ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

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H-45.自習とは

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 ☆☆☆


 珍しく、図書室に立花先生がいなかった。伝え忘れたのか、カウンターの上には私向けに置手紙がされていた。相変わらず、私たちとは距離を取っている椎名先生が、事務所に入れてくれた。

「長谷川って、ずっとこう?」
「こう?」

 隣でお弁当を広げながら、北原が話しかけてくる。スタジオでも会うし、一番話しやすいクラスメイトなのは確かだ。図書準備室でご飯を一緒に食べることになっているのは、本も読めないし多少迷惑にも感じるところはあるけど、あいつ小林に絡まれるよりはマシだ。

「転入前から、ひとり?」
「そうだよ」

 やっぱり、目立つんだろうか。転入生な時点で異質だとは思う。私の希望は教室の自分の席で本が読むことなのに、こうやって昼休みには逃げないといけない。あいつが、絡んでくるから。

「寂しくねえの?」
「ひとりのが気楽だよ、誰のペースにも巻き込まれないし」
「ああ…、だから余計小林が嫌なんだな。あいつ超マイペースだし」
「マイペースというか…、まあ、とにかく関わりたくない」
「だろうな、見てて分かる」
「分かる?」
「絶対合わないタイプだろ、ああいう女子にまとわれてるヤツ」
「まあ…」

 女子にまとわりつかれてる男子。その女子を遠巻きに眺める男子。どっちも、苦手だ。男にしろ女にしろ、体育館裏で会った先輩たちも、誰かと一緒にいないと動けない人たちに違いない。

 北原も、ギターを学校に持ち込んでいるのもあって、女子が寄るタイプの男子ではある。それでも話せるのは、学校以外で認識したことと、ひとりで近づいてくれたことが大きい。あいつから離してくれたのもあるし、表面上、仲良くしておいた方が得なクラスメイトだ。

(基樹くんからは、好意があるわけだけど…)

「なんで前野と一緒にいられるのかは分かんねえけどな」
「え」
「あいつもまとわれてるだろ、絶対」
「…そうかもね」

 北原の口から、基樹くんのことが出てくるとは思ってなくて、少し驚いてしまった。北原は、なんで私に近づいたんだろう。あいつとの絡みを見ていられなかったのはあるかもしれないけど、それだけだろうか。

(…面倒なことにならなければ、それでいい)

 北原の中では、基樹くんとあいつは同列だ。女子に囲まれる男子としか見ていない。そこまでなら、確かに同じかもしれない。ただ、あいつはそれを望んでて、基樹くんは望んでない。そこまで、北原には見えてない。基樹くんは、東高生。日常を見ることはできないし、そんな話がスタジオでの話題になることもないだろう。


 ☆


 教室に帰ってきたタイミングで、スカートのポケットに入れていた携帯が震えた。普段、この時間は全く通知が来ないし、親からの連絡の可能性も全くないわけじゃない。構えて開けると、基樹くんからだった。

「思ったより風強いし図書館行こうと思うんだけど、中央駅まで歩く? 電車乗る?」
「歩く」
「分かった、西駅行くから待っててね」
「うん」

 行先が図書館でも迎えに来てくれるらしい。前は東屋へ行ったけど、あそこは完全な壁のある建物ではなくて、あくまで公園内の休憩所。今日みたいな風の強い雨には向かないから、先手を打ってくれた。

 西駅から中央駅が最寄りの図書館まで、絶対に基樹くんは私に合わせて歩いてくれる。電車に乗りたかったのかもしれないけど、見られたくないだろうとも思い当たる。せめて、少しでも雨が弱まってくれるといいんだけど。薬を飲んでも頭が痛いのは、どうしようもない。

(そういえば、天気痛、北原は全く気付いてなかった…。それが今まで普通で、基樹くんが違うだけ)

 たぶん、基樹くんは家に帰らず、学校から直接来る。西駅前のコンビニで、何かお菓子を買っておこう。


 ☆


「あ」

 コンビニを出てすぐ基樹くんの姿が目に入って、思わず声に出た。絶対に聞こえたはずだけど、その呆けた声には何も触れてこないのが基樹くんだ。

「お疲れ様、何か買ったの?」
「お菓子を…、おにぎりないんじゃないかと思って」
「オレ、もらっていいやつ?」
「うん、そのつもりで買った」
「雨だしどこで食べようね。グループ自習室は飲物だけだし」
「えっ」
「おやつくらいなら、バレないかな?」

 あの空間って、食べられないのか。個室だし、軽い糖分補給はできると思っていたけど、許可されているのは飲物だけだったらしい。ただ、基樹くんは食べることに乗り気で、私が何を買ったのか、少し楽しみにしてるような気がした。

 西駅から中央駅まで、傘を差して並んで歩こうとするけど、思っていた以上に風が強かった。傘がひっくり返らないように構えると、風の流れが変わって髪が撒き上がる。長いまま括っていれば、こんな状態にはならなかったのに。

 それに、風でスカートも浮いてしまう。今までの制服もそうだったけど、どうしてプリーツのある布の多いスカートなんだろう。強風で裾が上がるのが、好きじゃない。今日は基樹くんが居てくれるけど、ナンパされるのはこういう日、駅で立ち止まった時に多かった。


 ☆


 自習室に入って問題集を開くものの、風の音や頭痛で思うように進まない。基樹くんは普段通り、進めているようで進めていない。あれだけのノートを授業中に作る人だ、きっとやろうと思えば解けてしまうんだろう。私が集中できていないことは基樹くんにもバレていて、いつもより話しかけられた。

「…妃菜ちゃんが転入して、一ヶ月だね」
「うん」

 特別、なんてことはない話のきっかけだった。一ヶ月なんて、いつも意識しない。基樹くんに言われて、まだ一ヶ月しか経っていないのかと、少し意外に思った。

「早いよね」
「なんか、今までの転校よりも濃い」
「こい?」
「いろんな事が起きてる気がする」
「疲れる?」
「んー…、ここまではなかったかな。親のことだけだったから」

 素直に言いすぎただろうか。基樹くんから、返答はすぐには来なかった。

「……帰る?」
「それは最終手段としても取りたくないよ。先週よりはずっと楽だし、むしろ帰りたくないのは知ってるでしょ」
「そっか、ごめん」

 低気圧がしんどいのは事実だけど、親と比べるほどじゃない。天気がよくなれば回復すると分かってるから、理不尽なことを言われるよりずっと割り切れる。

 基樹くんは、すぐ謝る。そこまで悪くなくても、謝ってしまうのが口癖らしい。私が親のことを出せば高確率で、基樹くんは謝ってくれる。家庭環境なんて、違って当たり前なのに。

「謝ることないよ、気が紛れるのはここに来てからが一番多いし」
「そう?」
「今まで、放課後の時間潰すのに、スタジオなんて選択肢なかった」
「確かにね」
「基本ひとりが好きだし」
「うん、分かる」

 基樹くんの、本音だろう。学校では《逃げ回ってる》と表現するほどに人を避けて、保健室にもお世話になるくらいの人なのに、私とはふたりで居られる。

(気を許されている…)

 そうじゃなかったら、ふたりで駅前に出掛けようなんて、思わなかったはず。基樹くんは、自分がなるかもしれないのは分かってたし、対処も知ってた。転入したての私に合わせて行った場所が、誰でも基本は楽しめる駅前だっただけ。何に関心があるのかも図りやすいし、初めてデートする場所にちょうどよかったのは分かる。

 スタジオも、決まったメンバーしかいない。受付のカウンターにいる人は変わってたけど、バンドメンバーは変わらず、あの三人としか個室に入らない。三人とも、ギターボーカルのできる基樹くんをぞんざいには扱わないし、基樹くんにとって心地いい空間のひとつに、これからなっていくんだろう。ステージに立つことを引き合いに出されても、基樹くんはスタジオに行くのを辞めないと思った。

(スタジオにいる時の基樹くん、無表情でも、楽しそうなのは間違いないからね…)


 ☆


「例えばさ」

 英語の単語帳から視線を上げると、逸らされる。私の注意を呼んだのは基樹くんなのに、目が合わない。もう、とっくに慣れたことだ。

「平日、放課後に映画行くのはあり?」
「んー、行きたいの?」
「割と。芸術って刺激になるから」
「曲作りの?」
「そう。美術館とかも、よくひとりで行ってた」
「うん、私が行ってよければ」

 (映画、か…)

 ひとりで行ける暇つぶしとして、観に行くことがなかったわけじゃないけど、あまり好きではなかった。たぶん、行く時間帯と座席の場所が悪かった。携帯の光だったり話し声だったり、気を逸らされることの方が多くて没入できず、いつの間にか行かなくなってしまった。

「映画、観る方?」
「んー…、好きな小説の映画化くらいかなあ」
「そっか、じゃあオレの方が多いかな。苦ではない?」
「うん。ついてっていいなら一緒に行く」
「そうしよう。雨の日は、屋根ある方がいいし」
「確かに」

 台風でここまで低気圧が強いと私の集中力は皆無だし、自習室に来ても結局喋ってるだけだ。テスト前だから多少勉強してる方が将来のためにはいいけど、雨の日の選択肢が増えるのはプラスだと思った。

「映画、よく行くの」
「妃菜ちゃんに会う前は、月一くらいで行ってた」
「割とだね」
「気に入ったら、上映期間中、何回も見る。話は知ってるのにね」
「分かるよ、私も知ってる小説、何周も読むから」

 それだけ頻繁に行くなら、きっと良い時間帯と座席も知っているんだろう。この前出掛けた時もそうだった。基樹くんに任せておけば、だいたいのことは丸く収まる気がした。

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