言う事を聞いていればいいのですよ!』
「フェリアの言う通りですよ、和穂」
「叔母さん……」
その言葉にティタニアが怖い顔でニコっと笑った。
「そこはティタニアお姉さん、がいいわね」
「ご、ごめんなさい。あの、お姉……さん」
フェリアが思わず吹き出す。
ティタニアが「むす」とかわいい膨れっ面をつくる。
ははは……なんかアンさんといるみたいなデジャヴを感じる和穂だった。
「フェリア、手伝ってください。脱出路を作ります。和穂はあの銀輪の乗り物を出して準備なさい」
用意しながらフェリアとティタニアの会話が続く。あまり緊張感が無い、というよりこの二人、本当はものすごく気が合うのではと和穂は思い直していた。
似たもの同士、同じ気質だからこその反発ではないかと。
「しかしこんな状況の時にいろいろと秘密の公言したものですね」
『ふん! 誰のせいだと思っているんですか、なのですよ。アルベロンの手綱ぐらい、ちゃんと握っておいてほしいものなのですよ。まったくー』
「ひとの夫を悪く言うのはやめて下さいませんか。それに夫は馬ではありません」
ティタニアが魔法陣を展開する。
その魔法陣は一つに留まらず、更に更にと重ねられて、結界内に波紋のように広がっていく。
『馬の方がまだ従順、役に立ってるというものなのですよ。マスター、準備はいいのですか』
言葉のあやもわからないのですか、なのですよ。
フェリアが重多層魔法術式を構築、圧縮展開する。
「いつでもいいよ」
身体の前面にリタを括り付け、〝黒曜〟で保護する。スターターボタンを押し、和穂がバイクを始動させた。
リタ、行くよ。
勇気を奮い起こすように軽くアクセルをふかす。
リタはまだ夢の中だ。毛布一枚を隔てて伝わる体温を感じた。
次に目が覚める時は、きっとあの家の中にいる。二人、笑い合って。
お願いします。フェリア、ティタニア叔母ーーいやお姉……さん……
「ではいきますよ。ちゃんと合わせて下さい『〝堕落の門〟』」
『言われるまでもないのですよ! あまり口煩いと嫌われるのですよ『叔母さん』』
カチン!
「まったく、かわいくない熾天使ね!」
『こっちのセリフなのですよ! ハイエルフ』
その昔、その閃光は一瞬にしていくつもの国を、海をも蒸発させたという。
〝収束一閃紫電光〟
ティタニアが結界を解き、二人の叫びが詠唱となる。
光が奔り、青い雷が追随する。
群がり襲いくる死霊を一気に蹴散らし一本の道を作った。
『マスター、今なのです』
フェリアの声に和穂が頷く。
ティタニアの微笑みに見送られて、和穂とリタを乗せた銀輪が飛び出していった。
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