魔王のペットの嫁

よしゆき

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 その生き物は幼い頃、いずれこの世界の王となる男に拾われた。そして「ポチ」と名付けられ、自分がポチなのだと認識する。
 ポチは声を発する事のできない生き物だったが、魔力を介して言葉を相手の脳に伝える事はできた。そうして会話を成り立たせた。
 それからポチは自分を拾った男のペットとして生きていく事となった。
 強大な魔力を持つその男は、ポチ以外にも様々な生き物を拾いペットにした。そしてポチは男と、他のペット達と、家族のように育っていった。
 飼い主である男は分け隔てなくペット達に愛情を注いだ。誰かを特別可愛がる事はなく、親が我が子を見守るように平等に、大切に育ててくれた。
 自分が飼い主に贔屓されたいと思った事はない。他のペット達もポチにとっては同じ家族のような存在だ。彼らを差し置き、一番になりたいとは望まない。
 ただ、誰かにとっての一番になるとはどういうものなのだろうと気になった。
 相手にとって自分だけが特別で、自分だけを愛してくれる。それはどんな感覚なのだろう。
 そんな事を考えるようになった時、同じペットの大蛇が番を見つけた。
 大蛇は片時も番から離れなくなり、常に身を絡ませていた。番の方も傍にいるのが当たり前だというように、ピッタリと大蛇に寄り添っていた。
 端から見ても、彼らが深く愛し合っているのが伝わってきた。
 そんな彼らを見て、ポチはますます特別な存在というものに興味が湧いた。
 誰かに一番に愛されてみたい。誰かを一番に愛してみたい。お互いにお互いだけが特別で、家族である飼い主でさえも入り込む事のできない。そんな存在が、自分にもできるだろうか。
 だが、簡単に見つからないからこそ特別なのだ。何年経ってもそんな相手は現れなかった。
 ポチの運命の相手は見つからなかったが、飼い主が王になるという非常に重大な出来事があった。
 取り巻く環境は大きく変化したが、飼い主とペット達の家族のような関係は変わらない。家族として魔王となった飼い主を支えた。
 世界は広い。魔王一人で世界の隅々まで目を届かせる事は難しい。
 だから、魔王はペット達に頼んだ。自分の目の届かない場所を代わりに見てきてほしいと。
 そうしてペット達はそれぞれ割り当てられた地域へと偵察へ向かう事となった。
 ポチも果ての辺境の地を目指し城を出た。町や村の状況を見て回りながら、最終目的地へと地道に進む。
 人ではないポチは、休息も必要ない。時間をかけてしっかりと現状を確認しながら、城から遠く離れた辺境の地へやって来た。
 特に問題のある町や村はなかった。この領地で何事もなければ、問題なしと報告できる。
 町をじっくりと観察し、領主の屋敷にも向かう。
 そこでポチはとんでもないものを見つけてしまう。
 魔力を持たない人間だ。
 この世界の魔族も人間も、必ず魔力を持って産まれてくる。魔力を持たない者など存在しない。
 その存在しないはずの人間がいる。つまり、この世界の人間ではないのだ。
 異世界から召喚したのだろう。それは大罪だ。子供でも知っているような世界の常識だ。
 もちろん、見逃す事などできない。詳しく状況を確認し、早急に魔王に報告しなくては。
 ポチは洗濯物を干している異世界の人間に近づいた。
 仕事に集中しているのか、彼はポチが傍に来ても気づかなかった。洗濯物を干し終えて、漸くポチの存在に気づいた。
 
「…………犬?」

 ポチを見下ろし、彼は呟くようにそう声を漏らした。
 彼の住んでいた世界には、ポチのような生き物はいないのだろう。しゃがみ込み、不思議そうにまじまじとこちらを見ている。

「この世界の犬とか……? お前、野良なのか?」

 体を小さくしているからか、更に近づいても警戒される事はなかった。彼の手に顔を近づけ匂いを嗅ぐ。やはり異世界の人間のようだ。

「もしかして、腹が減ってるのか? 悪いけど、俺は食べ物は持ってないぞ」

 どうやら空腹で食べ物を探していると思われているようだ。
 もちろん違うのだが、こちらの事情を説明する術はない。なのでポチはそのまま彼の手を噛んだ。

「いっ……!?」

 彼は鋭い声を漏らす。
 いきなり噛みついたのだ。振り払われると思ったが、彼はそうしなかった。

「お前、吸血鬼……吸血犬? なのか?」

 怒るでもなく、ポチに血を吸わせている。

「俺の血、不味いんじゃないか? 俺、めちゃくちゃ不健康だから」

 自嘲的な呟きを零す彼の血を飲む。そうして、血から彼の記憶を読み取った。彼が産まれてから今この瞬間に至るまでの記憶を、全て余すところなく。
 そうして、ポチは彼の手から口を離した。

「ん……もういいのか?」

 彼はポチを血を吸う生き物だと勘違いしたようだ。食事の為に血を飲んだわけではないのだが、やはり誤解を解く術はない。

「お前、早くここから離れた方がいいぞ。屋敷の人間に見つかったら、何されるかわかんないからな」

 彼はポチの身を案じてくれているようだった。屋敷の人間に見つかり襲われたとしても、無傷で返り討ちにする事はできる。
 だが、魔王に報告する前にポチが勝手に手を出していい問題ではない。
 なので、彼の言葉に従いその場から離れた。
 離れたとは言っても、屋敷のすぐ近くに身を潜め、監視を続ける。
 ここの領主は異世界から人間を召喚し、その上その人間の売買を行っていた。人身売買もこの世界では禁じられている。
 二重の罪を犯す大罪人が領主をしていたとは。ここは辺境の地で、魔王の目が届かないと思って随分好き勝手にしているようだ。
 そして、あの異世界から召喚された人間。名前は寧斗というらしい。
 彼は身勝手にこちらに連れてこられ、売れ残ったからとここでこき使われていた。あまりにも理不尽な扱いを受けている。
 それなのに、彼は誰を恨む事も嘆く事もなく、諦めて現状を受け入れていた。自分の人生は、こういうものなのだと。
 元々いた世界でも、幸せとは言えない生活を送っていた。両親から愛されず、周りから疎まれ、子供の頃は傷つき悲しんでいた。けれどやがて悲しむ事もなくなった。
 周囲の悪意を受け流し、どんな不条理な事も黙って受け入れる。
 自分は誰にも愛されない。そんな風に考えて、諦めて。
 でも、心の奥底では、誰かに愛されたいと強く強く思っている。
 とても強く、深く、重い願い。
 でも彼はその願いに蓋をして、ないものとしている。
 それを願ってしまったら、彼の心が耐えられないのだろう。諦めてしまえば、望まなければ、悲しむ事もない。
 本当は、あんなにも強く誰かに愛されたいと思っているのに。
 愛されたいと願う彼は、誰かに愛された時、一体どれほどの愛をその相手に抱くのだろう。
 そう考えた瞬間、ポチは彼に愛されてみたいと強く感じた。
 強く深く愛せば、彼はきっと同じように強く深く愛してくれる。
 そんな彼の愛情を自分だけに向けてほしい。彼の愛を自分だけのものにしたい。寧斗という人間丸ごと、独り占めしたい。
 誰かにこんな感情を抱くのははじめてだ。
 今すぐにでも彼をここから連れ去りたいが、犯罪が関わっているのでそれはできない。
 とりあえずポチは魔王に寧斗の記憶から読み取った領主の罪を報告する。遠く離れていても脳内で会話は可能だ。
 領主がここで行っていた事。そして、その被害者である寧斗を嫁にしたい事も伝える。

『なんと……!? ポチも遂に嫁を見つけたのか! それはめでたい!!』

 喜色に満ちた魔王の声が脳に響く。彼は自分の事のように喜んでいる。

『すぐにでもそちらに向かいたいが、今、こちらでも問題が起きていて手が離せないのだ。悪いが、もう少し待ってくれ。こちらの問題が片付いたらすぐに行く。ポチは引き続きそちらで監視を頼む』

 魔王が忙しいのは知っているので、ポチはおとなしく従う。本当は、いつまでも寧斗をあんな環境に置いておきたくはないのだが。
 魔王の準備が整うまで待つしかなかった。





 翌日。屋敷の人間の目が離れ、一人になったのを見計らいポチは再び寧斗に近づいた。
 焼却炉にゴミを捨てていた彼は、それを終えたタイミングでポチに気づく。

「お前、また来たのか?」

 声をかけ、寧斗はしゃがむ。

「もしかして、俺の血を吸いたいのか? あっ、手からはダメだ。汚れてるから。吸うなら、別のところからにしろ」

 彼はポチを吸血する生き物だと思い込んでいる。だが、別の意味で血は吸いたいので彼の肩に飛び乗った。そしてうなじに噛みつく。

「っ……」

 彼は痛みに耐えるように息を詰めた。歯を立てる瞬間はどうしても痛みを与えてしまう。
 しかしすぐに痛みは感じなくなるはずだ。痛みに強ばっていた寧斗の肩から力が抜けていく。

「俺の血、不味くないのか?」

 ポチは別に吸血する生き物ではないので、血の味に美味いとも不味いとも感じない。だが勘違いしている寧斗は、自分の血が美味しくないのではないかと不安に思っているようだ。

「お前、ペットとして誰かに飼ってもらえないのか? 犬っぽいし、可愛がられそうだけどな……やっぱ、血を吸うっていうのがよくないのか……?」

 ポチは既に魔王のペットだ。もしペットじゃなかったとしても、一人で生きていける力は充分に持っている。
 ポチをか弱い小動物だと思っている寧斗は、ポチがこうして一人でさ迷い歩いているのが心配みたいだ。

「誰かに飼ってもらえたらいいのにな。健康的で、貧血じゃない人に。血がご飯ならお金もかかんないし、ちょっとなら毎日吸っても大丈夫だろ。一人だと大変だから、四人とか五人とかの家族にさ」

 寧斗は本気でポチの身を案じてくれているようだ。ポチの事など彼には全く関係ないだろうに。
 話をしながらも抵抗する事なく身を預けてくれる寧斗の血を吸い上げ、そして自分の血を彼の体に流し込んでいく。
 こうして互いの血を混ぜれば、彼と繋がる事ができる。

「……お互い大変だな」

 しみじみと呟く彼からはやはり諦めが感じられた。この劣悪な環境から救われる事などないと。救いを求めれば辛くなるだけだとわかっているのだろう。
 早く、彼を助けたい。助けを求めていいのだと教えたい。
 切実に願いながら、ポチは寧斗の肩から降りた。

「お前、ここの人間に見つからないようにホント気を付けろよ。噛みつくのは俺だけにしとくんだぞ。他のヤツに噛みついたりしたら、酷い目に遭うかもしれないんだからな」

 言葉が通じているかもわからないだろうに、寧斗は律儀に警告してくれる。
 屋敷に戻っていく彼を、ポチはじっと見守っていた。





 ポチは外からずっと屋敷を監視していた。夜も遅い時間に、こそこそと裏口から抜け出す者がいた。
 寧斗だ。もしやこの屋敷から逃げようとしているのだろうか。
 そう思ったが、彼が向かった先は屋敷の裏にある井戸だった。
 何をするのかと見ていると、寧斗は服を脱いだ。汲んだ井戸の水で布を濡らし、それで体を拭きはじめる。
 そういえば、彼はこうして隠れて身を清めているのだ。読み取った記憶の中でも、何度もこうしていた。
 外の気温は低く、人の身では寒いだろう。それを我慢して、彼は丁寧に体を拭いていく。
 気づかれないようにしているわけではないのだが、暗闇の中でポチの姿は人の目には見えにくい。

「……って、うわ……!?」

 なので、傍に行くと驚かせてしまった。

「おっ……前……いっつもいきなり現れるな……。ビビったー……」

 ポチだとわかって、安堵するように跳ね上がった肩を下ろす。

「黒いから、暗いと全然姿見えないな」

 ポチの姿は暗闇に溶け込む。離れればすぐに見えなくなるだろう。

「っていうか、まだここにいたんだな……。ここが危険だって事、伝わってないのか……」

 ポチは目的があってここにとどまっている。だがこちらの事情を知らない寧斗からすれば、こうして屋敷の傍をうろつくポチは危なっかしく見えるのだろう。
 心配する必要はないのだと伝えたいが、言葉が通じないのでどうしようもない。
 それよりも、丁度いいので血の交換を続けよう。
 ポチは寧斗の膝に乗り、彼の脇腹に噛みついた。

「んっ……ちょ、そこ、擽ったいな……」

 寧斗は擽ったそうに僅かに身動ぐが、やはり拒絶しない。

「いつまでもここにいたら危ないって、どうしたら伝えられるんだ……?」

 ポチの好きにさせながらも、寧斗は頭を悩ませている。
 そんな必要はないのに。でも、彼がこうして自分の事を考えてくれる事が嬉しい。彼の頭の中を、もっともっと、自分の事だけで埋め尽くしてしまいたい。
 早く、もっと、寧斗の全部を自分のものにしたい。
 だが、今はそれよりも彼に服を着てもらった方がいい。裸のままでいたら風邪を引いてしまう。
 名残惜しく思いながらも、ポチは寧斗から離れた。

「俺はいいけど、ここにいる他の人間から血を吸おうとするなよ」

 もちろん、寧斗以外の者になど興味はない。寧斗だからしている事だ。
 伝わらないけれど、彼の言葉に心の中で返事をしておく。
 伝わらないのがもどかしいが、それを苛立たしく思う事はなかった。





 翌日。夕方を過ぎた頃に魔王から連絡が来た。明日にはそちらに向かえる、と。屋敷の住人は全員罪に問われる事となる。城へ連行しやすいように準備を整えておいてほしいと頼まれた。
 肝心の領主は今夜屋敷を空けているが、明日の昼過ぎには帰ってくる予定だ。魔王が来るのもそのくらいの時間なので問題はないだろう。
 やっと寧斗をここから連れ出し嫁にできる。
 夜になり、ポチは屋敷に忍び込んだ。まっすぐ寧斗のところへ向かう。
 寧斗が寝泊まりするために宛がわれているのは物置だ。一日中働かせた上、こんな場所で休ませるなんて。
 ポチは領主と、この屋敷の人間全てに憤りを覚えた。
 閉じられた物置のドアから、体を滑り込ませる。ポチは自由に体の大きさや形態を変えられる。閉じられたドアのほんの少しの隙間があれば通る事が可能だ。
 狭い物置の固い床の上で、寧斗は毛布にくるまっていた。

「寒いなぁ……」

 呟く彼の元へ近づいた。

「ぅわっ!? びっくりした……」

 いきなり目の前に現れたかのように寧斗はぎょっとした。わざとではないのだが、音もなく近づけば驚かれるのも無理はない。

「お前、屋敷の中まで入ってきちゃったのか? 危ないって言ってんのに……」

 苦笑を浮かべながら、寧斗は手を差し出してきた。餌を求めてやって来たと思っているようだ。そうではないのだが、遠慮なく噛みつく。
 寧斗の血を自分の身に取り込み、自分の血を寧斗へと送り込む。
 その作業の途中、寧斗がもう片方の手をこちらへ伸ばしてきた。

「…………違うか」

 彼はポツリと呟き手を止める。
 触れてくるのかと思いきや、寧斗は何もせずその手を引っ込めてしまった。まるで自分が触れてはいけないと思っているかのようだ。

「俺の血、そんなに美味いのか……? 絶対不味いと思うんだけどな」

 ポチを見つめながら、語りかけてくる。その目は穏やかで、血を吸うポチを厭う気配はない。

「…………俺の血でもいいならさ……全部、吸ってもいいからな」

 なんて、そんな事を寧斗は言う。

「俺の血、全部お前にやるよ」

 それはつまり、死んでもいいという事だ。
 寧斗はそういう意味で言ったのだろう。
 命を奪うつもりはない。だが、血を全部くれるという事は、彼の命をくれるという事だ。
 ならば、遠慮なくもらおう。寧斗の全てをもらい受ける。
 彼が、許可したのだ。
 これで、彼の同意のもと、彼を嫁にできる。
 寧斗はポチのものだ。
 そんな勝手な解釈をされているとも知らず、寧斗はとろりと目を細め、ゆっくりと眠りに落ちていった。
 ポチは彼の手から牙を抜く。
 ポチと寧斗の血が完全に混ざり合った。そうする事で、ポチは彼と繋がれる。寧斗の考えている事や感情が、ポチに伝わってくるのだ。
 だが寧斗は魔力を持たない人間なので、ポチの思っている事が彼には伝わらない。ポチが一方的に彼の気持ちを読む事ができるようになったのだ。
 その為に、ポチは寧斗と互いの血を混ざり合わせた。
 血を吸われているだけだと思っている寧斗は、まさかそんな事になっているだなんて想像もしていないだろう。
 彼は穏やかな顔で眠っている。
 ポチは体を大きくした。そして彼に寄り添う。触手を伸ばして体を包み、温める。
 そうしながら、じっと寧斗の寝顔を見つめる。触手の先で優しく頬を撫でた。
 寧斗はん……と小さく声を漏らすが、起きる気配はない。ポチの触手に包まれて気持ちよさそうに眠っている。
 そんな姿を見ていると、どんどん愛しさが込み上げてくる。
 この可愛い生き物が自分の嫁なのだ。そう実感すると幸せに胸が熱くなる。
 触手の先で瞼を、鼻を、唇を、そっと撫でる。
 寧斗はされるがまま、無防備に寝ている。
 小さくて、柔らかくて、可愛い。
 顔を近づけて、すんすんと匂いを嗅ぐ。
 匂いも声も体温も、彼の全てが愛しく思えてくる。
 ポチは飽きる事なく寧斗の寝顔を見つめ続けた。
 気づいたら朝になっていた。屋敷の人間が起きて活動しはじめる気配を感じる。
 寧斗はまだ熟睡している。起きる様子はない。
 触手に包まれて眠るのが気持ちいいのだろうか。このまま眠らせてあげたい。
 寝坊などしたら、屋敷の人間はきっと寧斗を起こしに来るだろう。その前に、全員眠らせておこう。
 ポチは離れ難く思いながらも寧斗から触手をそっと離した。
 それから体を縮め、物置から出る。起きている人間を一人ずつ魔力を使って眠らせていった。まだ寝ている人間も同じようにする。そうすれば、ポチが眠りを解かない限り目を覚ます事はない。
 簡単に屋敷の中の人間を全員眠らせる事ができた。
 後は領主が帰ってきたら、彼も同じように眠らせるだけだ。
 眠らせた人間はその場に放置し、ポチはすぐに寧斗のところへ戻った。物置の中へ体を滑り込ませれば、彼はまだ眠っていた。
 体をまた大きく変化させたポチは、いそいそと彼の傍らへ移動した。
 すると、まるで待っていたかのように寧斗は身を寄せてくる。
 彼のその仕種に、心臓が締め付けられるかのような衝撃を受けた。
 触手を彼に巻き付けてぎゅうぎゅうに抱き締めたい衝動に駆られる。
 けれどそんな事をしたら起こしてしまう。ポチはそれをグッとこらえた。
 しかし感情を抑えきれず触手がざわざわと蠢く。こんな事ははじめてだ。
 服を脱がせて、彼の素肌に触手を巻き付け余すところなく触れてみたい。口の中を味わいたい。彼の体の中の熱を感じたい。
 全部知りたい。寧斗の全てが欲しい。
 ポチの感情に反応し、寧斗の周りでうようよと触手が動く。
 けれど起こしたくないという気持ちが勝り、ポチは傍らで寧斗の眠りを見守り続けた。
 それから数時間後。

「んんー……」

 コロンと寝返りを打った寧斗が目を覚ました。

「…………へ?」

 隣に寝そべるポチを見て、彼はパチパチと瞬きする。

「えっ!? えっ……ええっ!?」

 大きな声を上げて飛び起きる寧斗。

「はっ……えっ? でか……えっ……一晩でこんな成長したのか……?」

 寧斗にはずっと小さな姿しか見せていなかったので、アレがポチの通常のサイズだと思っていた彼は随分驚いている。
 驚愕のあまり硬直していた寧斗だが、ハッと我に返った。

「って、今何時だ!?」

 時計はないので、寧斗は窓の外を見て太陽の位置を確認する。その瞬間、彼の焦りが伝わってきた。

「ヤバい、寝坊した……!」

 屋敷の人間が全員ポチに眠らされていると知らない寧斗は青ざめ、そして誰も起こしに来ない事に疑問を抱く。

「っていうか、どうしよう……」

 寧斗はポチに顔を向け、頭を悩ませている。
 ポチの存在をどうやって隠したらいいのかと。自分のピンチよりも、ポチを無事に屋敷の外へ逃がす事を考えてくれている。

「そうだ、夜になるまでここでじっとしてればいいのか。皆が寝てから外に出ればバレないよな」
 
 そろそろ領主が帰ってくる頃だろう。魔王もこちらに向かっている。
 隠れる必要はないのだと説明はできないので、ポチは体を小さくした。それを寧斗は呆然と見つめる。

「…………もしかして、自在に体の大きさ変えられんのか……?」

 驚いている寧斗だが、異世界の生き物なのだからそういう事もできるのだろうと納得する。

「まあでも、これならバレずに外に出れるよな」

 寧斗に抱えられ、上着で体を覆われる。隠しても見る相手がいないので意味はないが、ポチはおとなしく従った。

「よし、行くぞ」

 ポチを抱えたまま、寧斗は物置部屋を出る。

「…………あれ?」

 しん……と屋敷内が静まり返っている事に、寧斗はすぐに違和感を覚えた。
 何故こんなにも静かなのか疑問を抱き、それから誰もいないのではないかと不審に思っている。

「……何か、あったのか……?」

 寧斗の不安が伝わってくる。
 明らかにいつもと違う異常事態に、寧斗は緊張しながら進んでいく。
 彼の不安を解消したいが、言葉を話せないポチにはどうしようもない。 

「っあ……!?」

 やがて、廊下に倒れている人間を見つけて寧斗は声を上げた。

「ど、どうして……どうすれば……」

 寧斗の不安が膨れ上がる。動揺し、人を捜して別の場所へ急ぐ。

「だ、誰かっ……」

 寧斗は声を上げて屋敷中を歩き回るが、ポチが眠らせたので助けてくれる者は誰もいない。寧斗からすれば、屋敷の人間が全員倒れていて、原因も不明で、こんな状況は恐怖でしかないだろう。
 怖がっている感情がひしひしと伝わってきて、申し訳ない気持ちになった。早く魔王が来てくれたら、寧斗に説明してもらえるのだが。

「なん……なんで……っ?」

 寧斗は混乱している。
 彼の腕の中で、ポチは屋敷の外に人の気配を感じた。領主が帰ってきたのだ。
 外へ助けを求めに行こうとする寧斗。すると、寧斗が開けるよりも早く外側からドアが開けられた。

「ひっ……!?」

 寧斗は短く悲鳴を上げた。相当驚いている。
 上着で覆われていてポチに姿は見えないが、確かに領主がそこにいるのがわかった。

「っ……何だ、お前……。こんな所で何をしてる?」

 領主は棘のある言い方で、何も言えずにいる寧斗に詰め寄る。

「何をしているんだと訊いているだろう? まさか、逃げるつもりだったのか?」
「ち、違っ……そうじゃ、なくて……」

 領主に対して怒りが湧いた。彼がその目に寧斗を映し、声をかける事すら許せない。
 ポチは寧斗の腕から飛び降りた。

「あっ、お前……!」
「っ……何だ、コイツ……」

 寧斗は驚き焦り、領主は怪訝そうにポチを見下ろす。

「お前が連れ込んだのか?」
「そ、それは……」
「人の屋敷で、勝手な真似をするな! 売れ残りの役立たずが、余計な事を……っ」

 愚かにも寧斗に掴みかかろうとする領主を、ポチは魔力で動けなくする。触手の奥に隠れた瞳で睨み付け威嚇すれば、領主はギクリと顔を強張らせた。
 ポチはそのまま領主を眠らせる。

「うっ……!?」

 領主はその場に倒れた。いきなり倒れ込んだ領主を見て、それから寧斗はポチへ視線を向ける。

「もしかして、ここにいるヤツらが倒れてるの、お前が……?」

 そうだ、と伝える事はできないが、状況的に寧斗はポチのやった事だと判断する。すると寧斗はポチの前で膝をつき、声を上げた。

「お前、早くここから離れろ! 遠くへ逃げるんだ!」

 ポチが罰せられると思い、必死にここから離れるように訴えてくる。

「早くしろ! ここにいちゃダメなんだ!」

 ポチがどうなろうと寧斗には関係ないだろうに、彼は一生懸命ここにいてはいけないと伝えてくる。
 か弱くて優しい、愛しい生き物だとポチは寧斗をうっとりと見つめた。
 健気な嫁の姿に胸を震わせていると、魔王が到着したのを感じた。そしてすぐ、開いたままのドアから魔王が姿を見せた。

「待たせたね、ポチ」
「っ……!?」

 前触れもなく第三者の声が聞こえて、寧斗は驚き後ろへと顔を向ける。
 現れたその人物の姿を目に映し、寧斗はそれが魔王だと気づいた。動揺と焦りに寧斗は思考が働かなくなる。そんな彼が取った行動は、自首だった。

「お、俺です……!!」

 唐突な発言にきょとんとする魔王に、寧斗は懸命に言葉を重ねる。

「俺がやりました! 屋敷の人達が皆、倒れてるの……俺がやったんです……!!」

 何も考えずただ必死に、ポチを庇おうとしてくれている。そんな寧斗にじーんと胸が熱くなった。
 状況が飲み込めていない魔王に、寧斗は自分を庇っているのだと魔力を介して言葉を伝える。

「ふむ。なるほど」

 ポチの話を聞き、魔王は納得し頷いた。

「ポチを庇っているんだな。大丈夫、その子は私のペットだ。屋敷の中の人間達は、私の指示でポチが眠らせた。だから、心配する必要はない」
「…………え?」

 魔王が寧斗に説明してくれる。しかし何も知らなかった寧斗は、はじめて聞かされる事実を理解できずにいた。

「……ペット……ですか?」
「ああ」
「この……この子、が……魔王様の?」
「そうだ。ポチが世話になったな」
「ポチ……」

 寧斗が呆けた様子でポチの名前を呟くように口にした。はじめて、漸く彼に名前を呼んでもらえた。そんな事がこんなにも嬉しいのだと、ポチははじめて知る事となった。
 呆然としていた寧斗は、ゆっくりと魔王の言葉を理解する。そして、ただただ安心した。

「そっか……そうだったのか……。よかった……」

 ポチを思う彼の気持ちが伝わってきて、愛しさが込み上げる。

「ポチをそこまで思っていてくれるとは……さすがポチが選んだ嫁だな」

 そんな寧斗を見て、魔王は満足そうに笑みを浮かべた。
 既にポチは寧斗を嫁と思っているが、もちろん彼はその事を知らない。思いもよらぬ言葉が飛び出し、戸惑う。

「え……と……今、なんて……?」
「さすがポチが選んだ嫁だな」

 魔王は律儀に同じ言葉を繰り返すが、寧斗には意味がわからない。

「嫁って……何の事です?」
「ネイトが、ポチの選んだ嫁という事だ」
「嫁? 嫁って……結婚相手、とか、そういう意味の言葉ですか……?」
「ああ、そうだ」

 寧斗は困惑した顔で魔王を見上げている。自分の知らないところで勝手に嫁にされているなんて、想像もできない事だろうから仕方ない。しかし、もう寧斗の命はポチのものだ。寧斗が命をくれるとポチに言ったのだから。
 だがわかっていない寧斗は誤解を解こうと言葉を連ねる。まっすぐに魔王を見上げ、彼に声をかけ続ける。
 先程から、寧斗は魔王しか見ていない。ポチの方へ視線を向けてくれない。魔王とばかり話して、ポチには何も言ってくれない。
 ポチの胸がチリチリする。はじめての感覚だ。
 
「えっと……違うと思います……。俺が嫁に選ばれたとか、あり得ないです。多分、誤解です」
「誤解なものか。既にネイトの体には、ポチの血が半分混じっているではないか」
「…………は?」

 いつまでも魔王しか見ない寧斗に、我慢の限界を迎えたポチは彼の体を自分の中へと連れ込んだ。
 そして、眠っている領主を除きこの場にはポチと魔王だけになる。
 魔王は楽しそうに目を細めた。

「なんだ、ポチ。まだ話の途中だったというのに。心配しなくても、お前の大事な嫁を取ったりはしないぞ、私は」

 そんな事はわかっている。でも、寧斗はどう思うかわからない。
 魔王の顔は、一般的に見てとびきり美形の部類に入るらしいのだ。ポチにはわからないが。
 だったら寧斗から見ても、魔王は美形なのだろう。そんな美形が、まるでここから寧斗を救い出すヒーローのように現れた。
 寧斗は魔王に好意を抱くのではないか。
 そんなのは嫌だ。
 寧斗の気持ちは全部残さずポチだけに向けてほしいのだ。
 ポチの独占欲を察し、魔王はククク……と笑みを零した。

「お前がそんなに嫉妬深いだなんて、知らなかったぞ」

 ポチだって、知らなかった。自分がこんな感情を抱くなんて。

「さて、それよりもやる事をやってしまわなくてはな」

 そう言って、魔王は動き出す。
 屋敷の住人達全員を回収し、城へ連れていく。領主から異世界から召喚した人間の人数、そして売り付けた相手の情報を聞き出す。召喚された人間の保護、人身売買を行った者達の処分。この土地の新しい領主も選ばなくてはならない。

「やる事は山積みだな」

 言いながら、魔王はポチと屋敷中を回り眠らされている人間を回収していく。魔王は魔力で持ち上げ、ポチも触手で持ち上げそれを手伝う。魔力で眠らされているので、彼らは何をしても起きない。
 一人一人回収して回りながら、彼らが寧斗にしてきた仕打ちを思い出す。
 子供じみた嫌がらせを繰り返し、長い時間寧斗を苦しめ続けてきた。まともな食事も与えず、仕事を押し付け、嘲笑し蔑んできた。
 強い怒りと憎しみが沸き上がり、このまま触手で絞め殺してしまいたくなる。

「落ち着け、ポチ」

 ポチの殺気に気づいた魔王が止める。

「ここで殺してしまったら、コイツらの苦しみは一瞬で終わってしまう。コイツらには、犯した罪の分、一生かけて苦しみ続けてもらわなければいけない。そうだろう?」

 魔王に言われて、確かにそうだと思い直す。怒りのままに衝動的に殺してしまっては意味がない。そんな簡単に終わらせてはならない。
 魔王に任せれば、きちんと彼らに相応の罰を与えてくれるだろう。
 怒りは消えないが、殺意は押し殺した。
 そんなやり取りをしながら、ポチの中では、内側のポチが寧斗と濃密な時間を過ごしていた。外側では魔王の仕事を手伝い、内側では愛する嫁と睦み合う。
 ポチはそういう事が可能な生き物なのだ。
 屋敷の人間を回収し終えると、魔王と一緒に屋敷を出る。
 魔王は魔力で城に通じる扉を作った。ここを通れば一瞬で城へ移動できる。

「今回はご苦労だったな、ポチ。城に帰ったら、ネイトとゆっくり休んでくれ」

 魔王からの労いの言葉を受けると誇らしい気持ちになる。
 これからは、寧斗と共に過ごす生活がはじまるのだ。
 喜びを胸に、ポチは魔王と一緒に扉をくぐった。







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タイトル通りの内容です。 自称平凡モブ顔の主人公が、イケメンに捕まるまでのお話。 他サイトでも公開しています。

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。顔立ちは悪くないが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…? 2025/09/12 1000 Thank_You!!

神官、触手育成の神託を受ける

彩月野生
BL
神官ルネリクスはある時、神託を受け、密かに触手と交わり快楽を貪るようになるが、傭兵上がりの屈強な将軍アロルフに見つかり、弱味を握られてしまい、彼と肉体関係を持つようになり、苦悩と悦楽の日々を過ごすようになる。 (誤字脱字報告不要)

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
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