上 下
59 / 60
大学3年冬

第59話:千景の誕生日_3

しおりを挟む

 案内されたのは個室だった。お店の構造自体は昼間と変わっていないから知っている。カフェの時は家族連れが多く使っていたので、個室を使うのは初めてだった。

「うぅ、オシャレ……」
「良いお店じゃん」

(……着替えてきて正解だったかも)

 ドレスコードはないはずだが、ジーパンで入るには少し心もとない。

「あ、メニュー……」
「コース頼んであります!」
「えぇっ!?」
「わざわざ注文しなくて済むじゃん? 飲み放題もついてるし」
「そ、そっか……」
「コースって言っても、大皿で来るだろうし、メニュー見た感じそんなに居酒屋と変わらないかな? って思うけど」
「いや、十分ですよ……」
「ホラ、じゃんじゃん飲んで!」
「と、取り敢えず梅酒、にしようかな……」
「俺シャンディガフ」

 ただ席を予約しただけだと思っていたのに、まさかコースまで頼んでいるとは思わなかった。急に予約できるものなのだろうか。たまに発揮する航河君の行動力には、本当に驚かされる。それも、私が喜ぶようなところで。

「あー、まだしばらく続くのかな、この寒い日は」
「ほんと、寒いよねぇ……。布団から出たくないし、必要なければ外にも出たくない……」
「同感。俺も引きこもってたい」
「だよね。学校も面倒になっちゃうし、雨降ると最悪」
「雪だとちょっとテンション上がるんだけどなぁ」
「ふふふっ。航河君、子供みたい」
「男は永遠の少年って言うでしょ!?」
「そうだっけ?」
「そうなの!」

 ――もし、このまま航河君がすぐにいなくなってしまっても構わない。私はそう思っていた。自分の誕生日に、好きな人と一緒にご飯を食べに来ることができたのだから。しかも、その好きな人からの誘いで。百貨店でチョコレートを見ていた時も楽しかったが、今のほうが何百倍もドキドキしている気がする。

 運ばれてきた料理に舌鼓を打ちながら、私はうと疑問に思ったことを航河君に投げかけてみた。

「そういえばさ」
「ん?」
「航河君、なんで今日私誘ったの?」
「なんで、って、なんで?」
「え、逆に聞く?」
「聞く」
「えぇ……ずるくない? 私は単純に疑問に思ったからだけど」
「暇だったから」
「……航河君、暇なときいつも誘ってくれるのは嬉しいけどさ。……美織ちゃん、良いの?」

 少しだけ震えた声で美織ちゃんの名前を呼ぶ。きっと、航河君が気付いていないことを祈りながら。

「今日だってちゃんと言ってあるよ?」
「あ、うん。そうじゃなくて」
「え。違うの?」
「いや、だってさ……。いつも誘う子同じで、聞いているとはいえ二人きりで出かけたら、やっぱりヤキモチとかどこかで妬いてるんじゃないかなって……」
「心配?」
「そりゃあさ……。その、私が原因で仲悪くなるんだったら、やっぱり嫌だな、って思うし……」
「そう?」
「そうだよ! これで別れたりなんかしたら、申し訳なさ過ぎて寝覚めも悪いんですけど」

(そうだよ、そう……)

 ――嘘は吐いていない。表に出していないだけで実はヤキモチを妬いているかもしれないし、気にしているかもしれない。美織ちゃんが男の子と出かけるのは、どっちが先に言い出したのかは知らないが、航河君が女の子と出かけることの当てつけかもしれない。私は確かに航河君のことが好きだ。大好きだ。……大好きだからこそ、航河君自身が自分の大好きな人と別れることになっても、きっと素直に喜べない。……私が理由となれば余計に。別れて欲しくない、と言い切ることは嘘になってしまうから言えない。でも、別れて欲しいとも言えない。自分の立ち位置が曖昧で危う過ぎるがゆえに、好きな人に安全な場所があるのならば、それは崩さないでほしいとすら思ってしまう。
 でも、それをすると、今度は美織ちゃんに合わす顔がない。今だってギリギリアウトとすら感じているのに、それを良しとしてくれている美織ちゃんが切なくて申し訳なくて妬ましい。揺るぎない自信と確固たる地位がそうさせているのだと思うと、悔しくて羨ましくて、泣きそうにすらなってしまう。
 そして、そんな私と当たり前のように一緒にいる航河君に『私は何とも思っていませんよ』と、努めて明るく接することで贖罪している気持になるのだ。理解している。理解はしているが、自分の欲望に勝てなくて、人の優しさに甘え切っている。

「それは別に、千景ちゃんが気にすることじゃないよ」
「でも……」
「……今日、美織ちゃんがなにしてるか教えてあげよっか?」
「え? ……仕事?」
「ブッブー。……今日はね、遊びに行ってるの」
「そ、そうなんだ」
「うん。相手は、俺の男友達」
「……んん?」

 意味が良く分からなかった。航河君の友達と一緒に遊びに行っているのならば、そこに航河君も混ざれば良いのに。美織ちゃんの友達でなく航河君の友達であるならば、そうしてもおかしくはないはずだ。寧ろ、友達や美織ちゃんから誘いがあっても不思議ではない。

「航河君の友達なんだよね?」
「うん」
「航河君も一緒に行けばよかったんじゃないの……?」
「いや、俺、呼ばれてないから」
「そこ……?」
「そこ。用があれば俺も呼ばれるしね。実際、呼ばれたこともあるし」
「え、でも」
「良いんだよ、二人で遊びに行っても。俺もこうやって、千景ちゃんとご飯食べられることだし」
しおりを挟む

処理中です...