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2巻
2-3
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三 瓜坊令息、学園へGO!
「明日から学園かぁ……」
ちゃぽり、と湯を掬って俺は呟いた。
学園に行ったらバスタブが狭いから三人でお風呂に入れない。だから、今日は三人でゆっくり入っているのだ。
家出前、邸ではずっとアマンダが風呂に入れてくれていたから、てっきり俺達の風呂を世話したがると思っていた。だが、修行が足らないとかで、アマンダはキュルフェに全権を預けたらしい。
お陰でキュルフェは上機嫌で俺達を世話している。
(本当にアマンダは真面目だよね。なんの修行をするんだろう。スキルアップ系乙女なんだから、もう)
風呂はローズピンクの湯に薔薇の花びらが浮かんでいる。
俺とスーロンはその香りを楽しみながら、湯の波紋で花びらを赤とピンクに分けてみようとしたり、お互いの作業を邪魔したりして遊ぶ。
俺達三人の髪の毛はキュルフェによりべちょっとしたペーストにまみれ、ぐるぐると頭の上で渦巻きにされていた。不思議なザリザリしたペーストで顔と体を磨かれている。
顔に貼り付いてるククンバのスライスが気になる。取りたい。寧ろ食べてしまいたい。何故、食い物を顔に貼るのか。
そんなことを考えつつ、俺達は辛抱強くキュルフェのなすがままになっていた。
「楽しみだな、スーロンとキュルフェと一緒に学園に行けるなんて」
「俺はちょっと恥ずかしいな……。十八歳の群れに一人二十四歳だ。……しょっぺ! ぺっ!」
俺の言葉に、スーロンがそう言ってから顔のククンバをパリッと齧り、吐き出した。そーなんだ、しょっぱいのか、食べなくて良かった。好奇心猫を殺す、というが、こーいうことだよな。
「あ! 何してるんです? スーロンたら! 塩マッサージした後の顔に貼ったククンバなんてしょっぱいに決まってるでしょう」
そんなことされてたのか、俺達。
そうしてピカピカになった俺達は、今日も三人くっついて寝た。明日からは狭くなるから、広いベッドを堪能しようって言ったのに、いつも以上に密着している気がする。
丹念に磨き上げられたせいか、俺もスーロンもキュルフェもちゅるっちゅるのスベスベで、肌が触れ合う度に妙な気分になった。
翌朝。少しゆっくりめに起こされた俺達は、朝から窮屈な貴族らしい服を着せられ、バーマンやアマンダ達使用人に見送られて父上と兄上と一緒に馬車で邸を出た。
これから父上は王城に会議に。兄上とスーロンとキュルフェは養子縁組をしてくれるジャスパー翁と合流してから王城に行って、学園に来るそうだ。
先に俺だけ学園で降ろされ、半日ほど一人で過ごさないといけないらしい。
邸ではずっと一緒だったからか、少し寂しいが、まぁ、何処の町でも半日くらいは一人で散歩してたしな。散歩と思おう。うん。
学園前で降ろされた俺は、ミスリルスレッジハンマー、筆記具とノートと今日の教科書という最低限の荷物だけを持ち出す。
「サーミ、ハンマーはダメだよ。後でお部屋に運んでおくから、馬車に残していきなさい」
えー……ちぇっ。
「……分かりました。父上」
というわけで、制服姿に筆記具とノートと今日の教科書という最低限の荷物だけを持ち、俺は校舎に向かった。…………うう……ハンマーないと、なんだかスースーする。
四 大型庶子がやってきた! モルト・ブレーン伯爵令息の独白
『サミュエル・コートニーが帰ってくる』
その噂が流れてどれほど経ったか……
最初は期待でワクワクムードだった婿希望令息達も、最近はしょんぼり意気消沈している。
俺、モルト・ブレーン伯爵家四男もその一人だ。
皆、少しでも周りを出し抜きたくて、あの手この手で探しているのだが、全く情報が出てこない。全くだ。コートニー領は王都から一週間もあれば余裕で着く距離にあるのに、一週間どころか、一ヶ月経ってもサミュエル・コートニーは現れず、彼に関する詳しい情報も掴めなかった。
はぁ、サミュエル・コートニー。金持ちだし、親戚一同に溺愛されているらしいし、痩せたら絶対可愛い系だし、性格おしとやかだし。そんな令息に惚れられたら、人生盤石だろーなーなんて夢見ていたけど、そろそろ婚活頑張る時期かな。アゼルが本気らしいし。俺が彼に勝てるのは身長だけだから。
なんて考えながら、俺は校舎に向かっていた。
四年前の今日、サミュエル・コートニーは、誕生日の三日前にもかかわらず家出した。
「もう四年かー」
ふと、前を見ると、膝まである白いお下げを揺らした令息が歩いている。
少し弾んだウキウキした足取りで、ぷりんぷりん♪ と揺れるお下げがご機嫌な動物の尻尾みたいな、大変キュートな後ろ姿♡
あれ? でも彼、どっから来た? 抜かされた覚えはないが……
学生寮から来たのではないのだろうか。ということは通用門から?
気になって近づいてみる。すると、足音で気付いたのか、白お下げ君が振り向いた。
「ん……おはよう!」
「お、おはよう……!」
ヘヘッと弾けるような笑みで挨拶をしてくる白お下げ君に、俺の心臓はぶち抜かれる。
(か、可ぁー愛ぁーいィ――!!)
身長は百七十五センチくらいだろうか? 少し日に焼けた黄桃のような滑らかな肌に、鼻の中心から頬にかけてちょっとだけソバカスが浮いてるのが愛らしい。目元と口元が薔薇色とアプリコットで彩られ、白い睫毛に縁取られたスカイブルーの瞳がキラキラしている。
~~~~ッア――! なんて美少年!! くりくりの可愛い目鼻立ちが大変キュート! こんな令息いたか!? いや、いない!
つまり彼は外部から今日、学園に入ってきたんだ! 庶子だ! こんな時期に入学なんて庶子に決まっている!! しかもこの可愛さ、四年前のエンゼリヒトを凌ぐ!?
これはえらいことになった! 大型の庶子が入ってきたぞー!!
「見慣れないコだね……もしかして、道案内が必要かな? あ、俺はモルト・ブレーン伯爵家四男だよ。でも、敬語は……」
「いや、大体は覚えてるんだ……あ、敬語はいいよ。堅苦しいの嫌いなんだ♪」
いやいやいや、敬語はいいよって、言うのは身分が高いほうだから。
んもう、これだから庶子は……! でも許す! 身分がよく分からなくてちょっと無礼に距離を詰めてくるのが庶子の魅力だし!!
ああ可愛い! ああ唇ぷるぷる!! ああいい匂い!!
キョロキョロしつつ軽い足取りで進む白お下げ君の後ろを、俺はフラフラとついていった。
「んー……あれ?」
ところが突然、お下げ君がピタリと立ち止まる。
いけない、俺が三歩後ろを歩きながらくんかくんかしてたのがバレたか!?
「あ、……へへっ……なぁ、C校舎ってあっちであってる?」
うわっ! 心臓が!!
道案内を断ったのに分からなかった気恥ずかしさからか、ニヒッと顔をくしゃくしゃにして笑うお下げ君は、それはもう魅力の塊、ダイヤモンドの煌めき、神が造りたもうた至上の庶子……はっ! いかん、思考が一瞬トリップしていたようだ。
「ああ、C校舎に行くの? もしかして最終学年? 俺も最終学年なんだよ。同い年だね。こっちだよ、一緒に行こうよ」
俺は努めて冷静に、穏やかに、紳士的に対応した。
あー可愛い! でも、いきなりエスコートとかしたらビックリするよね? でも一応、腕を出しておこう。さりげなく出しておこう。掴まるかな? 掴まるかな?? ねぇ、掴まってよ!!
「……? 知ってるよ? モルト・ブレーンだろ? ……三階のB教室なんだって」
お、俺のことを知ってる!? 成る程! 貴族知識を詰め込んで来たんだね……。可愛い。その形の良い頭の中に、たった数行の文字でも俺の情報が詰まっているって考えたら嬉しくなっちゃうな。
賢いな……。でも、天然。俺はまだ君の名前を聞けてないのに。
あー、でも、名前を教えてって、勇気いる!! アゼル辺りならしれっと聞いてしれっと愛称呼びまで行きそうだけど……
「何か暑い……ジャケット脱ごう」
おわぁぁぁぁ!! 薄着になるのはいけない!! 君みたいなのが薄着になるのは!! あああ、あああああ♡ あああ♡♡
暑いと呟いておもむろにジャケットを脱いで腰に括り、真っ白の上質なシャツを腕捲りして素肌を晒すお下げ君はもう、俺の暗殺を依頼されているとしか……。でも、こんな暗殺ならもう喜んで死んじゃう。
「俺……最近、ずっとタンクトップだったから……、ジャケットとかシャツとか暑くて窮屈でさ」
俺の凝視を、咎められていると思ったのか、恥ずかしそうに言い訳してプチプチと首元のボタンを二つ外す姿は、もう夢に出るくらい可愛い。純朴そうなのが逆にすごくエロい。
田舎で家畜や森の動物達と走り回って、汚いものはなんにも知らずに元気に育ったんだろうなぁ。
……結局、お下げ君は腕に掴まってくれず、俺達はそのまま歩き出す。俺はまた三歩後ろに張り付いて、彼の良い匂いを嗅ぎ続けた。
というか、彼、意外と歩くのが速い。超速い。そんなに速く歩いている感じはしないのに。
「なぁ、聞いたか? サミュエル・コートニーが今日復学するらしい! 学生課職員が言ってたんだ! 確かな情報だぞ!」
「マジか! やっと……ゎ! なんだ、あのコ! 見ろよ! 可愛い……!」
颯爽と進むお下げ君の後ろをついていくと、そんな声が聞こえてきた。
なんと……! サミュエル・コートニーは庶子とぶち当たる呪いにでもかかっているんじゃないか? エンゼリヒトと婚約者が浮気したせいで四年引き籠りやっと帰ってきたってのに、同じ日にこんな大型庶子が入学してくるなんて……
現に今も、サミュエル・コートニーの噂なんか忘れて、皆、大型庶子の登場に目が釘付けになっている。
というか、このお下げ君は本当に凄い!
何故なら、攻め入る側も受け入れる側も、どちらも等しく魅了しているのだ!!
俺達のハートをガッツリ掴んでビクトールのもとにまっしぐらに突き進んでいったあのエンゼリヒトでさえ、受け入れる側には嫌われていたというのに。
そもそも、この国や近隣諸国の貴族界隈では、基本的に身長百七十センチ半ばというのはモテない。どっちつかずなのだ。受け入れる側なら小柄で華奢な百七十センチ以下が好まれるし、攻め入る側なら百八十を越えなければマイナス評価となる。
そのどっちつかずの身長に靭やかに筋肉のついた体がこんなに魅力的に見えるのは、もはや奇跡と言えるだろう。
前から歩いてくるキャピキャピ下級生の一団が、頬を染めてお下げ君を見つめ、ヒソヒソモジモジする。彼らから見たら、やんちゃ少年的な魅力に溢れた攻め入る側なのだろう。
別の令息達も足を止めてお下げ君をボーーっと見つめていた。彼らからしたら、やんちゃで初心そうな庶子のカワイコちゃんだ。
そうやって大型庶子お下げ君はすれ違う令息達を魅了し、フラフラと後ろにいっぱい男を引き連れてC校舎に入った。
三階のB教室に着く頃には、C校舎に入れない下級生に代わり、かなりの数の最終学年生が周りを取り囲んでいる。だが、お下げ君は特に気にした様子もなく、ちらっと俺と目があった時に、「やっぱり、こんな途中の時期だから目立っちゃうね」と、笑っただけだった。
お下げ君の視線でB教室に入りたいんだと分かったんだろう。数人の令息が道と扉を開け、とうとうお下げ君がB教室に到着する。
……それまで談笑していたであろうB教室の面々がハッと息を呑み、教室が静まり返った。
廊下の令息達が固唾を呑んで見守る中、お下げ君は教室を見回し、コツコツと軽やかな靴音を響かせて窓際から二番目、一番後ろの席にポンと荷物を置く。
その動作に、B教室の面々の顔に緊張が走った。
(これはいけない!)
何度か会話した自分が一番適任と判断し、俺はお下げ君に声を掛ける。
「お、お下げ君、ここはサミュエル・コートニー侯爵令息の席なんだ……!」
〝サミュエル・コートニーに手を出してはいけない〟
四年前の騒動で練兵合宿所送りになった令息達を思い出す。絶対にこのカワイコちゃんを同じ目に遭わせてはいけない。
ところが、返ってきた答えは意外なものだった。
「フフ、……知ってるよ。だからここに座るんじゃないか」
「えっ?」
どういうことだ? このカワイコちゃんはサミュエル・コートニーに喧嘩を売りに来たのか?
一気に周りの空気が張り詰めて、俺の〝え?〟だけが無駄に響いて消える。
「やだな、サミュエル・コートニーの席に着いても分からないか?? 俺がサミュエル・コートニーだよ! 皆が気付いてないのが面白かったけど、流石に席に着いても気付かれないのは驚いたな。白い髪ってそこそこ珍しいって思ってたんだが……」
っエエエエエエエエえええゑゑゑ∂∇☆⇒@∀⇔☆☆!?
教室内外からC校舎が揺れるくらいの絶叫が響き、俺の絶叫も思考も掻き消される。
そんな中、「ゎわっ!」って感じに慌てて耳を塞ぐお下げ君改め、サミュエル・コートニーの仕草と眉根を下げた表情は非常に可愛らしかった。
五 瓜坊令息と腹黒令息。そして学園生活最大の懸念
「嘘だろ!? サミュエル随分痩せたなぁ! 見違えたぜ!」
目の前にいたモルト・ブレーンをぐいっと押し退けて、アゼル・トラフトが俺に話し掛けてきた。
「アゼル! 久し振りだね。君は雰囲気あんまり変わらないなぁ」
俺よりちょっと身長が高いけど、だいたい体型は一緒くらいだ!
俺はそれが嬉しくて笑顔になる。気を悪くしたかな? と、思ったけど、アゼルはいつも以上にニコニコだった。
良かった♪
彼は同じ侯爵家の三男で、親切で明るい皆の中心的人物ってヤツだ。
さっきも何人かの令息に囲まれて喋っていたから、今も変わらず人気者なのだろう。
いいなぁ、社交的な人って憧れるよね。
実際はその裏でスッゴク気を配ったり、色々努力したりしているからこその求心力だ。俺には到底真似できない。だから、憧れるだけなんだけど。
「なんだサミュエル、俺のこと、覚えててくれたんだ?」
嬉しいなぁ、なんて言って笑う、そーゆーところがきっと人気の所以なんだろーな。
「アゼルがデレデレだ……」
「しっ! 聞こえたらどーすんだよ!」
俺達から離れた所でヒソヒソ囁かれているのにも気付かず、俺は久々に話すアゼルの変わらない雰囲気を喜ぶ。
「それにしてもサミュエル、綺麗になったのなー」
けれど、そう言って不意にアゼルが俺の顔に触れようとした時、思わずその手首を掴んで威嚇してしまった。
「何するんだ、アゼル。許可なく人に触れるなんて、不届きだぞ」
アゼルはビックリしたように目を丸くして、それからニコニコと笑う。
「ごめんって、サミュエル~。そんな怒るなよ~」
慌てて手を引っ込める彼に満足した俺は、お詫びにとくれた菓子を食べながら、アゼルと色々な話をした。
そうして最初の授業は特に問題なく過ごしたのだが、その次の授業が終わりそうな頃に限界を迎える。
とうとう来てしまった……。この学園生活の最大の懸念。それは――
「ぉ、おなか減った…………」
そう、空腹である。
実はこの四年、ダイエットと言いながら、全く食事量を減らさなかった。寧ろ増えたし、二年くらい前からは好き放題食べていた。それでもメキメキ痩せていっていたのだ。
皮がタルタルしていた時なんか、痩せすぎて皮が戻らなくならないように、敢えて沢山食べるという幸せな時期もあったしね。
なので、しょっちゅう何か食べてて。でも、学園ってそんなわけにはいかなくて……のぉぉぉ。
身を捩って耐えるが、もうそろそろ盛大に腹の虫が咆哮してエサをねだる時間である。
大変だ。なんとかしないと、恥ずかしいことになってしまう!
俺は教師の言葉を聞き流して必死に打開策を考えた。
……結論はこうだ。
最短で食堂に行く。
いつも行っていた食堂。昼休み後は閉まるけど、午前中は空いているんだよね。それを思い出した時は歓喜のあまり、授業中にもかかわらず小躍りするところだった。危ない危ない。
あのオニーサンまだ働いているかな? ……そういえば名前も知らないや。
いつも、何を食べるか決められない俺にバランス良くメニューを選んでくれて、優しくて、結構好きだったから、会えたら嬉しいなぁ。……俺のこと、覚えてくれているかなぁ??
最短ルートを頭の中に描いた俺は、懐かしい思い出に耽りながら、授業が終わるのを待つ。
授業が終わり、俺は気配隠蔽の魔法を掛けて、そっと教室のバルコニーに出た。
キョロキョロと誰も見ていないのを確認する。授業が終わってすぐなので、まだ誰も外に出ておらず、「今の内!」とばかりにバルコニーから飛び降り中庭をコソコソと突っ切った。
ダッシュすると腹が減るので小走り小走り。
懐かしい道――前は急いでも中々終わらなかった長く長く続く渡り廊下があっという間に終わる。
身長も高くなったし、足が長くなると歩幅も大きくなるもんな♪ いや、痩せたからってのが一番大きいな。
(オニーサン、いるかな?)
俺はちょっとワクワクしながら食堂の扉をそっと押した。
キイッと扉が音を立てて俺を招き入れ、その後、キッキッと微かに揺れる。
食堂には誰もいない。厨房の奥でガタガタ、ガチャガチャバタンバンと忙しない音がしていた。
ドキドキしながら食堂のカウンターに近づく。
と、ひょこっと奥のキャビネットの陰から、鍋とトレイを重ねて持った誰かが現れ、俺に気が付いた。
いつも食堂でお世話になっていたオニーサンだ。髪が伸びているし、背丈がそう変わらなくなっちゃっているけど、確かにオニーサンだった。
なんて言おう、気付いてくれるかな? 覚えていてくれるかな? ワクワクドキドキしながらオニーサンを見る。
……ガシャン! カン! クヮンヮン……ヮン。
「…………サミュ……エル?」
オニーサンは最初に、いらっしゃいとか、そんなことを言おうとしたんだと思う。
でも俺の顔を見た直後、みるみる目がまん丸になり、持っていた大きなトレイを取り落とした。傾いたトレイからボウルが一個シンクに転がり、クルンクルンと独楽みたいに回ってから止まる。
暫しの静寂の後、オニーサンは喉からぽそっと俺の名前をこぼした。
「ぇへへ……久し振りだね。オニーサン、俺の名前知ってたんだ。嬉しいな……」
本当はもっといっぱい言いたいことがあったのだけど、やっぱり真っ白になっちゃった。俺って本番に弱いなぁ。
「サミュエル! お帰り!! 凄いじゃないか!! 痩せてスッゴク美人になって!! 大きくなってる!! モジモジしてなきゃサミュエルだとは分からないくらい、変わったなぁ!!」
そんなオニーサンの言葉が嬉しかったり、恥ずかしかったり。
オニーサンがハッとして、名前を呼び捨てにしたことを謝ってきたが、俺は四年間、冒険者として過ごしていたからそっちのほうが嬉しいと、そのままの喋り方をお願いした。
「四年も冒険者してたのか??」
驚くオニーサン(テートさんというらしい。二十四歳なんだって)の反応が嬉しくて、ここに来た目的も忘れてお喋りに華を咲かせる。が、俺の腹時計は精密だった。
ゴウゴウワァァァご? ご?? ぎゅうぅうんキュキュ♡ くるぅきゅるるーん♪
だだっ広い食堂に音が轟く。
「おわっ!? なんだ!? もしかして、サミュエルの腹の虫か??」
「は、はずかしーぃ!!」
驚いて騒ぐ、オニーサン改めテート。俺は恥ずかしくて恥ずかしくて、思わずその場にしゃがみこむ。
が、お陰で俺の腹の減り具合を察してもらえたので、その後の話は早かった。
「そっかぁ、なんにも気にせず好きなだけ食べてたから、毎日どのくらい食べてたか分かんないのかぁ」
「そうなんだ。だから、スッゴク腹が減っちゃって。でも、学園生活って多分今までより運動全然しないだろうから、もう、どれだけ食べて良いのやら……」
取り敢えずテートオススメ雑穀パンサンドを齧りながら話す。
「まぁ、今日と明日はいつも通り食べてもらって、それ見て調整してやるよ♪」
テートが胸を張って言うので嬉しくなり、俺は彼の手をガシッと握り締めて礼を言った。
「ありがとう!! 嬉しい!! あ、そーだ! 今日の夕食は俺と婚約者二人が一緒に食べるから、多分すごく量がいると思うんだ。いつもより多めに料理を作ってくれると嬉しいな!」
カラーンコロンと始業前のベルが鳴る。ヤバイ!
「あ、授業始まる!! じゃあ、また昼休みに来るね!! サンドイッチありがとう!」
俺は残り一つのサンドイッチを頬張って駆け出した。急がなければ! 確か昔の記憶通りなら、始業ベルが鳴り終わるまであと二十五秒のはず!
中庭に躍り出た俺はスーロン直伝の身体強化を使って、まっしぐらに校舎の壁を駆け上がった。
「…………え? ……婚約者……?? ……二人??」
誰もいない食堂でテートが呆然と呟くが、猛ダッシュで教室に戻った俺はそんなことは露も知らず、こなれた腹で授業を乗りきったのだった。
Θ Θ Θ
「え!? アナタ本当にサミュエル坊っちゃん!? ……やだぁ。スッゴい可愛い……♡ アタシ、坊っちゃんなら抱ける……」
午前中の選択授業が芸術だった面々が、昼休みに荷物を置きに教室に戻ってきた。
その中の一人、兄上の友人ヘンリーとアルフレッド兄弟の弟、ミカエル・ハンソンに絡まれる。
まったく、なんてことを言うんだ、腹立たしい!
「おい! 親しき仲にも礼儀あり、だぞ! 抱けるくらい軽そうで悪かったな! だが、俺だってミカエルくらい抱き上げられる!! ていうか、顔を揉むな不届き者っ」
今まで殆ど話したことがなかったくせに人の顔を両手で挟む、すっかり雄ネーサンになったミカエルの腰を掴むと、「うりゃ!」と抱き上げた。
「へっ? ……キャー♡♡ ぃゃぁん♡ え、サミュエル坊っちゃんすっごぉい♡♡」
だが、それで剥がれると思った手が、寧ろ食い込んでくる。
くっ! イイ加減手をはにゃへっ……!!
「むぉい! はにゃへっ! はにゃへっへー!」
ムキ――! 悔しいがガタイの差で、腕をチカライッパイ伸ばしてもリーチが足らずミカエルの手を離せない。いや、不安定で怖いのか力一杯人の顔にしがみついていないか!? コイツっ……
ビシ!
「ぎゃっ!! イタ――」
「大丈夫か!? サミュエル!」
見かねたアゼルがミカエルの逞しい腕に手刀を喰らわせて剥がしてくれた。俺の顔はミカエルにギュウギュウにされて潰れた肉まんみたいになっていたのでよく見えなかったが、多分そう。
ホッとしてミカエルを下ろし、顔を撫でる。顔がお面みたいに外れるんじゃないかと思った。
「ありがとう、アゼル。お陰で助かった」
「可哀想に、大丈夫か? 赤くなってる……」
心配そうに俺の頬を撫でるアゼルがあまりにも自然で慈愛に満ちた顔をしていたので、触るなとは言えず、そっと回復魔法を掛けてから彼の手を剥がした。
「ありがとう、アゼル。回復掛けたから大丈夫だ。俺はもう、昼飯に行くよ」
「そうだな、早く行こうぜ♪」
あれ?? 何か一緒に行くことになってる?? 参ったな、貴族らしくない量を食べるから、あんまり見られたくなかったのに……
「療養中いろんな所に行ったんだろ? 話、聞かせてくれよ! な? 外国ってどんなだった??」
うっ……キラッキラの笑顔でそんなことを言われると断れないな。……まぁ、いっか。
そう思って食堂に向かったが、腕を擦りながらミカエルはついてくるし、隣の特進クラス、A教室から公爵家の令息他数人もついてくるわで、気が付くと学園のキラキラした人気者が勢揃いしていた。やだなぁ。恥ずかしいなぁ。
けれど食堂の扉を開けた途端、俺はそんなことをすっかり忘れて食堂のカウンターに突撃する。
「て――と――♪」
「おお、サミュエル! 来たか! 取り敢えずいつも通り食べてみてくれ!」
「うん! 分かった!……フフン♪ フンフ~♪ フンフンフ~~ン♪」
テートの言葉に、俺は嬉々として左から皿を順に取っていった。両手で持てるだけ買い、カウンターに一番近い席に置く。
アゼルがもっと奥の静かな席に座ろうって言ってきた。
だが、俺は最短で食事にありつきたかったので、ここで食べると宣言する。それで全員ここで食べることになった。
(もういーや)
腹ペコで投げやりになった俺は、もう周囲の目など気にせず好きなだけ食事を楽しむ。意外にも皆、驚いたり呆れたりせず、俺がいない間の有名事件とか、俺のダンジョン攻略とか、いろんな話で盛り上がり、楽しく食事が進んだ。
家出前はこんなことなかったので驚いたが、冒険者の酒場で食べているような楽しさがある。それでいて、これが学校というものの醍醐味! って感じもする。
俺はちょっと、今後の学園生活が楽しみになった。
(早くスーロンとキュルフェ来ないかなぁ)
「なぁなぁ、アゼル、半日って、何時間くらいだ? 八時から半日って何時だ??」
昼飯以降、すっかりアゼルやミカエルと一緒に行動するのに馴染んでしまった俺は、移動教室の帰り、少し黄味を帯びた光が差し込む二階の渡り廊下を歩きながら横のアゼルに問いかけた。
「突然なんだ? サミュエル。そりゃ、二十四時間の半分だから十二時間じゃないか? 朝八時なら、夜八時だろう……」
なんてことだ! あと六時間も待たなきゃなのか??
「あら? でも考えてみて? 普通半日って言う時は睡眠時間は考えないじゃない? だから、六時から二十三時と考えて、その半分だから八時間! 朝八時からなら夕方四時だと思うワ♪」
四時かぁ、八時よりは早くなったけど。
ミカエルの言葉に少し気持ちが軽くなったものの、待ち遠しい。
もう、今日の授業は全て終わってしまったのに、二人はまだ姿を現わさない。俺の思っていた半日は、もうそろそろ過ぎようとしているんだが……
「俺は、半日ってなんとなく六時間くらいなイメージだな。だから、八時からなら今ぐらい!」
三公爵の一つ、ティコック公爵家五男のジューンが明るく言う。その後を継いで、宰相補佐のボーディ家の嫡男とか数人が何か喋っているが、俺の耳を素通りした。
渡り廊下の窓の隅に一瞬、紅色が過ったのだ。
慌てて窓に貼り付き下を見る。学園通用門からエントランスに続く石畳の広い通路、門から少し入った場所に馬車を停めたスーロンとキュルフェが、何か話し込んでいる。
堪らなくなった俺は、ガラッと渡り廊下の窓を開けて、二人のもとに飛び下りた。
「スーロン! キュルフェ!!」
「…………あとはどうやって、ここに連れてくるか、だな……。ん?」
「サミュエル! 危ないよせ!」
「サミュエル!?」
スーロンとキュルフェが上を向き、俺と目が合う。
「ミューー!」
「サミュ!!」
パッと笑顔で迎えてくれる二人に嬉しくなって、二人の前に着地する予定を変更、受け止めてもらおうと手を広げた。
が、いつぞやみたいに二人が笑顔でグイグイと押し合いを始めたのでスッと気持ちが凪ぎかける。
(まったく、俺が二階から飛び下りる短い滞空時間で、なんで兄弟喧嘩できるんだ??)
二人は俺のそんな気持ちを察知して、結局、仲良く抱き止めてくれた。
そうそう、そうこなくちゃ♪
俺は二人にしっかりと抱き着き、スーロンの落ち着く匂いとキュルフェの優しく華やぐ匂いを胸いっぱい吸い込む。
「お帰り!! 二人とも遅いぞ! 淋しかった!!」
「ただいまです、サミュ。私も会いたかった」
「遅くなってごめんな、ミュー。俺も淋しかったよ……」
二人にぎゅっと抱き締め返され、頬擦りされて、頭やらおでこやら耳にキスをいっぱい落とされて。俺はいっぺんに満足してくふくふと笑う。
ジャリ……
不意に硬い地面を踏み締める音がする。気が付くと、アゼルが俺達のすぐに後ろに来ていた。
「……サ、サミュエル……? ……そいつら、は?」
あ、アゼルに紹介しなきゃな。
ミカエルやジューン達も校舎から飛び出てきた。皆、走ってきたらしくて息を切らしている。
俺の婚約者だよ! ……って言うの、何か超照れちゃうよね?? キャーー♡
俺は抱っこから下ろしてもらいながら、チラチラとスーロンとキュルフェを見た。そんな俺を見てにんまりとキュルフェが笑う。
くぅ~キュルフェはいつもそうだ。
俺は二人の手を引っ張ってアゼルの前に行く。
「へへ……紹介するね。俺の婚約者の、スーロンとキュルフェだよ♪」
「婚約者……? え、いつから、……婚約を?」
ビックリしてポカンとした顔で聞くアゼルに、俺は恥ずかしくて二人の腕に絡まりながら答えた。
「へへへへ。こないだ、帰ってきた時に、二人が父上達に打診してくれて……。ね! スーロン♪ キュルフェ♪」
「明日から学園かぁ……」
ちゃぽり、と湯を掬って俺は呟いた。
学園に行ったらバスタブが狭いから三人でお風呂に入れない。だから、今日は三人でゆっくり入っているのだ。
家出前、邸ではずっとアマンダが風呂に入れてくれていたから、てっきり俺達の風呂を世話したがると思っていた。だが、修行が足らないとかで、アマンダはキュルフェに全権を預けたらしい。
お陰でキュルフェは上機嫌で俺達を世話している。
(本当にアマンダは真面目だよね。なんの修行をするんだろう。スキルアップ系乙女なんだから、もう)
風呂はローズピンクの湯に薔薇の花びらが浮かんでいる。
俺とスーロンはその香りを楽しみながら、湯の波紋で花びらを赤とピンクに分けてみようとしたり、お互いの作業を邪魔したりして遊ぶ。
俺達三人の髪の毛はキュルフェによりべちょっとしたペーストにまみれ、ぐるぐると頭の上で渦巻きにされていた。不思議なザリザリしたペーストで顔と体を磨かれている。
顔に貼り付いてるククンバのスライスが気になる。取りたい。寧ろ食べてしまいたい。何故、食い物を顔に貼るのか。
そんなことを考えつつ、俺達は辛抱強くキュルフェのなすがままになっていた。
「楽しみだな、スーロンとキュルフェと一緒に学園に行けるなんて」
「俺はちょっと恥ずかしいな……。十八歳の群れに一人二十四歳だ。……しょっぺ! ぺっ!」
俺の言葉に、スーロンがそう言ってから顔のククンバをパリッと齧り、吐き出した。そーなんだ、しょっぱいのか、食べなくて良かった。好奇心猫を殺す、というが、こーいうことだよな。
「あ! 何してるんです? スーロンたら! 塩マッサージした後の顔に貼ったククンバなんてしょっぱいに決まってるでしょう」
そんなことされてたのか、俺達。
そうしてピカピカになった俺達は、今日も三人くっついて寝た。明日からは狭くなるから、広いベッドを堪能しようって言ったのに、いつも以上に密着している気がする。
丹念に磨き上げられたせいか、俺もスーロンもキュルフェもちゅるっちゅるのスベスベで、肌が触れ合う度に妙な気分になった。
翌朝。少しゆっくりめに起こされた俺達は、朝から窮屈な貴族らしい服を着せられ、バーマンやアマンダ達使用人に見送られて父上と兄上と一緒に馬車で邸を出た。
これから父上は王城に会議に。兄上とスーロンとキュルフェは養子縁組をしてくれるジャスパー翁と合流してから王城に行って、学園に来るそうだ。
先に俺だけ学園で降ろされ、半日ほど一人で過ごさないといけないらしい。
邸ではずっと一緒だったからか、少し寂しいが、まぁ、何処の町でも半日くらいは一人で散歩してたしな。散歩と思おう。うん。
学園前で降ろされた俺は、ミスリルスレッジハンマー、筆記具とノートと今日の教科書という最低限の荷物だけを持ち出す。
「サーミ、ハンマーはダメだよ。後でお部屋に運んでおくから、馬車に残していきなさい」
えー……ちぇっ。
「……分かりました。父上」
というわけで、制服姿に筆記具とノートと今日の教科書という最低限の荷物だけを持ち、俺は校舎に向かった。…………うう……ハンマーないと、なんだかスースーする。
四 大型庶子がやってきた! モルト・ブレーン伯爵令息の独白
『サミュエル・コートニーが帰ってくる』
その噂が流れてどれほど経ったか……
最初は期待でワクワクムードだった婿希望令息達も、最近はしょんぼり意気消沈している。
俺、モルト・ブレーン伯爵家四男もその一人だ。
皆、少しでも周りを出し抜きたくて、あの手この手で探しているのだが、全く情報が出てこない。全くだ。コートニー領は王都から一週間もあれば余裕で着く距離にあるのに、一週間どころか、一ヶ月経ってもサミュエル・コートニーは現れず、彼に関する詳しい情報も掴めなかった。
はぁ、サミュエル・コートニー。金持ちだし、親戚一同に溺愛されているらしいし、痩せたら絶対可愛い系だし、性格おしとやかだし。そんな令息に惚れられたら、人生盤石だろーなーなんて夢見ていたけど、そろそろ婚活頑張る時期かな。アゼルが本気らしいし。俺が彼に勝てるのは身長だけだから。
なんて考えながら、俺は校舎に向かっていた。
四年前の今日、サミュエル・コートニーは、誕生日の三日前にもかかわらず家出した。
「もう四年かー」
ふと、前を見ると、膝まである白いお下げを揺らした令息が歩いている。
少し弾んだウキウキした足取りで、ぷりんぷりん♪ と揺れるお下げがご機嫌な動物の尻尾みたいな、大変キュートな後ろ姿♡
あれ? でも彼、どっから来た? 抜かされた覚えはないが……
学生寮から来たのではないのだろうか。ということは通用門から?
気になって近づいてみる。すると、足音で気付いたのか、白お下げ君が振り向いた。
「ん……おはよう!」
「お、おはよう……!」
ヘヘッと弾けるような笑みで挨拶をしてくる白お下げ君に、俺の心臓はぶち抜かれる。
(か、可ぁー愛ぁーいィ――!!)
身長は百七十五センチくらいだろうか? 少し日に焼けた黄桃のような滑らかな肌に、鼻の中心から頬にかけてちょっとだけソバカスが浮いてるのが愛らしい。目元と口元が薔薇色とアプリコットで彩られ、白い睫毛に縁取られたスカイブルーの瞳がキラキラしている。
~~~~ッア――! なんて美少年!! くりくりの可愛い目鼻立ちが大変キュート! こんな令息いたか!? いや、いない!
つまり彼は外部から今日、学園に入ってきたんだ! 庶子だ! こんな時期に入学なんて庶子に決まっている!! しかもこの可愛さ、四年前のエンゼリヒトを凌ぐ!?
これはえらいことになった! 大型の庶子が入ってきたぞー!!
「見慣れないコだね……もしかして、道案内が必要かな? あ、俺はモルト・ブレーン伯爵家四男だよ。でも、敬語は……」
「いや、大体は覚えてるんだ……あ、敬語はいいよ。堅苦しいの嫌いなんだ♪」
いやいやいや、敬語はいいよって、言うのは身分が高いほうだから。
んもう、これだから庶子は……! でも許す! 身分がよく分からなくてちょっと無礼に距離を詰めてくるのが庶子の魅力だし!!
ああ可愛い! ああ唇ぷるぷる!! ああいい匂い!!
キョロキョロしつつ軽い足取りで進む白お下げ君の後ろを、俺はフラフラとついていった。
「んー……あれ?」
ところが突然、お下げ君がピタリと立ち止まる。
いけない、俺が三歩後ろを歩きながらくんかくんかしてたのがバレたか!?
「あ、……へへっ……なぁ、C校舎ってあっちであってる?」
うわっ! 心臓が!!
道案内を断ったのに分からなかった気恥ずかしさからか、ニヒッと顔をくしゃくしゃにして笑うお下げ君は、それはもう魅力の塊、ダイヤモンドの煌めき、神が造りたもうた至上の庶子……はっ! いかん、思考が一瞬トリップしていたようだ。
「ああ、C校舎に行くの? もしかして最終学年? 俺も最終学年なんだよ。同い年だね。こっちだよ、一緒に行こうよ」
俺は努めて冷静に、穏やかに、紳士的に対応した。
あー可愛い! でも、いきなりエスコートとかしたらビックリするよね? でも一応、腕を出しておこう。さりげなく出しておこう。掴まるかな? 掴まるかな?? ねぇ、掴まってよ!!
「……? 知ってるよ? モルト・ブレーンだろ? ……三階のB教室なんだって」
お、俺のことを知ってる!? 成る程! 貴族知識を詰め込んで来たんだね……。可愛い。その形の良い頭の中に、たった数行の文字でも俺の情報が詰まっているって考えたら嬉しくなっちゃうな。
賢いな……。でも、天然。俺はまだ君の名前を聞けてないのに。
あー、でも、名前を教えてって、勇気いる!! アゼル辺りならしれっと聞いてしれっと愛称呼びまで行きそうだけど……
「何か暑い……ジャケット脱ごう」
おわぁぁぁぁ!! 薄着になるのはいけない!! 君みたいなのが薄着になるのは!! あああ、あああああ♡ あああ♡♡
暑いと呟いておもむろにジャケットを脱いで腰に括り、真っ白の上質なシャツを腕捲りして素肌を晒すお下げ君はもう、俺の暗殺を依頼されているとしか……。でも、こんな暗殺ならもう喜んで死んじゃう。
「俺……最近、ずっとタンクトップだったから……、ジャケットとかシャツとか暑くて窮屈でさ」
俺の凝視を、咎められていると思ったのか、恥ずかしそうに言い訳してプチプチと首元のボタンを二つ外す姿は、もう夢に出るくらい可愛い。純朴そうなのが逆にすごくエロい。
田舎で家畜や森の動物達と走り回って、汚いものはなんにも知らずに元気に育ったんだろうなぁ。
……結局、お下げ君は腕に掴まってくれず、俺達はそのまま歩き出す。俺はまた三歩後ろに張り付いて、彼の良い匂いを嗅ぎ続けた。
というか、彼、意外と歩くのが速い。超速い。そんなに速く歩いている感じはしないのに。
「なぁ、聞いたか? サミュエル・コートニーが今日復学するらしい! 学生課職員が言ってたんだ! 確かな情報だぞ!」
「マジか! やっと……ゎ! なんだ、あのコ! 見ろよ! 可愛い……!」
颯爽と進むお下げ君の後ろをついていくと、そんな声が聞こえてきた。
なんと……! サミュエル・コートニーは庶子とぶち当たる呪いにでもかかっているんじゃないか? エンゼリヒトと婚約者が浮気したせいで四年引き籠りやっと帰ってきたってのに、同じ日にこんな大型庶子が入学してくるなんて……
現に今も、サミュエル・コートニーの噂なんか忘れて、皆、大型庶子の登場に目が釘付けになっている。
というか、このお下げ君は本当に凄い!
何故なら、攻め入る側も受け入れる側も、どちらも等しく魅了しているのだ!!
俺達のハートをガッツリ掴んでビクトールのもとにまっしぐらに突き進んでいったあのエンゼリヒトでさえ、受け入れる側には嫌われていたというのに。
そもそも、この国や近隣諸国の貴族界隈では、基本的に身長百七十センチ半ばというのはモテない。どっちつかずなのだ。受け入れる側なら小柄で華奢な百七十センチ以下が好まれるし、攻め入る側なら百八十を越えなければマイナス評価となる。
そのどっちつかずの身長に靭やかに筋肉のついた体がこんなに魅力的に見えるのは、もはや奇跡と言えるだろう。
前から歩いてくるキャピキャピ下級生の一団が、頬を染めてお下げ君を見つめ、ヒソヒソモジモジする。彼らから見たら、やんちゃ少年的な魅力に溢れた攻め入る側なのだろう。
別の令息達も足を止めてお下げ君をボーーっと見つめていた。彼らからしたら、やんちゃで初心そうな庶子のカワイコちゃんだ。
そうやって大型庶子お下げ君はすれ違う令息達を魅了し、フラフラと後ろにいっぱい男を引き連れてC校舎に入った。
三階のB教室に着く頃には、C校舎に入れない下級生に代わり、かなりの数の最終学年生が周りを取り囲んでいる。だが、お下げ君は特に気にした様子もなく、ちらっと俺と目があった時に、「やっぱり、こんな途中の時期だから目立っちゃうね」と、笑っただけだった。
お下げ君の視線でB教室に入りたいんだと分かったんだろう。数人の令息が道と扉を開け、とうとうお下げ君がB教室に到着する。
……それまで談笑していたであろうB教室の面々がハッと息を呑み、教室が静まり返った。
廊下の令息達が固唾を呑んで見守る中、お下げ君は教室を見回し、コツコツと軽やかな靴音を響かせて窓際から二番目、一番後ろの席にポンと荷物を置く。
その動作に、B教室の面々の顔に緊張が走った。
(これはいけない!)
何度か会話した自分が一番適任と判断し、俺はお下げ君に声を掛ける。
「お、お下げ君、ここはサミュエル・コートニー侯爵令息の席なんだ……!」
〝サミュエル・コートニーに手を出してはいけない〟
四年前の騒動で練兵合宿所送りになった令息達を思い出す。絶対にこのカワイコちゃんを同じ目に遭わせてはいけない。
ところが、返ってきた答えは意外なものだった。
「フフ、……知ってるよ。だからここに座るんじゃないか」
「えっ?」
どういうことだ? このカワイコちゃんはサミュエル・コートニーに喧嘩を売りに来たのか?
一気に周りの空気が張り詰めて、俺の〝え?〟だけが無駄に響いて消える。
「やだな、サミュエル・コートニーの席に着いても分からないか?? 俺がサミュエル・コートニーだよ! 皆が気付いてないのが面白かったけど、流石に席に着いても気付かれないのは驚いたな。白い髪ってそこそこ珍しいって思ってたんだが……」
っエエエエエエエエえええゑゑゑ∂∇☆⇒@∀⇔☆☆!?
教室内外からC校舎が揺れるくらいの絶叫が響き、俺の絶叫も思考も掻き消される。
そんな中、「ゎわっ!」って感じに慌てて耳を塞ぐお下げ君改め、サミュエル・コートニーの仕草と眉根を下げた表情は非常に可愛らしかった。
五 瓜坊令息と腹黒令息。そして学園生活最大の懸念
「嘘だろ!? サミュエル随分痩せたなぁ! 見違えたぜ!」
目の前にいたモルト・ブレーンをぐいっと押し退けて、アゼル・トラフトが俺に話し掛けてきた。
「アゼル! 久し振りだね。君は雰囲気あんまり変わらないなぁ」
俺よりちょっと身長が高いけど、だいたい体型は一緒くらいだ!
俺はそれが嬉しくて笑顔になる。気を悪くしたかな? と、思ったけど、アゼルはいつも以上にニコニコだった。
良かった♪
彼は同じ侯爵家の三男で、親切で明るい皆の中心的人物ってヤツだ。
さっきも何人かの令息に囲まれて喋っていたから、今も変わらず人気者なのだろう。
いいなぁ、社交的な人って憧れるよね。
実際はその裏でスッゴク気を配ったり、色々努力したりしているからこその求心力だ。俺には到底真似できない。だから、憧れるだけなんだけど。
「なんだサミュエル、俺のこと、覚えててくれたんだ?」
嬉しいなぁ、なんて言って笑う、そーゆーところがきっと人気の所以なんだろーな。
「アゼルがデレデレだ……」
「しっ! 聞こえたらどーすんだよ!」
俺達から離れた所でヒソヒソ囁かれているのにも気付かず、俺は久々に話すアゼルの変わらない雰囲気を喜ぶ。
「それにしてもサミュエル、綺麗になったのなー」
けれど、そう言って不意にアゼルが俺の顔に触れようとした時、思わずその手首を掴んで威嚇してしまった。
「何するんだ、アゼル。許可なく人に触れるなんて、不届きだぞ」
アゼルはビックリしたように目を丸くして、それからニコニコと笑う。
「ごめんって、サミュエル~。そんな怒るなよ~」
慌てて手を引っ込める彼に満足した俺は、お詫びにとくれた菓子を食べながら、アゼルと色々な話をした。
そうして最初の授業は特に問題なく過ごしたのだが、その次の授業が終わりそうな頃に限界を迎える。
とうとう来てしまった……。この学園生活の最大の懸念。それは――
「ぉ、おなか減った…………」
そう、空腹である。
実はこの四年、ダイエットと言いながら、全く食事量を減らさなかった。寧ろ増えたし、二年くらい前からは好き放題食べていた。それでもメキメキ痩せていっていたのだ。
皮がタルタルしていた時なんか、痩せすぎて皮が戻らなくならないように、敢えて沢山食べるという幸せな時期もあったしね。
なので、しょっちゅう何か食べてて。でも、学園ってそんなわけにはいかなくて……のぉぉぉ。
身を捩って耐えるが、もうそろそろ盛大に腹の虫が咆哮してエサをねだる時間である。
大変だ。なんとかしないと、恥ずかしいことになってしまう!
俺は教師の言葉を聞き流して必死に打開策を考えた。
……結論はこうだ。
最短で食堂に行く。
いつも行っていた食堂。昼休み後は閉まるけど、午前中は空いているんだよね。それを思い出した時は歓喜のあまり、授業中にもかかわらず小躍りするところだった。危ない危ない。
あのオニーサンまだ働いているかな? ……そういえば名前も知らないや。
いつも、何を食べるか決められない俺にバランス良くメニューを選んでくれて、優しくて、結構好きだったから、会えたら嬉しいなぁ。……俺のこと、覚えてくれているかなぁ??
最短ルートを頭の中に描いた俺は、懐かしい思い出に耽りながら、授業が終わるのを待つ。
授業が終わり、俺は気配隠蔽の魔法を掛けて、そっと教室のバルコニーに出た。
キョロキョロと誰も見ていないのを確認する。授業が終わってすぐなので、まだ誰も外に出ておらず、「今の内!」とばかりにバルコニーから飛び降り中庭をコソコソと突っ切った。
ダッシュすると腹が減るので小走り小走り。
懐かしい道――前は急いでも中々終わらなかった長く長く続く渡り廊下があっという間に終わる。
身長も高くなったし、足が長くなると歩幅も大きくなるもんな♪ いや、痩せたからってのが一番大きいな。
(オニーサン、いるかな?)
俺はちょっとワクワクしながら食堂の扉をそっと押した。
キイッと扉が音を立てて俺を招き入れ、その後、キッキッと微かに揺れる。
食堂には誰もいない。厨房の奥でガタガタ、ガチャガチャバタンバンと忙しない音がしていた。
ドキドキしながら食堂のカウンターに近づく。
と、ひょこっと奥のキャビネットの陰から、鍋とトレイを重ねて持った誰かが現れ、俺に気が付いた。
いつも食堂でお世話になっていたオニーサンだ。髪が伸びているし、背丈がそう変わらなくなっちゃっているけど、確かにオニーサンだった。
なんて言おう、気付いてくれるかな? 覚えていてくれるかな? ワクワクドキドキしながらオニーサンを見る。
……ガシャン! カン! クヮンヮン……ヮン。
「…………サミュ……エル?」
オニーサンは最初に、いらっしゃいとか、そんなことを言おうとしたんだと思う。
でも俺の顔を見た直後、みるみる目がまん丸になり、持っていた大きなトレイを取り落とした。傾いたトレイからボウルが一個シンクに転がり、クルンクルンと独楽みたいに回ってから止まる。
暫しの静寂の後、オニーサンは喉からぽそっと俺の名前をこぼした。
「ぇへへ……久し振りだね。オニーサン、俺の名前知ってたんだ。嬉しいな……」
本当はもっといっぱい言いたいことがあったのだけど、やっぱり真っ白になっちゃった。俺って本番に弱いなぁ。
「サミュエル! お帰り!! 凄いじゃないか!! 痩せてスッゴク美人になって!! 大きくなってる!! モジモジしてなきゃサミュエルだとは分からないくらい、変わったなぁ!!」
そんなオニーサンの言葉が嬉しかったり、恥ずかしかったり。
オニーサンがハッとして、名前を呼び捨てにしたことを謝ってきたが、俺は四年間、冒険者として過ごしていたからそっちのほうが嬉しいと、そのままの喋り方をお願いした。
「四年も冒険者してたのか??」
驚くオニーサン(テートさんというらしい。二十四歳なんだって)の反応が嬉しくて、ここに来た目的も忘れてお喋りに華を咲かせる。が、俺の腹時計は精密だった。
ゴウゴウワァァァご? ご?? ぎゅうぅうんキュキュ♡ くるぅきゅるるーん♪
だだっ広い食堂に音が轟く。
「おわっ!? なんだ!? もしかして、サミュエルの腹の虫か??」
「は、はずかしーぃ!!」
驚いて騒ぐ、オニーサン改めテート。俺は恥ずかしくて恥ずかしくて、思わずその場にしゃがみこむ。
が、お陰で俺の腹の減り具合を察してもらえたので、その後の話は早かった。
「そっかぁ、なんにも気にせず好きなだけ食べてたから、毎日どのくらい食べてたか分かんないのかぁ」
「そうなんだ。だから、スッゴク腹が減っちゃって。でも、学園生活って多分今までより運動全然しないだろうから、もう、どれだけ食べて良いのやら……」
取り敢えずテートオススメ雑穀パンサンドを齧りながら話す。
「まぁ、今日と明日はいつも通り食べてもらって、それ見て調整してやるよ♪」
テートが胸を張って言うので嬉しくなり、俺は彼の手をガシッと握り締めて礼を言った。
「ありがとう!! 嬉しい!! あ、そーだ! 今日の夕食は俺と婚約者二人が一緒に食べるから、多分すごく量がいると思うんだ。いつもより多めに料理を作ってくれると嬉しいな!」
カラーンコロンと始業前のベルが鳴る。ヤバイ!
「あ、授業始まる!! じゃあ、また昼休みに来るね!! サンドイッチありがとう!」
俺は残り一つのサンドイッチを頬張って駆け出した。急がなければ! 確か昔の記憶通りなら、始業ベルが鳴り終わるまであと二十五秒のはず!
中庭に躍り出た俺はスーロン直伝の身体強化を使って、まっしぐらに校舎の壁を駆け上がった。
「…………え? ……婚約者……?? ……二人??」
誰もいない食堂でテートが呆然と呟くが、猛ダッシュで教室に戻った俺はそんなことは露も知らず、こなれた腹で授業を乗りきったのだった。
Θ Θ Θ
「え!? アナタ本当にサミュエル坊っちゃん!? ……やだぁ。スッゴい可愛い……♡ アタシ、坊っちゃんなら抱ける……」
午前中の選択授業が芸術だった面々が、昼休みに荷物を置きに教室に戻ってきた。
その中の一人、兄上の友人ヘンリーとアルフレッド兄弟の弟、ミカエル・ハンソンに絡まれる。
まったく、なんてことを言うんだ、腹立たしい!
「おい! 親しき仲にも礼儀あり、だぞ! 抱けるくらい軽そうで悪かったな! だが、俺だってミカエルくらい抱き上げられる!! ていうか、顔を揉むな不届き者っ」
今まで殆ど話したことがなかったくせに人の顔を両手で挟む、すっかり雄ネーサンになったミカエルの腰を掴むと、「うりゃ!」と抱き上げた。
「へっ? ……キャー♡♡ ぃゃぁん♡ え、サミュエル坊っちゃんすっごぉい♡♡」
だが、それで剥がれると思った手が、寧ろ食い込んでくる。
くっ! イイ加減手をはにゃへっ……!!
「むぉい! はにゃへっ! はにゃへっへー!」
ムキ――! 悔しいがガタイの差で、腕をチカライッパイ伸ばしてもリーチが足らずミカエルの手を離せない。いや、不安定で怖いのか力一杯人の顔にしがみついていないか!? コイツっ……
ビシ!
「ぎゃっ!! イタ――」
「大丈夫か!? サミュエル!」
見かねたアゼルがミカエルの逞しい腕に手刀を喰らわせて剥がしてくれた。俺の顔はミカエルにギュウギュウにされて潰れた肉まんみたいになっていたのでよく見えなかったが、多分そう。
ホッとしてミカエルを下ろし、顔を撫でる。顔がお面みたいに外れるんじゃないかと思った。
「ありがとう、アゼル。お陰で助かった」
「可哀想に、大丈夫か? 赤くなってる……」
心配そうに俺の頬を撫でるアゼルがあまりにも自然で慈愛に満ちた顔をしていたので、触るなとは言えず、そっと回復魔法を掛けてから彼の手を剥がした。
「ありがとう、アゼル。回復掛けたから大丈夫だ。俺はもう、昼飯に行くよ」
「そうだな、早く行こうぜ♪」
あれ?? 何か一緒に行くことになってる?? 参ったな、貴族らしくない量を食べるから、あんまり見られたくなかったのに……
「療養中いろんな所に行ったんだろ? 話、聞かせてくれよ! な? 外国ってどんなだった??」
うっ……キラッキラの笑顔でそんなことを言われると断れないな。……まぁ、いっか。
そう思って食堂に向かったが、腕を擦りながらミカエルはついてくるし、隣の特進クラス、A教室から公爵家の令息他数人もついてくるわで、気が付くと学園のキラキラした人気者が勢揃いしていた。やだなぁ。恥ずかしいなぁ。
けれど食堂の扉を開けた途端、俺はそんなことをすっかり忘れて食堂のカウンターに突撃する。
「て――と――♪」
「おお、サミュエル! 来たか! 取り敢えずいつも通り食べてみてくれ!」
「うん! 分かった!……フフン♪ フンフ~♪ フンフンフ~~ン♪」
テートの言葉に、俺は嬉々として左から皿を順に取っていった。両手で持てるだけ買い、カウンターに一番近い席に置く。
アゼルがもっと奥の静かな席に座ろうって言ってきた。
だが、俺は最短で食事にありつきたかったので、ここで食べると宣言する。それで全員ここで食べることになった。
(もういーや)
腹ペコで投げやりになった俺は、もう周囲の目など気にせず好きなだけ食事を楽しむ。意外にも皆、驚いたり呆れたりせず、俺がいない間の有名事件とか、俺のダンジョン攻略とか、いろんな話で盛り上がり、楽しく食事が進んだ。
家出前はこんなことなかったので驚いたが、冒険者の酒場で食べているような楽しさがある。それでいて、これが学校というものの醍醐味! って感じもする。
俺はちょっと、今後の学園生活が楽しみになった。
(早くスーロンとキュルフェ来ないかなぁ)
「なぁなぁ、アゼル、半日って、何時間くらいだ? 八時から半日って何時だ??」
昼飯以降、すっかりアゼルやミカエルと一緒に行動するのに馴染んでしまった俺は、移動教室の帰り、少し黄味を帯びた光が差し込む二階の渡り廊下を歩きながら横のアゼルに問いかけた。
「突然なんだ? サミュエル。そりゃ、二十四時間の半分だから十二時間じゃないか? 朝八時なら、夜八時だろう……」
なんてことだ! あと六時間も待たなきゃなのか??
「あら? でも考えてみて? 普通半日って言う時は睡眠時間は考えないじゃない? だから、六時から二十三時と考えて、その半分だから八時間! 朝八時からなら夕方四時だと思うワ♪」
四時かぁ、八時よりは早くなったけど。
ミカエルの言葉に少し気持ちが軽くなったものの、待ち遠しい。
もう、今日の授業は全て終わってしまったのに、二人はまだ姿を現わさない。俺の思っていた半日は、もうそろそろ過ぎようとしているんだが……
「俺は、半日ってなんとなく六時間くらいなイメージだな。だから、八時からなら今ぐらい!」
三公爵の一つ、ティコック公爵家五男のジューンが明るく言う。その後を継いで、宰相補佐のボーディ家の嫡男とか数人が何か喋っているが、俺の耳を素通りした。
渡り廊下の窓の隅に一瞬、紅色が過ったのだ。
慌てて窓に貼り付き下を見る。学園通用門からエントランスに続く石畳の広い通路、門から少し入った場所に馬車を停めたスーロンとキュルフェが、何か話し込んでいる。
堪らなくなった俺は、ガラッと渡り廊下の窓を開けて、二人のもとに飛び下りた。
「スーロン! キュルフェ!!」
「…………あとはどうやって、ここに連れてくるか、だな……。ん?」
「サミュエル! 危ないよせ!」
「サミュエル!?」
スーロンとキュルフェが上を向き、俺と目が合う。
「ミューー!」
「サミュ!!」
パッと笑顔で迎えてくれる二人に嬉しくなって、二人の前に着地する予定を変更、受け止めてもらおうと手を広げた。
が、いつぞやみたいに二人が笑顔でグイグイと押し合いを始めたのでスッと気持ちが凪ぎかける。
(まったく、俺が二階から飛び下りる短い滞空時間で、なんで兄弟喧嘩できるんだ??)
二人は俺のそんな気持ちを察知して、結局、仲良く抱き止めてくれた。
そうそう、そうこなくちゃ♪
俺は二人にしっかりと抱き着き、スーロンの落ち着く匂いとキュルフェの優しく華やぐ匂いを胸いっぱい吸い込む。
「お帰り!! 二人とも遅いぞ! 淋しかった!!」
「ただいまです、サミュ。私も会いたかった」
「遅くなってごめんな、ミュー。俺も淋しかったよ……」
二人にぎゅっと抱き締め返され、頬擦りされて、頭やらおでこやら耳にキスをいっぱい落とされて。俺はいっぺんに満足してくふくふと笑う。
ジャリ……
不意に硬い地面を踏み締める音がする。気が付くと、アゼルが俺達のすぐに後ろに来ていた。
「……サ、サミュエル……? ……そいつら、は?」
あ、アゼルに紹介しなきゃな。
ミカエルやジューン達も校舎から飛び出てきた。皆、走ってきたらしくて息を切らしている。
俺の婚約者だよ! ……って言うの、何か超照れちゃうよね?? キャーー♡
俺は抱っこから下ろしてもらいながら、チラチラとスーロンとキュルフェを見た。そんな俺を見てにんまりとキュルフェが笑う。
くぅ~キュルフェはいつもそうだ。
俺は二人の手を引っ張ってアゼルの前に行く。
「へへ……紹介するね。俺の婚約者の、スーロンとキュルフェだよ♪」
「婚約者……? え、いつから、……婚約を?」
ビックリしてポカンとした顔で聞くアゼルに、俺は恥ずかしくて二人の腕に絡まりながら答えた。
「へへへへ。こないだ、帰ってきた時に、二人が父上達に打診してくれて……。ね! スーロン♪ キュルフェ♪」
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そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
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