14 / 46
H-14.妃菜の家族 2
しおりを挟む(……空気が、変わった)
前野くんの表情は、基本的に分からない。変わるのは頬の色だけで、口角が上がったり目尻が下がったりすることも、こっちを向かないから確認できない。
今はっきりと分かるのは、明らかに前野くんが驚いたこと。当然だと思う。そんな家庭、想像もしてないだろうし。
「いつ帰ってくるのかも分かんない、会ったら何言われるかも分かんないから、家に居たくないし、帰りたくない。できるだけ、外に居たい」
小学校高学年くらいからだろうか、中学の時には確実に、家の外に居たいと思うようになった。母親にも、夕食へ連れ出された先で会う毎回違う愛人にも、父親にも会いたくなかった。
顔を合わせれば話すこともあるけど、基本は一方的に言いたいことを言われるだけだ。私の意思は必要ない。
「……もしオレと、放課後過ごせてなかったら、どうしてた?」
「図書館行ってたかな。ここのは大きいし遅い時間まで開いてる」
間違いなく、選択肢はそこしかない。今まで過ごしてきた地域の中で、一番都会なのは、葦成だ。
カフェも行きたい場所ではあるけど、お金がかかっていく。生活費は両親がリビングに置いて行くお金があって、十二分に生活もできるけど、大学進学を考えると少しでも貯めておける方がいい。毎日行くわけにはいかなかった。
「……長谷川さんは、どうしたい? ひとりで図書館行くか、オレと一緒にいるか」
「え?」
「帰るの、遅い方がいいんでしょ?」
まただ。この、急に出てくる女慣れしてそうな感じ。散々目を合わせない前野くんなのに、さらっとこういう発言をする。
家の近くの曲がり角まで、毎回絶対送ってくれる。バイト先のカフェへ誘ってくれたのも前野くんだし、メッセージのID交換だって私から言い出したわけじゃない。
(調子が、狂う、けど……)
ただ、ひとつはっきりしているのは、やっぱりこの人からは安心感が得られてほっとすること。親の話をしてしまった時点で、それは揺るぎない事実になって記憶に残る。
前野くんからの質問に返す言葉は、ひとつしかない。
「……前野くんと居る方がいい」
「ん、分かった」
(あー……)
言ってしまった。言ってよかったとは思えるけど、同い年に言うことになるとは。
足を曲げて膝を抱え込み、その上に顎を乗せる。ひとりでキツくなった時に、ベッドの上でよくやる姿勢だ。
隣に前野くんがいるのは分かってるんだけど、両親のことを話したとなると少し気が小さくなる。この体勢だと、自分で自分を包んでるような、あったかい気持ちになる。心のざわつきが、少しずつ落ち着いていくような感覚。
前野くんはそれ以上何も触れずに、横でギターを抱えてた。俯いていた顔を前野くんの方へ向けても、やっぱり目は合わなかった。
☆
「……夜遅いの、大丈夫なの」
「連絡だけ、してもいい?」
「うん」
右手だけで携帯を操作する前野くんの、トーク画面が見えてしまった。逸らしたものの、前野くんには気付かれてしまったはず。こっちから声を掛けてしまおう。
「……お母さん?」
「そう」
「いいね」
「うらやましい?」
「心配されてるんだなあって」
「そうだね」
私を心配してくれるのは、仕事として関わっている人ばかりで、血縁とかそういう人はいない。言い切っていい。
両親にとって私は邪魔だから、できる限り利用しようとしている存在。だから、家事をやらせるし、ストレスの吐き口として私に当たってくる。
「……家族とは会わないの? 土日とかも?」
「ほぼ」
「それならさ、下の名前で呼ばれることも、ない?」
「……そうだね、考えた事なかったけど」
今までずっと抱えたままだったギターを、ケースの上に置いた。どうしてだろうと顔を向けると、意外、目が合った。
「……妃菜ちゃん」
「なに?」
「いや、呼んでみただけ」
いつもなら、悪寒が走って、その場から立ち去るのを考えても、結局逃げられない場面。嫌いな男の人はみんな、きまって初対面でも私を下の名前で呼んだから。
でも、前野くんは大丈夫だ。やっぱり、この人と居ることに、安心してるんだろう。頭を掻いて照れてそうな前野くん。これは、下の名前で呼びたいってことでいいんだろう。
(いいよ、嫌じゃなかったから……)
「なら、私も基樹くんって呼ぼうかな」
「え?」
「あれ、そういう意味じゃない?」
「いや、長谷川さんがいいならいいけど……」
「戻ってる、せっかくなら呼んでよ」
「……うん」
基樹くんが戸惑ってるのが面白くて、笑ってしまう。完全に、好意を向けられている。大丈夫、まだ告白されるわけでもないし、このまま距離を取っていればいい。
足を伸ばして、いつもの体勢に戻ると、基樹くんもギターを持ち直した。
☆
何曲か聴かせてくれた後、基樹くんがファイルを閉じて、その下にあったトートバッグに片付け始める。
「そろそろ帰る?」
「いや、見えなくなってきたから」
「ああ……」
今までよりは、辺りが暗い。ここからはギターは片付けて、ただ話すだけの時間になる。
「……基樹くん」
「っ」
試しに呼んでみると、やっぱりびっくりした基樹くんは少しのけぞってる。学校の女子に、そう呼ばれてないのかな。
「呼ばれ慣れてない?」
「そんなことはないけど……」
「そうだよね、爽やかイケメンだもん」
あまり表情を変えない基樹くんだけど、リアクションはあるし、話し方にも戸惑いが出る。見ていて、面白い。
今までは、この時間には歩き始めていたわけで。たぶん、私が今日話したことで、家での予定は変えないといけなくなったはず。だから、お母さんにも連絡してた。
「家帰ってからは、何してるの」
「んー、課題とか?」
「今日はいいの?」
「うん」
「明日は?」
「とりあえずは」
基本的に、放課後はここにギターをしに来るって言ってた。家に帰ってから課題をやる時間は、私と居るせいで減るはず。
「図書館の自習室、行ったことある?」
「うん」
「今度、行こっか。机、欲しいもんね」
(……また、誘われた)
私が口に出さなくても、どうして欲しいのかは読まれてるみたい。今のところ、授業で出る課題には対応できているけど、それだけじゃ足りないのがこれからの時期。受験に向けて、勉強時間の確保もしたい。
あまりピリピリと意識したいわけじゃない。でも、受験がひとつ、親から離れられる機会になるかもしれないと思うと、気合がどうしても入ってしまう。伝わってないと、いいんだけど。
☆
自転車を押して歩くことは今まで変わらない。でも、周囲は真っ暗で、街灯が目立つ。昨日までと違うのは、基樹くんが、一緒に居てくれること。
「基樹くん」
「はい」
「ふふ、呼んだだけ」
やっぱり驚く基樹くんに、笑ってしまう。いつになったら慣れるだろうと、少し楽しみに思っていると、あっという間に曲がり角だ。
「また明日ね」
「うん」
「あ、妃菜ちゃん」
散々基樹くんで遊んでおいて、いざ自分が下の名前で呼ばれると驚いてしまった。それを見た基樹くんが、笑ったような気がした。
(あの、表情の変わらない基樹くんが……)
「メッセ、送ってきていいからね」
「うん、ありがと」
基樹くんはいつも通り、先に自転車を漕いで離れていく。いや、いつもより急ぎ足かもしれない。もし怒られて早く帰らないといけないなら、また言ってくるだろう。
(メッセか……)
送ろうとしたことはあるけど、いざトーク画面を開くと何を書いていいか分からなくなる。考えた結果、面倒になって携帯を閉じてしまう。
確かに、頼れる相手ではあるんだろうけど、本当に頼っていいのかは確信できない。お金が絡まない、好意があってもおかしくない同年代だから。手軽に連絡できる相手に、頼れる人はいなかったから。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる